9.ネネトとスレイ
薔薇に手を伸ばしたところで急に声をかけられたので、思わずビクッとしてしまう。
ボクは無意識のうちに魔法薬の材料になりそうなものに手を伸ばすクセがあってよく怒られているから、ビクビクしながら振り向くと──ボクと同じ超古代文明風のドレスを着た、少しだけボクより背の低い、オレンジ色の髪をした可愛らしい女の子が立っていた。
……あ。もしかして彼女がコーデリー伯爵夫人が言っていた「もうひとりのアトラクシオン風ドレスを着た子」かな?
「ご、ごめんなさい急に声をかけてしまって──うわわっ!?」
焦った様子の彼女が慌てて駆け寄ろうとして、ドレスの裾に足がもつれてバランスを崩す。
ボクは素早く手を伸ばすと、転ばないように胸元に手を差し入れて──むにっ。
「あっ」
「あぅっ」
思いっきり胸を触っちゃったよ。
「ご、ごめん! 大丈夫?」
「い、いえ。支えていただいてありがとうございます。だ、いじょうぶなので……」
すぐに手は離したけど、今のボクが女の子同士で良かった。もし男のままだったら変態扱いされてたかもしれない。
手には柔らかい感触がハッキリと残っている。
この子、見た目じゃ分かりにくかったけどすごく胸が大きい。もしかしたらグラウの好みかも。たぶん今のボクよりも大きいし。
……こんなこと考えている時点で、ボクはグラウの影響を強く受けてしまっているのかもしれない。
「それで……その、ご用件は?」
気を取り直して声をかけると、少女はオドオドした様子で口を開く。
「その、私と似たドレス着てる子がいるなと思って、あなたのことを目で追いかけていたのです。そうしたらあなたがスリーピングローズをご存知のようでしたので、つい声をかけてしまって──」
「ああ、なるほど」
「スリーピングローズは私の領地の特産品なんです」
え、じゃあもしかしてこの子はティプルス領の?
「ごめんなさい、私としたことがまだ自分の名前も名乗ってなかったですね。またスレイ様に怒られてしまいます……。私はティプルス男爵家の長女でネネトールといいます。ネネトール・トキシア・ティプルスです」
やっぱりティプルス領の子だったんだ。ところでスレイ様って誰のことだろう。
「ボクはローゼンバル……じゃくてロゼンダです。ロゼンダ・フレイラ・ギュルスタン──子爵になるのかな?」
「あっ、子爵家のご令嬢でしたか。すいませんロゼンダ様、馴れ馴れしく声をかけてしまって」
「あ、いや、気にしないで。子爵といっても存在しない──に等しい没落した家だから。ほ、ほら、ご覧の通り言葉遣いやマナーもまだまだだし、様付けとかは勘弁して欲しいかな」
「ありがとうございます、お気遣いが嬉しいです──ロゼンダさん」
「ロゼンダでいいよ、ネネトールさん」
「まぁ、では私もネネトール、もしくはネネトとお呼びください」
つい男の時のままの口調で話しちゃってるけど、どうやら大丈夫そうだ。いまさら口調を変えるのも変だし、このまま押し切っちゃおう。
「じゃあネネトは、このスリーピングローズの生息地であるティプルス男爵家のご令嬢なんだね」
「はい。スリーピングローズはとっても素敵な品種なんですが、あんまり知られていなくて……ロゼンダがご存知なのがとても嬉しいです」
「素晴らしい薬効を持つ薔薇だよね。よくぞこれほどの品種を作り上げたと思うよ」
「あ、分かっていただけますか!? 父が精魂込めて品種改良をした結果出来上がったものなので、家族のように大切な存在なんですよ。ただ量産が難しくて品質も安定していないので、なかなか領の発展には繋がらなくて……」
「いやいや、これだけのものを創っただけでもお父様は大変素晴らしいお仕事をなさってると思うよ。君も胸を張るといいさ……って、ちょっと偉そうだったね。ごめん」
いけない、いけない。つい素が入っちゃったよ。
魔法薬絡みになると思わず熱くなっちゃうのはボクの悪いクセだと思う。
「いえいえ、気になさらないで下さい。父やスリーピングローズのことを褒めていただけると私も嬉しいです」
「そう言ってもらえると気が楽になるよ、それにしても貴重なスリーピングローズの産地の方とお目にかかれて光栄だな」
「こちらこそ、ロゼンダのようにお美しい方に認めていただいて光栄です」
「え!? う、美しい!?」
「はい、ロゼンダはピンク色の髪の毛とか可憐ですし、顔立ちも可愛いらしくて。しかもお肌がツヤツヤで透き通るようですし……ちょっと触ってもいいですか?」
「え!? 触るの?」
「うわぁ、すっごくすべすべですね。一体どんな手入れをしているのですか?」
「いや、あの、メイドが……」
「メイドさんの腕がとても良いのですね。私、自分で手入れをしているのですごく羨ましいです」
それがたとえエステ機能についてであったとしても、エスメエルデのことを褒められてつい嬉しくなって顔がニヤついてします。
「……」
そんなボクの顔を無言でじっと見つめるネネト。
「どうしたの?」
「いいえ、ロゼンダの笑顔の破壊力がすごいなぁって」
どういう意味だろう。ボクが首を捻ると「あ、気にしないでください」とネネトが手を振る。
「今日はロゼンダとお知り合いになれて嬉しかったです。私まだ王都に来たばかりで友達が少ないので……」
「そうなの?」
「ええ。ちょっと訳あって私一人だけ王都に来ることになりまして……。急すぎて住むところも無くて、寄親のところにお世話になっているので──」
「ネネト、なにをしておる?」
ネネトを呼ぶ声がして、彼女が弾けるように振り返る。
なんだか聞きやすい声だなと思いながら声の主を確認して──ボクは思わず言葉を失った。
なぜならそこには、絶世の美女と言っても差し支えなほどの綺麗な令嬢が立っていたから。
「あっ、スレイ様」
「急に居なくなるでない。淑女たれといつも言っているだろう」
「す、すいません……」
ネネトがスレイと呼ぶ令嬢は、ボクがこれまでの人生で見てきた女性の中でもずば抜けて整った顔立ちをしていた。
切れ長な目に大きめな唇、小さな顔に女性としては長身な──男性時のボクと同じくらいの身長に、すらりと伸びた細い手足がすごく目を引く。
会場中の令嬢たちもこの人を注目しているのがよく分かる、すごい美人さんだ。
物語に出てくる妖精のようだと思った。グラウと並んで立ったらさぞかし目立つカップルになることだろう。
だけど最も気になったのは、会場内でも一際目立つ〝蒼い髪″。
ボクがずっと探していた〝グラウの婚約者候補″の一人と同じ色だ。もしかして彼女は──。
「こらネネト、こちらの令嬢をわらわに紹介せんか」
「は、はい! 彼女はロゼンダ・フレイラ・ギュルスタン子爵令嬢。今ここで知り合いました。ロゼンダ、彼女はティプルス男爵家の寄親であるパニウラディア公爵家のご令嬢スレイア様よ」
「ギュルスタン子爵令嬢、初めてお目にかかる。わらわはスレイア・アールルンド・エルド・パニウラディアじゃ」
やっぱりそうだ。
彼女こそが、ボクが探していたターゲットの一人。グラウの婚約者候補であるパニウラディア公爵令嬢スレイアだったのだ。
「初めましてスレイア様。ギュルスタン子爵令嬢ロゼンダです」
スレイアに頭を下げながらボクは思う。
この人、ものすごい美人さんなんだけど……胸の大きさ的にはグラウの好みではないかもなぁ。




