第五十七話 「天命」
ヒイラギが部屋を立ち去った後。
僕たちは再び席についてゆっくりすることにした。
けど、継承戦の最中なので、ネモフィラさんやクレマチス様は何かと忙しいのではないのかと思った。
しかし意外にも二人はやることがないそうで、継承戦の本番まではのんびりできるとのことだ。
招いている貴族の人たちに挨拶とか、本番の準備とか今のうちからしなくていいのかな?
まあ、クレマチス様には少し聞きたいことがあったので、こうして部屋に残ってくれてよかったと思う。
「そういえば、僕と話したいことってなんだったんですか?」
「んっ?」
お茶菓子をつまみながら問いかけると、クレマチス様はお茶カップに落としていた目を上げてこちらを見る。
一瞬彼女は、“何のことかな?”と言いたげに首を傾げかけるけど、すぐにハッと思い出してくれた。
「あぁ、君を王城に招き入れた時に言ったことか。継承戦が終わった後に、改めて言おうと思っていたのだが……まあ今でも問題はないか」
クレマチス様はお茶のカップを置いて、組んでいた脚を元に戻す。
なんだか改まった様子を受けて、思わずこちらも姿勢を正すと、彼女は吹き出すように笑い始めた。
「ハハッ! 何もそんなに身構えることはないよ! 単に君に礼を言おうと思っただけなのだから」
「れ、礼?」
「『ネモフィラを強くしてくれてありがとう』、とな」
その言葉に、傍らで静かに座っていたネモフィラさんがピクリと肩を動かす。
それを横目に見ながら、僕は『なんで?』と首を傾げてしまった。
「なぜネモフィラのことなのに私が礼を言うのか、不思議に思っている顔だな」
「は、はい。ネモフィラさんからお礼の言葉を頂戴するのでしたら、まだわからなくはないんですけど」
どうしてネモフィラさんのことを強くして、クレマチス様からお礼を言ってもらえるのだろう?
むしろその逆で、普通は咎められるべきなんじゃないかな。
だってこの二人は、いずれ継承戦の決勝でぶつかることになるかもしれないのだから。
余計なことしてくれたな! って感じで掴みかかられてもおかしくないのだけど、よもやお礼をもらえるだなんて。
「私が礼を言ったその理由を、君はすでに知っているよ」
「えっ?」
「今一度確認させてもらうが、もう君は私の“秘密”に気が付いているのだろう?」
「……」
秘密。
おそらくあのことだろうという予想はついている。
僕は一度扉の方に目を向けて、きちんと閉ざされているのを確認した後、声を落として言った。
「ご病気、もしくは“呪い”ですか?」
「あぁ、正解だ。やはりいい目をしているな」
あまり穏やかではない話だというのに、クレマチス様はにこやかに微笑んで頷いた。
「より厳密に言うなら呪いかな。私はある魔族に呪いを掛けられたせいで、もう“長くない命”なんだそうだ」
「……」
長くない命。
僕はあまり驚かなかった。
隣で話を聞いているネモフィラさんも、その秘密をすでに知っているので、静かに俯いているだけだった。
その沈黙を嫌がるように、クレマチス様は相変わらずの豪快な笑みを浮かべて言う。
「おいおい! 本人がこんなに気丈に振る舞っているというのに、話を聞いている連中が沈んでいてどうするんだ! もっと楽しく話をしようじゃないか」
「……」
そう言われても、無理なものは無理だった。
とてもこれをお茶の場の話として盛り上げようという気にはなれない。
というこちらの気持ちもわかっているようで、クレマチス様は再びゆっくりと話し始めた。
「……まあ、こんなバカ笑いしていられる私の方がおかしいのだろうな。すでに老衰して先が長くないことを悟っている身ならいざ知らず、私はまだこの通り声を上げて笑えるくらい健常だ。いつ死ぬかもわからないだなんて今でも信じられないよ」
「……呪いのせいで短命と仰いましたけど、その呪いはすでに解かれているんじゃないんですか?」
その問いかけに、クレマチス様は驚いたように目を見張る。
「君にはそんなものまで見えるのか。確かに私の体を蝕んでいた呪いはすでにないよ。綺麗さっぱりの健康体だ」
「では、どうして“長くない命”なんですか? 体を蝕んで死に至らしめる呪いなら、解いた時点でその効果はなくなると思うんですけど」
ほとんどの呪いがそうだと思う。
呪いは解除されたその時点で効力を失う。
それなのにどうしてクレマチス様の命は、あと少ししか持たないのだろうか?
