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第六十四話 「手繰り寄せた奇跡」


 お世辞にも素早いとは言えない一撃。

 当然そんなものはクロッカスに容易く躱されてしまう。

 しかしめげずに追撃に向かうと、今度は近寄らせてもくれなかった。


「【風刃(スパーダ)】」


 クロッカスが右手を構えると、そこに嵌められた多くの装飾品のうち、緑色の指輪が怪しく光る。

 瞬間、どこからか一陣の烈風が吹き抜けて、ネモフィラの肉体を鋭く切り裂いた。


「……っ!」


 腕や脚に切り傷を刻まれたネモフィラは、声にならない声を漏らして後ろによろめく。

 傷は深いというわけではない。

 紙で指を深めに切ったくらいの軽傷だ。

 でも……


(…………痛い!)


 涙が滲むほど痛かった。

 久々に味わう確かな“痛み”。

 ロゼに強くしてもらってからは、類稀なる恩恵値の高さによって痛みなんてほとんど感じてこなかった。

 それだけではなく、これまでネモフィラは痛みとは無縁の生活を送ってきた。

 いつも誰かが守ってくれていたから。

 だから涙が出るほどの激痛を感じるのは、幼い頃に盛大に転んでしまった以来かもしれない。

 ただの擦り傷で悶えていると、その姿を見たクロッカスが笑みを堪えるように口許に手を当てていた。


「随分と苦しそうだなネモフィラ。継承戦はまだ始まったばかりだぞ」


「ぐっ……!」


 先日の一回戦で驚異の戦いぶりを見せたネモフィラが、たった一撃で苦しめられている。

 そこに不審さを抱く者はほとんどおらず、多くの観客たちが揃って感嘆の声を上げていた。


「昨日、あのヒイラギ様を圧倒したネモフィラ様が……」


「たった一撃で、あれほどの傷を……!」


 一方で、姉のクレマチスや国王のカプシーヌは、一瞬だけ眉を寄せる。

 あの聡明なクレマチスが、自分の異変に気が付いていないわけがない。

 しかし決闘が始まった手前、無理に横槍を入れてくることはなかった。

 こちらとしてもクレマチスに気付かれた時点で、他言したと見做される可能性もある。

 誰にも異変に気付かれずに、目の前のクロッカスに勝たなくてはいけないのだ。


「……っ!」


 ネモフィラは涙を振り払って、同時に弱気な心を捨て去る。

 次いで剣を持った右手を前に出して、心の中で唱えた。

 手痛いダメージは負った。でもこのおかげで、“あれ”の発動条件を満たした。


(【判定(ジャッジメント)】――【不敬罪(ネメシス)】!)


 こちらを攻撃してきた者に、衰弱の呪いを掛ける反撃の力。

 その条件を満たしたクロッカスに、姫騎士のそのスキルを発動させた。

 だが……


「…………なんだその手は? 何も起きていないぞ?」


「――っ!?」


 スキルが、発動しない?

 起動した手応えをまったく感じなかった。

 条件を満たしているはずなのに、なぜ『判定(ジャッジメント)』が機能しないのだろうか。


「もしかして、スキルも……?」


 恩恵だけじゃない。

 誘拐犯に渡されたこの指輪には、スキルも封じる効果が宿されていたのだ。

 僅かばかりだが恩恵の力が生きているので、スキルはなんとか発動できると思ったのだが。


「【炎爪(バンネール)】」


 想定外の事態に立ち尽くしていると、目の前から三つの炎が、地面を走るように迫ってきた。

 獣が地面を引っ掻くような軌跡を描いて、真っ赤な炎がうねる。

 ネモフィラは咄嗟に大盾を構えて、火炎の鉤爪を受け止めた。


「……つっ!」


 あまりの衝撃に吹き飛ばされそうになってしまう。

 それを堪えることはできたが、盾の向こう側から熱が回り込んできて、ネモフィラの肌身を焼いてきた。

 猛烈に熱い。

 本来の頑強値さえあれば“ぬるい”程度にしか感じないトロ火も、今のネモフィラには凶悪な火炎に見えてしまった。


「いったいどうしたというのだネモフィラ? 昨日はあれだけ観客を湧かせていたというのに、ヒイラギに勝ったのもまさか偶然だったのか?」


「……」


 盾を退けて前を見ると、クロッカスが憎らしい笑みをその頬に浮かべていた。


「田舎町に引っ込んで力を付けたと聞いたが、やはりネモフィラは王の器には相応しくなかったようだな。結果もすでに見えているじゃないか」


「……そんなの、やってみなきゃわからない」


「わかるさ。実力だけの話ではない。私とネモフィラではそもそもの志しが違いすぎる。君が王になりたいと思う理由は何かな?」


 まるで、皆の前で発表してみろと言わんばかりの挑発である。

 それに乗ってやる義理はまったくなかったが、自分の夢を否定されたみたいでネモフィラは意地になった。


「従者のキクのため。キクの願いを、叶えてあげるため……」


「なるほどなるほど。確かにそれは殊勝な心掛けだ。従者を持つ主人の鑑だと言っていい。だが、一国を治めるべき王としては……あまりにも“幼稚”すぎる」


「……」


 クロッカスはまるで心のこもっていない拍手を何度か繰り返すと、観客たちがいる二階席に顔を向けた。

 そして志しを示す機会として、大腕を広げながらここぞとばかりに大声を上げた。


「国王とは! 一つの国を背負って国民を牽引していかなければならない存在だ! それだというのにたった一人の従者にうつつを抜かす王がいったいどこにいるというのか!」


 傍らでそれを聞くネモフィラは、密かに歯を食いしばる。

 夢を否定されて怒りを抱いたのもそうだが、クロッカスの言い分にどこか説得力を感じてしまった。

 それがこの上なく……悔しい。


「しかし私ならばこの国を正しい未来に導くことができる! たった一人の従者のためではなく、国民一人一人が抱えている不安や問題を取り払い、コンポスト王国に輝かしい光を灯すと約束しよう!」


