第六十話 「脅迫」
「そ、外に連れ出されてる……?」
その物騒な響きに、僕の背筋は自ずと凍えた。
空気が次第に重くなっていくのを感じながら、僕は辿々しく尋ねる。
「そ、それってもしかして、“誘拐”されてるってことですか? でもなんでキクさんが……」
『おそらくはネモフィラ様に対しての脅迫目的と思われます。その旨の会話を聞き取りましたので』
脅迫。
ネモフィラさんを脅すための交渉材料として、キクさんを連れ去った奴がいるってことか。
だからキクさんはやむを得ず、城の外から遠隔で念話を掛けて来ているのか。
確かにキクさんは、今やネモフィラさんの唯一の弱点とも言える人物だけれど……
「脅迫って、いったい何を要求するつもりなんでしょうか? 別にネモフィラさんはまだ、王様になったってわけでもなくて、今は一人の継承者ってだけなのに……」
『詳しいことはわかっておりません。ただ会話の内容を抜粋すると、次の継承戦で何かしらの“魔法道具”を付けるようにネモフィラ様に脅しをかけるとか。ネモフィラ様が言うことに従えば、わたくしを解放するらしいです』
「……な、なんですかそれ?」
ネモフィラさんに対しての脅迫行為。
しかもその内容がなかなかに歪なものだ。
次の継承戦で何かしらの“魔法道具”を付けるように脅す?
その脅しにいったい何の意味があるというのだろうか?
ていうかどんな魔法道具を付けさせるというのだろう?
ただ、ネモフィラさんがあんな様子になっていた理由が、ようやく理解できた。
誘拐犯の言うことに従わなければ、キクさんの身が危ない。
あの落ち着きのなさは、キクさんのことを心配していたからだったのだ。
すでにキクさんを攫った連中からは、何らかの指示を受けているのだろう。
「どんな魔法道具を、ネモフィラさんに付けさせるつもりなんでしょうか?」
『確か、身体能力を制限するとか、恩恵の効果を封じるとか、そんなことを言っていたと思います』
「……」
ようはネモフィラさんを弱体化させるつもりってことか?
その話が事実ならば、自ずとキクさんを連れ去った連中の素性も想像できる。
ネモフィラさんが弱くなって得をする人物は誰か。
それはもちろん、次の継承戦の対戦相手である“クロッカス”だ。
おそらく先日のネモフィラさんの強さを目の当たりにして、真正面から戦っても勝てないのだと悟ったのだろう。
クロッカス本人か、奴を支持する誰かの差し金だな。
話に聞いたクロッカスの人格からすると、たぶん奴本人の仕業だと思うが。
「……でも、なんでわざわざ魔法道具を付けさせて弱体化させようとしてるんだろう? 『わざと負けろ』とか『棄権しろ』とかならまだわかるんだけど……」
あまりにも不可解な指示に、僕は独りごちながら首を傾げる。
しかしすぐにその真意を悟って、ハッと息を飲んだ。
「……まさか、大勢の前で力を示すために、あえてそんなことを」
ネモフィラさんに棄権されてしまうと、せっかく招いた貴族の人たちに力を示すことができなくなってしまう。
結果的に継承戦に勝利はできても、それが不戦勝や八百長のような形になれば納得しない人も大勢出てくるのではないだろうか。
だからあえて『棄権しろ』と脅したのではなく、『弱体化の魔法道具を付けろ』と指示したのだ。
キクさんを人質にして。
「……もしかしてキクさんは、ネモフィラさんには全力で戦ってほしいから、僕に伝言をお願いしてきたってことですか? 直接彼女に『心配するな』って伝えたら、余計に心配を掛けさせてしまうから……」
『……はい。信頼を置いているロゼ様からのお言葉なら、きっとネモフィラお嬢様も信じてくださると思いましたので。わたくしの身などお気になさらず、お嬢様には国王になっていただきたいのです』
だから僕の方から『キクさんのことは心配無用』と伝えてほしいというわけか。
しかしその事情を聞いてしまい、ますます頷きがたい気持ちになった。
もしネモフィラさんが弱体化の魔法道具を付けずに継承戦に出たら、その時はキクさんの身が危うくなる。
かといって誘拐犯の言うことをずるずると聞いてしまえば、ネモフィラさんが継承戦で苦しい思いをすることになる。
どちらも許すわけにはいかない。なんとしても避けなければならない事態だ。
僕はいったいどうすれば……
「……ネモフィラさんは、どうしてこのことを話してくれなかったんでしょうか?」
『おそらく、そういった指示があったのではないでしょうか。口外した場合は従者の命がないとか』
「……まあ、向こうは完全に継承戦の掟を破っているわけですし、バレたらクロッカス王子が失格扱いになりそうですもんね」
大勢の人間たちにこのことを知られるのを嫌がっているはず。
もしこのことを、あの頼りになるクレマチス様とかに相談できたら、即座に事件を解決してくれそうなんだけどなぁ。
おそらくその辺りも警戒して、口外することを禁じてきたのではないだろうか。
ただ、攫ったキクさんの能力までは知らなかったみたいで、こうして聖歌魔法の念話によって僕には知られたわけだけど。
ならいっそのこと、同じようにしてクレマチス様にもこのことを伝えるというのはどうだろうか?
