第六十三話 「閉ざされた出口」
キクさんは、突然現れた僕を見て、口を開けて固まっていた。
そんな彼女の衣服は泥まみれになり、顔や体は傷だらけになっている。
遅くなってしまったことを申し訳なく思っていると、ようやく彼女は声を発した。
「ど、どうやってここに……? 何もないところから、ロゼ様が現れたように見えたのですが……?」
僕は外の敵たちに気付かれないよう、声を落として簡単に説明した。
「支援魔法の『気配遮断』ですよ。姿を薄めることができて、激しい動きをしなければ完全に姿を消したまま行動ができるんです」
「そ、それで突然目の前に……」
キクさんは納得したように頷いた。
この魔法があったから、僕は外の敵にも気付かれずにこの最下層の部屋まで辿り着けたのだ。
ここに倒れている緑髪の男も、キクさんの方に集中していたため小部屋にもこっそりと侵入ができた。
しかし予想以上に多くの兵士が潜んでいたため、ここに来るまでに相当な時間が掛かってしまった。
この地下遺跡そのものも王都から離れた場所にあったし、おまけに見つけづらかった。
キクさんから大方の居場所を聞いていたとはいえ、探し出すのに相当な苦労を強いられた。
「本当に遅くなってしまってごめんなさい。僕がもっと早ければ、こんなことには……」
「い、いえ。来ていただけただけでもとてもありがたいです」
キクさんの手足を拘束していた縄を切り、手を貸して立ち上がらせてあげる。
すると彼女は傍らに倒れている男を見て、心配そうに尋ねてきた。
「い、生きているのですよね? “毒”か何かでしょうか?」
「はい。冒険者として犯罪者集団と戦うことも多かったので、その時に使っていた方法を取らせてもらいました」
僕は右手のナイフを指し示す。
「このナイフには『疫虎』という魔獣の唾液を塗ってあります。それが即効性の神経毒になって、程度によって人を眠らせることができるんです。場合によっては呼吸困難や幻覚作用などを引き起こすこともあるみたいですけど、どうやら大丈夫そうですね」
神眼のスキルで天啓を見た限り、この男は“頑強”の数値があまり高くなかった。
そういった人たちは、毒や呪いに対する抵抗力が弱いので、こうした毒物による無力化が有効だ。
王城に入る際に危険物などの手荷物はすべて預けてしまったが、城を出る時に返してもらっておいてよかった。
「しばらくは起き上がらないと思います。その隙にこっそりと脱出しましょう。キクさんにも『気配遮断』を使って、僕が背負いながら動きますので」
「は、はい。よろしくお願いいたします」
キクさんにも気配遮断を掛けて、彼女を背負ってあげる。
そして静かに扉を開けて、緑髪の男が眠る小部屋を後にした。
現在は最下層にあたる三階層にいる。
周りにはキクさんを監禁していた犯罪者集団。
ここから地上まではかなり時間が掛かるけれど、抜き足差し足でこっそりと脱出する方が安全だ。
もう継承戦まで時間がないので、急ぎたいのは山々だが、そこはぐっと堪えてゆっくりと歩く。
冷や汗を滲ませながら慎重に足を進めて、敵の横を静かに抜けていった。
それをいくらか繰り返して、なんとか僕とキクさんは二階層の開けた空間まで辿り着いた。
……あと少し。
そんな気の緩みを、的確に突くかのように――
「――っ!?」
唐突に後方から刺すような殺気を感じた。
気配遮断が切れることも構わず、僕は咄嗟にその場から飛び退く。
瞬間、僕が立っていた場所に無骨な大剣が叩き下ろされた。
間一髪で直撃を免れて、僕とキクさんは冷や汗を流しながらそちらを見る。
こちらの位置を気取り、的確に大剣を振り下ろして来たのは、先刻にすれ違ったばかりの男性兵士だった。
なんで僕たちがいる場所がわかったんだ? そもそも気配を気取られること自体あり得ないというのに……
「何をそんなに驚いているのですか?」
「……っ!?」
その喋り方に、僕とキクさんは揃って息を飲む。
剣を振り下ろしてきた男は、ゆっくりと顔を上げて、不気味な笑みをこちらに向けて来た。
意味深なその笑みと、独特な雰囲気を感じて、僕は鋭い視線を返す。
「お前、さっきの“緑髪の男”だな」
「ほう、そう思う根拠は?」
「『魂操師』。特定の人物に憑依したり、魔獣の魂を自分の魂と混ぜて能力を模倣する天職、だろ。意識を失う寸前で能力を発動していたんだな」
「……やはり、あなたには色々と見えているみたいですね」
男性兵士はさらに笑みを深めて笑い声を漏らす。
目の前にいるこの兵士は、先ほど僕が倒した緑髪の男だ。
正確には、現在あの男の魂がこの兵士の中に入っている状態である。
あの緑髪の男の天職は『魂操師』と言い、条件を満たした人物に憑依することができる。
また、倒した魔獣の魂を体内に保管して、一度きりに限り、自分の魂と混ぜて能力を模範することができるらしい。
どうやら奴は、僕の毒を受けて意識を失う直前に、仲間の一人に憑依していたみたいだ。
天職を見た時に少し嫌な予感はしたが、なんとも手際のいい奴である。
それにあの状況で咄嗟にその判断ができたのは称賛に値する。
