第三十五話 「星屑師の育て方」
オルキデはコスモスを警戒するように飛び退る。
まるで逃げるように、父と兵士がいるところまで戻って来ると、リゼロンの戸惑った声が耳を打った。
「ど、どういうことだオルキデ! なぜコスモスがあのような力を……!」
「わかりません。おそらく陰で潜んでいる仲間たちから助力を受けているのかと……」
という可能性を話してみるが、すぐにその意見に自らかぶりを振る。
冷静に考えれば、その可能性がないと簡単にわかる。
コスモスの仲間の一人に、身体強化魔法の使い手がいた。
その者から“魔力強化”の支援魔法を受けていて、魔力を極限にまで高めているのなら先の巨大岩の説明もつく。
そう考えてはみたが、それにしたって今の威力は明らかに異常だ。
これほどの力を持っていたのなら、二週間前のその時に使っていなければおかしい。
(だったら今の魔法はなんだというのだ……!)
というこちらの疑問に答えるように――
コスモスが、緊迫した戦場に似合わない台詞を口にした。
「【キラキラの笑顔――ドキドキしたこの気持ち――輝けわたしの一番星】」
「それは……」
違う意味で背筋がゾッとする奇妙な式句。
幼稚な言葉を羅列しただけのそれには、確かな聞き覚えがあった。
星屑師が唯一持っているスキル――『詠唱』の式句である。
その効果は、使用者の魔力を倍増させるというもの。
しかしその上昇率は笑えるくらい低く、外れ天職にお似合いの超外れスキルだったはずだ。
なぜそれを今……
「くだらないスキルだって思ってたでしょ」
「……?」
「恥ずかしい式句を唱えなきゃいけないし、相手に隙を晒すことにもなる。それでいてまったく魔力が上がらないんだから、誰だってこんなスキル外れだって思うわよね。父様も、兄様も、私自身でさえそう思ってた。でも……」
何を思っているのか、コスモスは嬉しそうに微笑んだ。
「たった一人だけ、この力の“可能性”に気が付いてくれたわ」
「可能性……?」
「詠唱スキルの効果は、特定の式句を唱えることによって魔力を倍増させるっていうもの。でもその倍率はレベル1の時点で『1.05倍』。レベル6になってようやく『1.3倍』だったの。元の魔力の低さのせいで、それだけじゃ石ころをほんの少しだけ大きくするのが関の山だった」
それはオルキデたちも知っていることだった。
あの詠唱スキルは使い勝手が悪いだけでなく、効果も貧弱なものだった。
レベルを上げてもその倍率がほとんど変わらず、可能性なんて微塵も感じなかった。
だが……
「あいつだけは、このスキルの真価に気が付いて、この二週間…………詠唱スキルの成長だけに力を注いでくれたわ」
「そ、それにいったい、何の意味が……」
無意味な行いにしか聞こえなかった。
しかしコスモスは自信たっぷりに続ける。
「知ってた? スキルって使えば使うほどレベルが上がっていくものだけど、最大レベルに近づくほどレベルが上がりづらくなるんだって。でね、どのスキルもレベルの上限は“10”だって言われてるのよ」
「ぶ、侮辱しているのか……! それくらい誰だって知っている!」
天職のレベルと仕組みは同じだ。
スキルも使うことによって神素を得て、レベルを成長させていく。
そのスキルがどれだけ魔獣討伐に役立ったかによって、神素の獲得量も変わるようになっており、最大レベルに近づくほどレベルは上がりづらくなっているのだ。
逆に最大レベルに遠いほどレベルは上がりやすくなっている。
天職の場合はそのレベルの上限が“50”だが、スキルの場合はさらに下の“10”になっている。
「ただ、それはあくまで一般的な話で、中には例外もあるんだって」
「例外?」
「最大レベルが“10”までしかない、『見習い戦士』なんて天職があったり……逆に最大レベルって言われてる“10”に達しても、その上限を超えてさらに成長していく“規格外のスキル”があったり……」
「……」
こいつはいったい、何を言っているのだ?
