第八十六話 「名匠の産声」
「な、なんだ、あの剣は……」
ブルエの蒼玉の長剣がお披露目された時とは、大きく異なる反応。
まるで想定していなかった逸品が突如として現れて、観客たちは言葉を失っていた。
全員が壇上に置かれた紅色の直剣に釘づけになり、石のように固まっている。
「……」
一方でブルエは、額に脂汗を滲ませながら、人知れず背筋を震わせていた。
(あれを、フランが打ったってのか……?)
信じられないほど澄み切った真紅の白刃。
刀身は見たこともないような深みのある光沢を帯びている。
それでいて刃は極限にまで研ぎ澄まされており、手掛けた鍛治師の技術に疑いの余地は微塵もなかった。
熟練の鍛治師たちの品々を、これでもかと言うほど目に焼きつけて来た有識者たちでさえも、その真紅の直剣に目を奪われている。
「な、何ということでしょう……! まさか無名の鍛治師の一作が、この会場の空気を丸ごと飲み込んでしまいました……! まさにとんでもない逸品です……」
司会者の女性も声を震わせて直剣を見つめている。
やがて彼女はハッと何かを思い出したようにフランの方に目を移して、競売の進行を再開させた。
「こちらを手掛けられたフラックス氏で、お間違いないでしょうか?」
「は、はい。ボクがフラックスです」
「こちらの剣、名前が『竜骨の紅剣』になっておりますが、何か理由があるのでしょうか?」
先刻ブルエにした質問と同じもの。
それに対するフランの回答は、やや鈍いものだった。
「鉱竜の骨から作った剣だから、だと思います」
「思う?」
「あっ、いえ……“だからです”」
何やら気になる受け答えだったが、司会の女性は気にせずに進めた。
「ブルエ氏が素材に選んだ蒼水石と同様、鉱竜の骨も加工が難しいことで有名ですよね。しかしこのような鮮やかな色や光沢が出せるとは聞いたことがありませんでした。まさに職人が為せる技、ということですね」
「い、いえ……」
真っ直ぐな称賛を送られて、フランは恥ずかしそうに身をよじる。
その姿を壇上の下から見ていたブルエは、頭をカッと熱くさせながら歯噛みした。
(な、何なんだよあの剣……! なんであいつが、あんなもん持ってくんだよ……!)
これまで打った武器はすべてボロボロのゴミ屑。
まるで伸び代もなかった才能無しのフランが、なぜあのような剣を作り出すことができたのだろうか。
まさか代作? いや、この大舞台でそのような博打はしないはず。
ここには数多の刀匠の品を見てきた有識者たちが揃っている。
その武器を見れば誰が手掛けたものなのかはすぐにわかるはずなので、誰も言及していないことからその可能性はかなり低い。
つまりは正真正銘、フランの自作武器ということだ。
そう驚愕するブルエをよそに、フランの剣の紹介が続けられた。
「これは見た目だけではなく、武器としての性能も大きく期待ができますね。ではでは、恒例の通り、木偶での実演にてそれをお見せしていただけたらと思います」
その声と同時に、壇上の脇から再び木偶が運び込まれてくる。
先刻のものはブルエが壊してしまったため、今回は傷のない真新しいものになっていた。
それが壇上の中央に設置されたのを確認すると、女性はフランに問いかける。
「ご自分でやりますか? それとも……」
「あっ、えっと、どなたかに実演してもらえたらと思います」
フランはブルエとは違い、自分で実演しようとはしなかった。
代わりに運営の誰かにやってもらおうとして、同時に一つの要望を申し出る。
「それとできれば、力の弱い人の方がいいなと……」
「ひ、非力な方に、実演を頼みたいということですか?」
「は、はい」
フランがこくりと頷くと、競売会の運営者たちは困惑した様子で目を合わせた。
非力な人にお願いをしたいという、目的不明の要望。
剣の実演をするなら、明らかにその道に心得がある人物の方が適任のはず。
非力な人物に任せてしまったら、雑な扱い方をして武器を痛めてしまう可能性だってあるからだ。
ゆえに関係者たちは、『誰がやる?』というような探り合う視線を交わして、最終的には壇上にいる人物に目が留まった。
「……えっ? わ、私ですか!?」
選ばれたのは、壇上に立っていた司会者の女性だった。
見るからに小柄で、明らかに関係者の中では非力な方で間違いない。
「わ、私、剣なんて振ったことないんですけど。それでもよろしいのでしょうか……?」
「はい、大丈夫です。むしろそういう方に試していただきたくて……」
「えぇ……」
司会者は不安そうにしている。
もしここで無様な姿を見せてしまったら、その時は出品物の評価がガタ落ちしてしまうからだ。
下手な剣捌きで、木偶に傷の一つも付けられなかった場合、この剣は確実に値が付かなくなる。
絶対に失敗は許されない。
「あっ、もちろん危ないことなので、断っていただいても全然いいんですけど」
「……い、いえ。進行役としてこの舞台に立たせていただいている身ですので、こういったことも経験しておかなければなりません。是非、私にやらせてください」
司会者の女性は冷や汗を滲ませながら、実演役を引き受けてくれた。
そして彼女は『では失礼して』と頭を下げて、竜骨の紅剣を手に取る。
「あっ、意外と“軽い”んですね。これならまあ、何とかなるかと……」
にぎにぎと具合を確かめるように両手で直剣を握っていると、会場の各所から戸惑う声が聞こえて来た。
「ま、まあ、さすがに性能はブルエ氏の剣の方が上だろう」
「同じく希少素材を使っているからと言って、ブルエ氏と無名の鍛治師では技術力に差があるからな」
「それをあの司会者に任せて大丈夫なのか……?」
ブルエも同様のことを思って、密かに薄ら笑みを浮かべた。
(実演を素人に任せるなんざ、愚の骨頂だな。よほどの自信があったのか知らねえが、てめえはここで終わりだよ)
嘲笑するような声も上がる中で、実演役の女性は改めて木偶の前に立つ。
大勢の視線を一身に集めながら、彼女は緊張した面持ちで竜骨の紅剣を振り上げた。
「で、では、参ります……」
ごくりと息を飲み込んだ彼女は、何とも情けない声を、腹の底から響かせた。
「せ、せやあっ!」
紅色の直剣が、木偶を目掛けて縦に振り下ろされる。
まさしく鋭さの欠片もない、ただ重さに任せただけの乱暴な一撃。
その素人くさい姿を遠巻きから眺めて、観客たちは盛大に笑った。
ドッッゴオオォォォン!!!
