第九十五話 「運命」
スイセンの依頼を引き受けると決めた翌日。
さっそくその日から修行を始めることになり、僕は早朝から家を出ることにした。
先日のようにお客さんを待たせてしまっても申し訳ないと思ったので、『外出中』の札の他に急ごしらえの用件箱を置いておく。
ペンと紙も用意しておいたので、これでとりあえずはお客さんを逃してしまうことはないだろう。
そしてスイセンとの待ち合わせ場所である冒険者ギルドに急ぐと、先に彼が来ていた。
「まったく、この偉大なスイセン・プライドを二度も待たせるなんて、君も大概罪作りな男だよ」
スイセンはギルドの近くのベンチに腰掛けながら、すらっとした足を組んで待っていた。
どうぞ絵のモチーフにしてくださいと言わんばかりの得意げな顔である。
実際見映えがよくて目立っているし、通りかかる女性たちの視線がスイセンの方に集まっている。
見ているこちらが恥ずかしくなってきたので、僕は早々にスイセンの手を引っ張ってギルドの方に向かった。
「ところで、どうしてギルドを待ち合わせ場所にしたんだい? 君の家でもよかったんじゃないかな」
「修行のついでに、討伐依頼も受けようと思ったからさ。どうせ魔獣討伐するなら同時に依頼も達成できた方がいいでしょ」
「うん、確かにその通りだ」
スイセンはパチンッと指を鳴らす。
まあ、ついでに討伐依頼を受ける目的の他に、この周辺の近況を知っておこうという狙いもある。
最近はあまり冒険者ギルドに顔出しできていなかったし、ヒューマスの町の周りがどのような状況になっているのか把握できていないから。
それとまあ……
「一応、アリウムさんのことも、一目だけ確認しておこうと思ったからさ。ギルドで待ち合わせする方が都合がよかったんだよ」
「んっ、なんだい? もしかしてロゼも、こちらの話を聞いているうちに、アリウム氏の魅力に惹かれてしまったということかな? でも残念ながら彼女と結ばれるのは俺だと決まっているから、その望みは限りなく薄いと思うよ」
「違う違う。普通にアリウムさんの力がどれくらいなのか確認しておこうって思っただけだよ」
と言っても、勝手に天啓を覗くつもりはなく、外見だけでおおよその実力を測るだけだけど。
「ある程度の力量がわかってた方が、どれくらいの強さを目指して修行すればいいか明確になるだろ。僕としてもそれを知っておいた方がやりやすいし」
「なるほどね。それならしかと目に焼きつけるといいよ。アリウム氏の底知れない力と美しさを!」
なぜかスイセンが胸を張って、誇らしげにそう言ってくる。
そのことに呆れつつも、僕は不意にあることを思い出して彼に尋ねた。
「ていうかさ、昨日の夜、スイセンから大切なことを聞くの忘れてたんだけど」
「大切なこと?」
「スイセンの“天職”って何?」
本当だったら昨日の夜、依頼を引き受けると決めた時に聞かなければならなかったこと。
スイセンの天職について。
さすがにこれを知らないとどういった修行をしたらいいのかも決められない。
もしすでに、ある程度の実力が備わっているとしたら、修行場所も西の森ではなく東の遺跡地帯とかにした方がいいだろうし。
昨晩は夜も遅く、依頼から帰って来たばかりで眠かったのでつい聞きそびれてしまったのだ。
「君はそういうのもわかる力を持ってはいないのかい? 人の成長を手助けする天職なのだから、天啓を調べたりする能力とかを宿していたりしそうだけど」
「一応あるけど、勝手に人の天啓を見るのは極力避けるようにしてるんだよ。覗き見みたいになるのが嫌で、それが癖になっててさ。だから改めて天職教えてよ」
今一度スイセンにそう問いかけると、彼は肩をすくめて笑い声を上げた。
「ははっ、俺は天職なんてもので括れるような人間じゃない。神に定められた生き方などはなく、俺は自分の意思で運命を歩んでいるのさ」
「そういうのいいから早く天啓出してよ」
「……せっかちな男はモテないぞ」
そんなじゃれ合いに付き合うつもりはなく、僕は呆れた顔で一蹴する。
スイセンはため息を漏らすと、右手を開いて式句を唱えた。
「天啓をしめ……」
だが、その寸前――
スイセンが突然、通りの前方を見てハッと息を飲む。
すかさずこちらの手を取ってくると、脇の小道まで引っ張られてしまった。
「な、なんだなんだ? どうしたんだよ急に……?」
スイセンは小道からそっと顔を出して、通りの方を静かに窺う。
何事だろうと疑問に思って、同じく密かに通りを見ると、先の方から三人組の女性が歩いて来ていた。
彼女たちが近づいてくるにつれて、次第に話し声が届いてくる。
「スイセンの奴、本当にざまぁないわ」
「……?」
三人組のうちの一人がスイセンの名前を口にして、僕は不穏な空気を感じ取る。
自然と耳を寄せていると、もう一人がその発言に同意したようにこくこくと頷いていた。
「『股狙いのスイセン』なんて、本当にお似合いすぎて笑っちゃったもの。誰が悪評を広めたのかはわからないけど、もう恥ずかしくてまともにギルドに来られないでしょ」
「シオン様まで弄んだんだから当然の報いに決まってるじゃない。他にも身に覚えがある女性冒険者が多いみたいだし、元からそういう奴だったってことよ」
「……」
二人がそんな話をしていると、三人組の真ん中にいた紫髪の女性が、おっとりとした瞳を悲しげに伏せた。
「あっ、ごめんなさいシオン様。嫌なことを思い出させてしまって」
「どうかお気になさらないでください。あんな男のことでシオン様が悲しい思いをすることなんてありませんから」
