第八十七話 「神器匠の育て方」
ブルエは宙を見上げて唖然とする。
場内の全員が同じような反応を示しながら、空中に浮かぶ青年を凝視していた。
(何が、起きてやがんだ……?)
飛んでいる。
まるで鳥のように、人類が空を飛んでいる。
やがて青年が放心しながら壇上に下りてくると、フランは“失礼します”と言って剣を返してもらう。
次いでそれを客たちに見せるように掲げた。
「これが竜骨の紅剣に宿っているもう一つのスキル、『飛翔』です」
「ひ、しょう……?」
「装備者に“飛翔能力”を付与することができるスキルで、最大で三十分の飛行を可能にします。空中移動をしなければ常に滞空が可能ですので、落下する危険もございません」
飛翔能力の付与。
そのあまりにも超常的な能力を目の当たりにして、会場は静寂に支配される。
力の増強だけなら、まだ誤魔化しようはいくらでもある。
世に魔法道具なるものが少なからず存在しており、使用者の肉体を一時的に微増させるものも中にはあるからだ。
だが、さすがに人類に飛翔能力を付与する魔法道具は、今まで一度も見たことがない。
目の前で実際に空を飛ぶ人間を見せられてしまったら、これはもうスキルの存在を認めざるを得なかった。
(本当に、あいつの剣には、天啓とスキルが……!)
二度目の悪寒に襲われるブルエに、さらなる追い討ちが掛けられた。
「それともう一つ、感情の高振りによって身体能力を向上させる『逆鱗』というスキルも宿っています。こちらは実演でのご紹介が難しいので、その効果は実際にお使いになってご確認ください」
「……」
フランはぺこりと頭を下げて、竜骨の紅剣の紹介を終わらせた。
壇上で“はぁぁ”と安堵の息をこぼすフランを見つめながら、場内の客たちは呆然とする。
対してブルエは悔しさと怒りを滲ませるようにして、強く歯を食いしばっていた。
筋力増強の『竜魂』。飛行能力の『飛翔』。身体強化の『逆鱗』。
フランの打ったあの直剣に、それらのスキルがすべて兼ね備えられている。
とても受け入れがたい事実だった。
「な、何が天啓だ……何がスキルだ……! そんなデタラメばっかり並べやがって……! 誰も能無しのフランが言ったことなんざ信じるはずがねえ……! ここは手品道具を売るところじゃねえんだよ……!」
見下しているフランが、スキル付きのとんでもない武器を打てるはずがないと思い、ブルエはいまだに直剣を疑っていた。
どうせ口からの出任せだ。何か姑息な種があるに違いない。客たちだってそんなことはわかっているはずだ。
ブルエが疑惑の視線を向ける中、司会役の女性が会場の沈黙を打ち破る。
「で、では、フラックス氏からのご紹介も終わったところで、そろそろ『竜骨の紅剣』の競売を始めさせていただこうと思います。例に漏れず10万フローラからの開始となりますが……み、皆様、いかがでしょうか?」
「……」
皆、何を思っているのか、終始黙り込んだまま直剣を見つめている。
そのただならない雰囲気に、司会者も戸惑った様子で会場に問いかけた。
すると、どうだろう……
司会者の問いかけに対して、誰も手を上げようとはしなかった。
(ハッ、ほらな。誰もフランの品なんざ評価するはずがねえ。突拍子もねえデタラメばっかり並べやがって、それで熟練の有識者たちの気を引けるはずがねえだろうが。500万フローラの値が付いた、俺の剣の勝ちだ)
ブルエは勝利を確信して不敵な笑みを浮かべる。
天啓やスキルなど色々と宣伝材料を盛り込んできたが、やはりここにいる客たちは純粋な傑作を望んでいるのだ。
需要に合っていない品は、ただただ客たちを困惑させるだけに過ぎない。
圧倒的な技術力と、加工困難の希少素材を組み合わせた、ブルエ・アンヴィルの魂の一作に敵うはずがなかったのだ。
小さな笑い声を漏らすブルエの傍らで……ぽつりと、誰かが言った。
「……600万フローラ」
「…………はっ?」
耳を疑うその声に、ブルエは目を丸くしながら会場を見渡す。
