前夜
「よう、一杯おごらせてくれ」
ざんばらの髪を後頭部でひとつにくくったみすぼらしい兵士が、断わりもなしに目の前に陣取り、なれなれしくユシュエルの手にジョッキを押し付けてきた。遅れて、煙のように土と埃が立ち上る。
兵士は40がらみの男で、着ているのは年季の入った軍服だ。テーブルに立てかけた突撃銃をみるに小銃兵だとユシュエルは推察した。自律機動人形兵器・オートマータが活躍するようになる以前、かつて第一線で戦っていた歩兵だ。
つねに淀んだ空をもつ共和国ではありえない日に焼けた肌にたばこと火薬のにおい、無精ひげ、そこに刻まれたしわが、なによりも男のこの地での長さを物語っていた。
「その制服、あんた、人形使いだろ?」
「そうです」
男はユシュエルの返答をうけて、やっぱりなと笑い、
「あんたらのおかげで、今や俺たちは最前線に出ずにすみ、生きていられる。感謝しないとな」
自分の杯をユシュエルのにガツンと当て、一気にあおる。のどが上下し、音を聞かずともずいぶんな勢いで液体が流し込まれていっているのが分かる。もうすでにだいぶと飲んでいたのだろう。男の顔は真っ赤で、たいそうご機嫌だった。
人形使い――とはいっても、ユシュエルにとっては明日が初陣であり、しかもまだ候補生のため後方支援しか命じられていない。だが、そのことはこの際黙っていたほうがよさそうだ、とユシュエルは思った。男の勘違いに任せておけばよい。
ここのところの連勝で、宿営地は前哨の陣のわりには比較的明るい雰囲気だった。訂正してそれに水を差すこともないだろう。
盛大に酒臭い息を吐いて、男は機嫌よろしく話を続ける。
「俺はロンダってんだ。あんたは?」
「ユシュエルです」
「喋りになまりがねえな。どこの出身だ?」
「オラクルです」
「首都か。歳は? 俺の半分もいってねえだろ」
「18です」
男は驚きの声をあげる。
「てことは、志願兵か!」
そう言いながら、ユシュエルに渡したジョッキをちらっと見た。未成年に酒を渡してしまって取り上げるべきか迷ったのだろう。だが、1年早いくらい大した違いはないと気にしないことにしたらしい。
そう。大したことではない。ユシュエルだって自分の実際の年齢など知らないのだから。
男はユシュエルの隣にわざわざ座り直してから、親し気に肩を叩き、
「それで人形使いってのはあんた相当できるんだな!」
この男の言う“できる”かどうかは今後の戦場での、ユシュエル自身と専用オートマータの活躍次第だろう。
今はまだユシュエルは自分の人形の所持の許可を得られていない。国から汎用オートマータを貸与されているのみだ。
もちろん、オートマータの主になるには仕組みを理解する必要があるから多少の頭脳は必要であろうが、結局のところ相性でしかないと感じている。人形と同期――またはリンクとも呼ばれる――し、ときに指示し、戦わせ、そして、自分も戦う。相性と戦闘のセンス。人形使いに必要なのはその2つだ。
今はまだ、その最初の舞台に立ったのみ。重要なのは、それが問われるのは、これからだった。
「それにしても、今回は軍も太っ腹なこって。人形使いたちの数だけで言えば、本土よりも多いんじゃねえのか。お偉方もなんでこんな辺鄙な島なんかの問題に首突っ込んだんだか。住んでたやつらもかわいそうに」
その同情はすでに意味を成さないことを誰もが知っていた。もはや元の住人で生きている者はいないだろう。
そもそもの始まりは帝国と属国とをつなぐ大陸間運航列車の爆発だった。
2国間の橋の上を通過中の列車が、何者かによって爆破されたのだ。乗っていた人たちごと。
その犯人がユシュエルたちが進駐しているこの島に逃げ込んだという情報により、帝国は犯人を探し出すため兵や戦力を送り込むや否や、犯人確保の協力要請という名目で周辺の村々をあっという間に占拠していった。
わずかに海を挟んだだけの島国での出来事。中立地帯であるはずの第三国への占領ともいえる状況を憂いた共和国もまた、武力介入を阻止する名目で島に戦力をもって介入したのだ。
そして起こる武力衝突。事実上の開戦だった。
争いが始まった途端、島全体が戦場となり、蹂躙された。最初の戦線近くにあった村はすでに何百年も前に滅びたのだと言われても疑いをもたないほどに朽ちている。
当然ながらその戦火は大陸本土にも及んでいるが、互いに自分たちの領土ではなく、自国民が住んでいたわけでもない土地で行われた戦いはいっそう悲惨だった。
戦力というものを持たず、農業と漁業が主力産業の穏やかな島国であったからこそ余計に。
「――共和国としては、この島を取られれば海上からの警戒が必要になる。挟まれると、万が一の場合、戦況が不利になるからでは?」
帝国は領土を拡大する足掛かりとして、共和国は自領への帝国の侵略を防ぐため。
でなければこんな辺境の島、わざわざ大陸の2大強国――マクナマラハン帝国とセアーガス共和国がとりあう理由が思い当たらない。
最初は誰もが、早々に交渉に持ち込まれいずれ決着をつけるだろうと思っていた。しかし、どちらも引かず予想を超えて戦争は長引き、今に至っている。始まったときには幼なかった子が兵になれるほどに。
「なら、いいんだがな……」
男はどうにも歯に物がはさまったような言い方をする。尻の座りが悪いといったぐあいだ。
「何か問題でも?」
ユシュエルの言葉に、今さらながら男は周囲を伺い、声を潜める。
「俺は偵察部隊に所属していて斥候をやっているんだがな、アスタリ峡谷、わかるか? テュイニ荒原の先のなんもねえ場所だ。それなのに、帝国の奴らが随分と集まっていた。あんなところで何をしてやがる?」
ユシュエルは頭の中に地図を思い浮かべた。島の地形は大体頭に入っている。
男があげた地名は、明日向かうナーズ戦線から南西部に下った先にある乾荒原と原野から延びる、切り立った崖に挟まれた谷だった。男の述べたとおり、一帯は硬い岩盤ばかりで痩せており農地にもできず、人の手もほとんど入っていない。何もない場所のはずだった。
「たしかに、おかしいですね」
「だろ? しかもだ、それを報告した途端、今回の人形大量投入――勘ぐらずにはいられねえ」
言ってからこぶしで口元をぬぐう。
今の今まで笑っていた顔が不意に真剣味を帯びる。
「嫌な予感がするんだ。何だか嫌な予感がよ」
吹き付けているのは生ぬるい風だというのに男は体をぶるりと震わせ、言った。
「俺の嫌な勘だけは、あたるんだよな」