第六十七話 「我が家」
継承戦は、すでに終わっていた。
勝者はネモフィラさん。
どうやらローズが全速力でキクさんを送り届けてくれたおかげで、クロッカスの思惑を阻むことができたらしい。
弱体化の魔法道具から解放されたネモフィラさんは、圧倒的な実力を見せてクロッカスを撃破した。
見物人たちもその光景を見ていて、彼女の本領に心底驚いた様子を見せていたとのこと。
ということを、再会したキクさんから教えてもらった。
間に合って本当によかったと思う。
その後、ネモフィラさんとキクさんの証言、それから魔法道具という何よりの動かぬ証拠により、クロッカスの悪事が露見した。
僕が駆けつけた頃には、顔をパンパンに腫らしたクロッカスが、中庭で大勢の人間たちから糾弾されていた。
これから具体的にクロッカスの裏を調べて、洗いざらいに悪事を明らかにするらしい。
そのため彼の処罰は、追々決めていくとのことだ。
そんな形で後味悪く、継承戦の二日目を終えると、クレマチス様が皆の前で宣言した。
『私は大病を患っており、余命幾許もない状態だと宣告されております。そのため私は王位継承戦を辞退させていただき、継承戦の勝者はこちらにおります第三王女のネモフィラとなります』
次いで彼女は国王のカプシーヌ様と視線を交わし、さらに続ける。
『よって本日をもって継承戦は終了となります。お集まりいただいた関係者の皆様には突然のご連絡になってしまって申し訳ございません。代わりに明日は、ささやかながらの午餐会と式典を予定しておりますので、是非ご参加いただけますと幸いです』
クレマチス様のその台詞が、継承戦の終了を告げる合図となった。
当然、その場にいた見物人全員が、ぽかんとした顔で固まっていた。
同じように傍らで話を聞いていたクロッカスは、目と口をこれでもかというくらい大きく開いて、驚愕をあらわにしていた。
クレマチス様が棄権するとは知らず、ましてや余命僅かであることなどこの場で初めて聞いたのだろう。
余計な異議など唱えなければ、継承戦を経ずとも勝手に継承順位一位になれたはずなのに。
奴は心の底から後悔するように深く項垂れていた。
以上が、継承戦の事の顛末である。
そんな継承戦から、早くも二週間が経過した。
僕は長仕事の疲れを癒すように、今は自宅でのんびりと過ごしている。
やっぱ我が家が最高だ。
過去に例を見ない長期仕事の後なので、一層安らぎの時間が愛おしく感じる。
そしてちょうどコスモスも遊びに来て、継承戦のことを聞かれたので、茶話の一つとして事の顛末を聞かせることにした。
「なるほどね。それで見事、第三王女様を王様に大出世させたあんたは、王家の人たちから絶賛の嵐を受けて、色々と美味しい思いを味わって来ましたと……めでたしめでたし」
「……話聞いてた? ものすごく苦労したって話をしてたんだけど。それに美味しい思いもそんなに味わってないよ」
決めつけもいいところだ。
ていうかネモフィラさんはまだ王様になったわけじゃない。
継承戦はあくまで継承順位を再確定させただけなので、正式な譲位はまだ先の話だそうだ。
だから僕も、ネモフィラさんを大出世させたような感覚はほとんどない。
……てかなんだろう? コスモスが心なしか不機嫌そうな気がする。
お土産とか買うの忘れちゃったからだろうか?
「それにしても、ここに戻って来たのが一週間前ってことは、随分と早くヒューマスの町に帰って来てたのね。継承戦の後もしばらくは王都に滞在するものだと思ってたけど」
「ネモフィラさんやクレマチス様からも、今回の件で色々とお礼をしたいって言ってもらってさ。王城への長期滞在も許されてはいたんだよ。だけど二人とも色々と忙しそうだったし、邪魔したくないから全部断って帰って来たんだ。僕にも育て屋があったし」
だからコスモスが考えているような美味しい思いは、あまり味わえていないと思う。
思えば継承戦の後の午餐会にもほとんど参加できなかったな。
第一王子のクロッカスの悪事が露見したばかりだったから、色々と証言をするためにその日は別室に缶詰めになっていた。
ローズとキクさんも一緒に。
まあ、あの午餐会はあくまで見物に来ていた上流階級の人たちのために催されたものだからね。
それにお礼だったらもうちゃんともらっている。育て屋としての報酬を。
だから改めて何かをもらったり、参会を用意してもらう覚えはないということだ。
「何より王城の客室だと、豪華すぎてあんまり落ち着かなくてさ。早くうちに帰りたいっていう気持ちもあったんだよね。やっぱり我が家が一番だよ。王城に招かれた“ローズ”も『そわそわします』って言ってたし」
「……」
あははと笑いながら正直なことを吐露すると、コスモスは不意に黒目を細めた。
ジトッとした目でこちらを見つめ始めた彼女は、おもむろに対面の椅子から下りる。
そしてなぜか僕が座っている真後ろまで回り込んで来ると、後方から僕の銀髪をガシッと掴んで、まるで掻き乱すかのように……
ワシャワシャワシャ!!!
