第四十八話 「王の器」
「棄権しろって、なんでそんなこと……」
「はっ? そんなのわかり切ってるだろ。勝負なんてする前から勝敗がわかってるからだよ」
ヒイラギは『何を言っているのだ』と言わんばかりに肩をすくめる。
呆然とするネモフィラさんを見て、心底呆れているようだった。
「俺は親切心からそう言ってやってんだぞ。もし仮に俺らが戦うことになれば、確実にてめえは軽傷じゃ済まねえ」
なんでもありの模擬戦なので、現状ではそうなるのは目に見えている。
目の前の男から感じる迫力からも、相当な実力者であることが窺えるから。
「俺も加減が苦手だからなぁ、もし継承戦でてめえとやり合うことになったら、うっかり殺しちまうかもしれねえな」
「……」
わかりやすい脅しに、ネモフィラさんは血の気を引くように顔を青くした。
これは完全に脅迫だ。
もしこのまま継承戦に出たら、容赦せずに叩きのめすという警告。
これほどの実力者が加減を知らないはずもないので、うっかりしたら殺すというのは完璧に虚言だろう。
「だから棄権しろって言いに来たんだよ。聞けばてめえは、継承戦に前向きな意思があるって城の連中が言ってたし、このままじゃ本当に身を投げ出して来るかと思ったからよ」
たとえ相手が目の前のこの強者だとわかっていても、ネモフィラさんなら確実に継承戦に参加していたはずだ。
勝ち目がほとんどないからって、キクさんの故郷を救うためなら僅かな可能性にも手を伸ばすはずだから。
「間抜けの身投げに付き合うつもりもねえし、ハナからてめえに勝ち目なんてねえんだから、今から王都に戻って父上に参加取り消しの申し出をして来いよ。それなら無駄に争う必要もなくなるんだからよ」
「……」
ヒイラギの説得に、ネモフィラさんは悔しそうに拳を握り込んでいる。
勝ち目がないと自覚していながらも、彼女には棄権したくない理由があった。
キクさんのために、なんとしても国王になる。
僕はすでにその決意を見ているので、何も言わずとも棄権する意思がないのはわかった。
それにしても、どうしてこの王子様はここまでしてネモフィラさんを継承戦から辞退させようとしているのだろう?
彼女が自ら継承戦を降りることで、ヒイラギにはいったいどんな利点があるというのだ?
むしろ力を示すための舞台装置として、継承戦に参加してもらった方が都合が良さそうに思えるけれど。
言い方は悪くなるけれど、力不足の彼女を一方的に負かした方が力を証明できるんじゃないのかな。
まさか、本当にただの親切心でそう言っているのか?
……いや。
「てめえみてえな雑魚に食い下がられたっつー事実があるだけで、俺の面子が立たなくなるんだよ。いくら弱者をいたぶったところで力の証明にはならねえし、てめえに出られるだけで俺は相当迷惑するんだ」
ヒイラギはうんざりするようにそう言うと、僅かに声音を落として続ける。
「逆に、てめえが俺の力に怯んで棄権したことになれば、上流階級の連中に強烈な印象を与えることができる。てめえなんて出るだけ無駄なんだからよ、お互いに不利益になることをすんのはやめようぜって話だよ」
今のネモフィラさんに継承戦で勝ったとしても、力の証明にはならない。
逆に怯ませて棄権させたことにすれば、その分継承戦に招いた貴族の人たちに己の強さを示すことができる。
ネモフィラさんに出られるだけ迷惑。ヒイラギにとってはそうなってしまうのだろう。
でもだからって、それはあまりにも一方的な要求ではないだろうか。
ネモフィラさんでは絶対に自分には勝てないと決めつけて、自分のために棄権しろと言っているのだから。
「なあ、いいからさっさと棄権しろよ。何を思って継承戦に前向きなのか知らねえが、てめえみてえな奴が王になれるわけねえだろ。どうしてそこまでして王位にこだわるんだ」
ヒイラギが恫喝するように迫って来ると、ネモフィラさんは高身長なのが嘘のように、体を小さくして怯えてしまった。
しかし完全に黙り込むことはなく、強い意志を持って言葉を返す。
「私は、王様になって、キクの故郷を救う」
「キク?」
「小さい時から、ずっと一緒にいる。大切な、私の付き人」
ヒイラギの赤い瞳が、背の曲がったキクさんの方に向く。
「ハッ! その汚ねえ老いぼれのためだけに王になるだと? んな浅い理由で継承戦を勝ち抜けるとでも思ってるのか? つーか……心底くだらねえな」
「……」
ネモフィラさんの拳に一層の力が込められていく。
しかしそれはどこにも放たれることはなく、彼女の憤りは怯えによって押さえつけられてしまった。
