第七十六話 「外見」
「お、おと、こ……?」
フランさんに歩み寄ろうとしていた男性二人は、見開いた瞳で“彼”を見つめる。
ほっそりとした弱々しい体つき、シミ一つない真っ白な肌、絹糸のように滑らかな亜麻色の髪。
まつ毛の長い淡褐色の瞳は、庇護欲を唆られるようにつぶらで、彼が身じろぐ度になぜか甘い香りが鼻をくすぐる。
どこからどう見てもうら若き可憐な少女だ。
ややだぼっとした作業着の上に、すすけたエプロンを着用しているのが、せめてもの男性らしさの主張にはなっている。
しかしフランさんを見つめる男性たちの瞳には、常に疑問符が浮かび続けていた。
「お、俺らを追い払うために、そんな嘘を吐いてるんだよね……?」
「う、嘘じゃありません。よく、間違えられますけど、ボクはちゃんと……男です!」
フランさんは潤んだ瞳で男たちを見返す。
恥ずかしさと悔しさが入り混じったその表情は、愛らしい少女のそれにしか見えなかった。
フランさんが涙目でそう訴えていると、やがて男たちはたじろいで苦笑を浮かべる。
いまだに信じがたいという顔をしていたが、やがて諦めをつけたようにローズの方を見た。
「じゃ、じゃあさ、赤髪の子だけでもどうかな?」
「はい?」
「俺たちと一緒に飲みに行こうぜ。酒がダメなら飯だけでも美味い店知ってるからよ。俺らがいくらでも奢ってやるし。それに何よりさぁ……」
男は、右手の親指で“僕”の方を指し示して、嘲笑を浮かべた。
「そんな“冴えない男”といたって、超つまんねえだろ?」
刹那――
この場の空気が、氷雪地帯のように冷え切った。
鋭いナイフを首元に添えられたかのように、背筋に凄まじい悪寒が走る。
強烈な気迫と殺気に当てられて、僕たちはその場から動くことができなかった。
前にも一度、この感覚に襲われたことがある。
恐る恐る、隣に視線を移すと……
ローズの真紅の長髪が、まるで憤りを表す猛火のように、ゆらゆらと揺れていた。
「誰が、冴えない人ですか?」
「――っ!」
突き刺すようなローズの殺気に襲われて、男は全身を凍りつかせた。
極寒に悶えるようにガチガチと歯を打ち鳴らして、瞳の端に涙を滲ませる。
ローズが一歩を踏み出したその瞬間、彼は小さな悲鳴を漏らして後ろに飛び退いた。
「にに、逃げるぞ!」
奴は仲間の一人を無理矢理に引っ張って、この場から逃げ去って行った。
直後、緩やかに重たい空気が軽くなり、詰まっていた息が次第に抜けていく。
正直、僕たちもしんどかった。
見るとフランさんは、ローズの気迫に当てられたせいかふらついており、コスモスも僅かに冷や汗を滲ませている。
すでにこの圧力を体感済みの僕たちでさえもこうなのだから、直接それを向けられた彼らは精神的に深い傷を負わされたことだろう。
もう二度と、下手に女の子にちょっかいを掛けられなくなってしまったかもしれない。
慌てて逃げ去って行く彼らの背中を見送っていると、不意に隣からコスモスの虚しい声が聞こえてきた。
「……ところで、なんで私は声かけられなかったんだと思う?」
「……さ、さあ?」
たぶんたまたまタイプじゃなかったんだよ。
もしくは小さくて見えなかったんじゃないかな。
なんて言うとまたぞろコスモスを不機嫌にさせてしまいそうだったので慎んでおいた。
「まったく、失礼な方々でしたね。ろくに面識もないのにご飯に誘って来たりして、あまつさえロゼさんの悪口まで言うなんて。久しく本気で怒ってしまうところでした」
「……あれでまだ本気じゃなかったんだ」
本格的に怒りの感情を表に出していたらどうなっていたのだろうか。
想像するだけで身の毛がよだつ。
僕のために怒ってくれたのは、素直に嬉しいけど。
途端、ローズはけろりといつもの柔らかい表情になると、驚いた様子でフランさんの方を振り返った。
「そ、それよりもフランさん! 男性って本当ですか!?」
「……は、はい」
「こんなに華奢で、肌もきめ細かくて、目元もパッチリしているのに……?」
ローズがジロジロと間近で顔を覗き込み、フランさんは恥ずかしがるように目線を逸らす。
確かに小柄で体つきも男性のそれには見えないけど、彼は正真正銘の男性である。
パッと見ただけではわからないので、ローズが興味津々に顔を見つめるのも納得できるけど。
ちなみにこのことは、おそらく工業区にいた他の鍛治師も知っていることだ。
ローズがフランさんのことを“非力な女性”と言った時、あのブルエは素っ頓狂な顔をしていたから。
コスモスも、ローズと同じようにフランさんの顔を覗き込むと、やがて訝しい目を僕の方に向けて来た。
「あんたはそこまで驚いてなかったけど、まさか知ってたの?」
「う、うん。まあ……」
僕は頬を掻きながら苦笑を浮かべる。
