第三十九話 「器用貧乏ではなく万能です」
「昇級試験に参加する冒険者さんたちは〜、森の入口前に集まってくださ〜い」
僕たちに集合の合図を出したのは、黒ジャケットと白シャツを着た若い女性だった。
金色のショートヘアに、とろんとした眠そうなまなこ。
今にでもその場に倒れて眠ってしまいそうな、ウトウトとした様子を見せている。
テラさんと同じような格好を見るに、おそらくギルド職員さんだろう。
ていうかギルドでも何回か顔を見ている。
いつも眠たそうな様子ながらも、正確に受付業務をこなしていて、そのギャップと整った顔立ちから駆け出し冒険者の間でも密かなファンがいると聞いている。
確か名前は……
「私が今回の試験監督を務める〜、エリオント・リュミエールと言います〜。って、今さら自己紹介をしても〜、すでに見知った顔が多いので不要でしたかね〜?」
エリオントさんはそう言って、“ふわふわ”とした笑い声をこぼした。
欠伸をしているのか笑っているのかどっちかわからない。
ともあれ見知った人が試験官さんでよかったと思う。
冒険者たちに優しく接しているところを見たこともあるので、露骨に厳しい試験内容にはならないんじゃないかな。
「ではでは〜、さっそく昇級試験の内容を説明させてもらいま〜す。今回の試験は〜、この森で鬼ごっこをしてもらいたいと思いま〜す」
「お、鬼ごっこ?」
誰もが似たような反応を示した。
昇級試験で鬼ごっこ。
まったくピンと来ない説明である。
鬼ごっこ、ということは、誰かを追いかけたり、はたまた誰かに追いかけられたりするということかな?
「まあ、かくれんぼと言い換えてもいいかもですね〜。今この森の中には〜、“たくさんの私”が隠れていますので〜、それを見つけて捕まえられた人が試験に合格となります〜」
「……」
気になるどころの話ではない単語が混じっていた。
たくさんの私。
いったいどういう意味だろうと不思議に思っていると、同じく疑問に思った冒険者たちがざわついていた。
それを受けて、エリオントさんは重ねて説明をする。
「私の天職は『太陽騎士』と言いまして〜、光属性の魔法を得意としているのですよ〜。その中に自分の分身を作り出す魔法がありまして〜、すでにそれを使って森のあちこちに分身を散らしておきました〜」
という説明を聞いて、思わずエリオントさんの天啓を神眼で覗いてしまいそうになる。
しかし鋼の意思で堪えて、僕は耳を傾けるだけにとどめておいた。
覗き見は罪悪感が湧いてしまうので、極力他の人の天啓は目に入らないようにしているのだ。
それにしても分身を作り出せる魔法とは、今までに見たことも聞いたこともない魔法である。
ただ、分身の魔法が使えるということなら、先ほどの説明にも納得がいく。
「私の分身は〜、四級冒険者が相手にする魔獣や〜、捕縛対象の犯罪者たちと同じくらいの戦闘能力にしてあります〜。もし無事に捕えてここに連れて来ることができたら〜、晴れて皆さんは四級冒険者に昇級できますよ〜」
試験官さんの分身を捕えてくる試験。
そういえばローズの試験も似たような感じだったと記憶している。
四級冒険者が相手にしている魔獣と同等の召喚獣を討伐するというものだった。
確かにこれなら参加者の実力がわかりやすく測れるので最適だろう。
相手にするのはギルド職員さんが作り出した分身だし、仮に戦って勝てなくても殺される心配はない。
僕が以前に受けた試験では、指定の魔獣を倒してくるというものだったから、何度危険な目に遭ったことかわからなかったぞ。
ともあれそれにてルール説明が終了して、いよいよ試験開始となった。
開始地点に辿り着くと、そこでコスモスが悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「先に捕まえた方が勝ちだからね。負けた方がジュース奢りってことで」
「いや、そういうルールないでしょ」
勝手に昇級試験を、僕との競いの場にするんじゃない。
二人とも合格できたら、そこは素直にお互いに称え合うでいいじゃん。
ていうか本来ならめっちゃ緊張するはずの昇級試験で、なんでこの子はこんなに余裕があるのだろうか?
