第三十七話 「育て屋は儲かりません」
駆け出し冒険者の町――ヒューマス。
コンポスト王国の中央部に広がるリーフ領に、その町はある。
危険な魔獣区域が付近にはなく、安定した治安と快適な気候で人々が穏やかに暮らしている。
かくゆう僕もこの町でのんびりとした生活を送らせてもらっている。
特に町の東区にある住宅区は、昼間になっても人の往来があまりなく、家にいると外の喧騒もまったく聞こえてこない。
そのせいもあるのか、僕はたまに昼過ぎまで眠ってしまうことがある。
「ん〜」
そして今日も眠気に身を任せて、僕は惰眠を貪ったのだった。
育て屋を開業してから、早くも一ヶ月と半分が過ぎた。
激動だった勇者パーティー時代に比べて、僕は毎日のんびりと過ごさせてもらっている。
育て屋には決まった始業時間や終業時間がないので、こうして生活リズムが乱れがちになる。
定期的にお客さんが来てくれるのなら、就業時間を決めようという気にもなるのだけど、一ヶ月半が過ぎた今でも客足はまるで伸びていなかった。
やはりろくに宣伝していないのと、まだ怪しまれているというのが足枷になっているのだろう。
とりあえずはローズが不定期に、僕が負担した解呪費を返しにやって来てくれるので、それを頼りにさせてもらっているけど。
……ていうかそろそろ起きるか。
「……んっ」
ゆっくりと瞼を持ち上げてみると、見慣れた天井が視界いっぱいに広がった。
……いや、広がることはなく、ぼやけた視界には“黒い何か”が映り込んだ。
なんだろうこれ?
そう思いながら寝ぼけ眼をパチパチとさせて、なんとか焦点を合わせると、なんと目の前には“黒髪の幼女”がいた。
「…………えっ?」
予想外の景色を目の当たりにして、呆気に取られてしまう。
幼女は具体的には、ベッドで仰向けに眠っている僕の顔を横から覗き込んでいた。
そのため彼女とばっちりと目が合って、お互いに固まってしまう。
幼女はぽかんと間の抜けた顔をしており、僕もおそらくは同じような顔をしているのではないだろうか。
「……お、おはよう?」
とりあえず寝覚めの挨拶を送っておく。
すると彼女は、『ボンッ!』という効果音が出るくらい一気に、顔を真っ赤にさせた。
直後、慌てたように飛び退り、足をもつれさせて尻餅をつく。
「びび、びっくりさせるんじゃないわよ!」
「……いや、それはこっちの台詞では?」
起きた瞬間に目の前に誰かがいたんだから。
それが見知った人物だったからまだよかったけれど。
「なんでコスモスが僕の部屋に……?」
僕は体を起こしながら欠伸混じりに問いかける。
コスモスはあの一件以降、ローズに並ぶほど顔を見せてくれる常連となった。
だから僕の家にやって来ること自体は珍しくはないけれど、断りもなしに入って来たのは初めてだ。
なんでこんな大胆な盗人みたいなことを?
