第六十二話 「敬愛」
てっきりこの者たちが普段使っている隠れ家か何かかと思ったけれど。
男の発言からすると、おそらくここはクロッカスかその派閥の人間が用意した監禁場所だろう。
思えば立地的にも都合が良く、設備もとても整っている。
元々こういった場所に目星を付けていて、必要な時に使えるように整備していたのだ。
その証拠はどこにもないが。
「そこまでしてネモフィラお嬢様を陥れたいのですか?」
「いやいや、いったい何のことでしょうかね? 私にそんなことを言われましても返答に窮しますよ」
男は惚けるように微笑を浮かべている。
確定的な証拠は何一つないけれど、これでクロッカスが手を回していない方が不自然だろう。
「あなた方はクロッカス様が手回しした者たちで、お嬢様の力を恐れてこんな回りくどいことをしているのでしょう?」
「……もし第一王子のクロッカス殿のことを仰っているのなら、それは大きな見当違いですよ。私たちの依頼主は別の人間です。その方も他の誰かから依頼を受けた仲介役ですし、本元を探り出すのはほぼほぼ不可能なのではないでしょうか? 大方、彼を支持する派閥の仕業ではないかと」
「……」
そういう言い逃れ方をするのか。
いや、これもクロッカスの仕業か。
仮にこの者たちが捕まったとしても、クロッカスを支持する誰かから依頼を受けたということにすればクロッカスにお咎めはない。
熱心な支持者が勝手に暴れただけ、ということにすれば無罪放免だ。
という契約をクロッカスと結んでいるのだと思われる。
本当にクロッカスを支持する誰かが、陰で暴走しているだけの可能性もあるけれど。
「あなたを連れ去って監禁する目的は定かではありませんが、王都の城内で行われている継承戦に深く関わっているということは知らされていますよ。何やら一回戦では大波乱があったとか」
「……」
いわば一番の泥被りになるはずの男は、それでも余裕の笑みを崩さない。
身なりの良さから相当な金銭を受け取っていて、彼もそれに納得しているといった様子だ。
「どうやらあの病弱で臆病と名高い第三王女のネモフィラ嬢が、第二王子のヒイラギ殿に決闘で勝ったとか? まさに大金星ですよね」
「……耳がお早いのですね。それと王家の情勢についてもお詳しいようで」
「こう見えても一応勤勉なのですよ。一番金の匂いがするのが王家と上流階級ですからね。その辺りの情報は逐一把握するようにはしております」
金という言葉を発した瞬間、奴の頬が一段と緩んだように見えた。
貪欲さの影が垣間見えて、キクは密かに恐ろしい気持ちになる。
自分はただの使用人ではあるが、一応王家の関係者でもある。
そんな者を監禁しているだけでも重罰に当たるというのに、余裕の笑みを崩さない理由がようやくわかった。
底知れない金への欲求。大金さえ手に入れば罪の重さなど関係ないと思っているのだ。
「それにしても意外でしたね。あのネモフィラ嬢が、箱庭師のヒイラギ殿を圧倒できるほど強くなっているとは。お噂では地方の田舎町に武者修行に行っていたと聞きましたが、そこで何かがあったのですかね?」
「……」
緑髪の男はこちらを探るような視線を送ってくる。
どうやら育て屋ロゼについては知られていないようだが、ネモフィラの急成長は怪訝に思っているらしい。
ネモフィラとヒイラギの力関係を知っている者ならば、当然の疑問ではあるが。
キクはただ黙って青年の視線を受け続けていると、やがて彼は諦めたように肩をすくめた。
「……まあそれはいいですか。ともあれここまでの快進撃をしたネモフィラ嬢ですが、その頑張りもここまででしょう。何せ次の相手はあの第一王子のクロッカス殿なんですから」
「……クロッカス様が勝つことを疑っていないのですね」
「当然でしょう。あの方は世界に二人といない希少天職の『触媒師』様ですよ。私は別にあの方の派閥でも支持者でもないですが、実力のほどは数多く耳にしております。たとえネモフィラ嬢がどれほど強くなっていようと関係はありません」
実際に継承戦を見ていないのか、クロッカスの勝利を確信している様子だ。
話に聞いただけではそう思うのも仕方がないだろう。
ネモフィラがどれほど強くなったのかは、先日の戦いを直で見た者しかわからない。
「というか、逆にお聞きしますが、“まさか”あなたはネモフィラ嬢が勝つと思っているのですか?」
「……どういう意味でしょうか?」
「うーん、私の想像力が欠如しているのでしたら申し訳ございません。あの“おつむの足りていない”ネモフィラ嬢に、この国の王様が務まるとはとても思えないのですが?」
「……」
自分の主を侮辱される発言。
キクの胸中に燃えるような何かが灯る。
その気持ちを逆撫でするように、男は嘲笑混じりに続けた。
「誰が国王になるべきかは、私程度の下民ではとても口にすることはできません。ただネモフィラ嬢だけは王たる器ではないと断言できますよ」
「……どうして、でしょうか」
「彼女には知性やカリスマ性をまるで感じない。以前にお姿を拝見させていただきましたが、お噂通りの泣き虫で弱虫のお子様ではないですか」
人知れず小さな拳を握り込むキクの前で、男はさらに続ける。
「愛想の欠片もなく、親族からの期待も薄い。これが一国を統治する王の器だとはとても思えません。誰も彼女が勝つことを望んでいないでしょう。私としても身を置いている国の王が、あのような“デカブツ人形”では恥ずかしくなってしまいますよ」
「……」
犯人を刺激することはしてはいけない。それは頭では理解している。
金のために平気で犯罪行為に手を貸す危険な連中だ。
そんな者たちの戯言など流してしまえばいい。
しかし、敬愛する主人を貶されて、キクは黙っていることができなかった。
「……お嬢様は、負けません」
「……なんですか?」
「お嬢様は、クロッカス様には負けません……! お嬢様こそが、次代のコンポスト王国を牽引するに相応しいお方です……! あなたが仰っていることは間違っております!」
久しく出していなかった叫び声。
よもやこのような場所と状況で出すことになるとは思いもしなかった。
それを聞いた青年は、ピタッと動きを止めて、次第に笑みを消していく。
やがて無表情で椅子から立ち上がり、こちらに近づいてきた。
パンッ!
