第五十八話 「託された想い」
第一王子クロッカス。
今回の継承戦を開く原因となった人物。
話によれば、時代の移り変わりによる継承制度の変更に不満を持ち、異議を唱えた男だと聞いている。
昔は男子継承制だったのだから、本来王位は自分が継ぐはずだったと。
そんな彼を納得させるために、実力主義的な継承戦で改めて継承順位を定めるという話だったはずだ。
そのクロッカスが国王になることを防ぐために、継承戦に賛同した?
「そ、その言い方だと、まるで“クロッカス様は国王に相応しくない”って意味になるんじゃ……」
恐る恐る尋ねると、クレマチス様は複雑そうな表情で答えた。
「あまり贔屓的なことは言いたくないのだがな。少なくとも私は兄弟の中で、クロッカスが一番国王に相応しくないと思っている」
「ど、どうしてそんなことを……」
優しくて妹想いの人格者であるクレマチス様が、よもやここまで言う人物なんて。
クロッカス・アミックスとは、いったいどんな男なのだろうか。
「昔から相当ずる賢い奴でな、今でも何を考えているのかまったく掴めない男なんだ。そもそも現行の王位継承制度に不満を抱いて、国王に直々に異議を唱えるなど、常人のすることではない」
「まあ、確かに……」
僕もその話を聞いた時は、いくらなんでも我儘すぎではないかと思った。
昔の制度だったら自分が次期国王になるはずだ! なんて横暴な意見にも程がある。
僕の懸念の通り、やはりクロッカスは人格的に問題がある人物のようで、改めてクレマチス様からそれを聞かされて僕は悟った。
「クレマチス様の天命が尽きてしまったら、継承順位第二位のクロッカス様が次期国王になる。だからその前に別の継承者に王位継承権を渡したくて、継承戦に賛同したってことですか?」
「理解が早くて助かるよ」
クレマチス様は頷きながら続けた。
「私の個人的な意見だけで継承権を譲ってしまうと、またぞろクロッカスから不満が出るだろう」
「自分にではなく、なんで他の奴に継承権を渡すんだ! って感じにですよね」
そうなって当然だろう。
クレマチス様が突然、別の人に王位を譲るとなれば、クロッカスは不満を爆発させるはずだ。
継承順位第二位の自分の立場はどうなるのだと。
クレマチス様が王位を放棄するならば、当然第二位の自分が次期国王になるはずだと思うに決まっている。
「だから、奴の方から王位継承に関して申し立てがあった時、絶好の機会だと思ったんだ。奴の異議を受け入れる形で継承戦を開けば、王位継承権を自然に別の者に渡すことができるだろう。継承権の行方は勝敗に左右されてしまうが」
「だからわざわざ、国王のカプシーヌ様とクレマチス様は、クロッカス様の異議を受け入れたってことですか」
どうしてそんな我儘な言い分を受け入れたのだろうかと、ずっと疑問に思っていた。
クロッカスを納得させるためとはいえ、いくらなんでもそいつの我儘を許しすぎじゃないだろうかと。
まさかそんな経緯があったなんて。
「国王である父上は、すでに私の天命のことを承知しているからな。どちらかと言えば父上も、クロッカス反対派なので、継承戦の開催に一役買ってくれたというわけだよ。まあ父上はヒイラギが次期国王になることを本心では望んでいたみたいだが」
「へ、へぇ……」
あのヒイラギに国王になってほしかったんだ。
まあ、これまでの話を聞く限りだと、ネモフィラさんたちのご両親は実力主義的な思考を持っているみたいだし。
人格的に問題があるクロッカスを除けば、ヒイラギが一番理想に近い人物ということになるのか。
あれもあれで性格に問題がありそうだけど。
それに今ではネモフィラさんの方が圧倒的に強くなってしまったので、考えを改めているに違いない。
「私はできれば、第二王女のニゲラか、第三王女のネモフィラに王位を継いでもらいたいと思っていたんだ。だからネモフィラを強くしてくれた君には感謝しているというわけだよ」
「な、なるほど。そう繋がるわけですか」
僕にお礼を言いたいと言った意味がようやく理解できた。
呪いによって短命になってしまったクレマチス様は、クロッカスが次期国王になることを危惧した。
そこで継承戦を執り行うように計らい、ニゲラ様かネモフィラさんに勝ち進んでほしいと思った。
僕はネモフィラさんの成長を手助けしたことで、クレマチス様の計画の一翼を担ったということになるのだ。
