透明人間のラジオ
私はその道を通るとき、一台のラジオが気になっていた。そのラジオは以前、私の店に持ち込まれたラジオだったからだ。私の見た限り、型は古いがラジオ自体の状態は良く、大切にされている物だと思われた。
──ああ、結局捨てられてしまったのだな。
と私は残念に思っていた。
しかし、ある日そのラジオが消えていた。
──誰かに拾って貰えたのだ。
と私は一人安堵していた。
しかし、数日後、再びその道を通るとまた、ラジオが置いてある。
私はそのラジオが可哀相になって、そのラジオを持ち帰る事にした。
「──おや、洋一君。そのラジオどうしたんだい」
私が家──三門電子機器修理店に帰ると、親戚の叔父さんが家に来ていた。私の叔父は蒐集家で珍しい物があれば、高値で買ってくれる事もある太っ腹な人だ。
しかし、私の店は町の小さな店に過ぎずそんなものは滅多に入らない。それでも、彼は時たま珍しい物がないかとやって来るのだ。
「興味がおありですか?」
「いやねえ、その型のラジオを見たら『透明人間のラジオ』を思い出してね」
「『透明人間のラジオ』?」
私が不思議に思って尋ねると、叔父は最近亡くなったという蒐集家仲間の事を教えてくれた。
✤✤✤✤✤
それは三門の叔父か蒐集家仲間の同端という男の家を訊ねた時のことだ。
同端の蒐集物の種類は多岐に渡り、彼は家の一室をコレクションルームにしているほどだ。三門の叔父は他の蒐集家仲間からその部屋の話を聞く度に、その部屋に一度招待してもらいたいと思っていた。
その日は三門の叔父は同端に何度も頼み込み、漸く念願叶って通して貰っていたのだ。
そこで三門の叔父は一台のラジオが目に入った。
「──同端さんは電子機器にも興味があるのですか?」
三門の叔父は意外に思い同端に訊ねた。三門の叔父と同端はそれなりに長い付き合いだったが、彼が旧式のラジオなど電子機器に興味があるなど聞いた事がなかったからだ。
しかし、同端は首を左右に振ってこう言った。
「ああ、これは私の蒐集物では無いんですよ。縁があったというべきなのか……」
三門の叔父が首を傾げていると、同端はこんな話を始めたのだ。
✣✣✣✣✣
──20年程前。
同端は以前から探していた骨董品があるという話を聞き、ある骨董品店を訪れたのだ。
しかし、電車で何時間もかけて店を訪れたにも関わらず、同端がその店を訪れた時、その骨董品は既に他者の手に渡っていたそうだ。
酷くがっかりした同端は、そのまま家に帰るのも何だか虚しくて周辺をぶらぶらと散歩して帰ることにしたのだ。
「──!」
どれくらいの歩いただろうか、1軒の店の前で言い争う声がした。聞こえてきたのは若い男の声で「不良品を売りやがって!」などと店主に向かって怒鳴りつけている様だった。店主の方も気が強いのか、それに対して言い返している。
──はぁ、只事じゃあないな。
同端は早くその場を立ち去ろうとした。しかし、一歩遅く飛び出してきた客の若い男とぶつかり、尻餅をついてしまったのだ。
──散々な日だ。
同端は内心酷く落ち込んでしまった。
「大丈夫かい!」
同端が客とぶつかり転んだ事に気付いた店主が慌てて駆け寄ってきた。同端は店主に「大丈夫」と言おうとしたのだが、その瞬間にピキッと激痛が足に走った。どうやら変な方に足を捻ってしまったらしく、捻挫をしてしまったのだ。
店主に支えられ、少しの間店で休ませてもらう事にした。
店主は酷く申し訳なさそうにお茶を出しながら、一台のラジオを顎で示して、先程の事を話始めたのだ。
「すみませんねえ。あのラジオ、不良品なんですよ。だから、売らねぇって言ったんですがねぇ。『それでも構わないからくれ』ってあの兄ちゃん。案の定、付き返してきやがった」
そう言って、店主ははぁと溜め息を吐いた。
「これで三度目ですよ」
「三度目!?」
店主の言葉に同端は目を見張った。
「見た目も綺麗だし、ちゃんと音も出るから不良品でも構わないって言う人がいてね」
「はぁ、あの、不良品って言うのは……」
「ああ、夜中に勝手に音が鳴ったり、変な放送が入るんですよ。それで耐えきれなくなって、うちに返品しに来るんです」
──それは不良品ではなく、曰く付きというべきなのでは……?
