第七十三話 「見る人が見れば」
……見えなかった。
すぐ隣にいたはずなのに、ローズの動きが速すぎて目で捉えることができなかった。
間近で勇者ダリアの成長を見届けた僕でさえも、まるで想定外の超速度。
やはり確実に以前よりも速くなっている。
ローズの実力を知っている僕でさえもここまで驚いているのだから、周りの人たちは尚のこと驚愕していた。
「い、いつの間に……?」
「素手でブルエの剣を止めたのか……?」
同様に剣を受け止められたブルエも、言葉を失くして立ち尽くしている。
やがて彼は止まっていた時間が動き出したかのように、ハッと息を飲み込んだ。
「な、なんだよてめえ……!? いったいどっから湧いて来やがった!?」
「言い争うだけならまだしも、剣まで持ち出すのは危険だと思いましたので、止めさせていただきました」
ブルエが力強く剣を引いても、ローズに掴まれているのでビクともしない。
直後、ローズが刀身から手を放すと、ブルエは勢い余って後ろによろめいた。
それに対してさらに苛立ったのか、ローズを見据えながら怒号を響かせる。
「てめえには関係ねえことだろ……! 部外者がしゃしゃり出て来てんじゃねえ!」
「確かに今はまだ部外者ですけど、あなたがこの子を傷付けた時点で咎人と冒険者の関係になります。冒険者のお仕事の一つに、町での治安維持活動も含まれていますので、あなたが暴行を加えた瞬間、即時捕縛ののち教会に連行します」
「……」
ローズが冒険者だとわかったからだろうか、ブルエは剣を引いてくれた。
傍でそれを見ていて、僕は大きく胸を撫で下ろす。
これ以上事態が悪化しそうになくてよかった。
ローズはフランさんを庇いながら、続けてブルエの説得を試みようとする。
「そちら側にも事情はあるんでしょうけど、こんなに非力な女の子に剣を振るうだなんて、頭に血が上ったとは言ってもやりすぎですよ。少しは落ち着いて話し合いをしましょう」
「はっ? 何言ってんだてめえ?」
……マズい。
何やらややこしい話になりそうだと思った僕は、すかさずその会話に割り込んだ。
「と、とにかく! 暴力はやめておきましょうってことです! 差し出がましいことを言うようで申し訳ないんですけど、この子を雇い入れたのはここの工房長さんなんですよね? でしたら解雇するかどうかは、やはりその方にご相談してからの方がいいと思うんですけど……」
またぞろ関係ない僕が飛び込んで来たからだろうか、ブルエは見るからに怒気を募らせた。
しかし怒りに任せて叫び散らすようなことはなく、彼は落ち着いた口調で返してくる。
「あの“ババア”にはいくら言ったところで無意味なんだよ。こいつを辞めさせる気なんかさらさらねえからな」
「……こ、工房長さんは女性の方だったんですね」
「あのババアも、この鈍間に才能がねえことなんか最初からわかってるはずだ。なのに善人ぶりたいのか無駄に工房に引き入れやがって……! だから俺が代わりに引導を渡してやる。いくら夢見たところで、理想だけじゃ客を取ることなんてできねえんだよ! まともに客呼べるようなら工房に置いてやってもいいが、その腕じゃまともに商売できねえだろ」
「……」
フランさんは再び叱責を受けて、落ち込むように肩を落とす。
ブルエはさらにフランさんを追い込むように、脅しにも似た台詞を口にした。
「それに直にあのババアもくたばるだろうからな。正式に俺がここの工房長になるのも時間の問題だ。そうしたら真っ先にてめえを工房から追い出してやる。どの道てめえに居場所はねえよフラン。……いいや、フラックス・ラン」
「フラックス?」
不意にブルエの口からこぼれたフルネームに、僕は思わずハッと息を飲んだ。
フラックス・ラン。
それは聞いたばかり……いや、見たばかりの名前だった。
フランはただの愛称ってことなのか?
僕は驚きながら、後ろにいるフランさんの方を振り返る。
「君の本名は、フラックスって言うの?」
「は、はい。そうですけど……」
「それじゃあ西区の武器屋で売られてるボロボロのあの剣。銘切りが『フラックス』になってたけど、もしかして君が……?」
「前に一度、別の工房で打ったものを、生活費のために武器屋に売ったことはあります。ほとんど値は付きませんでしたけど……」
僕はすかさず、足元に転がっているフランさんが打ったという剣を拾い上げる。
お世辞にも出来がいいとは言えないボロボロのその剣を、改めてじっと見つめて、僕は静かに微笑んだ。
確かにこれは、誰がどう見ても不出来な剣にしか見えないな。
僕もパッと見ただけではそうとしか思わなかったし。
でも……
「…………いい剣だ」
「えっ?」
直後、僕は剣に向けていた視線を、フランさんの方に移す。
申し訳ないとは思いながらも、フランさんの頭上に目を凝らして、僕は疑念を確信に変えた。
「フランさんに依頼をお願いします」
「はっ!?」
「僕の仲間たちの武器製作を、フランさんにお願いしたいと思います。これならまだ、この工房にいても文句は言われないんじゃないんですか?」
「……」
先ほどブルエ自身が言ったことだ。
客を取れる腕があるなら、工房に置いてやってもいいと。
だから客である僕からの指名があった以上、フランさんを無理矢理に辞めさせることはできないはず。
僕のその提案に、周囲の鍛治師たちは驚いたようにどよめいていた。
同じようにブルエも自分の耳を疑うように、目を大きく見開いて掠れ声をこぼす。
「正気かよてめえ……?」
「はい」
「この俺がいる工房で、フランの方に依頼を出すだと……! 俺よりもこいつの腕の方がいいっていうのかよ!」
「確かにあなたの持ってるその剣も、かなりの業物だとは思います。けど僕はフランさんの打った剣の方に強く惹かれました。武器製作の依頼は、是非フランさんに引き受けていただきたいと思います」
「――ッ!」
ブルエは悔しそうに唇を噛み締める。
公衆の面前で恥をかかされて、自尊心を傷付けられたような気持ちになったのではないだろうか。
多くの鍛治師たちの前で、自分より劣っていると思うフランさんに客が流れてしまったのだから。
するとブルエは、瞼を伏せたまま、憤怒を滲ませた声を小さく漏らした。
「ハッ、そこまで言うなら証明してみろよ。俺の剣よりそいつの打った剣の方が上等な品だってことをな……!」
「……?」
「三週間後にパーライトの町で、武器防具を専門にした“競売会”が開かれる。この辺りの鍛治師にとっての晴れ舞台だ。そこにてめえも出品しろ、フラン」