第四十九話 「成長の兆し」
「見たことねえ従者だと思ってたが、ネモフィラの新しい御守りか? 随分と見すぼらしい格好してるじゃねえか」
腕を掴まれたヒイラギは、一瞬だけ不機嫌そうに顔をしかめる。
しかし僕を見た瞬間に嘲笑を浮かべて、言葉の刃をネモフィラさんに刺した。
「従者の質は主人の格に直結する。そこの汚ねえ使用人を連れてるだけでも体裁が悪くなるってのに、さらに自分の格を落とすようなことしやがって。王族の顔に泥を塗るんじゃねえよ」
「あっ……ぐっ……!」
さらに強く青髪を引っ張って、ネモフィラさんを痛めつけた。
それを止めるべく、僕はヒイラギの腕を引いて答える。
「僕は育て屋のロゼです。ネモフィラさんの従者ではなく、あくまで協力者の関係です」
「育て屋? あぁ、そういやこのボロ屋がそんな名前だったな」
心底どうでもよさそうに、ヒイラギはつまらなそうな顔をする。
「まあ、なんでもいいか。てめえの素性なんか微塵も興味はねえ。とりあえず…………汚ねえ手で俺に触ってんじゃねえ」
瞬間、主人のその敵意に反応するように、傍らに立っていた砂騎士が始動した。
砂でできた太い右腕を振りかぶって、射抜くような正拳を僕に放ってくる。
ネモフィラさんを相手にした時とは違う、まったく容赦のない一撃。
それを見ていたネモフィラさんとキクさんが、小さな悲鳴をこぼす。
「――っ!」
僕は砂騎士の右拳を正確に目で捉えて、息を鋭く吐きながら躱した。
直後、砂騎士の右腕を掴んで、それを引っ張りながら奴の足を蹴飛ばす。
その衝撃によって砂騎士の大きな体は宙を舞い、激しい衝撃と音を放ちながら床に転んだ。
それを見ていたヒイラギが、一瞬驚いたように赤い瞳を見張る。
「今のは、『砂鎧』の……」
そう、先ほどこの砂騎士がネモフィラさんにかけた技だ。
別に真似する必要はなかったのだが、少しだけ腹が立っていた僕はお返しとばかりに砂騎士を転ばせた。
「行き過ぎた兄弟喧嘩を仲裁したいと思ったのもそうですが、ここは“僕の家”で、“僕の育て屋”です。下手に暴れて物でも壊されたら困るんですよ」
「……へぇ、見すぼらしい格好してるが、そこそこ戦えるみてえじゃねえか」
僕の言い分など耳から筒抜けているように、ヒイラギはこちらを観察しているだけだった。
上流階級の人間は話を聞かない人が多いな。それと血の気も多い。
別に王子様と一戦交えるつもりなんてないのに。
しかしネモフィラさんに向いていた敵意が僕に向いたことで、ヒイラギはいつの間にか青い髪から手を放していた。
代わりに砂騎士を呼び出した時に使った“箱”を構えて、今にでも襲いかかって来そうな気配を放っている。
あの箱の中に魔獣を飼っていて、好きな時に呼び出せる能力ってことだよな。
これ以上厄介な魔獣を出されて家を壊されたらたまったものではない。
「とにかく、暴力は無しにしましょう。それにネモフィラさんを棄権させに来たって言ってましたけど、ネモフィラさんには継承戦に参加してもらって、そこで戦った方が力を示すことができるんじゃないんですか?」
僕は話を逸らすように、今さらながらのことを言ってみる。
するとその目論見は成功したようで、ヒイラギは呆れたようにため息を吐いた。
「話聞いてなかったのかてめえ? こんな雑魚を痛めつけたところで他の連中は鼻で笑うだけだっつーの。むしろ食い下がられた事実がある方が俺にとっては不利益になる。継承戦に勝てば王にはなれるが、その過程がショボかったら誰も俺の実力を認めねえだろうが」
「ですけど、もしネモフィラさんが棄権したら、継承戦参加者は合計で四人になるじゃないですか。勝ち抜き戦ってことを考えると、一回戦と二回戦を免除されてる第一王女様が、ヒイラギ様の初戦相手になっちゃうんじゃないですか?」