奴の右手が閃いたかと思うと、自分の左頬に焼けつくような痛みが走った。
「くっ……うっ……!」
「詳しい事情は聞いておりませんが、あなたは継承戦の行方に関わる重要な人物だと伺っております。それをご自分でもわかっているご様子。しかしだからといって、無傷で返してもらえると思っているのなら大間違いですよ」
叩かれた頬の痛みに苦しんでいると、男は座り込んでいる自分と目線を合わせて、顎をぐっと持ち上げてきた。
「あまり騒ぐようなら死なない程度に痛めつけることも許されているのです。だから高を括っての軽率な発言は控えておいた方がいい。負け惜しみがこぼれる気持ちは察しますが、あまり私たちを刺激しないことだ。シワよりも傷が多くなって帰ることになりますよ」
「……」
頬が痛い。
滅多に味わうことのない痛みに、キクは恐怖を覚えて言葉を失くす。
だが、それ以上に主人を侮辱された怒りが、彼女の口を自然と動かした。
「負け惜しみ、などではございません。これは紛れもない事実です」
「……ほう」
「お嬢様こそ、次期国王に最も相応しいお方です。大勢の方々に認めていただける才覚が、あの方にはございます」
「うーん、とてもそのようには見えませんけどね。知性やカリスマ性の話で言えば、クロッカス殿やヒイラギ殿の足元にも及んでいない。下手をすれば、まだ私の方が王の器に近いのではないですか」
緑髪の男はネモフィラを嘲笑うように挑発をしてくる。
これ以上は控えておいた方がいい。そうわかってはいるものの、キクは我知らず言葉を返していた。
「確かにあなたの言うように、知性もカリスマ性も、お嬢様にはまだ足りていないかもしれません。ですが……」
目の前の男を睨みつけて、せめてもの抵抗を試みた。
「品性なら、あなたよりも数段に上かと」
「……どうやら訓練用の木偶になるのがお望みと見えますね」
瞬間、再び鋭い張り手が左頬に飛んできた。
その衝撃で体が横に倒れる。
奴はすかさず立ち上がり、そこに容赦のない蹴りを入れてきた。
一撃のみにとどまらず、顔と腹に何度も痛みが走る。
「こんな目に遭って、あなたも災難でしたね! あんな頭の足りていない主人についてしまったばかりに! こうして痛い目を見ることになったのですから!」
「うっ……ぐっ……!」
絶え間ない痛みに苦しみながら、キクは心の中で首を横に振る。
違う。不幸だなんて思ったことは一度もない。
自分はネモフィラの従者になれてとても幸せだ。
貧民窟上がりのただの使用人が、王女の従者になる。
それ自体に価値があるわけではなく、単純にネモフィラと過ごす毎日を楽しいと思っているのだ。
愛想がないなど言われることも多々あるけれど、あの人の優しさを自分は知っている。
『これ、キクにあげる。この花、好きって言ってたから』
『あんまり、上手じゃないかもだけど、キクの手袋編んでみた。この時季、寒そうにしてたから』
『私が王様になって、貧民窟を助ける。キクに、恩返しがしたいから』
立派な国王になるのに、ネモフィラにはまだまだ足りないものが多いのは事実だが。
彼女は誰よりも他人思いで、優しい心を持っている。
それだけは他の誰にも負けていない。
キクはそんなネモフィラの勝利を、露ほども疑っていなかった。
「わたくしの主人様こそ、次期国王に最も相応しいお方です! あなたは何もわかっておりません!」
「……すでにボケが回っておりましたか。口の減らない老人は痛い目に遭わないとわからないみたいですね」
男は蹴り足を止めて、隣に置いてあった角張った“椅子”を持ち上げる。
そして両腕に力を込めて、それを全力で振り上げた。
……後悔は、していない。
自分は正しいことを言っただけなのだから。
間違っているのは、この男の方だ。
「自身の軽率な発言と愚かさを、心の底から後悔してください!!!」
「――っ!」
痛みを覚悟して、キクは目を閉じた。
刹那――
「お前がな」
見えない誰かの声が、部屋の中に響き渡った。
反射的に目を開くと、緑髪の男が不自然な体勢で固まっているのが見えた。
まるで何かに“取り押さえられている”ような様子。
やがて奴の後方で、陽炎のように景色が歪み、何もない空間から滲み出るように誰かが姿を現した。
素朴な黒いコートと白いシャツを着た、銀色の髪の青年。
「ロ、ロゼ様……!」
驚くキクをよそに、ロゼは緑髪の男を取り押さえながら右手を閃かせる。
左手で男の口を塞ぎつつ、右手のナイフで男の首元を手際よく撫でた。
「……っ! ……っ!!!」
首に“浅い切り傷”を刻まれた男は、椅子を取り落とし、しばらく声を上げようとしてもがいた。
しかしそれもままならず、やがて白目を剥いて静かになる。
直後、完全に意識を失って、力なく地面に倒れてしまった。
何が起きたのかわからずに放心していると、意識を現実に引き戻してくれるように、ロゼが言った。
「お待たせしました、キクさん」