その疑問の答えを、クレマチス様は語った。
「私が受けた呪いは、『寿命を削って死に至らしめる』類の呪いだったんだ」
「寿命……?」
「呪いに冒されている間、どんどん寿命が減っていくんだと。だからたとえその呪いを解けたとしても、削り取られた寿命までは戻ってこないらしい。結果、私に刻まれた『天命』はもう残り少ないみたいで、おそらく君はそれを“見た”んじゃないかな?」
「……」
育成師の持つ『神眼』スキルは、視界に捉えたものから色々な情報を読み取ることができる。
他人の天啓や心身状態、また命の残量と言われている『天命』が。
天命の数値は怪我や病気、はたまた呪いによって減少する。
ただ、減少した分は治療や休息によって、“最大値”まで回復させることができる。
その最大値は人類の全盛期と言われている二十代前半で“150”前後となり、老衰によって徐々に低下していく。
そして最大値が“0”になると、肉体的な自然死……つまりは寿命を迎えることになる。
これが天命と寿命の関係性だ。
僕は神眼のスキルを使って、そんな天命を見てしまった。
残り僅かしかない、クレマチス様の天命を。
「だから病気か呪いかと聞いてきたのだろう?」
「……は、はい。クレマチス様のご年齢では考えられないほど、天命の最大値が減少していましたので」
「腕利きの聖職者の話によれば、生命器官の一部だけが老いて低下しているため、見た目は若いままなんだそうだ。身なりに気を遣っている質ではないが、そこだけは不幸中の幸いだったかもな」
初めてお目にかかった時、いくらなんでも天命の最大値が低すぎると思った。
普通に怪我や病気をしているだけでは天命が減少するだけで、最大値まで削れることはない。
だから特殊な病気や呪いで天命に異常をきたしているのではないかと睨んだのだ。
でも神眼のスキルで見ても、病気や呪いに掛かっている様子はなく、どういうことなのだろうとずっと疑問に思っていた。
「まさか、寿命を削る呪いに掛かっていたなんて思いませんでした。そんな恐ろしい呪いを使う魔獣がいるんですね」
「魔獣区の侵攻中に、霊王軍の一隊とぶつかることになってな。その中に幹部級の魔獣がいて、そいつから呪いをもらってしまったんだ。すぐに解呪できればさほど問題はなかったのだが、少し対処が遅れてしまってな」
クレマチス様は、過ぎたことだからと言いたげに肩をすくめて続けた。
「自分の手で呪術師を倒して呪いを解くこともできた。しかしそいつには逃げられてしまったので、仕方なく『解呪師』という人物に頼ることにしたんだ」
「……解呪師。それってもしかして解呪師ロータスのことですか?」
「その通りだ。おそらくその判断自体は間違っていなかった。しかしどうも時期が悪かったらしくてな。なかなかロータスをつかまえることができずに時間が掛かってしまったんだよ」
僕も前に一度助けられたことがある。
僕が、と言うかローズのお母さんがだけど。
その時はすぐにロータスに解呪してもらうことができたんだけど、クレマチス様の場合はそうも行かなかったらしい。
「これもおそらくとしか言えないが、近年大陸の各所で霊王軍の連中が活発的になっているのが原因だと思われる。ロータスもあちこちで解呪の依頼を引き受けていたのか、だいぶ時間が経ってから接触ができたんだよ」
結果、呪いを解くのが遅れてしまって、クレマチス様の寿命は大幅に削れてしまったというわけだ。
天命の最大値が異常に低い理由を知って、僕は改めて言い知れない気持ちになった。
失われた天命はもう戻って来ない。
この先長くない命とわかっていながら、誰よりも明るく振る舞っているクレマチス様は心が強い方だと思った。
「だから君に、『ネモフィラを強くしてくれてありがとう』と言いたかったのだ」
「えっ?」
唐突に話が戻って、僕は一瞬固まってしまった。
クレマチス様の寿命が少ないことと、ネモフィラさんを強くしたことって何か関係があるのだろうか?
その答えは、意外にも簡単なものだった。
「私の命はもう長くない。そして私は王位継承順位第一位の第一王女クレマチスだ。これがどういうことかわかるかな?」
「えっと……」
直後、僕はすぐに気が付いてハッとする。
するとクレマチス様が、『察しの通りだ』と言うように頷いて続けた。
「もし私が死んだ場合、次のコンポスト王国の国王は、継承権順位第二位の第一王子クロッカスになる。これをどうにかして防ぎたいと思ったから、私は今回の継承戦を開くことに賛同したのだよ」