 簡易的な演説に、観客の貴族たちがまばらに拍手を起こしていた。

 それを背中に受けながら、クロッカスはこちらを振り向き、再びいやらしい笑みを向けてくる。

 すべて、この男の思い通りの展開。

 こちらがいくら力を付けたところで、奴の前では無力にも等しい。

 これまでの頑張りが、すべて無駄だと言われているみたいだった。

 キクのために王様を目指したことも、ロゼに強くしてもらったことも。

 すべて無駄だと……


「この国を照らす力があることを、今ここで証明してみせよう!」


 クロッカスが右手の青指輪を光らせて、魔法を発動させた。


「【水槍(トライデント)】!」


 奴の頭上に魔法陣が展開されて、そこから水の大槍が飛来してくる。

 ネモフィラは咄嗟に横に飛び、間一髪のところで槍を躱した。

 クロッカスは続け様に、左手の紫色の指輪を光らせる。


「【紫雷(ヴァイダー)】!」


 あらゆる物体を魔法の触媒として活用する『触媒師』の力を、これでもかというくらい押し出してきた。

 弱っているこちらを利用して、可能な限り観客たちに実力を見せつけるらしい。

 今の自分でも紙一重で避けられるほどの、あるいは意識を失わずに受け止め切れるくらいの魔法しか使ってこなかった。

 手の平で踊らされているのがわかる。奴が企画した演劇のやられ役にされているのがわかる。

 自分はあの男を輝かせるための道具にされているのだ。


(…………それ、なら)


 それなら、その余裕が生み出す隙を……


「――っ!」


 こちらは遠慮なく突くだけだ。

 ネモフィラは鋭く息を吐いて、クロッカスに急接近した。

 スキルが使えないのなら、自分に残されているのはこの手に持った剣と盾のみ。

 心許ない装備ではあるが、奴の慢心を突くことができれば“勝機”はある。

 咄嗟な接近を試みると、当然クロッカスはそれに対応してきた。


「魔法の合わせ技だ。滅多に見られるものではないぞ」


 奴の右手に付けられた指輪が、二つ同時に光を放つ。


「【風刃(スパーダ)】! 【炎爪(バンネール)】!」


 瞬間、猛烈な熱を持った風が、壁になるようにしてクロッカスの前に吹き荒れた。

 進路を塞がれたネモフィラは、思わず足を止めて歯噛みする。

 鋭く、熱い、熱風の大壁。

 これでは先に進めない。

 下手に突っ込めば四肢を裂かれて、全身を焼かれてしまう。

 熱風の向こうで、クロッカスがニヤけているのが目に映った。


(…………もう、嫌)


 嫌だ。もう嫌だ。

 痛いのは嫌。熱いのは嫌。苦しいのは嫌。

 違う、そんなことではない。




 奴の思い通りになるのだけは…………もう絶対に嫌だ!




 ネモフィラは、熱風の壁に突っ込んだ。


「なっ――!?」


 ここで初めて、クロッカスの笑みが崩れた。

 ネモフィラは大盾を構えながら熱風に飛び込み、その壁を無理矢理にこじ開けようとした。


「くっ……うぅ!」


 痛い、熱い、苦しい。

 常人ではとても耐えることができない分厚い壁だ。

 でも、大丈夫。

 キクに渡された大盾が、立派に役目を果たしていた。


(キクが、守ってくれてる……!)


 ネモフィラの肉体はすでに限界に近かった。

 だが、高品質の大盾によって、ある程度の熱と風を防ぐことができていた。

 その盾を前に押し出しながら、熱風の壁を突き進んでいく。

 目の前の男に、意地でも食らいつくために。


 手足が千切れたとしても……


 骨身を焼き尽くされたとしても……


 大切な夢を馬鹿にされたとしても……




「…………私は、勝つんだ!」




 ネモフィラは、高熱と風刃の壁を突破した。


「――っ!?」


 すぐ目の前にいるクロッカスが、驚愕したように目を見開いた。

 こちらが壁を越えてくるとは、まったく予想していなかった表情。

 奴の余裕と慢心が生み出した、またとない一瞬の“隙”。

 ネモフィラは意地だけで、この奇跡を手繰り寄せたのだ。


(勝つのは、私だ――!)


 力一杯に剣を握り締めたネモフィラは、声にならない叫びと共に刃を振り上げた。

 入るっ!

 そう思った、その刹那――


 クロッカスの、ドス黒い囁きが、ネモフィラの耳を打った。


「いいのか?」


「……っ!?」


 ネモフィラは見張った瞳で確かに見る。

 クロッカスの右手で、“キクの髪飾り”がささやかに光った。

 瞬間、ネモフィラの心臓が高鳴り、時が止まったように体が固まる。

 もしここで剣を振り下ろしたら、キクが……


「【風刃(スパーダ)】!」


「――っ!」


 その動揺を突くように、クロッカスが突風を吹かせた。

 刃のように鋭い風に襲われて、ネモフィラは傷だらけになって後方に吹き飛ぶ。

 耐えがたい痛みに悶えていると、クロッカスが邪悪な笑い声を響かせた。


「ハハッ! 甘いんだよネモフィラッ!!!」


「……」


 手繰り寄せた奇跡の糸が、音を立てて切れたのが聞こえた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 次期国王候補にハズレしかいないから、この国はいずれ滅ぶんじゃない?
[一言] 次回で決着かな?正直こいつには3話保たせる魅力は無いね。 確かに次男の方がまだずっとマシ
[一言] マジ死んでほしい
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