第四十五話 「姫騎士の育て方」
ネモフィラさんの手助けをするにあたり、さっそく翌日から動くことにした。
とりあえずはローズの手助けをした時と同様、西の森に行って魔獣討伐を行う。
ここなら比較的弱い魔獣が多いので、安全に天職を成長させることができるはずだ。
ただ、キクさんから聞いた“魔王軍の活発化”の影響か、最近は世界中の魔獣がやや凶暴になりつつある。
加えて今回手助けするのは一国のお姫様なので、万が一のことがないように慎重に行くとしよう。
「それじゃあネモフィラさん、森に入って魔獣討伐をしましょう」
「……わかった」
そう言い合って、僕たちは森の中へと入っていった。
ちなみにキクさんは町の宿屋でお留守番である。
キクさんも『聖歌人』という、少し特殊な天職を持っていて、聖力の恩恵が僅かに高かった。
神聖魔法の一種である『聖歌魔法』というものが使えるらしく、怪我の治療や魔獣への攻撃も可能な万能魔法らしい。
それと遠方にいる特定の人物への連絡もできるとか。
お姫様と二人きりになるのもなんだか気まずかったので、是非ともついて来てもらいたかったのだが……
『キクは町で休んでて』
ネモフィラさんがキクさんの同行を容認しなかったのだ。
ご高齢のキクさんの体を労ってのことだろう。
キクさんも自分の体の弱さを自覚しているからか、躊躇いつつもネモフィラさんのその意見に賛同した。
代わりに僕たちに、宿屋のキッチンを借りて作ったお弁当を持たせてくれて、修行の健闘を祈ってくれた。
というわけで二人きりである。
キクさんからは、ネモフィラさんのことを頼むと力強く念押しされたので、緊張のせいで胃が痛いけど。
「魔獣は突然襲いかかって来ますので、僕から離れないようにしてください。この森の魔獣は弱いとはいえ、すばしっこい連中も多いので」
「……」
改めて注意を促しておく。
近くにいてくれたらいつでも守れるし、感知魔法が効いている限りは不意を突かれることもないからね。
と思って指示を送ったのだが、それに対してネモフィラさんからの返答はなかった。
代わりに、冷たくて柔らかい感触が左手に走る。
「……」
手を、握られていた。
背丈の関係から、まるで僕がお姉ちゃんに甘える弟のようになっている。
いや、それはいいとして……
「あ、あのぉ、これはいったい……?」
「『離れないように』って言ったから。町を歩く時、キクがよくやってくれるやつ」
なるほどと内心で頷く。
確かにキクさんならネモフィラさんのことを大切に思っているので、こうして離れないように手を握っていそうだ。
その感覚でこうして僕の手を取ってきたわけか。
「こ、これだと、僕がすぐに動けないので、近くにいてくれるだけでいいんですけど」
「……そっか」
ネモフィラさんはするりと手を離してくれる。
はぁ、びっくりした。
図らずもお姫様の手を握ってしまった。
大変身に余る光栄である。
いや、それよりも僕は、他に気になることが一つあった。
失礼ながら、まるで死人の手でも掴んでいるのではないかというくらい、ネモフィラさんの手は“冷え切っていた”。
そして心なしか、その手は震えていたように思える。
もしかして……
「確認なんですけど、今までにも魔獣討伐の経験はあるんですよね?」
「うん、少しだけなら」
僕は少し前に聞いた話を思い出しながら続ける。
「確か、キクさんが雇った冒険者たちと、臨時でパーティーを組んで魔獣討伐をしたんですよね? その時はどんな感じだったんですか?」
「キクが、その冒険者たちに『絶対安全に』って言い聞かせてたから、私は守られながら、敵の隙を作ってもらって攻撃してた」
「な、なるほど」
まあ、比較的よく知られた、安全な修行方法である。
それなら魔獣に攻撃される心配もないだろうし、初めての討伐でも“緊張”せずにできるはずだけど。
さすがに今回は付き添いが僕一人だけなので、それなりに緊張しているようだ。
相変わらずの無表情だからわかりづらいけれど。
ちなみに、その臨時のパーティーでの修行を一ヶ月ほど続けたらしいが……
【天職】姫騎士
【レベル】1
【スキル】
【魔法】障壁魔法
【恩恵】筋力:E120 敏捷:F30 頑強:E180 魔力:E150 聖力:F0
いまだにネモフィラさんのレベルは1である。
まあ、他の人に守られながら、隙を作ってもらって魔獣を討伐していたので無理もないだろう。
どれだけ魔獣討伐に貢献したかによって神素の取得量が変わるようになっているので、この場合そのほとんどが他の冒険者たちに流れていったのだと思われる。
ただでさえ病弱なお姫様で、昔から魔獣討伐とは無縁の生活を送っていただろうし。