「ネモフィラさんはクレマチス様の天命のことをご存知だったんですよね?」
「……うん。クレマチス姉様から教えてもらってた」
「それじゃあ、ネモフィラさんが王様を目指しているのは、キクさんのためだけではなく、クレマチス様のためでもあるってことですか?」
「……そう。一番はキクのためだけど」
……それなら、そのことも一緒に教えてくれたらよかったのに。
まあそれは、クレマチス様から口外しないように言われていたみたいだから仕方ないか。
下手に誰かに話して、天命のことがクロッカスにバレでもしたら最悪だし。
だからおそらくこのことは、ニゲラ様とネモフィラさんくらいにしか話していないだろう。
「天寿を全うする前に、私が“子供を残す”という手もあったが、さすがに時間が足りないと思ってな。仮に子供一人を残して私が去った後、即位したその子が苦労をすることになるのは目に見えていたから、思い切って下の妹たちに託すことにしたんだよ」
そうか、子供を残すという選択肢もあったのか。
ただその場合はクレマチス様が言った通り、新たに国王になったその子が大変な苦労を強いられることになる。
そもそも時間が足りないかもしれないので、結果的にニゲラ様とネモフィラさんに託すことにしたらしい。
そういえば……
「ヒ、ヒイラギ様はダメなんでしょうか? 現国王のカプシーヌ様はヒイラギ様が次期国王になることを望んでいらっしゃるみたいですけど、クレマチス様はどう考えているんですか?」
「まあ、クロッカスよりかはまだマシ、と思っているくらいかな。やはりニゲラとネモフィラに比べると、まだ精神的に未熟な面が見受けられるからな。……ただ、あれはあれで可愛い弟なんだがな」
途端、クレマチス様は思い出し笑いをするように微笑をたたえた。
「いつもあいつがネモフィラをいじめている時に、『私も混ぜてくれ』と言って近づくとビクッと肩を揺らしてな、何かと言い訳をつけて逃げて行ってしまうのだ」
「……それは、なんとなく想像できますね」
「あの小さな体も、実は抱き心地が上質でな。城で見かける度に後ろから忍び寄って捕まえていたら、次第に私の気配を察知するようになって、今ではもう近寄らせてももらえないんだよ。強気な態度に反して、なかなか可愛いところがあるだろう?」
「……」
クレマチス様は随分と楽しそうに深い笑みを浮かべている。
しかし僕は、今の話をあまり穏やかな気持ちで聞くことができなかった。
ヒイラギがクレマチス様を苦手としているような様子は、以前に話した時に感じていた。
その原因は絶対にこれだと思う。
日頃からクレマチス様にいじられていたせいで、きっと苦手意識が根づいてしまったのだ。
あとこれは、僕の考えすぎかもしれないけど……
ヒイラギがネモフィラさんをいじめているのって、クレマチス様がヒイラギをいじっているのがいけないんじゃないのかな?
“長身の女性”に対して恨みを持つようになってしまい、それをネモフィラさんにぶつけているとか。
……まあ、クレマチス様も純粋な兄弟愛でヒイラギに絡んでいるみたいなので、あまりこのことは言及しないようにしよう。
「ともあれ、そのヒイラギもニゲラも継承戦では敗れてしまい、残っているのはネモフィラとクロッカスの二人だけだ。私は最初から勝負を譲るつもりでいるからな、実質明日の第二回戦が”決勝戦”ということになるな」
「……」
改めてそれを聞いて、ネモフィラさんは緊張するように体を強張らせる。
それを和らげてあげるためだろうか、クレマチス様が彼女の肩に手を置いた。
「ネモフィラ、未熟な姉からの勝手な申し出ですまないが、明日の継承戦を応援しているよ。まあ、今のネモフィラの強さなら、あのクロッカスでも手の出しようがないがな。私でさえも勝てるかどうかわからないくらいなのだから」
「……明日は、みんなのためにも、頑張って戦うよ。もしかしたら、姉様と本気で戦っても、私が勝つかもね」
「……言ったなネモフィラぁ」
クレマチス様はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて、ネモフィラさんの脇をくすぐり始めた。
いつも表情の変化が乏しいネモフィラさんも、この時ばかりは頬を緩めて、控えめな笑い声をこぼしていた。