第八十五話 「魂の一作」
「……美しいな」
ブルエの剣を見た者は、揃ってそんな第一声を漏らした。
壇上に飾られた一振りの長剣は、鞘と共に並べられており、照明によって刀身が深く青光りしている。
一縷の淀みもない吸い込まれるような濃紺の刃は、一流の鍛治師によって鍛え上げられていて、この舞台で飾られたどの武器よりも鋭く研ぎ澄まされているように見えた。
その長剣と共に壇上に立ち、観客たちの視線を一身に浴びて、ブルエは笑みをたたえる。
これこそが一流の鍛治師のみが味わうことを許された、唯一無二の幸福感だ。
自分の実力が認められているという事実が声となって届き、ブルエは歓喜に身を震わせた。
「相変わらず素晴らしい出来栄えですね! こちらの剣、名前が『蒼玉の長剣』となっているのですが、何か理由などがあるのでしょうか?」
司会進行役の小柄な女性が、高い声を張り上げて、ブルエに問いかける。
すると彼は一歩前に歩き出し、一層観客たちの視線を集めながら司会者の問いに答えた。
「宝石のような美しさを持つ剣、ということもそうですが、この剣の名前は使った素材にも由来しています」
「……と、言いますと?」
「光の加減によって青色に輝く美しい湖……『サファイアオーシャン』。その水底に眠る希少素材……『蒼水石』。加工によって美麗な濃紺を映し出す反面、鍛治加工が遥かに難しいことで広く知られています。今回はその石を使い、鋭利でありながら丈夫かつ流麗な一振りを打たせていただきました」
普段の素行とは打って変わって、丁寧な口調で自分の剣を宣伝するブルエ。
競売会に出品された品は、基本的には司会役が紹介文を読み上げたり、実演用の木偶を用いて宣伝を行なったりする。
しかし中には打ち手自らが壇上に立って宣伝を行う場合もある。
ブルエは自らの鍛治師としてのブランドを理解して、このような場では常に自分の口で武器の宣伝を行なっていた。
整った顔立ちや溢れ出るカリスマ性などが高く評価されて、界隈では彼自身を熱心に想う愛好家も少なくない。
所々で黄色い声なども上がり、ブルエの士気はますます向上した。
「では、この度も失礼して、鍛治師の私自ら武器の実演をさせていただきたいと思います。私自身、剣技の心得はまったくなく、お見苦しいところを見せてしまうかもしれませんが、何卒ご容赦ください」
その声を合図にするように、運営の人間たちが壇上の脇から木偶を持って来た。
大人の男性ほどの大きさの木製の人形。
本日出品された武器の実演で酷使されたあまり、所々に傷が付いている。
一応は神聖な力を帯びた神木によって作られているため、普通の訓練用の木偶よりかはかなり強固な造りになっている。
この木偶に傷を付けられるか否かが、業物としての基準の一線になっているとも言えるほどだ。
ブルエはそんな木偶の前に立ち、自らが手掛けた蒼玉の長剣を構えた。
「はあっ!」
鋭い一撃が、実演用の木偶に打ち込まれる。
剣技の心得がないとは言いつつも、それなりに様になっているその一太刀は、木人形の首を音高く斬り飛ばした。
ゴトッ! と煉瓦造りの壇上に首が落ちた瞬間、会場から歓声が迸った。
「まともに傷すら付けられない武器もある中、一太刀で首を飛ばすとは!」
「見た目だけではなく、剣としての出来も凄まじいな!」
「あのブルエ・アンヴィルの一作というだけでも相当な価値がある! これは競売が荒れるぞ!」
ブルエの鍛治師としてのブランドだけではなく、当然の如く性能と造形も群を抜いている。
これで高値が付かないはずもなかった。
「では、ブルエ・アンヴィル氏の蒼玉の長剣! 他の品と同様に10万フローラから始めさせていただきたいと思います!」
司会進行役の女性がそう言うと、客たちは次々と手を上げ始めた。
通常であれば僅かずつ買い値が上がっていく競売会ではあるが、ブルエ・アンヴィルの魂の一作というだけあって、序盤から本日の最高値を更新した。
参考までに、この競売会における平均的な買い値は30万フローラである。
「100万!」
「120万!」
「200万!」
「350万!」
