第七十二話 「なまくらの打ち手」
怒鳴り声が上がったのは、二つ隣の工房からだった。
皆が視線を向ける先に、僕たちも自然と目をやる。
その工房の入口では、一人の小柄な少女が、道に投げ出されるようにして倒れているのが見えた。
亜麻色のミディアムヘア。淡褐色の丸い瞳。
額には職人らしく保護用の眼鏡を掛けている。
しかし容姿は職人のような強面感はなく、どちらかと言うと田舎村で麦畑の手伝いをしていそうな大人しげな少女だった。
「んっ?」
その“少女”を見て一瞬違和感を抱くが、とりあえずそれは頭の片隅に追いやっておく。
直後、一人の男性が工房から出てきて、何かしらの荷物を少女の隣に放った。
おそらく少女の荷物だろうか、『それを持って出て行け』ということを暗示しているように見える。
「お、お願いします……! ボクはまだ、工房を出て行きたくありません。ここに置いてください……!」
少女は急いで荷物を拾い上げると、青年に対して深く頭を下げた。
しかし青年は額に青筋を立てながら拒絶する。
「ふざけんじゃねえ。てめえの不出来にはもううんざりなんだよ。雑用すらまともにこなせねえで工房に置いとくはずねえだろうが」
「つ、次はちゃんとやりますから……! 雑用でもなんでも引き受けます! ですから、ボクをここにいさせてください……!」
少女の誠心誠意の懇願は、青年に一蹴されていた。
それでもめげずに頭を下げ続ける少女を見て、僕の隣の青年鍛治師が呟く。
「とうとう追い出されてしまったか……」
「……?」
どういう意味だろうかと首を傾げると、その疑問を感じ取ったように青年は話してくれた。
「あの子はフランと言って、あそこの工房で雑用係をやらされているんです。どこの工房にも入れてもらえなかったところを、あそこの工房長が見兼ねて、見習い鍛治師として引き受けたんですけど……」
青年は同情するような眼差しで少女を見る。
「工房長はお体が弱いこともあって、ついひと月前に治療院に入院してしまい、代わりにあの男……ブルエが工房長代理になったんです。ブルエは工房長の息子ということもあって、元からあそこで横暴を繰り返している男で、特にフランに対しての叱責や乱暴は目に余るものがあって……」
「あんな感じにですか?」
「はい。工房長代理になってからはますます素行もひどくなって、他の鍛治師ともよくトラブルを起こしています。ですから私たちからも苦言を申してはいるんですけど……」
「……見る限りそれは効いてなさそうですね」
いまだにフランと呼ばれた少女は、ブルエに頭を下げ続けて、対してブルエは聞くに耐えない罵詈雑言を彼女に浴びせている。
とても工房を任せられるような人格者ではないように見える。
「どうしてそんな人が工房長代理に選ばれたんですか? 他に適任者がいそうな気がするんですけど」
「工房長の息子だから、というのが大きな要因ではありますけど、何よりブルエは鍛治師としての才覚も本物ですからね。おそらくこの辺りで勝てる鍛治師は、それこそ現工房長だけではないでしょうか」
あそこまで性格の尖った人物の割に、鍛治の腕は確かなのか。
だとしたらこの工業区で横暴の数々を働いているのも頷ける。
なまじ実力がある分、誰も強く言い返すことができないのだ。
そして唯一彼に優っていた工房長も、今や入院中の身となって、ブルエはこの場の長にでもなった気分なのではないだろうか。
そんな奴が指揮している工房に、無理にいる必要もないと思う。
「他の工房で受け入れてもらうことはできないんでしょうか? あそこでなくても鍛治師はできると思うんですけど……」
「それは難しいと思います。ただでさえ鍛治師志望の駆け出したちが多いこの町で、工房の数にも限りがありますからね。さらに工房に入っても熾烈な競争がありますから、あの子の腕ではろくに道具も触らせてもらえないかと」
……なるほど。
つまりあそこの工房に入れてもらえたのが、そもそも奇跡みたいなものだったということか。
工房長さんが情けを掛けていなかったら、今頃どこにも入れてもらえていなかったのではないだろうか。
だから必死にあの工房に戻ろうとしている。
すると不意に青年が申し訳なさそうに続けた。
「うちにもよく『入れてほしい』と頼みに来ていましたけど、抱えている見習い鍛治師も多くてとってあげられなくて……。それなりの腕があれば鍛治工程の一部を任せることもできるんですけど……」
まるでそれを合図にするかのように、ブルエが痺れを切らした。
彼は一度工房の奥に引っ込むと、何かを持って再びフランさんの前に戻る。
ゴミクズのように投げ捨てられたそれは、とても武器とは呼べないような刃こぼれのひどい“剣”だった。
「前に一度、仕方なく一本打たせてやったらこれじゃねえか! 野菜の一つも切れねえなまくらなんか作りやがって……! てめえに鍛治師の才能はねえよ!」
「……」
フランさんは見るからに落ち込んで、瞼を伏せてしまう。
やがて工房の中の他の鍛治師が、二人のやり取りを見兼ねたのか助け舟を出そうとした。
「お、おいブルエ、もうそのくらいにしておいてやれよ。ちょっとミスしただけじゃねえか。鍛治の腕だったらこれから少しずつ上達していけばいいし、それに工房長の意向も聞かずに勝手なことは……」
「あっ? てめえも俺に口答えすんのか? 今の工房長はこの俺だ。この俺のやり方に納得できねえんだったらてめえも出て行けよ」
「……」
脅しにも聞こえるその言葉を受けて、その人は何も返せずに奥に引っ込んでしまう。
いよいよフランさんを助ける人がいなくなり、ブルエは決定的な一言を彼女に告げた。
「死んだ父親のために鍛治師になりてえのか知らねえが、てめえが打つだけ資材の無駄になるんだよ。所詮てめえも志し半ばで死んだ無能の父親と同じだってことだ」
その言葉に、フランさんは俯けていた瞼をピクリと動かす。
目の端に微かな涙を滲ませながら、その台詞は聞き捨てならないと言わんばかりにブルエに返した。
「……こ、これから少しずつ、勉強していきます。それで、いつかはきっと、立派な鍛治師になって一番の業物を打ってみせます。だからボクは、ここでやめるわけにはいかないんです……!」
確固たる意思でその場に佇む亜麻色の髪の少女。
いくら叱責を重ねても揺るがない決意を前に、ブルエは大きな舌打ちをこぼした。
やがて怒りのままに動き出す。
「てめえみてえな才能無しが、軽々しく“業物”とか言ってんじゃねえ。本当の業物ってのを知らねえなら、特別にその体に教えてやるよ……!」
ブルエは工房の展示品の長剣に手を掛けて、それを勢いのままに抜刀する。
ギラリと刀身を光らせた奴は、あろうことかフランさんの左腕を目掛けて長剣を振るった。
体を直接傷付けるつもりはなく、服を僅かに切り裂いて脅すつもりなのは見て取れる。
しかし一歩間違えれば大惨事になる、怒りに任せた危険な一撃を放った。
「これが俺の打った、本当の業物だァ!!!」
「――っ!」
重い風切り音と共に、鋼の刃がフランさんを襲った。
ガンッ!
「…………はっ?」
と、思いきや――
僕の隣にいたはずのローズが、いつの間にか二人の間に入り……
“素手”で長剣を受け止めていた。
「少し、やりすぎではないでしょうか」