第九十六話 「神に見放された男」
ほぼ白紙の天啓を渡してきたスイセンは、かっこつけるように白歯を輝かせている。
対して僕は呆気にとられて、しばらく何も言い返すことができなかった。
「んっ? どうしたんだいロゼ? もしかして俺の天啓に見惚れてしまって、何も言葉が出ないのかな?」
「……」
スイセンは愉快そうに微笑んで、笑みを隠すように口元に手を当てている。
「まあ、それも無理はないね。なぜなら俺の天啓はあまりにも綺麗すぎるため、その美しさから美術館に展示されてもおかしくはないのだから」
本当に自分の天啓は美しいものだと疑っていない様子で、スイセンは心からの言葉を口にした。
美術館に展示されてもおかしくない。
確かに別の意味で“綺麗”だとは思う。
ほとんど何も書かれていなくて、白紙同然の“すっきり”とした綺麗さがあるって意味だけど。
だから僕はどうツッコんだらいいか迷っていると、スイセンが『パンッ』と手を叩いて小道から出ようとした。
「ま、何はともあれ、天啓も確認してもらったことだし……さっそく討伐依頼を受けに行こうじゃないか」
「ま、待て待て待てっ!」
僕は咄嗟にスイセンを止める。
腕を引っ張って再び小道に連れ戻すと、僕は手に持っていた紙をスイセンの顔の前に力強く掲げた。
「こ、これ、本当にスイセンの天啓なのか?」
「今さら何を疑っているというんだ? 実際に君の目の前で、俺がその天啓を出して見せただろう。正真正銘、間違いなく、それはスイセン・プライドの天啓さ」
「……」
いや、まあ確かに、目の前で天啓を取り出す姿は見ていたけど。
「て、手品とかじゃないよね?」
「まったく、どれだけ疑えば気が済むんだ。俺の天啓のどこがおかしいって言うんだい?」
「“どこ”がって、そんなの全部に決まってるだろ。こんな天啓、今まで見たことがない。これじゃあ天職も何もないってことになるじゃないか」
天職なし。スキルなし。恩恵なし。
こんなの全部がおかしいに決まっているじゃないか。
僕は改めてスイセンの天啓に目を落として、ある一つの言葉を脳裏に浮かべる。
「もしかしてスイセンは、『冒涜者』なのか?」
「冒涜者?」
スイセンは聞き覚えがなさそうな反応を示す。
今までこのように呼ばれたことはないのだろうか、僕は浅い知識ながらも説明することにした。
「僕も詳しく知ってるわけじゃないし、実際に会ったことはまだないんだけど、“天職を与えられていない人間”が世界にごく少数いるんだって。そういう人たちのことを『冒涜者』って呼んでるって聞いたことがあるよ」
「ほぉ、俺はそう呼ばれた覚えはないけどね。でもなぜ冒涜者なんて呼び方をされているんだい? まるで天職を持たない人間が、大罪を犯した“無法者”みたいじゃないか」
「……事実、そうじゃないかって言われてるから、冒涜者なんて呼び方をされてるんだよ」
「……?」
不思議そうに首を傾げるスイセンに、僕は今一度天啓を見せて続けた。
「天職は、生まれながらにして神様が与えてくれるものだろ。地上に蔓延る魔獣に対抗するための手段として、神様が天職っていう超常的な力を僕たちに授けてくれているんだ」
「当然、それくらい知っているに決まっているだろう。だから何だと言うんだい?」
「天職を与えられていないってことは、つまり“神様に見捨てられてる”って捉え方ができるだろ。危険な魔獣が闊歩する世界に、丸裸で放り出されてるようなものなんだから」
「……まあ、そう言われてみると、確かにそんな気もしてくるね」
うんうんと頷くスイセンを見て、さらに僕は説明をする。
「それで、昔の話らしいんだけど、天職を与えられていない人間……つまり神様に見捨てられた人間は、神様に危険視されている存在じゃないかって恐れられるようになったみたいなんだよ」
「神様に危険視?」
「前世で何かとんでもない大罪を犯していたり、人格的な問題が発覚して将来を危ぶまれていたり。だから神様はそういう危険人物に対して、力を悪用されないように天職を授けることはしてないんだってさ」
あくまでただの伝承ではあるが。
「まあ、そんな話がどこからか広まったもんだから、天職を与えられていない人間は神様から見放された存在――『冒涜者』って呼ばれるようになったんだって」
「ほぉ……」
「スイセンがその冒涜者って確証はないから、気にする必要はないと思うけど…………ていうか問題なのは、スイセンに天職がないのは事実で、魔獣と戦う力がないってことなんだよ。これじゃあとてもアリウムさんより強くなることなんてできない。スイセンはどうやってアリウムさんを超えるつもりでいたんだ?」
天職は力の源。
それがなければ、身体能力を向上させる恩恵も宿らず、スキルや魔法だって使えない。
それでどうやって、並み居る男性冒険者を返り討ちにしている、一級冒険者相当の実力を持つアリウムさんを超えるつもりだったのだろうか?
