第四十七話 「臆病者」
それから、およそ一ヶ月が経過した。
僕はネモフィラさんの身の安全を考慮しながら、彼女の成長の手助けを続けた。
一度油断したせいでお姫様の身を危険に晒してしまったため、それからは最大限の気を配り続けた。
だが、決して効率の悪い魔獣討伐はせず、きちんと彼女にも活躍の場を用意して貢献度が傾かないようにした。
この一ヶ月、育て屋としてこれ以上ないくらいの働きをしたと、恐れながら自負している。
奇跡的にも他の依頼者が来ることもなかったので、僕は尽くせる限りの力をネモフィラさんに注いできた。
その結果……
【天職】姫騎士
【レベル】2
【スキル】
【魔法】障壁魔法
【恩恵】筋力:E135 敏捷:F35 頑強:D205 魔力:E170 聖力:F0
ネモフィラさんの天啓には、まるで変化がなかった。
「……」
修行開始から、ちょうど一ヶ月目となった今日。
森での修行を終わらせて町に帰って来た僕は、改めてキクさんも呼んで自宅で話をすることにした。
主に、これからどうするかという話について。
いや、“話”というよりかは、“謝罪”と言った方が正しいかもしれない。
育て屋として成長の手助けを任されたのにもかかわらず、この一ヶ月まるで成果を残すことができなかったから。
二人を家に招いて、対面の席に腰掛けてもらうと、僕はすかさず頭を下げた。
「ごめんなさい。僕の力不足で……」
そう言われることを予想していたのか、二人はあまり驚かなかった。
というか僕と同じように困り果てた顔をしている。
誰も、現状の解決方法について、まったくわからなかった。
どうしてネモフィラさんのレベルは上がらなくなってしまったのだろうか。
修行開始から三日目のあの日、ようやくネモフィラさんの天啓に変化が生じて、少しずつでも前に進めると歓喜した。
しかし、継承権をかけた決闘まで残り一ヶ月に迫った今でも、あれから天啓に変化はない。
育成師の応援スキルのもとで、ちゃんと魔獣討伐をしたというのに。
「いいよ、別に。ロゼのおかげで、一つだけでもレベルを上げられたし。私でも成長できるって、わかったからさ。それに、まだ一ヶ月あるし」
「……」
確かにまだ一ヶ月の猶予がある。
しかしこの調子で修行を続けても、レベル2のまま何も変わらずに決闘当日を迎えることになってしまう。
もしかしたら奇跡的に成長できる方法が見つかるかもしれないけど、それでもたった一ヶ月ではレベル10に到達するかどうかというくらいだろう。
それで他の王子や王女に勝てるとは思えない。
他の兄弟たちがどういう天職を持っているのか、そもそもどういった形式で決闘が進められるのかは定かではないけれど、王族の血を引いていることから全員が侮れない力を持っているはずだ。
「…………仕方ない」
ネモフィラさんの成長速度の乏しさについては、ひとまず置いておくとしよう。
いくら考えたところで、簡単に答えが出るものではないから。
それよりも、レベルを上げることが難しい今、決闘に勝つ方法を考えるのが先決ではないだろうか。
極論、決闘当日までレベルを上げられなかったとしても、決闘に勝ちさえすれば王様にはなれるんだから。
ただまあそれも……
「キクさん。前にも一度お聞きしたと思いますけど、王位継承権をかけた決闘の内容は、まだ明らかになってないんですよね?」
「は、はい。決闘を主導するカプシーヌ王からは、何も公表されておりません。ただ、継承者同士の一騎打ちとだけ」
となると、事前に決闘内容を見越しての修行はできないということだ。
どんな決闘方式かわかれば、それに備えて修行方法を変えることもできたんだけど。
木剣による一本勝負とかなら、レベルを上げるより剣術を身に付けた方がいいだろうし。
「どんなものになるか、予想とかもできないですかね?」
「今まで同じような催しがあったわけでもないので、わたくしにはなんとも……」
「……ですよね」
まあ、一騎打ちと言っていることからも、単純な実力勝負になるのは目に見えている。
仮に木剣による模擬戦とか、何なら“かけっこ”とか“アームレスリング”だったとしても、やはり天啓的に優位な方が勝つのが道理だ。
それほどまでに神様から受ける恩恵は絶大なものだから。
「レベルを上げるのが難しい以上、ネモフィラさんが不利なのはどうしたって覆せないよな……」
僕は一人で呟いて頭を悩ませる。
やっぱりどう考えても、レベルを上げるのが一番いい。
でもどうやって? ここまで修行してほとんど上がらなかったのに。そもそもなんで三日目のあの時は上がったんだ?