「手心など加えず、容赦なく私を殺しておくべきでしたね。そうすればこうして見つからずに済んだのに」
「生憎、まだ人を殺したことがないもんでね。……ところで、どうして僕たちのいる場所がわかったんだ?」
「簡単なことですよ。地下遺跡を出るには今の通路を通らなければならない。ですのでこの兵士に憑依して、“鼻”を頼りにあなたを待っていたんです。私の体を押さえつけていたあなたには、たっぷりと私の香水の香りが染みついていますからね」
「……ご丁寧にどうも」
確かにさっきから何か臭うと思ったけれど。
まさかあの男の香水が移っていたとは思わなかった。
という説明をわざわざしてくれたのは、勝気からくる余裕があるからだろうか。
「まさか兵士の一人にも気付かれずに部屋までやって来る人物がいるとは思いませんでしたよ。私を倒した手際もお見事です。しかし、この戦いに勝つのは私たちのようですね」
その声を合図にするように、広場の前後の出入り口から大勢の兵士たちが押しかけてきた。
すでに仲間を招集していたらしい。
周囲を敵に囲まれた僕は、キクさんを背負いながらナイフを構える。
「バルダンさん、こいつが侵入者ですか?」
「あぁ、ババアの方は人質として捕らえろ。男の生死は問わない」
直後、さっそく一人の兵士が斬りかかってきた。
僕は背中のキクさんを気遣いながら、その一撃をナイフでいなす。
だが、立て続けに別の奴が大槍を突いてきて、僕は慌てて横に飛んだ。
「【敏捷強化】!」
支援魔法で敏捷力を上げるが、槍の先端が僅かに衣服を掠める。
「くっ……!」
「その方を守りながらどこまで戦えますかね!」
バルダンと呼ばれた男は兵士たちの後方で高笑いを上げながら、翻弄される僕を見て楽しんでいた。
なんとか突破口を見つけて脱出したい。
しかし周囲には何十人もの兵士たちが集まり、武器を構えてこちらを取り囲んでいる。
広場の出入り口もとっくに塞がれてしまった。
こんなところで足止めを食らっている場合ではないのに。
「【筋力強化】! 【耐性強化】!」
こうなったら一人ずつでも、着実に敵の数を減らしていってやる。
そうするしかここを突破する手段はない。
僕は可能な限りの支援魔法を自らに掛けて、襲いかかってくる敵たちにナイフを振るった。
継承戦の開始時刻まで、あと十分。
王城の中庭には、先日と同様、多くの上流階級の人間たちが観客として集まっていた。
昨日の一回戦で周囲を驚愕させたネモフィラは、中庭に立ちながら好奇の視線を集めている。
一方で、目の前に佇む紫髪の長身男は、いやらしい笑みを浮かべてネモフィラを見ていた。
「それではこれより、継承戦二日目、第二回戦を執り行う」
継承戦の審判である国王カプシーヌが宣言すると、周囲の人々が歓声と拍手を響かせた。
それを全身で受けながら、ネモフィラは密かに息を呑む。
先日とはまた違った緊張感。
手の先まで冷たくなっている。
人知れず深い呼吸を繰り返していると、カプシーヌがさらに続けた。
「第一王子のクロッカス、第三王女のネモフィラ、両者は中庭の中央へ」
ネモフィラは緊張感を胸に抱きながら、中庭を歩いていく。
同じく紫髪の長身男――クロッカスも黒いマントを靡かせながら前に出てきた。
短く切り揃えられた紫色の髪。同色の鋭い瞳と左眼の片眼鏡。
長身のこちらよりもさらに僅かに目線が高く、こちらとは違って落ち着いた表情をしている。
こうしてしっかりと対面するのは、なんだか久々に感じる。
「今日は剣と盾を持って来たのだな」
「……」
クロッカスは細い目でこちらの所持品を確認して、意味ありげな笑みを浮かべる。
ネモフィラは現在、恩恵の大部分を封じられているため、ささやかながらの武装をしている。
ゆえに『いったい誰のせいだ』と返したくなるけれど、それよりもネモフィラはしっかりと決まりを守っていることをクロッカスに伝えた。
右手を掲げて、そこに付けた指輪を見せつける。
「これで、いいでしょ」
「……」
誘拐犯の言うことにきちんと従っていることを示すと、クロッカスは僅かに笑みを深めた気がした。
「何のことかなそれは? 随分と趣味のいい指輪を付けているみたいだが、色気付くにはまだ少し早いんじゃないか?」
「……」
当然、奴は惚ける。
自分からは何も指示していないと、いつでも言い逃れができるようにしているのだ。
この指輪のせいで、こちらが今どんな苦しみを味わっているのかも知っているくせに。
体が重たい。胸が苦しい。全身を針で突き刺されているような痛みも感じる。
神様から受けている恩恵を無理矢理に遮断しているせいで、体に何らかの異変が起きているようだ。
気を抜けば、今にでも倒れてしまいそうだった。
(…………でも)
ネモフィラはそれらのすべてを堪えて、力強く剣と大盾を構えた。
たとえこんな状態だとしても、この戦いに勝ってみせる。
指輪を付けたまま勝てば、キクも無事に帰ってきて、国王になるという目的を果たすこともできるから。
何も難しいことはない。むしろ単純明快だ。
戦って、勝てばいい。
「それでは、始め!」
ネモフィラは鉛のように重たい体を動かして、懸命にクロッカスに斬りかかった。