「な、なになになにっ!?」
「なんで私には何の連絡もしなかったのよッ!」
という不満の声を上げながら、コスモスは僕の銀髪を掻き乱してきた。
そうしてひとしきりワシャワシャすると、彼女は疲れた様子で椅子まで戻っていく。
僕の頭は、ひどい寝起きのようにボサッとなっていた。
「……あの、どういうことですかこれ?」
「どうしてピンチの時に私じゃなくて、“あの子”にしか連絡しなかったのって言ってるの!」
あの子。
それがローズのことを指しているのは言われずともわかった。
どうやらコスモスは、キクさんが攫われたあの時に、僕がローズにしか助けを求めなかったことが納得いかないらしい。
先ほどから若干の不機嫌さが垣間見えていたのはそれが原因か。
「私じゃ、そんなに頼りなかったかしら……」
「べ、別にローズとコスモスを比べたってわけじゃないぞ。あの状況ですぐに来られるのがローズくらいしかいないと思ったから、あの子に連絡したってだけだ。仮にコスモスに応援を頼んでても、数時間でヒューマスから王都まで走って来られたか?」
「……うぅ、それは絶対に無理ってわかってるんだけど、なんかすごく納得いかないのよぉぉ」
コスモスは理不尽な理由で唸り声を漏らしている。
たぶん、自分が除け者にされたような気分になっているのだろう。
コスモスには一切の連絡も寄越さなかったからね。
やろうと思えば途中でコスモスを拾ってもらって、彼女を背負ったままローズが走って来ることもできただろうけど、その一手間すら惜しい状況だったから。
だから別に、コスモスが頼りないと言っているわけではない。
「コスモスだって充分に強いと思ってるよ。それこそローズと同じくらい、すごく頼もしい存在だって思ってる」
「……そ、そう? だったら別に、それでいいんだけどさ」
正直に気持ちを伝えると、コスモスは満更でもなさそうに頬をニヤつかせた。
それで機嫌を直してくれたのか、どこか満足げな様子でお茶を飲み干す。
そしてそろそろ冒険者ギルドに行くようで、彼女は支度を整えて玄関へと向かった。
「じゃあ、今度はちゃんと私にも頼んなさいよね。私だってあんたに強くしてもらったんだし、色々と恩返しもしたいって思ってるんだから。どんな相手だって一撃で倒してあげるわよ」
「……う、うん。それはまた今度ね」
その言葉は頼もしい限りではあったが、コスモスが本気を出したら色々と弊害がありそうだ。
声を掛ける機会は慎重に選ぼう、なんて考えていると、扉を開けて出て行ったはずのコスモスが、僅かな隙間から顔を覗かせた。
「…………あと、髪ワシャってやってごめん」
取り乱したことをささやかに謝罪した彼女は、それを最後に扉を閉めた。
……色々と忙しい奴だ。
コスモスの相変わらずの様子に当てられて、改めて僕は我が家に帰って来たのだと実感する。
長いようで短かった、ネモフィラさんからの育成依頼。
まさか僕が王女様から依頼を受けて、王様になる手伝いをすることになるとはまったく思わなかった。
一つの依頼を終えたことで、いつものあの達成感がじわじわと込み上げてくる。
同時にいつもは感じない、虚無感にも似た寂しさを僕は味わっていた。
「……」
ローズやコスモスと違って、ネモフィラさんが遠い存在の人になってしまったからだろうか。
将来、一国を背負って国民を先導する次期国王様。
できれば今日のコスモスみたいに、何気なく育て屋さんに遊びに来てくれたら嬉しいのだが。
それはとても難しいものになってしまった。
改めて寂しさを滲ませながら、テーブルを片付けていると……
コンコンコンッ。
「んっ?」
不意に玄関の扉が叩かれた。
僕は思わず首を傾げる。
「忘れ物でもしたのかな……?」
コスモスが何かを忘れてやって来たのだと思って、僕は急いで玄関に駆け寄った。
それらしい物は見当たらなかったので不思議に思ったが、とりあえず扉を開けてみる。
するとそこには……
「…………えっ?」
コスモス……ではなく。
彼女の小さな姿とは正反対に、巨大な人影がそびえ立っていた。
徐々に目線を上げてその人影を見上げると、目に馴染んだ鮮やかな青髪が視界に飛び込んできた。
「久しぶり、ロゼ」
「……」
コンポスト王国次期国王、ネモフィラ・アミックスさんがそこにはいた。
……本当に遊びに来てくれた。