第五十話 「頼もしい背中」
「おぉ、やっぱり大きいなぁ」
王都チェルノーゼム。
コンポスト王国の東部地区に位置する町。
現国王が住む王城を構えるこの町は、周囲を高い城壁で囲まれている城塞都市だ。
国一番の発展した都であり、住人の数も他の町とは桁違いに多くなっている。
駆け出し冒険者の町ヒューマスから、意外と遠い場所ではなく、馬車を乗り継いで四日ほどで到着できた。
隣町のパーライトまで一日。そこからさらに馬車を乗り継いで三日。
改めて目にした大都会の風景に、僕は感嘆の息をこぼした。
「“大きい”って、私のこと?」
「あっ、いや、そういうことではなく、久々に王都を見て感動しただけで……」
恐ろしい勘違いをしたネモフィラさんに、僕は急いでかぶりを振る。
王女様にそんな無礼なことを言うはずがない。
確かにネモフィラさんも大きいけれど。
というか、最初に会った時と比べて、随分と背中が逞しくなったように見える。
いや、見えるというより、それは紛れもない“事実”なんだけど。
「確かロゼ様は、以前にもチェルノーゼムにお越しになったことがあると。どのようなご用件でこの王都に?」
「まあ、その、色々と野暮用で……」
勇者パーティー時代に訪れたとは言えない。
僕の正体については二人に知られたくないので、ここはぼかしておくことにした。
王城を見たいと言い出した勇者ダリアに、半ば強引に連れて来られただけだし。
しかし今回は違う。
僕たちはしっかりとした目的を持ってこの王都までやってきたのだ。
「それでは王城へ向かいましょうか。継承戦も明日に迫っておりますので」
次期国王の継承権をかけた決闘が、いよいよ明日、この王都の王城にて行われる。
それに参加するネモフィラさんを見届けに、僕はこの王都までやって来たというわけだ。
あれからおよそ一ヵ月の修行を終えて、僕たちは今ここにいる。
「ロゼ様、わざわざついて来てくださってありがとうございます」
「いえいえ、これも依頼の範疇ですから」
改めてキクさんに頭を下げられて、僕はぶんぶんとかぶりを振る。
「僕が受けた依頼は、王様になれるくらい強くしてほしいということです。それをちゃんと達成できたかどうか、育て屋としてしっかり確認させていただこうと思ったので」
僅かばかり言い訳がましくそう言うと、前を歩いていたネモフィラさんが不意に振り返った。
そして心なしか、色のなかった表情に悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「心配してくれて、ありがとね」
「……」
心配。
正直その気持ちがないわけではない。
ネモフィラさんが相手にするのは、王族の血を引く兄妹たちだ。
何よりネモフィラさんは兄妹の中で弱い立場となっている。
ヒイラギとのやり取りを思い出してみても、あの兄を苦手にしているのは痛いほどわかるし。
心配というか不安に思っても当然ではないか。
「まあ、僕がついて行けるのはここまでですけどね」
王城の門の前まで辿り着くと、僕はそこで立ち止まって二人を見送ることにした。
城内への立ち入りは上流階級にのみ許されている。
そしてネモフィラさんは城内にて立場が弱いため、客人として僕を招き入れることもできないとのことだ。
というわけで僕は王都の中で待つことになる。
育て屋を空けてまで来るべきだったのかは、一考の余地があるけれど、いつも暇だし大丈夫だろう。
ローズとコスモスにも王都に出かけることは伝えてあるし。
「継承戦が終わりましたら、一番最初にご報告に伺いたいと思います」
「はい、よろしくお願いします」
それを聞くためだけに僕は、ここまでついて来たのだから。
というわけでネモフィラさんとキクさんを見送って、王都の観光にでも行こうとすると……
「あれっ? ネモフィラ?」
「……?」
不意にどこからかネモフィラさんを呼ぶ声が聞こえてきた。
それは僕の後ろから発せられたものだった。
振り返ってみると、そこには紫色の長髪を靡かせる、ネモフィラさんに迫るほどの長身の女性が立っていた。
「クレマチス姉様」
「ね、姉様?」
ネモフィラさんのその反応を見て、僕は改めて紫髪のお姉さんを見据える。
この人が噂に聞く武人、クレマチス様か。
現在最も王様に近い第一王女様で、ネモフィラさんの実の姉。
まさか城門の前でばったり出会えるとは思わなかった。
従者を連れておらず、身軽なドレス姿で出歩いているところを見ると、今はプライベートで散歩でもしている最中だろうか。
そう驚くと同時に、僕はあのヒイラギとのやり取りを思い出して身構えてしまう。
この人ももしかしたら、ネモフィラさんに対して心無い接触をしてくるかもしれない。
だが……
「おかえりネモフィラ! まったく、何も言わずに飛び出していくものだから心配したぞ!」
「……あれっ?」
僕の予想に反して、クレマチス様は親しい様子でネモフィラさんに接してきた。
それに対してネモフィラさんも、ヒイラギに抱いていたような恐怖心や敵対心は無さそうに柔らかい表情をしている。
てっきりヒイラギがやって来た時と同じような、不穏な雰囲気になるかと思ったんだけど……
兄弟全員と仲が悪いわけでもないのかな?