キクさんの聖歌魔法でクレマチス様に念話を繋げば、誰にも気付かれずに事情を伝えられるし。
クロッカスの不正をクレマチス様に明かして、彼女の判断を仰ぐことにすれば……
「…………いや、それはダメか」
僕は自分の考えにすぐにかぶりを振る。
クレマチス様に伝えるのは非常に危険だ。
キクさんを攫うように指示を出したのは、まず間違いなく第一王子のクロッカス。
そのクロッカスが現状で一番懸念しているのは、この事件を他言されることだろう。
そして最もクロッカスが警戒している人物は、継承戦の指揮をとる国王様か、妹想いのクレマチス様だ。
もしクレマチス様がこの誘拐事件を知って、何かしらの対応をしてくれた場合、即座にクロッカスの警戒の目に触れることになる。
そうなれば最悪、ネモフィラさんが口外したのだと判断されて、キクさんの身が危なくなるじゃないか。
『やはりわたくしのことは構いませんので、どうかネモフィラお嬢様には“心配無用”だとお伝えください。わたくしはあの方の足枷にはなりたくないのです』
「……」
現状で怪しまれずに行動できて、このことを知っている人物。
そんなの一人しかいない。
僕は深く息を吸い込んで、意を決してキクさんに伝えた。
「……僕が助けに行きます」
『えっ?』
「僕はあくまでクレマチス様の客人として客室に呼ばれているだけの身です。ネモフィラさんやキクさんとの関係はクロッカス王子にはバレていないと思います。だから僕が、キクさんを助けに行きます」
念話の向こうでキクさんが驚いているのが伝わってくる。
僕としても自信がないことだから、確実に助けられるとは言い切れないけれど。
でもこれが現状での最善策としか思えない。
「ですからそれまでは、ネモフィラさんには犯人の指示通りに動いてもらって、キクさんの身の安全を確保できたらちゃんと『心配はいらない』と伝えましょう」
『で、ですが、ロゼ様にそこまでのご苦労を掛けさせるわけには……』
キクさんは申し訳なさそうにそう言うが、僕は構わずに彼女に指示を送る。
「それとキクさんも、これ以上は他言するのを控えておいてください。最悪口外したのがクロッカスにバレたら、キクさんの身が危なくなりますから」
『わ、わたくしはそれでも構いません。お嬢様が王様になって、たくさんの人々に認めていただけるようになればそれで……』
「キクさんの安全だけの話じゃありません。これにはネモフィラさんが王様になれるかどうかも深く関わってるんです」
『えっ?』
思いがけない台詞を返されたからか、キクさんは念話の向こうで言葉を失う。
僕はこれだけは確証を持って告げた。
「ネモフィラさんが王様を目指しているのは、キクさんのためでもあるんです。むしろ一番はキクさんのためだとご自分で言ってました。そのキクさんの身に万が一のことがあった場合、彼女は王様を目指す理由を失ってしまいます」
『そ、それは……』
「というかキクさんの身に万が一のことがあった時点で、ネモフィラさんは確実に自分のことを責めて、継承戦どころの話ではなくなると思います。ですからネモフィラさんを王様にしたいと思うのでしたら、それこそ身の安全を確かなものにして、直接『心配はいらない』と伝えてあげましょう」
『……』
そう説得をすると、またもキクさんは黙り込んでしまった。
自分のことで大勢に迷惑を掛けるのは嫌だと思っているのだろう。
しかし僕の言い分にも説得力を感じたようで、深く悩んでいる様子だ。
幼い頃からずっと一緒にいたからこそわかること。
キクさんがネモフィラさんのことを大切に思っているように、ネモフィラさんだってキクさんのことを大切に思っている。
“主人と従者”などと一括りにできるような関係性ではなく、もはや家族以上の絆がこの二人の間にはあるのだ。
だからネモフィラさんを王様にしたいと思うのだったら、キクさんは身を投げ出すことはせず、助かることを第一に考えた方がいい。
やがてキクさんは、僕の説得を受けて気持ちを変えてくれたのか、申し訳なさそうに答えた。
『……わかりました。ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします』
「いいえ、これも言ってしまえば依頼の範疇ですから」
ネモフィラさんを強くして王様にする。
まだネモフィラさんは王様になれていないのだから、そのための助力はさせてもらうとしよう。
とりあえずまずはキクさんの居場所を聞いて、どう動くべきかを決めた方が良さそうだな。
「このまま聖歌魔法で居場所を教えてもらえると助かります。まだしばらくは念話を繋いだままにできますか?」
『それが、あと少しで魔力が尽きてしまいそうで、繋いだままというのは難しくなりそうです』
「……」
もしかしたら犯人たちに場所を移される可能性もあるから、なるべく念話は繋いだままがよかったんだけど。
しかしそれも仕方がない。
「でしたら今いる場所だけでも僕に教えてください。その後は聖歌魔法を切って、有事の際にだけ念話を繋ぐようにしましょう」
『は、はい』
「あっ、それと、魔力に余裕があったらでいいんですけど……」
キクさんに要望を伝えながら、僕は片手間に準備を整えて客室を後にした。