第九十八話 「芽吹きの兆候」
ダンデライオンの英雄譚。
コスモスが口にしたその言葉に、僕は僅かながら聞き覚えがあった。
しかし明確には思い出せない。
「聞いたことないかしら? 辺境の田舎村に生まれた冒涜者の少年が、周りから蔑まれてる中、魔獣の大群と戦って村を救う話よ。その少年の名前がダンデライオンっていうから、ダンデライオンの英雄譚っていうの」
「そ、それ、英雄譚のお話だっけ?」
コスモスは“うんうん”と頷く。
ダンデライオンの英雄譚というのが、彼女が言った通りの物語なら、僕が覚えている話とぴったり一致する。
ということは僕も、前にその英雄譚を読んでいて、その物語を覚えていただけなのか。
てっきり人伝で聞いた話だとばかり思っていたけれど、それは勘違いだったみたいだ。
「あんたよく冒険譚とか読んでるし、どこかのタイミングで読んだことがあるんじゃないの?」
「うん、たぶんそうかも。読んだのかなり前だと思うけど」
だから内容もいまいち覚えていない。
冒涜者の少年が魔獣の大群を倒して村を救ったという大筋しか頭に残っていないのだ。
「確かこの図書館にもあったと思うわよ。でもあの話を調べたからって、実際に天職を持ってない人を強くできるとは思えないんだけど」
「まあ、ダメ元で調べてみるよ。ちょっとしたヒントだけでも掴めたらそれでいいし、何もわからなかったらその時は別の方法を考えるから」
だって今のところ、それ以外にやれることがないからね。
とりあえずは調べてみるしかないのである。
「また厄介な依頼を引き受けちゃったみたいね。せっかくだし私も一緒に探してあげるわよ」
「おぉ、ありがとコスモス」
心強い味方も得られたところで、僕たちはさっそく『ダンデライオンの英雄譚』を探すことにした。
この図書館を習慣的に利用しているコスモスに先導してもらい、冒険譚が集まっている棚に向かう。
ていうか僕たちは、これだけの本の中から、手探りで冒涜者に関する情報を見つけ出そうとしていたのか。
あまりにも無茶すぎる。
ここでコスモスと会えたのは僥倖だったかもしれない。
改めて彼女に感謝しながら、小さな背中に導かれていると、その途中で後ろからスイセンに肩を叩かれた。
「なあ、見てくれよロゼ。なかなかに興味深い本がここにあるぞ」
「えっ? 何か参考になるものでも見つけたのか?」
「『美の化身ラナンキュラスの啓発本』だってさ。まったく失礼だと思わないかい? 俺という存在がいながら美について語ろうだなんて。リンゴなしで果物について語るのと同罪じゃないか」
「……」
本当にどうでもいい話だった。
だから僕はそのまま無視してコスモスの後に続こうとすると、スイセンは諦め悪く呼び止めてきた。
「待て待て、それだけじゃないんだよ」
「いや、もういいよ。ほら、コスモスさんがものすごい目つきでこっち睨んでるんだから早く行くぞ。下手したら僕もとばっちりを食うんだから」
「そうじゃなくて、本当に参考になるものを見つけたんだよ。『ゼラニウムの天職研究書』というものだ」
「んっ?」
そう言われて僕は振り返る。
するとスイセンの指し示している棚に、確かにそのような名前の本を見かけた。
コスモスも呼んでその本を手に取ると、彼女は本の題名を見て眉を寄せる。
「ゼラニウムって聞いたことない研究者ね。ジャスマンと同じように天職研究を中心に行なってる研究者なのかしら?」
「さあ? 僕も聞いたことないから、もしかしたらあんまり信憑性は高くないかもしれないね。そもそもジャスマンの考えだってほとんど信用されてないし」
「ジャスマンとは誰のことなんだい?」
「『天職の希少性と有用性は比例する』って考えを提唱した研究者だよ」
コスモスの父親がその考えに同調していて、まだ未成熟だったコスモスに多大な期待を寄せていたというのは別の話。
ともあれ、天職の研究をしている人物の筆頭であるジャスマン・ブティですら、あまり世間から信用を得られていないのだ。
ほとんど無名のこの研究者の本が、参考になるとは思えないんだけど……
一応僕はその本を開いて、パラパラとページを流し読みしていく。
もしかしたらこの本の中に、冒涜者に関する情報が載っているかもしれないから。
「どう? 何かわかりそう?」
「うーん、冒涜者に関する研究はしてないっぽいなぁ。どっちかっていうと、実際に起きた天職に関する特別な事例を集めて、その研究結果を載せてるだけみたいだ」
天職を消失してしまった特殊な人物のことを調べていたり。
天職のレベルが低下してしまった村人たちを調査して、それが魔獣の呪いであることを解き明かしていたり。
天職進化現象とも言われている限界突破についても、いくつか研究結果を出しているみたいだ。
ただやはり冒涜者についての研究はしていないらしく、僕たちが望んでいるような情報は載っていない。