それでもさすがに一ヶ月もあれば、二つや三つくらいはレベルが上がっていないとおかしいので、これはおそらく『姫騎士』の天職がかなり“成長しづらい部類”に含まれているのではないだろうか。
だから彼女たちは成長できないことに悩み、育て屋の話を聞きつけて僕のところにやって来たというわけだ。
まあ、僕もその冒険者たちとやることはほとんど変わらないけれど。
「基本的には僕も、そういう戦い方をしようと考えてます。僕が前に出て魔獣の攻撃を凌ぐので、隙ができたら斬りかかってください」
「……わかった」
ネモフィラさんは小さく頷いて、腰の直剣と背中の大盾を手に取った。
期間は二ヶ月。
それでどれくらいレベルを上げられるかを聞かれたけれど、正直僕もいまいちわかってはいない。
わかり次第伝えますとは言ったが、同じやり方でまったくレベルが上がっていない実績があるからなぁ。
本当にこのやり方でいいのだろうか? もっといいやり方がありそうな気もするけど……
そう不安に思いながら森を歩いていると、僕はふとあることが気に掛かった。
「随分と大きな盾ですね。何かそれを持つ特別な理由とかあるんですか?」
少々大きめの盾を構えているのを見て、僕は疑問に思った。
少々、というかかなりか。
この大柄なネモフィラさんを完全に覆うことができるくらい大きいから。
「キクが持たせてくれた。身の安全だけは確実にって」
「へ、へぇ……」
なんか、キクさんっぽい。
ていうかお姫様の付き人をしているなら当然の配慮か。
ただでさえ魔獣討伐なんて危なっかしいのに、病弱でぼんやりとしているところがあるネモフィラさんのことが心配で仕方がないのだろう。
ネモフィラさんは体も大きいし、人一倍魔獣には狙われやすそうだから。
ともあれ巨大な盾を持っている理由についてはわかった。
「……」
と、そこで会話が途切れてしまう。
僕は再び話題を探そうとするけれど、上手いこと見つからない。
そのため僕たちの間には沈黙が流れて、若草を踏み締める音だけが気まずく鳴っていた。
……やりづらい。
ローズやコスモスの時はこんな苦しさ感じたことなかったんだけどなぁ。
相手がお姫様だとわかっているから、変な遠慮が僕の心の中にあるのだろうか。
何を話していいのやらよくわからない。向こうも無口なタイプだから何も言ってくれないし。
ていうか、下手なこと言ったら死罪とかあるんだろうか?
など会話の糸口を探していると、右側の茂みから気配を感じた。
「ピィィ!」
ネモフィラさんを庇うように立つと同時に、角が異様に長い兎が茂みから飛び出してくる。
この森に出没する魔獣の一種――針兎。
かなり弱い種族ではあるけど、万が一ということも考えて僕は全力で集中した。
角を構えて飛びかかってくる兎を、僕は右手のナイフで迎え撃つ。
鋭い角の側面を、ナイフの刀身で滑らせるようにいなす。
直後、背後に回ろうとしてきた針兎に、一瞥もくれず後ろ蹴りを食らわせた。
「ピィ!」
兎は何度か地面で弾んで倒れる。
力の入っていない蹴りだったため、大したダメージにはなっていない。
しかし、これでいい。
「ネモフィラさん!」
倒れて隙を晒す針兎に、ネモフィラさんはすかさず直剣を振り下ろした。
無事に針兎の討伐に成功する。
魔獣討伐の経験が浅いとはいえ、さすがにこれくらいの魔獣なら倒せるらしい。
ネモフィラさんのレベルはまだ1だけど、かなり上質な武器を持っているのでそこで能力不足を補えている。
一応、僕が支援魔法で援助するという選択もあるけれど、もしその状態で魔獣を討伐したら討伐貢献度はさらに僕の方に傾いてしまう。
となると大半の神素が僕の方に流れることになってしまうのだ。
今のところ支援魔法は必須ではないので、なるべくは僕自身の補助だけで魔獣討伐をするようにしよう。
「この調子で魔獣を倒していきましょう。僕の応援スキルがあれば、たくさんの神素を獲得できますので、順調にレベルを上げられると思いますよ」
「……わかった」
少し、過保護な修行方法かとも思ったが。
お姫様の安全を第一に、僕は育て屋としての責務を果たすことにした。
僕が敵を引きつけて、隙を作り、そこをネモフィラさんが攻撃する。
大半の神素が僕の方に流れて来てしまう方法ではあるが、おかげでお姫様にはただの一度も傷が付くことはなかった。
そんな修行を続けて、早くも三日が経過した。
【天職】姫騎士
【レベル】1
【スキル】
【魔法】障壁魔法
【恩恵】筋力:E120 敏捷:F30 頑強:E180 魔力:E150 聖力:F0
「なんで!?」
修行開始から数えて、二十体目の魔獣を討伐したところで……
ネモフィラさんの天啓を確認した僕は、思わず目をひん剥いた。