「……」
僕が思っていたことを話すと、ヒイラギは少年のような顔をぽかんとさせて固まった。
第一王女のクレマチス様は、王位継承順位が第一位ということもあって最終戦のみの参加となっている。
そうすれば残りが四人になるので、上手く勝ち抜き戦の形式を作ることができるのだ。
『クロッカス対ニゲラ』『ヒイラギ対ネモフィラ』といった具体に。
しかしネモフィラさんが棄権するとなると話が変わってくる。
「ネモフィラさんが抜けた分、ヒイラギ様が不戦勝になるかもしれません。ですけどもしかしたら、そこにクレマチス様を入れて改めて勝ち抜き戦をやることになるんじゃないでしょうか?」
ていうかそっちの方が勝ち抜き戦としては綺麗だろう。
何よりたった二回の戦いで王様を決定することができるようになるから。
ということを今さらながらわかったのか、ヒイラギは動揺したように目を泳がせていた。
「しょ、初戦から、クレマチスの姉貴か……」
さすがにこのヒイラギでも、いきなり王位継承権第一位のクレマチス様が初戦相手となると困惑するらしい。
クレマチス様は僕も話を聞くほどの人物で、次期国王候補というだけでなく数々の武勇伝が語られるほどの武人だから。
そんな相手と初戦から戦うことになるのは望むところではないだろう。
下手したら大勢の上流階級の人間たちの前で、醜態を晒すことになるかもしれないし。
勝ち抜き戦でいずれぶつかることになるとしても、強い相手とはなるべく後に戦いたいはずだ。
たぶん、早く負け過ぎたら王位継承順位も低くなってしまうだろうから。
「そうなる可能性がある以上、ネモフィラさんに棄権されては逆に困ることになると思いますけど」
「……」
ヒイラギが思い悩むように唇を噛み締めている。
僕はそこにさらに追撃を加えるように続けた。
「それに、継承戦でネモフィラさんと戦うことになっても、“面白い決闘”になると思いますよ」
「はっ? どういう意味だ?」
まあ、面白い決闘と言うと語弊があるか。
とにかくヒイラギの不利益にはならないはずだと言っておこう。
今のネモフィラさんが弱過ぎて、参加されると困ると言うのなら……
「僕がネモフィラさんを、継承戦までに強くしてみせます」
「はっ?」
「ヒイラギ様の強さを証明できるくらい強く……ヒイラギ様の対戦相手に相応しくなるように強くしてみせます」
ヒイラギだけでなく、当人のネモフィラさんとキクさんまで惚けた顔で固まった。
この王子様が来るまで、ネモフィラさんの成長の乏しさに手を詰まらせていたというのに。
いったいどの口がそんなことを言うのだろうかと、ネモフィラさんとキクさんは思ったのではないだろうか。
そしてヒイラギは、いったいどの立場からそんなことを言っているのかと疑問に思っているようだった。
育て屋についてはまったく説明していないので無理もない。
「僕はこの町で、主に駆け出し冒険者の支援をしてる『育て屋』です。他人の成長を手助けすることを得意としていて、継承戦に向けてネモフィラさんから成長の手助けを依頼されました」
簡潔にそう説明すると、僕は立て続けに提案した。
「継承戦当日まで残り一ヶ月。その間に必ずネモフィラさんのことを強くしてみせますから、棄権の話は収めてくれませんか?」
「……」
ヒイラギは細めた目で僕たちを順に見ていく。
最後に地べたに座り込むネモフィラさんを、嘲けるように見下ろすと、乾いた笑い声を漏らした。
「ハッ! この軟弱な愚図女が、今から一ヶ月で俺といい勝負ができるようになるとは思えねえな」