申し訳なさと焦燥感から、同じような思考をぐるぐると回していると……
思わぬところから、それを止める声が掛かった。
「邪魔すんぞぉ」
「――っ!?」
突如として、玄関の扉が開けられた。
ノックもせず無遠慮に自宅に押しかけて来た人物は、赤い髪をツンツンに尖らせた、背の低い“少年”だった。
「……子供?」
何の前触れもなく家に入って来た人物は、どこからどう見ても子供だった。
しかし、今の声の低さからして、すでに変声期を終えているように思われる。
コスモスの前例もあるので、やはり歳の頃は定かではない。
ただ、高価そうな黒いジャケットコートに、手入れの行き届いた肌と髪を見るに、かなり生まれの良さそうな人物ということはわかった。
その雰囲気の理由は、すぐにわかった。
「ヒ、ヒイラギ兄様……」
「兄様?」
ネモフィラさんが珍しく動揺したように目を見張っていた。
ヒイラギ兄様。
もしかしてこの人が、ネモフィラさんのお兄さん?
確か、ネモフィラさんの上には二人の兄と二人の姉がいるという話だ。
兄のうちの一人が、第一王子のクロッカスという人。
ということは、目の前にいる赤髪の少年が、第二王子のヒイラギ・アミックスか。
見ると、玄関の扉の隙間から、従者と思われる人物が外で待っているのがわかった。
そして王子の登場に、キクさんも戸惑ったように目を泳がせている。
それが、目の前の少年がネモフィラさんのお兄さんであることと、現状の異質さを如実にあらわしていた。
ていうかコスモスの時も、兄貴が突然僕たちのところを訪ねて来たような……
「……」
ただ、あの時とは明らかに違う点が一つだけある。
目の前の、少年のようにも見える赤髪の王子からは……
圧倒的な存在感と、恐ろしいほどの迫力を感じた。
これが王族の血を引く、次期国王の器。
「おぉ、ネモフィラ! マジでこんなボロ屋にいやがったのか! いくらうちで居場所がねえからって、普通こんなとこに来るかよ」
ヒイラギと呼ばれた赤髪の少年は、まるで埃を払うように鬱陶しそうな顔で手を振る。
その言動に僅かに憤りを感じたけれど、僕はぐっと堪えて怒りを飲み込んだ。
代わりにネモフィラさんが、見たこともないくらい怯えた様子でヒイラギに問う。
「な、なんでヒイラギ兄様が、ここに……?」
「んなにビビることはねえだろうが。別に“いつもみたい”にてめえをいじりに来たわけじゃねえんだからよ」
ヒイラギの台詞に、一部気に掛かる箇所があったけど。
そこには言及せずに、身長差が反対であるべき兄妹のやり取りを黙って見続けることにした。
「どうして、ここにいるの?」
「どうしても何も、王都から馬車を走らせたんだから、どの町にいるかくらいは簡単にわかるだろ。それと、そんなに無駄にでかい体してんだから、嫌でも目立つだろうが」
「……」
そのヒイラギの言葉に、ネモフィラさんはかぶりを振るように返す。
「なんでここがわかったか、じゃない。なんで私を探してたのって、聞いたの」
「んだよ、だったら最初からそう聞けっての。相変わらず口数少なくて何言ってんのかわかんねえ奴だな」
僅かに語気を強めた彼の台詞に、ネモフィラさんはビクッと肩を揺らす。
やはり、あのネモフィラさんとは見違えるほど怖がっているように見える。
いったいこの兄と何があったのだろうか。
身長差からは、まるっきり立場が逆のように見えるけど。
「俺がてめえを探してたのは、王位継承者の一人として伝えたいことがあったからだよ」
「つ、伝えたいこと?」
「まず、今回の継承権をかけた決闘について、色々と決まったことがあんだ。王城で開催されることになった決闘は、一部の上流階級の連中を呼んで、『継承戦』と銘打ってそいつらにも公開するらしい」
口早にそう言ったヒイラギは、さらに立て続けに説明する。
「決闘方式は、ほとんどなんでもありの模擬戦で、継承者五人による勝ち抜き戦になってる。まずは王位継承順位が第一位のクレマチスの姉貴を除いた四人で戦って、最後に残った奴がクレマチスの姉貴と戦うことになる。それで勝った方が、改めて王位継承順位一位になるってことだ」
ほとんどなんでもありの模擬戦。
知りたかった決闘方法を、思いがけず王子の口から聞くことになった。
それを事前に知ることができたのはよかったけれど、素直には喜べないような内容だ。
勝ち抜き戦ってことは、この王子とも“なんでもありの模擬戦”をすることになるかもしれないってことだから。
「それを、私に伝えに来たの?」
「ハハッ! 親切にそれを言うためだけに、俺がわざわざてめえに会いに来たとでも思ってんのか? んなわけねえだろうが」
小さな見た目に似合わず、ヒイラギは低い笑い声を上げて、さらに声音を低めて続けた。
「勝ち抜き戦の一回戦目の組み合わせが決まったんだ。まずはクロッカスの兄貴とニゲラの奴。それから俺とてめえだ、ネモフィラ」
「……」
まさか最初からいきなりこの赤髪の王子とぶつかることになるとは思わなかった。
ネモフィラさんも同じことを思ったのだろう、言葉を失くして唖然としている。
そんな気持ちの整理をする間もなく……
「そこでだネモフィラ、単刀直入に言わせてもらうけどよ……」
ヒイラギは、ここに訪れた真の目的を話した。
「継承戦、このまま何もせずに棄権しろ」
「えっ……」
何を考えてか、ヒイラギの頬に不敵な笑みが浮かんだ。