第八十八話 「工房長」
「キ、キキョウだ……」
「天才鍛治師、キキョウ・アンヴィルがいるぞ……」
突如として会場に現れた青髪の女性に、観客たちは激しく戸惑う。
それも当然で、その凛々しい女性は現状の鍛治業界において、五本の指に入るだろう著名人だからだ。
そしてブルエの母でもある。
表にはわかりづらいが、腕っ節や足腰などはやや筋肉質。
それでいて線の綺麗な理想的な体つきをしている。
治療院に入院中のはずの母が前触れもなく現れて、ブルエは強く歯を噛み締めた。
「キ、キキョウさん! もう大丈夫なんですか!?」
対してフランは驚きつつも、深い笑みを浮かべてキキョウに呼びかける。
彼女はフランの声に応えるように、壇上の方まで歩いて行くと、運営の人間に断りを入れて舞台まで上がった。
駆け寄って行ったフランの亜麻色の髪に手を置いて、ポンポンと優しく撫でる。
「心配かけたねフラン。つい今朝方に退院させてもらったんだ。だからアタイはもう大丈夫だよ」
「や、休んでいなくても、平気なんですか……?」
「あぁ。今はそれよりも、アタイがいない間に好き放題してるらしいバカ息子を、目一杯叱りつけてやらなきゃいけないからね」
「……」
ブルエの額に冷や汗が滲む。
同時に彼の脳裏には、幼い頃の記憶が蘇った。
何をするにしても、ブルエは母には敵わなかった。
鍛治の腕は言わずもがな、喧嘩や口論ではいつも徹底的に負かされている。
特にキキョウを怒らせてしまった際は、こちらが反抗する暇さえ与えてもらえないほど一方的なものになっていた。
キキョウの額に青筋が立っているのを見て、ブルエは背筋を震わせた。
「な、何しに来やがったババア! 大人しく治療院に引っ込んでろよ!」
観客たちが黙って行方を見守る中、キキョウが細めた目をブルエに向ける。
「いい歳した男がギャーギャー喚くんじゃないよ。アタイの息子ならもっと堂々としてな。それとこれ以上、アタイの工房に泥を塗るようなことはやめてもらおうか」
「……」
その口振りに、ブルエは鋭い視線でキキョウを睨めつける。
どうやら治療院からは無事に退院して、今の工房の状況も把握しているらしい。
見ると、先ほどキキョウが立っていた会場の出入口に、工房に勤める鍛治師たちが集まっていた。
「どうやら自分の実力をひけらかして、今はあんたがアタイの代理をしてるらしいね。だがアタイは、あの工房をあんたに任せた覚えはないよ」
「ハッ! 実力がなくて頼りねえうちの連中が悪りぃんだろうが! 文句を言うならまず俺よりも腕を上げてからにしやがれ。鍛治師の世界は実力がすべてなんだからな。それにどうせ近いうちにあの工房は俺のものになる。俺が工房長の代理をやって何が悪りぃってんだよ!」
キキョウは昔から体が悪い。
長期入院は今回が初めてだったが、治療院の世話になったのはこれで数十回目だ。
近いうちに限界が訪れて、工房を残して死んでいくに違いない。
そう思っているからこその叫び声を上げると、キキョウはきょとんと首を傾げた。
「誰があの工房を譲ると言った?」
「あっ?」
「まさか、このアタイがもうくたばるとでも思ってるのかい? そんなわけがないだろ。まだまだ現役続行さ。しばらくは安泰だと治癒師の方からもお墨付きをもらったからね」
キキョウは健在をアピールするようにその場でぴょんぴょんと飛び跳ねてみせる。
ブルエは健康になって戻って来た母親を目前にして、苦虫を噛み潰すような思いを味わった。
「それにたとえ病で死んじまったとしても、今のあんたに工房を任せるつもりは微塵もないよ。いくら実の息子だからって横暴が目立ちすぎてるからね。だからアタイは…………次期工房長にはフランを指名する」
「はあっ!?」
その唐突な宣言に、ブルエだけではなく周りの観客たちも驚愕していた。
フランがキキョウの工房に所属しているということの驚きと、直々に次期工房長に指名されたという衝撃。
会場が唖然とした空気に満たされる中、ブルエが『ダンッ!』と地団駄を踏んだ。
「ざっけんなババアッ! 俺じゃなくてフランを工房長にするだと! ついに頭までイカれたのか!」
「別にイカれちゃいないさ。アタイはなるべく腕のいい鍛治師に工房を継いでもらって、少しでも長く存続することを望んでる。それにあんた自身だってさっき言ったじゃないか。“実力がすべて”だって。だとしたらあんたよりも優秀なフランに任せるのが妥当だろ?」