そう問うと、スイセンは『パチンッ』と指を鳴らした。
「それを考えるのが、君の仕事じゃないのかい? 育て屋のロゼ」
「む、無茶言うなよ。いくら僕が育て屋だからって、天職のない人間まで強くすることなんてできないぞ。僕の力はただ、天職のレベルを急成長させるだけなんだから」
天職がなければ、育成師の力だって上手く機能しない。
あくまで僕の力は、神素取得量を増加させるだけなのだから。
「そもそも天職のないその状態で、今までどうやって冒険者活動をしてきたんだよ? 恩恵もスキルも何も宿ってない体で、魔獣と戦うことなんてできないはずだろ? それにパーティーにも入れてもらえるはずなのに……」
どうしてスイセンは、これまで色んなパーティーに所属することができたのだろう?
“パーティー壊し”という異名を持っているほどなのだから、相当数のパーティーに加入していたことはわかる。
でも天職を持っていない人間なんて、足手まといにしかならないとわかるはずなのに、なぜスイセンは門前払いを受けたりしなかったのだろうか?
「見くびってもらっては困るね。たとえ天職などなくても、俺を必要としているパーティーは数多くあるのさ」
「えっ? もしかしてスイセンって、天職がなくても魔獣と戦える力があったりするのか?」
恩恵やスキルに頼らずとも、人間としての身体能力が桁違いに高ければ、天職がなくても魔獣と戦うことは可能かもしれない。
そう思って問いかけてみると、スイセンはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「もちろん、そんな力はないさ」
「えっ?」
「言ったじゃないか。俺は数多の女性冒険者を虜にして、パーティー勧誘の声が後を絶たなかったとね。彼女たちは純粋に俺の魅力に惹かれて、パーティーに誘ってくれているだけだよ」
魅力に惹かれてパーティーに誘ってくれている。
つまりは戦闘要員ではなく、ただ一緒にいたいからという理由で勧誘されているってことか?
足手まといになるとわかっているのに?
「まあ、男性冒険者から誘われることもあったけどね。どうやら俺と一緒に行動していると、女性冒険者たちから注目してもらえるようになって、パーティーに入りたいという声をたくさんもらえるらしいんだ。彼らからはとても感謝されていたものだよ」
「……」
ハハッと愉快そうに笑うスイセンを見て、僕は思わず掠れた声を漏らした。
「…………それ、もう冒険者じゃないじゃん」
パーティーに加入しても、天職がないので魔獣とは戦わない。
ただ一緒に行動しているだけの、役割不明のパーティーメンバー。
それはもはや冒険者とは言えないじゃないか。
「おいおい、心外だな。俺も別に、パーティーに入って何もしていなかったわけじゃないよ。これでも“舞踊”と"歌唱”の嗜みがあるからね、宴の席で一芸を披露してパーティーメンバーたちを盛り上げたりしていたものだよ」
「いや、戦えよ」
つい棘のある言葉が出てしまう。
実力ではなく魅力で勝負する冒険者なんて聞いたことないぞ。
いや、その話はもういいや。
とにかくスイセンに戦闘能力がまったくないことはわかった。
それでどうやってアリウムさんより強くなればいいのか、僕は考えなければならない。
育て屋として依頼を引き受けた以上は、簡単に投げ出すわけにはいかないから。
でも……
「ど、どうすればいいんだよ……」
そう容易く答えが見つかるはずもなかった。
天職を持っていない人間を、一級冒険者と同じくらい強くする方法。
ダメだ、まったくわからない。
これまでそれなりに、伸び悩んでいる冒険者たちの手助けをしてきたけれど、これほど厄介なお客さんは初めてだ。
当の本人は、なぜかまったく焦った様子を見せず、近くに転がっていたビンを拾って、反射している自分に見惚れている始末だし。
少しは一緒に考えてくれよ、と一人で頭を抱えていると、不意に脳裏に一つの話がよぎった。
「…………そういえば、大昔に天職を持ってない冒涜者の人間が、魔獣の大群を倒して町を救ったって話を聞いたことがある気がする。それまで冒涜者として民衆に恐れられていたけど、その戦果によって英雄として称えられるようになったって」
「へぇ、そんな話があるのか」
僕もぼんやりとしか覚えていない話なので、確かなものかはわからない。
どこで聞いた話なのかも、すでに忘れてしまっているけれど……
「もしかしたらそういう記録とかが残ってるかもしれないし、一度図書館に行ってみてもいいかな? 冒涜者のことについても、改めて詳しく調べてみたいし」
「今まさに俺もそう言おうと思っていたところさ!」
『パチンッパチンッ』と指を鳴らしたスイセンは、僕よりも先に図書館に向けて通りの方に歩いていった。
依頼内容もそうだけど、何よりスイセンの相手をするのが相当な負担になりそうだと、僕は密かに不安に思ったのだった。