第四十四話 「お姫様と使用人」
「期待されてないって、ネモフィラさんは第三王女で、王位継承順位も第五位じゃないんですか?」
そんな人物が稽古相手を呼ぶこともできず、従者を付けてもらうこともできないとはどういうことか。
王族の血を引いているというだけでも丁重に扱われるべき存在のはずなのに。
無表情ながらも自嘲的に語ったネモフィラさんに、キクさんは隣から苦しげな視線を向けていた。
やがてキクさんは意を決したようにこちらに話し始める。
「ネモフィラお嬢様は、ご兄弟の中で一番歳が低く、そのため王位継承順位も第五位となっております。また生まれながらに病弱で、天職の能力も不確かだったので、国王様や王妃様の目は他のご兄弟にばかり向いてしまいました」
「そう、だったんですか……」
ネモフィラさんが病弱。
高身長の見た目からはとてもそんな風には見えないけど。
でも感情に色がなく、まるで覇気を感じないところから、体が弱そうという印象は僅かに受ける。
それに天職の能力が不確かというのも納得がいく。
ネモフィラさんの天職は『姫騎士』。確かに聞いたことがない。
「反対に兄上様や姉上様は丈夫なお体を持ち、幼い頃よりご自身の天職の能力も自在に扱っておりました。目に見えた天賦の才に国王様や王妃様は多大な期待を寄せて、格式の高い従者や侍女を付かせるようにしたのです」
聞いた話によれば、いいところの貴族の子息令嬢には身分の高い者が“従者”として付き従うらしい。
そして身の回りの雑事をしたり、作法やら武術の手本になったりするそうだ。
加えて血統の良さからも強力な天職を授かった者たちが多く、幼少の頃より主の稽古相手になることが多いらしい。
でもネモフィラさんにはそういった従者が付いていない。
「すでに兄上様や姉上様には優秀な従者が付き、幼い頃から魔獣討伐に付き添って実戦を重ねております。しかしネモフィラお嬢様は目を掛けられず、従者を宛てがわれることもありませんでした。代わりに身の回りのお世話を任されたのが、当時の王城の使用人頭であったこのわたくしです」
「キクさんが……」
従者が付いていないと思ったら、どうやらキクさんがその代わりとして宛てがわれたようだ。
王族の血を引く王女様に、従者として使用人さんを宛てがうという話は聞いたことがないけど。
「一応、最低限の作法や常識、舞踊や手芸ならわたくしでもお伝えすることはできたのですが、剣術や魔術といった武術に関してはさっぱりでして……。魔獣討伐の付き添いもわたくしでは叶わず、そのためお嬢様は、兄上様や姉上様のように実戦経験を積むことができなかったのです」
「そういえば、天職のレベルもまだ“1”ですもんね」
優秀な従者が付いていれば、小さい頃から魔獣討伐に出かけることができた。
しかし付き人が使用人のキクさんだけでは、危なくて魔獣討伐には行けない。
天職のレベルを上げるためには、やはりどうしたって魔獣討伐が必須になるので、ネモフィラさんはこれまで天職を成長させる機会がまったくなかったということだ。
これから王位継承権をかけた決闘があるというのに、これでは明らかに立場が不利である。
「あっ、もしかして、ヒューマスの町に来たのはそれが理由ですか?」
というこちらの問いかけに、キクさんはゆっくりと頷いた。
いまだにレベル1のネモフィラさん。
これから執り行われる決闘のために、少しでも成長しておきたい今の状況。
そこで彼女が修行場所として選んだのが、駆け出し冒険者の町のヒューマスである。
ここの周辺には弱い魔獣が揃っているので、魔獣討伐の経験がなくても比較的安全に修行ができる。
「お嬢様が強くなるためには、駆け出し冒険者として地道に修練していくしかないと思いました。お嬢様にもそれを納得していただき、わたくしたちはこの町までやって来たというわけです。わたくしにもっと力があれば、こんなことにはなっていなかったのですが……」
キクさんは申し訳なさそうに項垂れる。
王城の使用人であったキクさんに武術の指導やら、魔獣討伐の付き添いを任せるのは酷というものだろう。
むしろ、最低限の作法やら舞踊などを教え伝えただけでも充分である。
だから彼女は誇ってもいい、と思っていると、ネモフィラさんがキクさんの肩に手を置いた。
「私は、キクでよかったって思ってるよ」
「お嬢様……」
「キクと一緒にいるの、すごく楽しいし。キクに色々、教えてもらったから」
ネモフィラさんは、自分の境遇に不満を抱いている様子はない。
むしろキクさんを付き人として選んでもらえて幸せそうだ。
たとえ家族から目を掛けられていなくても、キクさんと一緒にいられたからそれでいいと。
「だから私は、キクのために王様になる」
「キクさんのため?」
「キクの故郷を救うために、王様にならなきゃいけないの」
いったいどういう意味だろう?
