第四話 「育成師ロゼ」
「確かロゼ君って料理得意だったよね? ならそれを生かして食堂とか開けば、のんびりと自分のペースで稼ぐことができるんじゃないの?」
「……」
最初は脈絡のない案のように聞こえたけれど、悪くない意見だと思えてくる。
五級の冒険者依頼をひたすらに繰り返すよりかは、新鮮さもあるし面白そうではある。
単純に料理好きだし。あの冷たい勇者パーティーのメンバーたちからも料理だけは褒められていたくらいだから。
ただ食堂となると、色々と設備を整えなければならないし、商業ギルドかどこかに許可をとって、店舗の確保だって必要になるし……
など様々な障害が、一瞬にして頭の中を埋め尽くしてきたので、ひとまずはやめておくことにした。
ただまあ……
「食堂は難しいかもしれないですけど、自分で何か商売を始めるのは良さそうですね。上手くいけば今よりも楽できそうですし」
「……楽かどうかが、君の判断基準なんだね」
おそらくテラさんは、今の枯れたような僕を見兼ねて提案してくれたのだと思う。
もっと活発的に働いているところを見たいのだろうけど、僕の根底にある精神を変えるつもりは毛頭ない。
勇者パーティーを追い出された傷を癒すための、悠々自適なスローライフ。
それができれば他には何もいらないのだ。
そこまで話したタイミングで、ギルドの中が混み合い始めてきたので、僕は帰ることにした。
今日も変わらず途中の市場で食材の買い出しをして帰宅する。
いつもより早めに討伐依頼を終わらせたので、まだ日が高いうちに家まで帰って来られた。
晩ご飯の時間までしばらくあるので、昼寝でもして時間を潰すとしよう。
「ふわぁぁぁ」
揺り椅子に腰掛けて瞼を閉じる。
こういう何にも縛られない生活を望んでたんだよなぁ。
なんて思いながら、僕は夢の中に意識を落としていった。
コンコンコン。
やや控えめに叩かれた扉の音で、僕の意識は覚醒した。
「うーん……」
瞼を擦りながら窓を見ると、すでに外は暗くなっていた。
こんな時間に誰だろう?
このまま翌朝まで眠ってしまいそうな勢いだったので、起こしてくれたことはありがたいけれど。
少し警戒心を抱きながら椅子から立ち上がり、僕は扉の向こうに返事をした。
「はーい、どちら様ですかぁ?」
来訪者からの返答はない。
聞き間違いかとも思ったけれど、再び『コンコンコン』と音が鳴ったので僕は扉に近づいていく。
この家に帰って来てから来客なんて一度もなかったので、必然的に警戒しながら扉を開けてみると……
玄関先に、一人の女の子が立っていた。
「えっ……?」
見知らぬ十五歳前後と思われる女の子。
燃えるように真っ赤な長髪が特徴的で、後ろ髪の上半分を一つにまとめた髪型をしている。
同色の瞳はつぶらで幼さを感じさせて、もじもじと佇んでいるその姿が幼気さに一層の拍車を掛けていた。
対して腰には長めの直剣を携えており、腰丈までの白いチュニックの上には控えめな胸当てもしている。
見る限り駆け出しの冒険者という格好だが、いったい誰なんだろうこの子?
「あ、あの!」
「……はい?」
絞り出すように声を上げた少女は、潤んだ瞳でこちらを見上げてきた。
そして事態を飲み込めずに放心する僕に、さらに追い討ちを掛けるかのように彼女は尋ねてくる。
「育成師のロゼさんってあなたのことですか!?」
「……えっ?」
なんだか嫌な予感がした。
育成師のロゼ。
それは間違いなく僕のことだ。
僕の他に育成師なんて奇妙な天職を持っている人間は見たことがないし。
もしかしたら天職など関係なく『育成師』という肩書きを名乗っている奴も、この世の中にはいるかもしれないけど。
しかしロゼという個人を特定する名前まで付いているので、この少女が求めている人物は僕で間違いあるまい。
でもどうして、僕が育成師だということを知っているのだろうか?
「わ、私、育成師のロゼさんという方に、お願いしたいことがありまして……」
この町に帰って来て、育成師と名乗ったことは一度もない。
勇者パーティーを追い出された育成師アロゼだと、誰にも知られたくないからだ。
たぶん育成師だということを明かしても、正体に気が付く人はほんの一握りだと思うけど。
勇者パーティーにおいて、戦力的に最弱だった僕は、知名度もそれに比例して最低だった。
剣聖ダリア、聖女アイリス、賢者グリシーヌ、聖騎士ユーストマ。
最上級の天職を有する、華やかなこの四人に比べたら、育成師アロゼなんて薄く霞んでしまう。
事実、半年前に勇者パーティーを抜けたことすら、世間ではとっくに忘れ去られているからだ。
兎にも角にも、僕は傍から見たらただの駆け出し冒険者の一人にしか見えないはずなのに、少女はどうして育成師の天職について知っているのだろうか?