と、言いつつも……
「だがまあ、ここはてめえの言葉を信じて退いといてやるよ。もしてめえの言う通りになれば、ネモフィラが相手でも充分に力を示せるはずだからな」
ヒイラギは僕の提案を受け入れて、手に持っていた箱を懐に収めてくれた。
この場を包んでいた緊張感がなくなり、僕は密かに安堵の息を吐く。
「ただ、継承戦に出るつもりなら覚悟しておけよ。この継承戦は他の連中に力を示すための場にもなる。それが今後の統制力にも直結するんだからよ、加減なんか考えずに全力でてめえを叩き潰すからな」
「……」
ネモフィラさんにそう言うと、ヒイラギは扉の方に歩いて行った。
僅かに開いていたそれを、蹴飛ばすように開け放つと、そのまま従者を連れて立ち去ろうとする。
だが、最後に奴は僕の方を振り返って、威圧感のある声で言い残した。
「それと育て屋」
「……は、はい?」
「もしてめえが失敗して、そこのデカブツが愚図のまま継承戦に参加しやがったら、ネモフィラ共々この育て屋をぶっ潰してやるからな」
なんとも恐ろしい台詞を残して、ヒイラギは去っていった。
育て屋を潰す。
まあ、王様になればそれくらいのことは容易いだろう。
もちろん僕も、そんなの承知の上で言い切ったし。
でも残念ながら、僕が失敗することはまずないと“断言できる”。
「ふぅ……」
とりあえず、あの暴力王子様を追い払えて何よりだ。
『ここはてめえの言葉を信じて退いといてやるよ』
奴が一度吐いた言葉を引っ込めてくれたのは、僕の言い分を信じてくれたからというわけではないだろう。
一回戦目から第一王女とぶつかることになるかもしれない、ということが改めてわかったからだな。
ていうかそんなこと普通に考えればわかるものだと思うけど。
ようやくのことで危機が去ると、キクさんがハッとした様子でネモフィラさんのところに駆け寄った。
「お嬢様! ご無事ですか!?」
ネモフィラさんはおもむろに体を起こしながら、相変わらずの無表情でキクさんを見る。
「うん、大丈夫。怪我とかは、してないから」
「も、申し訳ございません。わたくしは、何もできずに……」
申し訳なさそうに項垂れるキクさんを見て、僕も同じく頭を下げた。
「僕からも、申し訳ございません。王子様が手を出す前に、止めるべきだったんですけど……」
「いいよ、別に。こんなの、ただの兄妹喧嘩だし。下手に手を出したら、二人が兄様に何かされてたと思うから」
立ち上がったネモフィラさんは、服を叩いて埃を払うと、どことなく弱々しい表情で僕に尋ねてきた。
「それよりも、あんなこと言って、よかったの?」
「えっ?」
「私を、強くするって」
次いで家の中を眺めて、申し訳なさそうに続ける。
「できなかったら、この育て屋潰されちゃうって」
「……みたいですね」
あと一ヶ月でネモフィラさんを強くできなければ、この育て屋が潰されてしまうかもしれない。
その可能性は確かに恐ろしいけれど……
「まあたぶん、それは大丈夫だと思いますよ」
「だい、じょうぶ?」
「確かにあの王子様は強敵で、ネモフィラさんも行き詰まってる状況ではあります。あと一ヶ月であんな人物と同じくらい強くなるっていうのは、相当大変だと思いますけど……」
僕はネモフィラさんの“頭上”に目を移して、静かに微笑んだ。
「逆に、あの王子様のおかげで、大きな光明が見えましたから」
「……どういうこと?」
光明。
今回あの王子様は、この場所に来るべきではなかった。
自らのその過ちのせいで、とんでもない怪物を生み出す兆しになってしまったかもしれないのだから。
あと僕は、ネモフィラさんに対して“謝らなければならない”かもしれない。