「んっ?」
しかしその本の中に、少しだけ気になるものを見つけた。
「『天職解放』……?」
大昔にとある冒険者が、巨大魔獣と戦って町を救った記録が残されている。
詳細を確かめてみると、どうやらその冒険者は窮地に瀕した際、一時的に天啓の限界を超える力を発揮したらしい。
天職のレベルはすでに最大で、新しい能力に目覚めるはずもなかったのだが、生死を分かつ瞬間に未知の能力を覚醒させたようだ。
その現象を『天職解放』と呼ぶと、この本では取り上げられている。
限界突破のように天職そのものが変わってしまったということではなく、天職の“真の力”が解放されてその冒険者は巨大魔獣を葬ったのだとか。
その奇跡的な活躍によって当の冒険者は“勇者”と呼ばれるようになり、後に同等の活躍をした人物たちに『勇者』の称号を与えるようにしているという。
ゆえにこの人物が『最古の勇者』、『はじまりの勇者』と謳われているとのこと。
天職解放という現象があったことも驚きだが、まさかこの本で勇者の由来を知ることになろうとは思ってもみなかった。
「そのページがどうかしたの?」
「あっ、いやごめん。なんでもないよ」
興味深い書物ではあったが、現状では役立つようなものではなかったので元の場所に戻しておいた。
そして僕たちは再び冒険譚の棚に向けて歩き始める。
少しの寄り道はあったものの、コスモスの先導によってようやく目的の場所に辿り着くことができた。
その後、手分けしてダンデライオンの英雄譚を探してみる。
するとすぐに……
「あっ、あれじゃないかしら?」
「えっ、どれ?」
「だからあの、一番上の段の……」
コスモスがそれらしいものを見つけたようで、本棚の上の方を指し示してくれた。
しかしだいぶ身長が足らずに、つま先をぷるぷると立たせながら必死に手を伸ばしてくれている。
果てには杖まで使って「これこれっ」と指し示そうとしてくれるが、それでもやっぱり届かない。
仕方なく僕はコスモスの後ろに立って……
「ひゃあっ!」
その小さな体を抱え上げた。
コスモスは驚いたように両手両足をバタつかせる。
「い、いきなり何するのよ!」
「いや何って、これなら届くかなって思って……」
「だ、だからって、急にやられたらびっくりするじゃない! やるなら前もって言いなさいよ! こっちにも、その、心の準備ってものが……」
そんな会話をしていると、不意に後ろからスイセンに肩を叩かれる。
なんだろうと思って振り返ると、彼は口元に人差し指を添えて、パチッと右目を瞬かせた。
「二人とも、ここは粛然と読書をする場所だよ。仲睦まじいのは何よりだけど、もう少し静かにね」
「「……」」
まさかスイセンからまともな忠告を受けることになろうとは思わなかった。
でもまあ確かに、今のはちょっと騒がしかったかもしれない。
それを反省しながら、改めてコスモスが見つけてくれた本を手に取る。
背表紙に題名は書かれていなかったのだが、コスモスの見る目は正しかったらしく、本の表紙にはこう書かれてあった。
『ダンデライオンの英雄譚』
その題名と表紙を見た瞬間、僕は記憶の奥底を強く刺激される。
そうだ。確かにこの本だ。
冒涜者の少年が魔獣の大群を倒して、英雄として称えられる物語。
人伝で聞いたのではなく、僕はこの本を読んでその話を知ったのだ。
それも割と好きな話だったと記憶している。
どうして今まで忘れていたのだろうかと思いながら、僕はパラパラと流し読みをして、さらに眠っていた記憶を呼び覚ました。
とある田舎村に生まれた、とてもとても内気な少年――ダンデライオン。
彼は天職を持たない冒涜者として村人たちから蔑まれていた。
弱虫で内向的な性格だったこともあり、同年代の子供たちからは執拗な意地悪を受けていた。
しかし村にはたった一人、仲良くしてくれる幼馴染の女の子がいた。
ある日、魔獣の大群に村を襲われて、その女の子も窮地に追い込まれた。
ダンデライオンは村のためではなく、そのたった一人の女の子を助けるために魔獣たちに立ち向かい、冒涜者でありながらその大群を迎撃してみせた。
結果的に村を救ったダンデライオンは、村人たちからこれまでの非を謝罪されて、最後には英雄として称えるようになった。
以上が、ダンデライオンの逆転劇を描いた英雄譚の詳細である。
そこまでを思い出した僕は、天職を持たない冒涜者のダンデライオンが、どのようにして魔獣の大群を壊滅させたのかまでも、鮮明に思い出していた。
「そうか、ダンデライオンはそうやって……」
ダンデライオンは、死地に直面した際、幼馴染の女の子に対して"密かな気持ち”を明らかにした。
たった一人仲良くしてくれた女の子に寄せていた、とてつもなく盛大な“恋心”。
内気なダンデライオンが、勇気を振り絞って思いの丈を告げた、その瞬間――
彼は、眠っていた天職を“目覚めさせた”のだ。