「――っ!?」
壇上を中心に、強烈な振動が会場中に広がった。
見ると、直剣を叩きつけられた木偶は、切り傷を付けるどころではなく……
粉々になって、辺りに四散していた。
それだけではない。
「だ、壇上が…………」
振り下ろされた剣は、煉瓦造りの壇上の床を貫き、刀身を深々とめり込ませていた。
半分以上も刃が沈んだ光景を見て、観客たちは目を見開いて驚愕する。
同様にブルエも、目の前で何が起きたのか理解できずに、口を開けて固まっていた。
やがて放心していた女性が、ハッとなって焦り始める。
「ご、ごご、ごめんなさい!!! 壇上まで壊すつもりはなかったんですけど、なんかものすごく力が溢れて……!」
「……」
その曖昧な説明に、観客たちの疑問符はますます膨れ上がっていった。
そんな彼らの疑念を晴らすように、女性は必死に説明を加える。
「こ、この剣を持った瞬間から、何か力が溢れてくるような感じがして、自分が“強くなった”ような錯覚すら起こしてしまったんです。う、上手くは言えないんですけど、この剣には何か特別な力があるんですよ!」
「な、何だよ、それ……」
ブルエのその呟きは、会場中の全員が思っていることだった。
フランの打ったあの剣に、いったいどのような力が秘められているというのか。
ブルエは思わず気持ちを焦らせて、壇上のフランを睨め付けた。
観客たちの疑惑の視線もフランの方に集まり、彼は意を決して皆に答える。
「ボ、ボクの竜骨の紅剣には、人間が持つものと同じ“天啓”が宿っています」
「てん、けい……?」
「魔獣と戦うことによって武器のレベルが上がって、武器の性能が向上するようになっているんです。それと、装備者に対して影響を与える特殊な“スキル”も宿っています」
「……」
天啓とスキル。
それが剣に宿っている。
さらりと言ってのけられたその事実に、全員が頭を混乱させた。
(な、なに言ってやがんだ、あいつ……)
場内の人間たちが呆然としていると、言葉足らずだと思ったフランは、さらに説明を重ねる。
「りゅ、竜骨の紅剣には、『竜魂』というスキルが宿っていて、装備者の力を高める効果があります。それによって司会者の女性は、極限まで力を高めることが……できたんです」
大勢の目に慣れていないフランは、自信がなさそうに声を先細りにする。
その様子が観客たちの懐疑心を煽ってしまったのか、各所から厳しい声が上がった。
「デ、デタラメを言うな! 武器に天啓が宿るはずがないだろうが!」
「下手な嘘は競売会参加者たちの心証を悪くするだけだぞ!」
「その司会の女が共謀者で、そいつがただ怪力なだけじゃないのか!」
「わ、私は別に怪力じゃないですよ! 共謀者でもありませんから!」
ついには実演に協力してくれた司会者まで疑われてしまい、フランは焦ったように目を泳がせた。
直後、彼は何かを思いついたようにハッとして、会場に声を響かせる。
「た、確かに今のでは、少しわかりづらかったかもしれません。ですのでもう一つ、この剣に宿っているスキルを見ていただけたらと思います」
その後フランは、「協力してくださる方はいらっしゃいませんか」と実演者を求める。
するとすぐに疑り深い客たちが手を上げ始めた。
その中で真っ先に手を上げた、前列の席の青年を指し示して壇上まで招く。
ブルエも疑いの視線を向ける中、フランは二人目の実演役に剣を渡した。
「で、では、竜骨の紅剣を持って、『翔べ』と念じてください」
「翔べ?」
刹那――
青年の体が、まるで水面に浮かび上がるようにして……
ふわりと“飛翔”した。
「…………はっ?」