「そもそもネモフィラ、てめえみてえな奴に王位継承権が存在してること自体が間違ってんだよ。生まれた時から病弱で、でけぇ図体しながら羽虫にもビビるくらいの臆病で、愛想を振りまくこともできない愚図女が、この国の王になるだ? ろくに開かなかったその口は、そんなくだらねえ冗談を言うためだけのものだったのかよ」
「……」
ネモフィラさんは、何も言い返すことができない。
隣でそれを聞いているキクさんも、悲痛な表情で立ち尽くしているだけだった。
「……ハッ、何も言い返すことができねえじゃねえか。やっぱ臆病者は臆病者らしく、うちに引きこもって大人しく震えてることだな。てめえに“王の器”はねえからよ」
何も言い返すことがないネモフィラさんを見て、それを戦意の喪失と取ったのだろうか。
ヒイラギがそのまま家を後にしようとした。
無言で項垂れるネモフィラさんを見て、棄権すると確信を得たのだろう。
最後に言い残すように、ヒイラギはこちらを振り返って勝ち誇った顔を浮かべた。
「じゃ、継承戦棄権の件、よろしく頼むぜ臆病者さん」
だが、それを否定するかのように……
ネモフィラさんが顔を上げて、今一度ヒイラギの背中に声をぶつけた。
「私は、王様になる」
「……はっ?」
「私は王様になって、キクの故郷を救う。棄権なんか、絶対にしない。……ヒイラギ兄様にだって、負けるつもりはない!」
「……」
出会ってから、初めて聞いたかもしれない。
家中に響くかと言うくらいの、ネモフィラさんが放った大きな声。
いまだに怯えた様子を見せながらも、その恐怖を無理矢理に振り払うように、彼女は声を荒げて抗議した。
「……へぇ、まだそんなこと言う元気があんのかよ」
それに対して、いったい何を思ったのだろうか。
ヒイラギがネモフィラさんの方に向き直り、低い目線から彼女を見上げた。
身長差が正反対の兄妹。
直後、ヒイラギは怒りをあらわすかのように顔をしかめて、懐から小さな“箱”を取り出した。
「【顕現】――【砂鎧】!」
ヒイラギが唐突にそう唱えると、箱の中から光の玉が飛び出して来る。
それはネモフィラさんの目の前に落ちて、まるでシャボン玉のようにパチンッと弾けた。
すると、どういうことだろうか……
光が弾けたその場所に、砂によって作られた“甲冑騎士”が出現した。
「――っ!?」
驚愕する僕をよそに、甲冑騎士はネモフィラさんの腕に掴みかかる。
腕を引っ張りながら足を蹴飛ばすと、ネモフィラさんの大きな体が宙に舞った。
激しい衝撃と音を放ちながら彼女は床に転ばされて、声にならない呻き声を漏らす。
そこにヒイラギが近づいて来て、右手を伸ばしてネモフィラさんの青髪に掴みかかった。
「あっ……ぐっ……!」
「見下ろしてんじゃねえぞ劣等人種が。今ここで痛めつけて実力の差をわからせてやってもいいんだからな」
目まぐるしく変わる状況に動揺しながらも、僕は冷静になって砂の騎士を見据える。
今のは召喚魔法?
いや、これは召喚魔法の魔力で作り出された召喚獣ではない。
独立した意思と命を宿している、紛うことなき“魔獣”だ。
それは育成師の僕が宿している神眼のスキルが証明している。
そうわかると同時に、僕は反射的にヒイラギの頭上にも視線を移して、改めて目を凝らした。
【天職】箱庭師
【レベル】35
【スキル】調教 配合 園丁
【魔法】使役魔法
【恩恵】筋力:B450 敏捷:A520 頑強:C380 魔力:A+620 聖力:F50
箱庭師。
恩恵の数値自体は特別高いわけではない。
ただ、かなり特質的な能力を宿している天職のようだ。
一言であらわせば、野生の魔獣を捕らえて、調教によって従わせる天職。
魔法使いならぬ、世にも珍しい“魔獣使い”と言ったところか。
「いいから棄権するって言えよおい。てめえが出るだけで俺にとって不利益になんだよ。そこの汚ねえ老いぼれのためとか知ったこっちゃねえ。そんなくだらねえ理由で俺の面子を潰すんじゃねえよ」
「ぐっ……うっ……!」
髪を引っ張られながら恐喝をされて、ネモフィラさんは苦しそうに唸り声をこぼしている。
しかしそれでも、彼女の胸の内にある闘志は、いまだに燃え尽きてはいなかった。
「わた、しは……絶対に棄権しない!」
「この……クソアマがぁ!」
ヒイラギの左拳が力強く握られて、ネモフィラさんの顔を目掛けて振られる。
ネモフィラさんは恐怖心から瞼を閉じて、滲ませていた涙を散らした。
刹那、ヒイラギの左腕を、僕が掴んだ。
「そのくらいに、しておいてもらえませんか」
「……誰だてめえ」
下手なことはできないと思いつつ、見るに耐えなくなった僕はいよいよ手を出した。