第八十四話 「眠りし才覚」
ブルエ・アンヴィルは、あの“情けない男”の姿を思い出す度に疑問に思う。
なぜ母は、あんな能無しに目を掛けていたのだろうか。
作る武器はすべてなまくら。くず折れる寸前のゴミ屑ばかり。
要領も悪く、根性もない。
強めの言葉を掛けただけで涙を滲ませるような、あの泣き虫鍛治師のどこに惹かれたというのか。
『行くとこないなら、アタイのとこで面倒見てやるよ。好きなだけうちの工房で作りたいもん作りな』
母のキキョウ・アンヴィルは、稀代の天才鍛治師として名前が知られている。
ピートモス王国の剣麗会でも優秀賞を取るほどで、特に独創性に関して高い評価を得ているのだ。
奇抜でありながら万人の心を打つ美麗な造形。
武器としての性能はもちろんながら、使用者に最大限配慮した使い勝手も魅力の一つとして挙げられている。
そんな類稀なる鍛治師としての才腕を持ち、キキョウは過去三回、剣麗会にて優秀賞を取った経験がある。
通常であれば出典することすら難しく、一生のうちに一度でも参加が叶えば、鍛治師としてのブランドも獲得できるほどの催し。
そこで三度も続けて賞を取った鍛治師は、現状キキョウを除いて他にはいない。
ゆえに百年に一度の逸材と言う者もいるほどだ。
ブルエはそんな母のことを、少なくとも鍛治師としては尊敬していた。
『なんであの無能を工房に入れやがったんだ! ただでさえ抱え込んでる若手が多いってのに、あんな才能無し入れるだけ無駄だろうが!』
『無駄かどうかはアタイが決めることだよ。それにあの子に才能がないって、簡単に決めつけないことだね』
キキョウはそう言って、能無しのフラックス・ランを工房に置き続けた。
どこに才能があるのか問いかけても、キキョウは何も教えてはくれなかった。
自分で気が付けということなのだろうが、いくらフランの武器を見ても才能の片鱗はまるで感じなかった。
どころか苛立ちばかりを感じさせられた。
どうしてこのような才能無しが同じ工房にいるのか。
あのキキョウ・アンヴィルに目掛けられていることも納得がいかなかった。
極めつきは……
『ボ、ボクはいつか、業物を手掛けて剣麗会に出典したいです。それで宝剣の称号をもらって、お父さんの夢を代わりに叶えてあげたいです』
他の職人たちとそんな話をしているのを耳にして、ブルエは憤りを抑えられなかった。
あの才能無しが、よもや自分と同じ目標を持っているだなんて認められなかった。
途端、自分が追い求めていたものが、とても小っぽけなものに思えてきてしまった。
剣麗会はこんな愚図が目指せるようなお手軽な式典ではない。
選ばれた才覚ある鍛治師だけが武器を持ち込むことを許された、まさに鍛治師にとっての夢の舞台なのだ。
『ババアに目ぇ掛けられてるからって、調子に乗ってんじゃねえ……!』
ブルエはフランに、手厳しく当たるようになっていた。
不相応にも剣麗会の舞台を夢見るフランに、現実の厳しさを叩きつけて、工房から追い出してやろうと思った。
『遅ぇんだよ! ノロノロ動いてんじゃねえ!』
『ご、ごめんなさい……』
フランに罵声を浴びせる度に、キキョウからは『工房の空気を悪くするな』とか『これ以上横暴が目立つようなら工房を追い出す』と注意を受けてはいたが、それがますますブルエの怒りに火を付けた。
ブルエはキキョウが見えないところでフランに叱責を送ったり、執拗な嫌がらせを繰り返すようになった。
お前に鍛治師は務まらねえ、さっさとやめちまえという思いが行動にあらわれたかのように。
そんなある日、工房長のキキョウが病で倒れた。
元から体が弱いキキョウは、度々治療院の世話になることが多かったが、月を超えるような長期入院は今回が初めてだった。
そのため一時的に、工房長が不在になる事態となった。
キキョウは工房の職人たち全員で協力して、工房を守ってほしいと言っていた。
だがブルエの横暴で、強引に工房長代理を決めることにして、鍛治師としての腕を主張したブルエが代理を務めることになった。
好き放題ができる環境になり、彼はますますフランに対する嫌がらせを加速させた。
それでもフランは、決して折れることはなかった。
『いい加減にしろクズフラン! 雑用もまともにできねえ能無しは工房にはいらねえんだよ! さっさとここから出て行け!』
そしてついには、不手際を理由にして、工房から無理矢理に追い出そうとした。
だというのに……
『確かにあなたの持ってるその剣も、かなりの業物だとは思います。けど僕はフランさんの打った剣の方に強く惹かれました。武器製作の依頼は、是非フランさんに引き受けていただきたいと思います』
どいつもこいつも、フランの剣の方を高く評価した。
天才鍛治師キキョウも……