「あ、あなたがその、育成師のロゼさんで合っていますか?」
いや、それはこの際どうでもいい。
この子がどういう経緯で僕の天職を知ったのかは置いておくとして、問題なのは何か嫌な予感がするということだ。
そう思った僕は、不安げな視線を向けてくる少女に対して、白々しい返事をした。
「ひ、人違いじゃないですか?」
「えっ……」
「僕は育成師なんて天職じゃないですよ」
少女はきょとんと目を丸くする。
自分でも、なぜ惚けてしまったのか上手く説明はできない。
ただ、何やら不穏な空気を感じ取ってしまったのだ。
面倒な事になるんじゃないか、という、そんな空気を。
「こ、ここが、ロゼさんのご自宅ではないんですか? 聞いた話ですと、確かにここだと……」
「僕の名前は確かにロゼだけど、育成師なんて名乗った覚えは一度もないけどなぁ。ちなみにそれ、誰から聞いたのかな?」
「冒険者ギルドで受付さんをしている、テラさんという方です。先ほど親切に教えていただいて……」
うっ、テラさんの差し金か。
確かにこの町にいる人間で、僕が育成師だと知っているのはあの人だけだ。
別に口止めしているわけではなかったけれど、僕が勇者パーティーを追い出されたアロゼだと知られたくないのは彼女も把握しているはず。
それなのになんで育成師であることをバラしちゃうんだろう。
厄介事は持ち込まないでもらいたいんだけどなぁ。
まあ、嫌がらせをするような人ではないので、何か特別な理由とかがあるんだろうな。
少なくとも本人からそれを聞くまでは、育成師だということを隠させてもらう。
「ご、ごめんなさい、間違えてしまったみたいで。ここに冒険者の育成に詳しい育成師さんがいると聞いていたんですけど……」
「そ、その人に、何か大切な用事でもあったの?」
怖いもの見たさ、みたいな気持ちで一応聞いてみる。
すると少女は照れるようにして、若干ぎこちない笑みを浮かべた。
「私も冒険者として、その方に強くしてもらおうと思いまして……」
「強く?」
「私は他の人よりも成長速度が遅いみたいで、一年も活動してるのにまだレベル3なんですよ。そのせいで所属していたパーティーも追い出されてしまって、どこのパーティーにも入れてもらえなくて……」
少女の頬に浮かんでいた苦笑が、次第に自嘲的な笑みに変わっていく。
対して僕も気軽に聞いてしまったことを後悔して、申し訳ない気持ちになった。
そんな事情があったのか。
一年も活動していてそのレベルなのは、確かに成長速度が乏しいように思える。
だから冒険者の育成に詳しい育成師のロゼを求めて、ここにやって来たというわけだ。
どこのパーティーにも入れてもらえない、か。
「ですので、育成師のロゼさんにお力を貸していただきたいと思ったんですけど、間違えて別のお宅を訪ねてしまったみたいです。お騒がせして、大変失礼しました」
「あっ……」
少女はそう言って頭を下げるや、すぐにこの場を去っていった。
その背中を見届けると同時に、複雑な気持ちが胸中で渦巻く。
なんだろう、この罪悪感……
面倒なことになるかと思って、つい嘘を吐いて追い返してしまったけれど、果たしてこれで正解だったのだろうか。
「……」
やっぱり、あの時惚けてよかったかもしれない。
もしあの流れのままに少女の願いを受け入れていたら、確実に面倒な目に遭っていたに違いない。
今のこの穏やかな日々が脅かされて、最悪生活が大崩れしていたかも。
たった一人の少女を助けるだけでそんな大事になるだろうかと自分でも疑問に思うけれど、なんだかやっぱり嫌な予感がするのだ。
そう、だから嘘を吐いてあの子を追い返したのは、正しかったに決まっている。
「…………」
と、自分に言い聞かせてみるけれど、じわじわと毒のように罪悪感が滲んでくる。
居た堪れなくなった僕は、とりあえず事を招いたテラさんに恨み言の一つでも吐いてやろうと、明日の朝早くに冒険者ギルドに行くことにした。