「俺よりも、フランの方が優秀だって言うのかよ……!」
ブルエの憤りが滲んだ問いかけに、キキョウは笑みを浮かべて大腕を広げた。
「競売会の結果を見れば一目瞭然じゃないか。550万と1500万だったらしいね。確かにあんたにも目覚ましい才能はあるけど、会場にいる有識者たちはフランの武器の方に高値を付けた。優劣はこれではっきりしたんじゃないのかい?」
「――っ!」
何も言い返すことができなかった。
ここは鍛治師としての実力を示す舞台。
それで言い訳の余地もなく負かされてしまっては、さしものブルエもこれ以上の抵抗はできなかった。
同時に彼は、自信満々な様子の母を見て、訝しい思いを抱く。
まるで最初からこうなることがわかっていたような面。
まさか……
「……てめえも最初から、フランの才能に気が付いてたってのかよ」
「才能? そんな先見の才はアタイにはこれっぽっちもないよ。アタイはただフランの剣に、誰よりも強い“意思”と“根性”を感じただけさ」
「……」
そんな曖昧な理由を並べられて、ますます怒りを募らせていると、キキョウがフランの方を振り向いた。
「で、どうだいフラン? もしフランがよかったら、アタイの工房を継いでくれないか? アタイにもし万が一のことがあった場合、だけどね」
「ボ、ボクが、あの工房の工房長に……」
戸惑いを見せるフランに、会場の出入口の方からも仲間たちの声が掛けられる。
「戻って来いよフラン!」
「ずっと助けてやれなくて、見ているだけしかできなくてすまなかった!」
「1500万フローラの値が付くなんて本当にすげえよ! 次期工房長は絶対にお前がやるべきだ!」
「……」
ブルエに嫌がらせを受けている際、何度も声を掛けて止めようとしてくれた仲間たち。
結局は実力をひけらかされて、黙らされてしまってはいたが、最後まで彼らはフランの味方でいようとした。
改めて彼らが肯定してくれたことを受けると、フランは瞳の端に涙を滲ませて、キキョウに頷きを返した。
「ボ、ボクなんかでよかったら、是非工房長をやらせてください……!」
感動的な空気に包まれる壇上。
その様子を傍らから眺めて、ブルエは頭の中を真っ白にさせた。
フランに負けた。工房長の座も奪われた。鍛治師の才能で上を行かれた。
「ハッ……ハハッ……! てめえらマジでどうかしてんな。こいつの下で働くなんざまっぴら御免だ。そうなるくらいだったら、あんな工房こっちからやめさせてもらうぜ。俺を欲しいって工房は他にいくらでもあるからな」
付き合い切れないと思ったブルエは、まるで逃げ出すようにして控え室の方に向かって歩いて行く。
負けて退くような形になるのはなんとも癪だったが、このまま気まずい会場に居続けるのはとても不快だと思った。
あの工房に居続けるのも不愉快極まりないので、帰ったら早々に荷物をまとめて別の工房を探しに行くことにしよう。
そう、自分を欲しがっている工房は、他にもごまんとあるのだから。
「待ちなブルエ!」
「……?」
「あんた、このままタダで帰れるとでも思ってるのかい? 言っただろ、バカ息子を目一杯叱りつけてやるってね」
穏やかならないその台詞に、ブルエはますます冷や汗を流す。
まさか、大勢の目があるこの場で、こちらに手を上げてくるつもりだろうか。
一瞬焦りかけるけれど、病み上がりのキキョウに遅れを取るはずもないと考えて冷静になる。
……と、思っていたら、まるで予想していなかった攻撃を受けた。
「あんたが今回手掛けた『蒼玉の長剣』。それに使われた希少素材『蒼水石』。あんたあれ……“不公正な販路”で手に入れたものだね」
「――っ!」
ドクっと心臓が跳ね上がる。
フランや観客たちからも怪訝な視線を向けられて、動悸を荒くさせていると、キキョウが一層瞳を細めた。
「気付かないとでも思ってたのかい? 蒼水石は基本的に、原物や加工品を問わずに国外への持ち出しは禁止されている。原産地のサファイアオーシャンを調査する団体と話をつけて、多額の寄付金を積むことでようやく手に入れられる超希少素材なのさ」
だからこそ希少価値が高く、武器や道具の素材にした際は、相応の値が付くようになっている。
ブルエが競売会の出品のために、その素材を選んだのもそれが大きな理由だ。