前に四級に上がったことがある僕でさえ、多少ドキドキしているというのに。
「ではでは〜、制限時間は二時間で〜、試験開始で〜す」
気が抜けてしまいそうな眠そうな声を聞きながら、僕たちは一斉に森の中へと走って行った。
「なんであんたの方が早いのよ!」
試験開始からおよそ一時間。
入口の前でローズと談笑をしていると、コスモスが光っている人影を連れながら帰って来た。
僕は呆れた気持ちになりながら、頬を膨らませるコスモスに説く。
「なんでって、そりゃ今回の試験内容だったら僕に軍配が上がって当然でしょ」
「何よその自信は! もう私の方が強くなったって、あんたもこの間認めてたじゃない!」
まあ、確かにそうは言ったけどさ。
「単純な戦闘能力だったら、それはもちろんコスモスの方が格段に高いと思うよ。仮に真正面からやり合ったら勝てる気しないし」
「なら……!」
「でも今回の鬼ごっこ試験では、単純な戦闘能力の他に探索能力とか索敵能力とか、まあ色々な素質が絡んでくるでしょ」
「うぅ……」
そこはもちろんコスモスもわかっていたようで、図星を突かれたように唸り声を漏らしている。
力比べだったら僕に勝ち目はないけれど、今回の試験だったらむしろ僕の方が有利なはずだろう。
事実、僕が戻って来たのは今から十分ほども前だったし。
だからコスモスを待っている間、応援に来てくれたローズと他愛のない立ち話をしていたのだ。
「そういえばロゼさん、一番早くに戻って来ましたよね。ロゼさんだから不思議には思わなかったんですけど、具体的にはどのようにして、この光の人影さんを捕まえて来たんですか?」
「まずは支援魔法の『敏捷強化』で機動力を確保して、索敵魔法の『感知強化』と合わせて標的を探してみたんだ。そうしたらすぐに光の人影、というか試験官さんの分身を見つけられたから、『気配遮断』を使ってこっそりと背後から……」
「な、なんだか、熟練の人攫いみたいな手際ですね」
それは人聞きが悪すぎるんじゃないかな?
言われてみたら人攫いっぽい感じがするけど、そんなことをする気も前科もない。
僕はただ育成師の持ち味である支援魔法を生かして、昇級試験を有利に進めたのだ。
「まあそんなわけで、僕の方が早く試験を終わらせることができたんだよ。育て屋の支援魔法も馬鹿にできないだろ」
「うぅ、ちゃんと戦ったら私の方が強いはずなのに……」
それはまあ、星屑師のコスモスなら直接対決の方が実力を示しやすいと思う。
でも今回の試験は、特別星屑師の強みが生かせるわけでもなかったし。
ていうかなんで僕と競争しようと思ったのだろうか。
「とにかく試験の報告に行って来なよ。チラホラと他の参加者たちも帰って来て、そろそろ混み始めそうだしさ」
「えぇ、わかってるわよ。それよりも、奢られたいジュースちゃんと決めておきなさいよね」
「奢る側がそれ言うのか」
律儀な奴である。
ともあれ僕は、どんなものを奢ってもらおうか考えながら、ローズと一緒にコスモスの報告が終わるのを待つことにした。
コスモスが戻って来たら早々に帰るとしよう、なんて思っていると、不意に傍らから声を掛けられる。
「君が、今回の試験で一番最初に戻って来た冒険者か?」
「えっ?」
振り返るとそこには、軽装に身を包んだ黒髪の青年がいた。
見た感じ僕と同い歳くらいの冒険者。
目元がキリッとしていて、とても爽やかな印象を受ける。
なんで僕に声を掛けてきたんだろうと思いながら、とりあえず問いかけられたことに反射的に答えることにした。
「は、はい。僕が一番でしたけど……」
「やはりそうか。突然声を掛けてしまって申し訳ない。ちょうど腕の立つ冒険者を探していて、見たところ君はどこかのパーティーに入っている様子もなかったから、よかったらうちのパーティーに入ってくれないかと思ってな」
「あぁ……」
パーティー勧誘の声掛けだったのか。
なんだか久しぶりにそんな声を掛けてもらって、僕はなんだか嬉しい気持ちになる。
しかし申し訳ないけれど、僕は首を縦に振ることはなかった。
「ご、ごめんなさい。今はどこのパーティーにも入るつもりはなくて……」
「あぁ、そうなのか。不躾に誘ってしまって申し訳ない」
「い、いえ……」
端的にやり取りが終わってしまう。
断った理由を話すべきだろうか、と思い悩んでいると、そんな僕の言いたげな様子を見てか青年が尋ねてきた。
「何か特別な理由でもあるのかな?」
「えっと、今はヒューマスの町で別のことを中心にやっていて、冒険者稼業は本職じゃなくて片手間の副業って感じで……」