同端は呆気羅漢と言い切る店主に何とも言えない顔をした。
「──まあ、誰かが持ってってくれればいいんですけどね」
そういう店主顔は明るい声音に対して酷く暗く異様な雰囲気を纏っており、同端は息を呑んだ。
その日は、そのまま家に帰ったものの、そのラジオが気になり数日後、再度その店を訪れるとラジオはまだ店に置いてあった。
同端がそのラジオを「欲しい」と言うと、店主は嬉々としてそのラジオを同端に譲ってくれた。無料で、である。
「──さて、どうしたものか?」
同端はラジオを持ち帰ったのは良いが、ラジオを聞く習慣はなかった。折角なので、自身の集めたコレクションルームに置くことにしたのだ。
その日の夜から、コレクションルームの様子がおかしいのだ。夜、コレクションルームの前を歩くと、つけてもいないのにラジオの音がする。そして、部屋の中に誰かいる気配がするのだ。まるで見えない誰か──透明人間がそこにいて、ラジオを聞いているような。その部屋に入ると何も言えない気味の悪さがあった。
その頃、同端は一人暮らしをしていた。妻には早くに先立たれ、娘達は既に家を出ていた。親戚が近くに住んでおり、時折訪ねてくる程度、ラジオを聞く人はいない。
同端は悩んだ。
──店主に付き返すのも申し訳ない。私の母屋とコレクションルームは離れているから、近づかなければいいだけなのだが……。
悩むうちにふと、同端はこう思った。
──もしかすると、あの透明人間はあのラジオを取られると思っているのでは?
その夜、同端は突拍子も無い思い付きを少し試してみることにした。今日もラジオからは不快な砂嵐の音がしている。同端はコレクションルームの前に行くと、誰もいない部屋にこう話しかけたのだ。
「もし、私はこの家の家主の同端と言います。縁あってそのラジオを持ち帰りました。そのラジオは貴方のものなのですね? 私は他の方のようにそのラジオを別の者にお譲りしたりしません。約束致しましょう。
それから、私は貴方その部屋をお貸しします。好きな時にラジオを聞いて下さって構いません」
そうすると、鳴っていたラジオの音がぴたりと止まったのだ。部屋に入ると、薄気味悪さもなくなっていた。
✣✣✣✣✣
「──という事がありまして、まあ信じないでしょうが」
「はぁ」
三門の叔父は同端の話を聞いて、気のない返事しか返せなかった。同端という男は穏やかな人で嘘をつくような人でもなかったからだ。
✤✤✤✤✤
「──それが『透明人間のラジオ』だよ。同端さんが亡くなってどうなったのか気になっていはいるんだ。良い人に巡り会えれば良いけどね。まあ、いくら型が同じと言っても、そのラジオがそれでは無いだろうが」
そう言って叔父はカラカラと笑った。
同端さんが何故亡くなったのか気になったが、結構なお歳だったらしく、老衰とのことだ。
叔父はああ言ったが、私には、このラジオがその『透明人間のラジオ』に思えてならなかった。
その夜、私はそのラジオに向かってそっと語りかけた。
「私は三門と言います。私は小さな修理店を営んでいるだけなので、同端さんのように広い部屋は用意できません。物置が一つ空いてます。私がいる限りは他の人に譲りません。安心してください」
そのおかげかは分からないが、ラジオを閉まった物置からは時折、ラジオの音がするものの、不快な思いはした事がない。