「い、いくらノックしても返事がなかったから、何かあったのかと思って勝手に上がらせてもらったのよ。外出中の札も掛かってなかったし」
「あぁ……」
こちらの疑問を感じ取ったコスモスが、すごく正当性のある理由を話した。
なるほど、それなら納得である。
「ごめん、寝てて気が付かなかった。この部屋で寝てるとノックとかまったく聞こえなくて……」
「にしたって警戒心がなさすぎるでしょ。鍵も開けっ放しだったし、私が部屋に入ってもまったく起きなかったし、もう少し気をつけなさいよね。私なんて何して待ってたらいいかわからなかったわよ」
それは申し訳ない限りである。
確かに、いくら治安がいい町だからといって、物盗りがまったくいないわけではない。
コスモスの言う通り、もう少し警戒心を高めるようにしておこう。
「ていうか、部屋まで来たなら律儀に待たずに、すぐに起こしてくれたらよかったのに」
「いや、その、随分と気持ちよさそうに眠ってたから、起こすのも悪いと思って……」
コスモスはなぜか頬を赤くしながらそっぽを向いてしまう。
まあ、そんな気遣いのおかげで、僕は今日もぐっすりと眠れたわけだから感謝しなくてはならない。
「とにかく、もうこんなことがないように、呼び鐘かノッカーくらいは付けておきなさいよね。貴重なお客さんを逃しちゃうことだってあるかもしれないんだから」
「ここはお屋敷とかじゃないから、ノックするか声を掛けてくれたら充分な気がするんだけど……」
「いや、現に私のノックにはまったく気付いてなかったじゃない」
という鋭いツッコミに、僕は冗談混じりに返した。
「コスモスは非力で手も小さいからね。ノックの音も物凄く小さかったんじゃないかな?」
「へぇ、そう。なら今度からは魔法撃って知らせるわね」
「この家がなくなるわ!」
詠唱した『流星』をこの家に撃ち込まれたら、ノックどころの騒ぎではない。
完全にこの家が吹き飛んで、最悪東区の住宅地区が丸ごとなくなってしまうではないか。
最近ますますスキルのレベルを上げているということなので、余計に恐ろしい。
そんな冗談混じりのやり取りをしながら、僕はおもむろにベッドから立ち上がる。
お客であるコスモスが来たということで、寝起きだが持てなしの準備をすることにした。
と言っても、軽めにお茶とお菓子を出すくらいだけど。
のそのそとお茶の準備をして、ようやくのことで席に座ると、僕は改めてコスモスに尋ねた。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「またお金を払いに来たのよ。昨日の魔獣討伐でそこそこ稼げたし、今日で一気に払っちゃおうと思って」
それを聞いて、僕は“なるほど”と頷く。
現在、ローズの他に、コスモスも不定期に僕のところにお金を持って来てくれる。
というのも、コスモスは育成依頼の報酬金が未払いの状態なのだ。
『レベルが一つ上がる度に300フローラ』
それが育て屋の金額設定で、駆け出し冒険者にも支払いやすい額になっている。
ただ、コスモスの場合は報酬金額が異常なまでに跳ね上がってしまい、一度に支払うと懐に負担が掛かってしまうのだ。
なぜ、それほどまでに金額が上がってしまったのかというと……
「別に天職のレベルの分だけでいいって毎回言ってるのになぁ。僕だって最初はそのつもりだったし、コスモスの依頼を引き受けた時も別にそこまで取るとは言わなかったし」
「そういうわけにも行かないでしょ。私の場合は天職よりも“スキルのレベル”の方をたくさん上げてもらったわけだから、その分を払わないと不平等になるじゃない」
確かにコスモスの場合は、天職よりもスキルのレベルの方が大幅に成長した。
しかし依頼を引き受ける時、スキルのレベルまでも含めるとは明言していなかったと思う。
だから後から追加条件みたいに依頼報酬を受け取るのは気が引けるんだよなぁ。
レベルが一つ上がる度に300フローラ、とは言ったものの、そこにスキルのレベルまで含めていいものか……
「私が払いたいんだから、あんたは大人しく受け取っておけばいいのよ。ただでさえあんた金銭的に厳しい状況なんでしょ?」
「うっ……!」
まあ、今はぶっちゃけローズが返しに来てくれるお金が頼りみたいなところはあるけど。
彼女のお母さんを助けるために、貯金を切り崩して莫大な解呪費を立て替えたわけだし。
最初はその貯金でスローライフを送ろうと思っていて、それがほぼ丸々なくなったので懐は厳しい。
育て屋としての稼ぎもほとんどないし、冒険者階級だって五級になっちゃってるし。
やはり日雇いのバイトでもするしか…………なんて憂鬱な考えが脳裏をよぎった時、コスモスが焼き菓子を頬張りながら不意に言った。
「そういえば、そろそろこの町で昇級試験があるわね」
「えっ?」
「五級から四級に上がるための、冒険者の昇級試験よ。せっかくならあんたも受けてみれば?」