第九十三話 「人は見かけによらず」
とりあえずスイセンさんには家の中に入ってもらうことにした。
正直今日は疲れているから、依頼の相談は明日にしてほしい気持ちはあった。
だが、長時間も待ってもらっておいてそれはあんまりなので、今日のうちに色々と日取りを決めてしまうことにする。
待たせてしまったお詫びとして高めのお茶とお菓子を提供してから、僕は改めてスイセンさんに問いかけた。
「じゃあ改めて、依頼の内容を確認させてもらってもいいですか?」
スイセンさんはお茶の香りを楽しむように、あるいは優雅な雰囲気を醸し出すようにゆっくりとカップに口を付けている。
確かにそれは美形な見た目も相まって絵になっていたが、彼の性格を知った後だとどうしても素直に感動できない。
やがてスイセンさんは卓上にカップを戻すと、僕の問いかけに対して静かに笑った。
「ふっ、そんなに畏まった話し方はよさないか。これから俺たちは、“大切な秘密”も共有し合う深い仲になるんだからな。それに見たところ歳の頃も同じくらいじゃないか。是非とも砕けた話し方で親交を深めよう。俺も君のことは“ロゼ”と呼ぶから」
「……ま、まあ、そっちがそう言うなら」
スイセン“さん”って呼ぶのもなんか違和感があったから、今後は砕けた口調でやらせてもらう。
“大切な秘密”とはなんぞやとは思ったけれど、そこには言及せずに話を進めた。
「それで、育て屋の僕に強くしてもらいたいって言ってたけど、成長の手助けをすればいいってことかな?」
するとスイセンは、意味もなくパチンッと指を鳴らして頷いた。
「その通りだよロゼ。是非とも育て屋として俺のことを強くしてほしい。いいや、より厳密に言うのなら…………君には恋の天使になってもらうよ」
「はっ?」
恋の天使?
何言ってんだこいつと思ってしまい、接客用の態度を崩して素の『はっ?』が出てしまった。
いや、本当にどういう意味なのかまったく理解ができない。
「……ど、どうツッコんだらいいんだ?」
「ボケたわけじゃない。これは紛れもない事実だよ。君は育て屋である以前に、俺の恋路を成就させる恋の天使なんだ」
「……ご、ごめん、もっとわかりやすく言ってくれ」
頭痛を堪えるように頭を押さえていると、スイセンはようやく簡潔に話してくれた。
「俺が強くなろうとしているのはね……ある人に告白するためなんだ」
「こ、告白?」
「俺には好きな人がいる。冒険者ギルドで受付業務をしている、アリウム・グロークという人物だ。この麗しい名前に聞き覚えはないかい? 君も冒険者ギルドに顔を出しているなら知っているんじゃないかな」
「ちょ、ちょっと待ってね」
僕は記憶の奥底に潜り込んで、必死に過去を振り返る。
確かにその名前には聞き覚えがあった。
程なくして僕は思い出す。
『私が試験を担当するアリウムだ。今回の試験内容は私の力を使って行う模擬討伐となる』
黒ジャケットに白シャツという格好をした、深い青色の長髪を揺らす女性が脳裏に浮かぶ。
そうだ。ローズが四級の昇級試験を受けた時の担当者さんの名前が、確かアリウムだった。
とても堅実そうな女性で、キリッとした顔立ちが特徴的だったと記憶している。
…………って、ちょっと待って。今そのアリウムさんを『好き』って言ったのか?
「あぁ……! あの麗しい姿を思い浮かべるだけで、心に快晴が広がったような爽やかな気持ちにさせられてしまう。本当に罪深い人物だ。俺の美しさも歴史に名前を刻めるほどだが、彼女はその比ではない。いずれはその美しさが神格化され、国の至るところで銅像が建ってしまうことだろう」
「も、もしもーし、スイセンさーん?」
勝手に自分の世界に浸らないでほしい。
ただでさえ話が進んでいないのだから、これ以上妨げになるようなことは控えてほしいな。
ていうかもしかして、大切な秘密ってこのことだったのだろうか?