「はい、大丈夫ですよ。わたくしはもう気にしていませんから」
紫髪の女性は頑張った様子で笑みを浮かべて、胸元に手を当てながら痛ましい声をこぼす。
「それに、スイセン様に心惹かれていたのは事実ですから。わたくしはあの日々を決して悪い思い出だったとは言いません。スイセン様にもきちんと向き合っていただきましたし、もう心残りはありませんよ。どうか皆様心配なさらないでください」
「「シオン様……」」
三人組はそのまま小道の前を通り過ぎて行き、次第に見えなくなってしまう。
彼女たちが去った後、僕は気まずい思いでスイセンの方を振り向いた。
彼は悲しげな様子で口を閉ざして、瞼を伏せている。
今の会話だけでは、どういったことがあったのかは完全に把握できない。
ただ、スイセンに関して良くない印象の話だったのは理解できた。
ようは今のは、スイセンに対する陰口である。
だから僕は、踏み込んでいいのか迷いながら口を開閉していると、その戸惑いを察したようにスイセンから話をしてくれた。
「別に、大したことではないさ。俺が美しすぎるあまり、一人の女性を勘違いさせてしまったのがいけないんだよ。顔を合わせるのも気まずかったからね、こうして隠れたってわけさ」
いつもの自信過剰な口調で取り繕おうとしているが、スイセンの顔からは悲しげな雰囲気が滲んでいる。
彼は通り過ぎていった紫髪の女性に尾を引かれるように、人混みにぼんやりとした視線を向けながら続けた。
「あの女性はシオン・ナーバス氏と言って、元々同じパーティーに所属していた冒険者なんだ。お淑やかな性格と柔らかい人相から、界隈でも多くの愛好家がいる人物で、そんな女性が共に冒険をする中で俺に好意を抱いてくれたんだ。しかしこちらにその気はないと断ったら……」
「もしかして、その噂がどこからか広まって、愛好家たちの耳にも届いちゃったってことか?」
スイセンは無言という形で頷きを返してくる。
愛好家たちにそんな噂を聞かれてしまったら、面倒なことになるのは目に見えている。
「ただでさえ各所で男女間トラブルの火種を作っていたからね。まさにそれからふしだらな噂が多く出回るようになってしまったんだよ」
自分が崇拝している人物がフラれたなんて噂を聞いたら、スイセンに白い目が集中するのは当然の成り行きだ。
それがしかも『パーティー壊し』と言われるほどの不純な人物だとしたら、尚のこと攻撃的な視線が集まるのは必然的である。
繰り返すようだけど、スイセンにそんな気は一切ないというのに。
顔がいいだけで、本当に気の毒な人物である。
「だが、俺はもうそんなことは気にしていないよ。シオン氏をフってしまったことは申し訳なく思っているが、今では本当に心に決めた想い人がいるからね。それにアリウム氏にも『周りの目など気にするな』と言われたし、ギルドでどんな噂が流れていようが俺は何とも思わないよ」
「……」
多くの女性冒険者を勘違いさせてしまい、挙げ句に汚名を広められてしまったスイセン。
それでも彼は心が折れることはなく、曲がらない信念を秘めている。
何が起きても前向きなその姿勢に、僕は思わず感嘆の言葉を漏らした。
「強いな、スイセンは」
「美しい、を付け忘れていないかい?」
「……僕の感心を返せよ」
最後まで締まらない奴だ。
ただまあ、あれだけボロクソな陰口を聞いちゃったのに、平気でいられる精神は見習うべきだと思う。
「じゃあまあ、気を取り直して、討伐依頼の受注をしに行こうか。何だったらギルドには僕一人だけで行ってもいいけど。またあんな陰口言われるのは嫌だろうし……」
「周りの目など気にしない、と言ったはずだろ。当然俺もついて行くさ。アリウム氏より強くなって、告白を成功させるためなんだからね」
「あっ、それで結局、スイセンの天職って何だったんだ? さっき聞きそびれちゃって……」
僕は遅まきながら、改めて天職のことを尋ねる。
するとスイセンは、前髪をパッと払って微笑をたたえた。
「ふふっ、何度言わせるつもりなんだい? 俺に定められた生き方なんてありはしない。天職とは神に決められるものではなく、己が信念のもとに初めて見つけるものなんじゃないかな」
「だからそういうのいいから早く天啓出してよ! いつまで経っても依頼決められないだろ!」
何回これを繰り返すつもりなんだよ。
また何か想定外の事態が挟まって、話が先に進まなくなるかもしれないだろ。
するとスイセンは『やれやれ』と言わんばかりに肩をすくめて、今一度式句を唱えた。
「【天啓を示せ】」
ようやくのことで天啓を取り出すと、それを僕の方に渡してくる。
これでやっと身の丈にあった討伐対象やら修行場所を決められるな。
僕は『どれどれ』と呟きながら、受け取った天啓に目を落とすと……
「…………はっ?」
我ながら、何とも素っ頓狂な声を口の端からこぼしてしまった。
次いで何かの見間違いかと思って、ゴシゴシと目を擦る。
しかし目に映る景色に変化はなく、錯覚ではないと改めて思い知らされた。
僕はぽかんと口を開けて放心してしまう。
なぜなら、僕の目に映ったのは……
【天職】
【レベル】
【スキル】
【魔法】
【恩恵】
白紙。
ほとんど何も書かれていない、白紙同然の天啓だった。
見開いた瞳でスイセンの方を見ると、彼はやはり得意げな様子で、金髪を掻き上げて微笑んだ。
「だから言っただろう。俺はそんなもので括れるような人間じゃない。たとえ神でさえ、俺の運命を定めることはできないんだよ」