「それじゃあ、君の本業っていうのは……?」
「そ、『育て屋』っていうのをやってるんですけど……」
青年はきょとんと不思議そうな顔をしている。
いきなり育て屋なんて聞かされてもわかるはずがない。
遅れてそれを悟った僕は、すぐさま育て屋について説明を重ねた。
「あっ、えっと、育て屋っていうのは、他の冒険者の成長を手助けする仕事で、簡単に言うとレベルを上げる手伝いをしてるんです」
「へ、へぇ。今はそんな仕事があるのか」
たぶん、こんなことをしているのは僕くらいだけど。
もしかしたらこの地上のどこかには、僕と似たような仕事をしている人がいるかもしれないけど。
とりあえず育て屋のことがある程度は伝わったみたいでよかったと思い、僕は改めて頭を下げた。
「というわけで、今はヒューマスの町で駆け出し冒険者の手助けをしたいと思ってるんです。誘ってもらっておいて、申し訳ないんですけど……」
「いいや、何かやりたいことがあるならそちらを優先してくれ。むしろ自分も、いつか君の育て屋を頼らせてもらうかもしれないしな」
「よ、よかったら是非……」
そんなやり取りを終えて、青年はこの場を去っていった。
なんだか少しだけ申し訳ない気持ちが湧いてくる。
それと同時に、思いがけず育て屋の宣伝ができたことで、言い知れぬ喜びを感じていた。
こうして少しずつ、色んな人に育て屋のことを知ってもらえたら、お客さんも徐々に増えていくのだろうか。
青年に宣伝できただけでも、今回の昇級試験に参加した意味はあったかもしれない。
密かに拳を握り込んでいると、先ほどの青年と代わるようにして戻って来たコスモスが、きょとんと首を傾げた。
「今の誰? ナンパ?」
「なんで男にナンパされなきゃいけないんだよ。いや、女性からナンパされてもびっくりするけど」
トンチンカンなことを言うコスモスに呆れながら、僕は大きく肩をすくめた。
「パーティーに勧誘されただけだよ。腕の立つ冒険者を探してたみたいで、今回の試験結果のトップが僕だったから、声を掛けて来てくれたんだ」
「あぁ、なるほど。それで、その勧誘はちゃんと断ったの?」
「うん、申し訳なかったけどね……。って、なんだよ“ちゃんと”って? なんで僕が断らなきゃいけないみたいな言い方するんだよ」
「なんでって、それはもちろん私と……」
…………私と?
何を言いかけたのかと疑問に思うと、コスモスはハッとして顔を真っ赤に爆発させた。
「な、なんでもないわよ! とにかく私の報告も終わったし、さっさと町に帰るわよ!」
「……お、おう」
なんだか忙しい奴である。
じゃあ帰ろうかと思って、後ろにいるローズにも視線を送って帰宅を促す。
今回の試験が育て屋の宣伝に繋がればいいんだけど、なんて思いながら歩き出そうとすると――
後ろを振り返ったその瞬間、視界の目の前に“大きな人影”が見えた。
「うおっ!」
すぐ真後ろに誰かが立っていて、僕は思わず不細工な声を上げてしまう。
びっくりした。まるで気配を感じなかった。
しかもその人影が、僕よりも大きなものだったので余計に驚きである。
いまだに心臓がバクバク鳴っているのを自覚しながら、僕は改めて目の前の人影を見上げてみた。
するとさらに驚くべき事実が発覚する。
その人影は、女性だった。
「……」
そしてその女性は、無言だった。
ひたすら無言で、僕のことを見下ろしていた。
青い前髪の隙間から、無感情な視線を向けて来ている。
いったい何を考えているのか掴みづらい顔で、加えて何も言ってくれないので異質な空気が漂っている。
ある程度の軽装と、背負っている“大きな盾”を見るに、おそらく冒険者だと思われるが。
誰なんだろう、この人?
遅れてその女性に気が付いたローズとコスモスも、彼女の異様な雰囲気に戸惑って、言葉を失って固まっていた。
何も言ってはくれないけれど、じっと僕のことを見下ろしているので、僕に用事があるのは確かだろう。
しかし一向に何も言ってくれなかったので、僕は意を決してこちらから声を掛けることにした。
「……あ、あのぉ、何か?」
「……」
尋ねると、その女性は何も言わずに後ろを振り向いてしまった。
その後、スタスタと立ち去って行ってしまう。
置いてけぼりにされた僕は、どう反応していいのかわからずに困り果てた。
「な、なんだったのかしら、今の?」
「さ、さあ……?」
なんだか不思議な雰囲気の女性冒険者だったけれど、いったい僕に何の用があったのだろうか?
その答えはもはや知る由もない。
ともあれそんな心残りがありながらも、僕たちは無事に昇級試験を終わらせたのだった。