「というわけで、俺のことを強くしてほしい」
「どういうわけだよ……。何一つわかってないよ」
「察しが悪いなロゼ。鈍感な様子は愛らしさを表現することができるけれど、鈍すぎるのは相手の機嫌を損ねる可能性があるから程々にな」
「話が進まなくなるからこれ以上話題を逸らさないでくれ!」
調子が狂わされっぱなしの僕は、いよいよ声を荒げて頭を掻きむしった。
今朝にここを訪ねて来たカンナとエリカがいい子たちすぎて、お客さんの変わりようについて行けない。
するとスイセンはようやく懲りてくれたのか、話を先に進めてくれた。
「先ほども言ったように、俺が強くなろうとしているのはアリウム氏に告白をするためなんだ」
「その辺がいまいちわからないんだけど……。なんで告白するのに強くなる必要があるんだ? 普通に『好き』って言えばいいじゃん」
「それではあの清廉潔白で質実剛健なアリウム氏を射止めることはできないんだよ。どうやらアリウム氏は、その美貌から数多の男性冒険者に言い寄られているみたいだが、その全員が漏れなく撃沈しているらしい。その理由は……」
スイセンは自分の金髪を指先でくるくると巻きながら続けた。
「自分よりも“強い人物”ではないと惹かれないとのことだ」
「強い人物?」
「だからアリウム氏は告白をしてきた冒険者たちと、一人一人決闘をしているらしい。その勝者と交際するということを公言しているみたいなんだ」
簡単に言うと、『決闘をして勝った人と付き合う』ということだろうか。
真面目な見た目に反して、なかなかに豪快なことをしている人のようだ。
だがまあ確かに、自分よりも強い男性を見つけるのなら、決闘をしてしまった方が手っ取り早いと思う。
強い男性に惹かれる女性は多いと思うし、考えてみれば合理的かつ迅速な手段なのかもしれない。
何より言い寄って来た男性冒険者たちを諦めさせるのに、これは最も効果的な方法だと思う。
実力で敵わないとなれば、しつこく接触して来ることもなくなるだろうし。
そこまでを考えての決闘なのかもしれない。
「ところがアリウム氏は、一介の冒険者など相手にならないほどの実力者で、今まで言い寄って来た男性冒険者たちをことごとく返り討ちにしているらしい」
「おぉ……」
そういえばかなり強かったもんなぁ。
天職は『召喚師』で、自分の魔力で魔獣を象って出現させることができる『召喚魔法』を得意としている。
別段珍しい天職というほどではないけれど、彼女は魔力量が桁違いに多かった。
だからかなり強力な召喚獣を出現させることもできる。
何よりローズの試験の時、僕すらも目で追うことができなかった彼女の一撃を、アリウムさんだけは的確に視界に捉えていた。
相当な実力を有している証明に他ならない。なんでギルドの受付嬢をやっているのかも不思議なほどだ。
あの人を負かすのは一朝一夕では叶わないだろう。
「あっ、だから僕のところに……」
「そう。育て屋のロゼに成長を手助けしてもらって、アリウム氏よりも強くなりたいんだよ。そうすれば告白も成功するだろう?」
恋の天使というのはそういう意味だったのか。
確かにこの恋路を成功させるためには、大きな強さが必要になる。
あの強すぎる受付さんを負かすには、少なくとも一級冒険者並の実力は持っていないとダメだろう。
「で、どうかな? さっそく明日から成長の手助けをしてもらいたいって思っているんだけど……」
「……」
そうスイセンに問われた僕は、ふむと顎に手を添えて考える。
次いでチラッとスイセンのことを一瞥してから、少し心苦しい思いで答えた。
「二つ返事で了承は、ちょっとできないかな」
「んっ? どうしてだい?」
「まだスイセンが“どういう人間”なのか、よくわかってないからさ」
という返答に、スイセンはキリッとした碧眼を丸くする。
僕の言葉の意味がわからないのも無理はないので、すぐに補足の説明をした。
「スイセンの依頼は簡単に言っちゃえば、好きな人と結ばれるために強くなりたいってことだろ? その気持ちを否定するつもりはないけど、もしスイセンが邪な想いを持ってアリウムさんに近づこうとしてたらさ……」
「なるほど、確かにそれだと二つ返事で了承はできないね」
スイセンはこくこくと頷いて僕の意見に賛同してくれる。
そのことに密かに安堵しながら、僕はさらに続けた。
「僕、育て屋を開いてまだ日が浅いからさ、今まで関わってきたお客さんってそこまで多いわけじゃないんだよね。それでみんなたまたまいい人たちばっかりだったから、もし“不純な動機”を持ったお客さんが来たらどうしようってずっと考えてて……」
「……」
「もちろん、スイセンの動機が不純だと決めつけるつもりはないよ。だからもしよかったら教えてくれないかな? アリウムさんのどこが好きなのかとか、どれくらい好きなのかとか」
それを聞いてからでないと、成長の手助けはできないと思った。
今まで協力してきた人たちは、みんな清い心を持っていた。
でももしその人が悪い心を持っていたとして、僕がその人物の成長に手を貸してしまったとしたら?
取り返しのつかない事態になるのは目に見えている。
だから僕は誰彼構わず手助けをしないで、きちんと力を持つべき人かどうかを見極めなければならないのだ。
お客さんが増え始めた最近になって、僕は改めてそう考えるようになった。
「別にスイセンのことを疑ってるわけじゃないし、こういうのは下衆の勘繰りっぽくなるから、なるべく聞きたくはないんだけど……」
「いいや、ロゼの言いたいこともわかるから気にしなくていいさ。そうだね、言われてみれば俺の動機は純粋か不純かは判断が難しい。もし俺がアリウム氏に歪んだ愛情を抱いていたとしたら、ロゼは悪事に加担することになってしまうからね。危惧するのも無理はないよ」
どうやらスイセンにも理解をしてもらえたようで、彼は静かに微笑んだ。
次いでこちらに確かな頷きを返してくる。
「だから話すよ。俺がアリウム氏に“魅了”されたその理由を。彼女のことをどれほど大切に想っているのかということを」
スイセンは、遠い昔でも懐かしむように、虚空を見つめながら話し始めてくれた。
「俺がアリウム氏に心を奪われたのは、ギルドで腫れ物扱いをされている俺に、彼女だけが優しく手を差し伸べてくれたからなんだ」