「ところが、直近で公式に蒼水石を取引した記録はないらしいってね。あんたが競売会出品を決めてから、蒼水石を手に入れるまでがあまりにも早すぎるって聞いたから、うちの工房の連中にも協力してもらって色々と調べたんだよ。あんたいったい、どうやって蒼水石を手に入れたんだい?」
「……妥当な値段で譲り受けたんだよ。公的な販路で蒼水石を手に入れた奴からな。何だったらそいつに直接聞いてみろよ」
当然、ブルエは言い逃れのための準備を整えていた。
特殊な鉱石を多く売買する商人と繋がりがあり、その者は蒼水石の取引歴もある。
事前にその商人と話を合わせていて、一ヶ月ほど前に蒼水石の売買を行なったことにしているのだ。
どこで素材を手に入れたのか問われても、その商人から買ったことにすれば問題はない。
「下手な嘘はやめて、正直に話した方がよかったね」
「……?」
「ホップ・スラング」
「――っ!?」
唐突にキキョウの口からこぼれた“人名”に、ブルエの顔から血の気が引いた。
「その道では、かなり著名な“密売人”らしいね。無法者たちに無断採取が禁止されている希少素材を集めさせて、それを不正な販路でバラ撒いてる極悪人らしいじゃないか。つい三日ほど前に捕まったみたいだけどね」
「な、なんだとっ――!?」
直後、ブルエは咄嗟に口を塞ぐ。
思わず反応をしてしまい、その焦燥は周りの人間たちにも感じ取られてしまった。
すぐに弁解しようとするが、畳みかけられた事実に思考が追いつかない。
ホップ・スラングが捕まった?
いや、それよりも、なぜこちらがその密売人と繋がりがあることがバレてしまっているのだ?
下手なことはしていないはずだが……
「三週間ほど前、あんた町の近くの森で、そのホップ・スラングと密会してただろ」
「……っ!?」
「そこから密売人ホップの足取りが明らかになって、今回の捕縛まで繋がったみたいだよ。それにその以前にも何度か会ってるみたいじゃないか」
ホップ・スラングとのやり取りが、いつの間にか母にすべて知られてしまっている。
その怖さから思わず鳥肌を立てていると、ブルエの疑問に答えるようにしてキキョウが会場の出入口方面に目を向けた。
「前々からあんたの横暴は目に余るものがあったからね。いつか法を破ることも覚悟していたよ。だから工房の連中には目を配らせるようにしていたし、おかげでこうしてバカ息子の粗相も明らかにできた」
「……」
工房の連中の仕業だとわかり、ブルエは糸のように細めた目を会場の出入口に向けた。
ホップとの取引のうちのいずれかを、うちの誰かに見られていたようだ。
おそらくその時点では、密会者が密売人のホップだと割れてはいなかったようで、すぐに咎められることはなかった。
その後、自警団の調査やらでホップの素性が明らかになって、ついに三日前に捕縛まで至ったということか。
(ババアの差し金か……!)
気を抜いていたわけではなかったが、まさか工房の連中たちから警戒の眼差しを向けられていたとは思わなかった。
ホップが捕まったとなれば、そこから証言などで様々な取引内容について暴露されていくに違いない。
当然、ブルエが不正取引したことも。
「不正な経路で入手されたものは、売った側も買った側も厳罰になる。悪質な取引だと知っていたなら尚更ね。まあ、どうしてもフランに勝ちたくてやったことなんだろうし、勝ち気は悪いことじゃないとは思うよ。ただ、法を破る行いはさすがに認められるものじゃないからね」
「ふざ……けんな……! 俺が、こんなところで……!」
ブルエは歯を食いしばって、体を震え上がらせる。
周囲の観客たちから、疑われるような、あるいは蔑むような眼差しを向けられて、激しい後悔に襲われた。
せっかく築いてきた鍛治師としてのブランドが。
約束されていたはずの栄光への道が。
フラックス・ランに負けまいという思い一つだけで、完全にすべて瓦解してしまった。
もしかすると、フランの才能に一番可能性を感じて、それを恐れていたのは……自分自身だったのかもしれない。
キキョウは息子の素行に悔やみを滲ませるような顔をして、彼に手を差し伸べた。
「さあ、お母さんと一緒に教会へ行こうか。たっぷりと罰を受けることだな、ブルエ」
「ちくしょおぉぉぉッッ!!!」
ブルエの悲痛な叫び声が、場内に虚しく響き渡った。