フランに鍛治依頼を出して、工房に残る理由を与えて首の皮一枚を繋げたあいつも……
フランのどこに強く惹かれたというのか、ブルエは結局何もわからなかった。
だから今度こそ、きっちりと証明してみせる。
競売会という舞台で、大勢の証人がいる目の前で、自分の方が鍛治師としての才覚を持っていると。
あの無能の泣き虫小僧では、到底鍛治師など務まらないということを。
その憤りを乗せた渾身の逸品を手に、ブルエは競売会へと臨んだ。
「それではいよいよ、競売会の方を始めさせていただきまーす!」
出品者たちの控え室。
そこでは多くの鍛治師たちが、自分が手掛けた武器が競売に掛けられるのを緊張した面持ちで待っていた。
すでに持ち込んだ品は競売運営の方に渡しているため、皆がどのような逸品を仕上げて来たのかは傍目ではわからない。
だがそこにいる誰もが手先に癖ダコや傷を残しており、手掛けてきた品数の多さを彷彿とさせている。
見るからに腕利きの鍛治師たちが勢揃いしていた。
しかしブルエは、その中でも異彩を放ち、余裕綽々といった姿勢で身構えていた。
「おい、あれって鍛治師キキョウの息子の……」
「あぁ、ブルエ・アンヴィルだ」
ヒューマスの町で、キキョウに続いて鍛治の腕が秀でており、各所の評品会では賞を総なめにしているブルエ。
キキョウの息子ということもあって、鍛治師たちの間では広く名前が知られている。
そのため周りからは注目の視線を浴びており、実際競売会に参加している多くの客はブルエの品を楽しみに見に来ていた。
「やっぱり客たちはブルエの品が目当てだよな」
「あぁ。時期が悪かったとしか言えねえよ」
そんな声がチラホラと聞こえて来て、ブルエは鼻で小さく笑った。
注目されている品があれば、当然客たちはそちらを狙って高い金額を付けるようになる。
ゆえに他の出品物には高値が付きづらくなり、評判などもすべてブルエに掻っ攫われてしまうということだ。
それしきのことで心が折れかけている鍛治師たちを見て、その志しの低さにブルエは嘲笑を浮かべた。
(……せいぜい俺の引き立て役になることだな)
と、思っているその時、ブルエの視界に見慣れた亜麻色の髪が映り込んだ。
女と見間違うような風体。
威厳の欠片もない弱々しい雰囲気。
他の連中と違って手先も綺麗に整っており、相変わらず鍛治師らしい風格は感じなかった。
……その代わり、と言ってはなんだが、以前の細々とした体格からは変わって、作業着の内側に隠された肉づきは僅かに増しているように見えた。
(……まあいい)
ブルエは注目の視線を集める中、控え室の端で控えめに立っているフランに声を掛けた。
「怖気付かずに来たみてえだな、フラン」
「……」
フランは以前とは変わって、確かな視線をこちらに返してくる。
前は話しかけただけで俯いてしまい、こちらと目を合わせようともしなかった。
工房から追い出している短い期間に、何か心変わりがあったのかもしれない。
周囲から訝しむような目を向けられる中、ブルエはフランに対して嘲笑を浴びせる。
「ちゃんと武器は作れたのかよ? ま、どうせ作れたとしても前みてえなボロボロのなまくらだろうけどな」
続けて競売会の本会場への入り口に目を移しながら、まるで脅しを掛けるように続けた。
「そんな才能で競売会から逃げなかった勇気だけは褒めてやるよ。だが、この先で待ってるのは客たちからの嘲笑と恥辱だけだぜ。あんなくず折れたなまくらをこんな大舞台で見せちまったら、会場は逆の意味で大盛り上がりだろうからな」
それこそがブルエの目的でもあった。
この鍛治師の晴れ舞台で赤っ恥を掻かせて、今度こそ徹底的に心をへし折る。
鍛治師としての才能がないとはっきりと自覚させて、あの工房からだけではなく鍛治師の世界そのものから挫折させる。
そう企むブルエの前で、フランは勇気を振り絞ったように、震えた声を返した。
「……ちゃんと、武器は作って来ました」
「あっ?」
「今のボクに作れる、最高の一品を持って来ました。これでボクは、ボクの力を認めてくれた人たちが正しいと、ちゃんと証明してみせます」
「――っ!」
憤りのあまり、思わず手が出そうになった。
だが、拳に力を込めただけにとどまり、ブルエは上げた手をおもむろに下げていく。
次いで顔をしかめて、音高く舌を打ち鳴らした。
「せいぜい今のうちに吠えておけよ。どの道俺の剣を見た瞬間、てめえは才能の違いに絶望することになるんだからな」
その言葉を合図にするかのように、会場から司会の女性の声が聞こえて来た。
「続きまして、皆様お待ちかねのあの鍛治師の剣……ブルエ・アンヴィルの新作となりまーす!」
会場の熱気が歓声となってこちらまで届き、鍛治師ブルエは観客たちの前に姿を現した。