直後、信じがたい光景が、彼の視界に飛び込んできた。
「650万!」
「700万!」
「820万!」
「な、何してんだよてめえら……! なんで俺よりもこいつの品の方に値段を付けんだよ!」
かつてないほど大勢の客たちが手を上げる景色を見て、ブルエは背筋を凍えさせた。
同時に、その誰もがブルエの蒼玉の長剣を超える高値を付けていき、彼の心中は絶望感で満たされていく。
なぜあんなデタラメな珍品に、そのような値が付いていくのだろうか。
「天啓とスキルが宿った武器なんて聞いたことがねえ!」
「いったいいくら積めばいいのかまったくわからねえよ!」
「次にいつフラックス氏が出品するかもわからねえ! ここで絶対に落としてみせる!」
「……」
自分の時には見られなかったような、観客たちの血眼。
それを目の前で見せつけられただけで、圧倒的な実力差を感じさせられた。
「1500万フローラ!」
「なっ――!?」
そしていよいよ、とんでもない金額が提示されて、会場が激しくざわついた。
「み、皆様……お聞きになりましたでしょうか……! 1500万! 1500万フローラが宣言されました! これはまさに一生を暮らせるほどの莫大な金額です! それが何かの間違いか、無名の鍛治師のデビュー作に付けられてしまいました!」
自分が手掛けた蒼玉の長剣の、およそ三倍の値段。
ブルエは血の気を引いて、おもむろに膝から崩れ落ちた。
「あり、得ねえ……! この俺が、あの愚図のフランに、競売会で負けただと……!?」
“なぜ”という言葉が脳内を駆け回る。
なぜあいつの武器には天啓とスキルが宿っているのか。
なぜあいつはあんな武器を打てたのか。
なぜこの短い期間で才能を開花させることができたのか。
「認めねえ……! 俺は認めねえぞ……! てめえに鍛治師の才能なんかありはしねえんだ!」
ブルエは憤りを抑え切れずに、ついには壇上まで上がって行った。
当然観客たちはその姿を見て、怪訝な表情で静まり返る。
ブルエに睨み付けられたフランは、その怒りの視線を浴びながら、疑問に答えるように返した。
「ボクも、ずっと自分の力を信じられませんでした。ボクはどれだけ頑張っても、なまくらなものしか打てない無能鍛治師だって。でも、ある人のおかげで、ボクはようやく自分の力に気が付くことができたんです」
不意にフランが会場の一端に視線を向ける。
ブルエも釣られてそちらに目を移すと、客席の一つに“銀髪の青年”が腰掛けているのが見えた。
(あ、あいつは、フランに依頼を出した……!)
フランを工房から追い出そうとした時、それを庇うようにして鍛治依頼を出してきた青年。
あの時あの青年は、こちらが打った剣ではなく、フランの剣の方に強く惹かれたと言っていた。
まさかあいつには、フランの隠れた才能が見えていたというのだろうか?
日頃から一緒にいる鍛治師たちが、これまでまったく気が付かなかった素質に、奴は一瞬で気が付いたというのか?
あいつはいったい、何者なのだ……
「その人はボクの力に気付いてくれた。ダメなボクに才能があるって言ってくれた。諦めないでほしいって慰めてくれた。その人に強くしてもらえたおかげで、ボクは自分の手でこの武器を作り上げることができたんです」
「な、何が才能だ……! てめえにそんなもんは、絶対にねえんだよ……!」
フランの才能と競売会の結果を、いまだに受け入れられないブルエは、苦し紛れの抵抗を試みる。
「そ、そうだよ! それがてめえの打った剣だっつー証拠はどこにもねえ! どうせどっかの職人に頼んで作らせた代作なんだろ! だからこの勝負は無効だ! もう一回作り直して俺と――!」
刹那――
「もうよしなブルエッ!」
「――っ!?」
壇上で見苦しく足掻くブルエを止めるように、女性のハスキーな叫び声が会場に響き渡った。
全員が客席の最後列の方を振り向くと、そこには……
「バ、ババア……!」
煤けたバンダナとエプロンを着用している、青髪の凛々しい女性が立っていた。