「最初に見た時から“違和感”があってさ、それでちょっと『神眼』のスキルで天啓を見させてもらった時に、ついでに男性だってこともわかったんだよ。まあ、僕も最初は女性かと思ってたから、人のこと言えないんだけどね」
勘違いをしていたことに加えて、許可なく天啓を覗き見てしまったことを申し訳なく思う。
改めてそのことを謝罪しようとすると、フランさんが不思議そうに首を傾げた。
「神眼……? それでボクが男だとわかったんですか?」
「うん。目で見たものから“色んな情報”を見抜くことができるスキルだから。フランさんを見れば男性ってこともすぐにわかって……」
と、説明しようとすると……
突然フランさんは、熱々のお風呂でのぼせたように、顔を真っ赤に染めた。
直後、まるで全身を隠すようにして、バッと体を縮こまらせる。
いったいどうしたのだろうかと疑問に思っていると、彼はもじもじと身をよじりながら、か細い声を漏らした。
「い、色んなものを見抜くって……じゃ、じゃあその…………“見た”って、ことですか?」
「えっ……」
何を? と聞き返そうとして、僕は寸前で止まる。
フランさんの片手が、“下腹部”のさらに下の方を押さえているのを見て、僕はすべてを察した。
僕もカッと顔を熱くする。
「ち、違う違う! そういう意味じゃないって! 神眼のスキルはただ“情報”を見抜くだけで、透視みたいな能力があるわけじゃないから!」
ただ情報として男性ということがわかっただけで、別に“何か”を見て判断をしたわけではない。
とんでもない誤解に、僕は滝のような冷や汗を流した。
見ると、ローズは何もわかっていなさそうに首を傾げて、一方でコスモスはジトッとした目を僕に向けている。
……冤罪だ。
僕がそんな破廉恥な能力を持っているわけないじゃないか。
たとえ持っていたとしても、性別を確かめるためにそんな使い方をするはずないだろ。
人知れず肩を落としていると、ローズが改まった様子でフランさんの方を向いた。
「とりあえずは、フランさんが男性ということは承知しました。ずっと勘違いしていてごめんなさい」
「い、いえ。よくあることですから」
「ただ、性別がどうであろうと、顔が可愛らしい方なのは間違いないですから。先ほどのようなナンパにはくれぐれも注意してくださいね。噂によると最近は、とんでもない女たらしさんがギルドで女性冒険者を食いものにしていると聞いていますので、充分に気を付けていきましょう」
「は、はい……」
そんな忠告を聞いて頷いているフランさんに、僕は今さらながらのことを伝える。
「ちなみになんだけど、僕たち“三人”とも18で同い歳だから、敬語もなしでいいよ。さっきからそれも違和感があって……」
「そ、そんなこともわかるんですか……。あっ、それじゃあ、ボクのことも、呼び捨てでいいから」
「うん。よろしくね、フラン」
同い歳だとわかっていながら、ずっと敬語で話されるのは違和感がすごかったからね。
改めて伝えることができてよかった。
するとフランが、今度はローズの方を向いて言った。
「ロ、ローズも、呼び捨てでいいからね」
「あっ、えーと、同い歳なのは私の方ではなくてですね……」
「……?」
フランの視線が、ゆっくりと傍らのコスモスに向けられる。
彼はしばし時が止まったように固まると、遅れて状況を理解した。
「えっ、こっちの子!?」
「なんでそんなに驚いてんのよ! あんたが男っていう方がよっぽど信じられないわよ!」
まあ、確かに。
コスモスも中身と不相応な見た目をしているけれど、フランはそれを凌駕するほど性別と外見が乖離しているから。
ともあれなかなかに遠回りをしてしまったが、フランが男性だとわかってもらえたということで、僕は改めて言った。
「ま、てなわけで、フランは正真正銘の男子だから、僕の家に泊めても問題はないってことだよ。ローズが心配してるようなことは起きないから、別に一緒に泊まってもらわなくても大丈夫だよ」
「……」
今一度そのことを伝えると、ローズはいまだに何かを言いたげに複雑そうな顔をしている。
そしてフランと僕の顔を交互に見ると、彼女は意を決したように言い放った。
「や、やっぱり私も泊めてください!」
「えっ?」
「こ、今晩一日だけでもいいので……! それで確実に“安全”を確かめますから。で、ですから、コスモスさんも一緒に来てくださいませんか?」
「……どこまで心配性なのよあんた」
まあ仕方ないわね、と続けるコスモスを見ながら、僕は呆然と立ち尽くす。
着替えとか持って来ないとね、なんて話し合っているけれど、僕は置いていかれたような気持ちになってしまった。
お泊まりするのは別にいいんだけどさ……僕、そんなに信用ありませんか?
いや、と言うよりも、これは女性らしすぎるフランのせい、ってことになるのかな?