11.新たなモード
ボクは、【 薬物 】の先代ライブラリアンだった亡き母の影響で、幼い頃から様々な薬物に触れ合うことが多かった。
そのおかげでボクは薬──特に毒に関する嗅覚は人一倍鋭い。
しかも今日は特に鋭い。食べ物や花、香水なんかの匂いに紛れている〝毒″の匂いをはっきりと嗅ぎ取れる。
これは──もしかしてもともとボクの持っていたスキルが強化されている?
でも今は別の問題解決が先だ。
なにせボクの嗅覚が捉えたのは──ちょっと強めの〝毒″の香り。今のボクなら分かる。この毒は恐らく──。
「司書ローゼンバルトの名において【 薬物 】データベースを検索せよ──《 薬物鑑定 》」
『代行機関エスメエルデが検索結果をお伝えします。今回の薬物は──〝アルカイドル系神経毒″です』
エスメエルデがコネクトリングを通じて伝えてきた情報は、ボクの認識と同じ結果だった。
〝アルカイドル系神経毒″か……少量で魔獣でも失神する猛毒じゃないか。
公爵や侯爵クラスの令嬢が参加するパーティで、よもやこのクラスの毒にお目にかかることになるとはね。
だけど感心してる場合じゃない。早く薬物を〝回収″しないと被害者が出てしまうからね、事態は予断を許さない。
「ティプルス男爵令嬢ネネトール様。あなたのドレスを汚してしまったお詫びに、お着替えになる前にザンブロッサ名産のワインを差し上げようとしているんですが……いりませんこと?」
「あなた、アフロディアーネ様のワインが飲めなくて?」「失礼にも程があるわ」「さっさと飲んで早く着替えたほうが宜しいのではなくて?」
笑顔でワイングラスをネネトに差し出すアフロディアーネ。周りにいる令嬢たちも口々に勧めてるんだけど、先に着替えた方が良くないかな。
ネネトはグラスに手を伸ばすことなく、ドレスの裾を硬く握りながらワイングラスをじっと見つめている。その横でスレイアは、なにやら渋い顔を浮かべていた。
ここでボクはすぅと鼻で匂いを吸い込む。
……なるほど、【 毒物 】はあのワイングラスの中に入ってるのか。
でもどうやって対処しようか。
今はアフロディアーネがネネトに『服を汚したお詫び』として〝毒入り″ワインを渡そうとしている。そこに無関係なボクが割って入るのは──ちょっと勇気がいるなぁ。だってあの様子だとアフロディアーネは……。
そもそもどんな理由でワイングラスを取り上げる?
理由もなく上位貴族が下位貴族に渡そうとしてるものを奪ってしまったら大問題だ。やったらまずいことくらいは本物の令嬢じゃないボクにでも分かる。
ここで「そのワイングラスに毒が入ってますよ」なんて言うのも問題外だ。
とんでもない大騒ぎになってしまうだろうし、なによりあの娘が悲惨な目に遭ってしまう。
つまり、誰も傷付けることなくこの場を丸く収めるためには──毒が入っていることを知らせることなく、綺麗に収める必要がある。
この条件下で、ボクに出来ることは──。
いやないよ、どうにも出来ないよ。どう頑張っても荒事になっちゃう。だからこそスレイアも静観してるわけだし。
どうしよう、何か良い手は……。
『マスターへダイレクトコール』
「えっ!?」
まさかのこのタイミングで、エスメエルデからのダイレクトコール。
なになに。今ボクは頭の中がとっても大忙しなんだけど、今度は何が起こったのかな!?
『ギフト《 女体化 》に新たなモードが解放されました』
「うそっ!? いま!? ここで!?」
相変わらず唐突すぎて意味不明なんだけどこのギフトは。
とはいえ【 スキル百科 】のライブラリアンとしてはどうしても気になる。
「エスメエルデ、どんなモードが解放されたの?」
『新たに解放されたのは────【 悪役令嬢モード 】となります』
「は!? 悪役令嬢!?」
言葉の意味はよく分からないけど、【 悪役 】という名称になんとなく不吉なものを感じてしまう。
だけど──ボクの直感が囁いてくる。
たぶんこれは、今の状況をうまく切り抜けることが出来るモードに違いない。でなければ今解放された意味が無いじゃないか。
本来、スキルは本人が望む時にその力を与える存在だ。
【 アトラクシオン流淑女モード 】のときもそうだ。ボクがパーティに参加することが決まって悩んでいたときに覚醒した。
であれば、今回も──。
ごくり……思わず唾を飲み込む。
スキルのライブラリアンとして、未確認のスキルを使うことに複雑な思いがある。
だけど、どうせこのままでも打てる手はほとんどなかった。だったら一か八か、この新しいモードに賭けてみようじゃないか。
「えーい、ままよ! エスメエルデ、【 モード 】を切り替えて!」
『マスターの権限に従い、ギフト《 女体化 》はこれより【 悪役令嬢モード 】に切り替えられます』
──カチン。
ボクの中で、何かが切り替わる。
来た。これが──【 悪役令嬢モード 】。
先ほどまでのモードでは〝身体″が勝手に動いた。
だけど今回は──違う。〝言葉の奔流″が喉の奥から溢れ出してくる。
ボクは覚悟を決める。
それまで三つ編みに結んでいた髪を解いて手でふぁさっと拡げる。メガネを取り外して、背筋をピンと伸ばすと──うん、なんか気合が入ったぞ。
ゆるくウェーブのかかったピンクの髪を揺らしながら、ボクは──騒動の真っ只中に突っ込んでいったんだ。