キクさんの故郷を救うために王様に……?
疑問に思ってキクさんの方を見てみると、彼女は複雑そうな顔で口を閉ざしていた。
やがてキクさんは、心なしか申し訳なさそうに言う。
「わたくしの生まれ元は、町外れにある貧民窟となっております」
「貧民窟?」
「町や村とも言えない、小さくて貧しい集落です。様々な事情を抱えて食い扶持に困った貧困者や、教会で受け入れてもらうことができなかった子供たちが暮らしております」
そういえば勇者パーティーで活動していた時、たまに町外れにいくつかの小屋が建っているのを見たことがある。
聞いた話だと、金銭的に苦しんでいる人たちは町外れや墓地に小屋を建てて、そこで生活を送っているらしい。
またそうした人向けの宿泊所や、間借りできる地下室などを解放している場所もあるという。
そういった貧困者が集って暮らしている地域、あるいは場所のことを総じて『貧民窟』と呼ぶそうだ。
貧困に喘ぐ民たちはいつの時代でもいなくなることはなく、度々国の問題として取り上げられている。
「とある屋敷の下女として雇われるまで、わたくしはその貧民窟で面倒を見てもらっておりました。元は身寄りのない単なる捨て子で、行き場のなかったわたくしを貧民窟の住人が拾って育ててくれたのです。その恩を返すため、今でも頂いた給金で貧民窟に少なからずの支援をさせていただいているのですが……」
次第にキクさんの顔が曇っていく。
「昨今、貧困から子供を捨てる親が多くなり、貧民窟に流れ着く捨て子が増えているらしいのです。今までは乞食や日雇い、たまに来る教会の炊き出しで食い繋ぐことはできていたのですが……」
「貧困者が増えて、充分な食料が全員に行き渡らなくなっているってことですか?」
「はい、その通りでございます」
キクさんが貧民窟で面倒を見てもらっていたのは、少なくとも五十年ほども前になるだろう。
それでもまるで状況が改善されず、むしろ捨て子が増えて貧民窟がさらに窮困しているのは由々しき事態だ。
「教会近くの施療院にて、貧民窟の住人を受け入れてもらうこともあったのですが、近頃は町の人たちからの寄付金も減少して施療院にも余裕がなくなっております。そのため飢えだけでなく病に苦しむ貧困者も増えて、貧民窟の先行きはまったく見通しが立たなくなっております」
富裕層の寄付金によって成り立っている慈善施設――施療院。
貧しい人たちに衣食住を提供したり、怪我や病気の治療を行なったりもしている。
けれどその施療院も、近頃は余裕がなくなっているそうで、貧民窟の窮困に拍車を掛けているらしい。
このままではキクさんの故郷が……と思っていると、ネモフィラさんが相変わらず無表情ながらも、確かな意思を抱いて言った。
「だから私が王様になって、キクの故郷の貧民窟を助ける。施療院にたくさんのお金を寄付したり、貧困者のために仕事も用意する」
「……な、なるほど」
確かに国王になってしまえば、一つの貧民窟を救うのも難しくはないと思う。
逆に捉えると、それしか手がないとも言える。
現段階で国側が貧民窟を救済する動きを見せていないことから、現国王にその意思はないように思えるし。
他の誰かがやらなければ、貧民窟の住人たちは間もなく飢えや病によって命を失くすだろう。
そうならないために、ネモフィラさんは自分で国王になって貧民窟を救うことにしたようだ。
おそらくこのままだと別の兄弟が国王になってしまうだろうし。
もしその他の兄弟たちに貧民窟を救う意思があるのなら、別に兄弟たちが王位を継いでもいいのだろうが。
果たして現継承者の中にそんな人物がいるだろうか。
まあ、その可能性がものすごく低いから、こうしてネモフィラさんは自ら動いたんだろうな。
意思を固めるネモフィラさんを見て、キクさんは申し訳なさそうに言った。
「わたくしの故郷のことはお気になさらないようにと申したのですが、お嬢様はどうしてもと……」
「今までたくさん、キクに面倒を見てもらったから、私はその恩返しがしたい。私に恩返しをさせて、キク」
最後に彼女は、やはり人形のように張り付いた表情ながらも、瞳の奥に闘志の炎を宿して僕を見た。
「だから育て屋さん。私を強くして。私を……王様にして」
「……」
常々、目立つことは避けていきたいと公言している僕ではある。
だというのにお姫様の手助けをするだなんて、いつもなら何かしらの理由をつけて断っていたかもしれない。
しかし、僕の答えは聞かれる前から決まっていた。
「わかりました。お姫様のご依頼、引き受けます」
あんな話を聞かされた後で、断れるはずもなかった。
ネモフィラさんの願いを、なんとしても叶えさせてあげたい。
というわけで僕は、育て屋としての二人目のお客さん……姫騎士ネモフィラさんの手助けをすることになった。