「継承戦に向けて修行の旅に出たと聞いていたが、何も言わずに飛び出していくなんて水臭いじゃないか。少しは私にも相談してくれてよかったんだぞ」
「ごめん、なさい」
クレマチス様は男勝りな台詞と仕草で、ネモフィラさんの肩を親しげに叩いている。
なんか、ものすごくいい人そうである。
これが本当に、あのヒイラギと同じネモフィラさんのご兄弟?
次期国王の座に最も近い、継承順位第一位のクレマチス・アミックス様?
この人に頼めば、キクさんの故郷とかなんとかしてくれそうじゃないかな?
見た感じすごく強そうだし、ネモフィラさんが無理に王様を目指さなくても、この人が王様になってくれたら色々とよくしてくれそうだけど……
「……っ!?」
そう思ったのも束の間、僕はクレマチス様を見て違和感を覚える。
もしかしてこの人……
「いい目をした従者だな」
「えっ……」
「見たところ、私の“秘密”に気付いたのではないか? それとも、ネモフィラから事前に聞かされていたか?」
ネモフィラさんから聞かされていた、ということについてはよくわからないけれど。
僕が気付いたっていうことに気付いた方がすごいと思う。
やっぱりこの人、只者じゃない。
だからこそ、この人から受けた違和感が信じられなかった。
「クレマチス姉様、“あのこと”は誰にも言ってない。姉様が、絶対に言うなって言ったから」
「ハハッ! 別にネモフィラのことを疑ったわけではないよ! ただこの従者があまりにも早く見抜いてきたので、ついそう思ってしまっただけだ。ずっと黙っていてくれてありがとう、ネモフィラ」
クレマチス様とネモフィラさんのそのやり取りの意味は、正直よくわからなかった。
だからそこには下手に言及せず、ひとまず一つだけ訂正しておくことにした。
「僕はネモフィラさんの従者ではなく、一時的に協力させていただいている冒険者です」
「なんだ、そうなのか。てっきり使用人のキクの他に、もう一人従者を得たのかと思ったぞ。ということはネモフィラは、修行に関して君に頼ったというわけか」
鋭い人だな。
一時的に協力している、と言っただけで僕たちの関係を見抜いてくるなんて。
「継承戦まで見ては行かないのか?」
「はい。従者でもない僕では、王城に立ち入ることができませんから」
そう言うと、クレマチス様が驚きの提案をしてきた。
「見ていけばいいではないか。私が都合をつけよう」
「えっ……」
「それに君とは後で、色々と話をしたいと思ったからな」
第一王女様に都合をつけてもらう?
そんなに簡単に決めてしまっていいのだろうか?
それに、僕と話したいことってなんだろう?
「ま、私との話はともかく、とりあえずネモフィラの応援だけでもしていくといいさ。私の客人として客室に招いてやるから」
「で、でも、第一王女様にそこまでしてもらうなんて……」
ネモフィラさんの継承戦は確かに気になるし、直接見届けたいとは思うけど。
クレマチス様にそこまでしてもらうのは悪いからなぁ、と思って遠慮しようとすると、不意にネモフィラさんが僕の手を取って引っ張ってきた。
「近くで見てよ、ロゼ」
「……」
「絶対に勝つ、なんてかっこよくは言えない。けど、キクのために、ロゼのために、わたし頑張るから」
ヒイラギに怯えていた、あの臆病なお姫様の面影はすでにない。
自信に溢れた顔でこちらの手を引いてきて、僕は我知らず、その頼もしい背中を追いかけていた。