「さあなんと、本日の最高値だけではなく、この競売会において過去最高記録となる300万フローラを優に超えてしまいました! 後は他にありませんでしょうか?」
進行役の女性が会場に問うと、皆はどこか戸惑うように目を泳がせた。
だがたった一人、名の知れた資産家の老人が、その動揺の隙を突くように声を張った。
「550万フローラ!」
その宣言に、会場は驚きのあまり静まり返る。
全員のその思いを言葉にするように、進行役の女性が声を震わせた。
「し、信じられません……! 300万を超えただけでも驚きだというのに、なんと500万超えの未知の領域まで踏み込んでしまいました……! これはあの、法外な依頼料を要求することで名高い、解呪師ロータスの解呪費を上回る高値となります」
解呪師ロータスの解呪費は、あまりにも法外なことで有名だ。
その金額、締めて500万フローラ。
とても一般市民では一括で支払うことができない、なんとも馬鹿げた金額である。
地方に豪邸すら建てられるほどのその金額が、ブルエの蒼玉の長剣に付いたということは、それほどの価値を観客たちから認められたということだ。
(……当然だろ。俺が本気で手掛けたもんが、300かそこらで止まるはずねえだろうが)
ブルエは内心でほくそ笑み、自らの鍛治師としての価値を改めて実感する。
その傍らで、進行役の女性が会場を見渡して、最後の確認を行なった。
「それでは、よろしいですね?」
返答がないとわかり、女性は声を張り上げた。
「ではこれにて、ブルエ・アンヴィル氏が手掛けた蒼玉の長剣は、550万フローラで落札となります! おめでとうございまーす!」
会場は盛大な拍手によって震え上がり、その中心でブルエは拳を上げてさらに観客を煽った。
次いで一瞥するように、控え室の方に目を向ける。
(見たかよフラン。これが本当の鍛治師の才能だ。てめえにこれだけの金額が出せるかよ)
客を虜にする才腕と独創性。
鍛治師本人の人間性すら、ブランドとしてブルエは活用させている。
ボロボロのなまくらしか打てない、泣き虫鍛治師のフランには、とてもこの舞台で同じ歓声を浴びる才覚はない。
改めてそれをここで証明してみせる。
あいつに宝剣など打てるはずがないと。
母のキキョウが間違っているということを。
(せいぜい赤っ恥掻いて、この世界から消え失せな)
ブルエが壇上から下りて、参加者用の席に向かおうとした時、彼と入れ替わるようにして次の品が運び込まれた。
「さあ、会場の興奮が冷めない内に、続いての品に移りたいと思います。どうやら今回が初めての参加となる、フラックス・ラン氏が手掛けた一品のようですね」
その声に、ブルエの足は自ずと止まる。
振り返ると、壇上の真ん中には展示台が運ばれて、展示物を覆うように布が掛けられていた。
会場の節々からは、ため息混じりの声が聞こえてくる。
「次は無名の鍛治師の品か」
「ブルエ氏の剣の後とは、なんとも可哀想に」
「どうしたって見比べてしまうな」
どこか嘲笑するような声が上がる中、当人のフランが控え室の方から恐る恐るといった様子で出て来る。
なんとも情けないその姿に、会場はますます笑いに包まれた。
ブルエも同じく笑みを浮かべていると、司会者が笑い声を掻き消すように声を張る。
「さあさあ、今回が初めての競売会参加ということで、皆様どうかお手柔らかにお願いいたします! ではではさっそく見て参りましょう!」
進行役の女性はそう言うと、壇上に置かれた展示台に歩み寄る。
そこには大きな布が掛けられていて、女性はそれに手を掛けようとした。
「せいぜいまともなもん見せてくれよなぁ!」
「せっかくの会場の熱気を冷ますんじゃねえぞぉ!」
「皆様ご静粛に! どうかご静粛にお願いしま――!」
その時……
女性の手が、図らずも布に触れて、前触れもなくそれは衆目に晒された。
瞬間――
「……」
会場の喧騒が、観客たちの嘲笑が、まるで時が止まったかのように…………完全に消え去った。
同時に、ブルエの余裕の笑みも嘘のように鳴りを潜める。
壇上の中央に現れたのは、ブルエの蒼玉の長剣に負けず劣らずの……
見目麗しい、紅色の直剣だった。