その口ぶりではまるで、星屑師が持つ『詠唱』のスキルが……
「あいつに言われて私も気が付いたけど、確かにおかしいとは思ってたのよね。私はほとんど詠唱スキルを使ったことがなかったのに、あいつに会った時点でもう“レベル6”に到達してた。スキルはもっと使い込んでないとレベルが上がらないはずなのに、いくらなんでもその成長速度はおかしいって」
長々と焦らすような説明に、とうとうオルキデが痺れを切らした。
「さ、先ほどからお前は! いったい何が言いたいっていうんだ!」
「私の『詠唱』スキル…………もうレベル“30”なのよ」
「……はっ?」
レベル30。
聞き間違いかと思ってしまった。
同じくリゼロンや他の兵たちも、耳を疑うように固まっている。
「まあ、信じられないのも無理はないでしょうね。自分でもいまだに夢だと思ってるくらいだもの。でも事実、私の詠唱スキルは上限を超えてレベル30になったわ。おかげで魔力上昇率は『4倍』にまで跳ね上がった。そういうレベル上限が定かじゃないスキルのことを『超常技能』って言うんだって」
「で、デタラメだ……! テキトーなことを言うんじゃない!」
魔力上昇率『4倍』。
仮にコスモスの魔力値が300だったとしても、そのスキルの効果で“1200”という訳のわからない数値にまで上昇してしまうではないか。
すべて証拠のないただの出まかせだ。口ではなんとでも言えてしまう。
だが、先刻に見たあの魔法の恐ろしさが、残酷にもそれを裏付けてしまっている。
「嘘だと思うならそれでも結構だけど、本当に次は容赦しないわよ」
「ど、どうしてそこまでレベルを上げることができたんだ……? しかもたった二週間で……」
「たった二週間でそこまで成長させてくれる“変な奴”が、この世にはいるのよ」
改めてコスモスの強さを理解して、オルキデは悔しそうに歯を食いしばった。
わざわざ馬鹿正直に能力を開示したのは、こちらの戦意を奪うため。
あえて手札を晒すことにより、圧倒的な実力差を示してこちらを退かせようと考えているのだ。
実際、兵士たちの何人かは、今の説明を受けて戦意が大きく削がれている。
同じくオルキデもどのように打って出ればいいのか、まるでわからずにいた。
「ハハッ! タネが割れたらどうってことねえ! あの詠唱をされる前に近づいちまえばいいだけだろ!」
しかし兵士の中に一人だけ、好戦的な意思を残す者がいた。
その男は小さなナイフを構えてコスモスに接近していく。
後ろから見ても、その者が超人的な速力を宿していることは一目でわかった。
あれならば確かに、コスモスの初撃を躱すことができれば、次の詠唱をされる前に近づくことができる。
詠唱さえさせなければ怖くはないので、一見は正しい対処に思えるけれど……
「ふ、不用意に近づくな!」
男がコスモスの一定距離まで近づくと、彼女の頭上に魔法陣が“自動展開”された。
そこから、先刻よりもやや小さいが、殺傷力充分の岩石が飛び出して来る。
男を迎撃するように放たれたそれは、油断していた彼に直撃して鈍い音を響かせた。
「ぐああっ!」
あまりの衝撃にこちらの足元まで吹き飛んできて、男は意識を失った。
見ただけでわかる。上半身の骨の大部分が複雑に折れている。
正直生きているだけでも奇跡と言えるので、彼にとっては不幸中の幸いだっただろうが。
「やはり、すでに展開していたか……!」
周囲の敵意を感知して自動で迎撃する流星魔法――『浮遊流星』。
あの魔法も以前は、ただの石ころを飛ばすだけの魔法で、感知範囲も手が届くくらいまでしかない欠陥魔法だった。
だが魔力倍増の詠唱スキルを使うことにより、威力と感知範囲を見違えるほど上昇させている。
こうなると付け入る隙がまったく見当たらない。
浮遊流星の効果時間は割と長かったと記憶しているし、下手に仕掛ければ第一犠牲者の男のように岩石の餌食になってしまう。
かといってこのまま傍観していても、いずれ痺れを切らしたコスモスが巨大岩石を放って、この場にいる全員を岩の下敷きにするやもしれない。
「こんな場所に人肉の絨毯なんて作りたくないのよね。だからもう尻尾巻いて帰ってくれないかしら?」
「……くっ!」
悔しながらそれしかないと思わされてしまう。
もうあの愚妹に憎しみをぶつけることは諦めてしまった方がいいと考えるけれど……
「あ、あれは、まさに俺が求めていた力だ……!」
「……と、父様?」
先ほどから黙り込んでいた父のリゼロンが、目を輝かせてコスモスを見上げていた。
その瞳に宿るのは、圧倒的なまでの期待の念。
絶対的な力を目の当たりにして、完全に心を奪われていた。
「ようやくだ! ようやく俺の期待に応えてくれたようだな、コスモス!」
「はっ?」
「次代のエトワール家を背負うべきなのは、間違いなくお前だ! やはり俺の目に狂いはなかった! さすがは俺の娘だ! 一族繁栄のために是非ともその力を貸すがいい!」
「……」
コスモスは、呆れて言葉も出ていなかった。
同様にオルキデも耳を疑う台詞を聞いて唖然とする。
「と、父様! 話が違います! 次期当主の座はこのオルキデにと……」
「黙れこの出来損ないが! 二つも下の妹に才能で劣っているだけでなく、実力でも敵わないとは恥知らずもいいところだ! エトワール家の汚点であるお前などいらぬ! さっさとうちから出て行け!」
「……」
見事に手の平を返されて、オルキデは失意の底に陥った。
対してリゼロンは態度を変えて、希望の星であるコスモスに甘い声を掛ける。
「安心しろコスモス。お前が嫌っている兄は、もうエトワール家から追い出した。これで何の心配もなくうちに戻って来られるぞ。これからはエトワール家繁栄のために、共に力を合わせていこうじゃないか」
聞いているこちらの方が、気分が悪くなるような媚びた声音。
その誘いを受けたコスモスは、心底うんざりしたように……
「父様、何か勘違いをしてるみたいだけど……」
ため息混じりに呟いて、右手の杖を構えた。
「【高速流星】!」
威力ではなく速さに特化した流星魔法――『高速流星』。
詠唱スキルにより、大きさよりも速度が跳ね上がった岩石が、凄まじい速度でリゼロンの腹に直撃した。
「ぐあっ!」
その衝撃によってリゼロンは吹き飛ばされる。
激痛によって地面で悶えている彼に、コスモスが追い討ちの罵声を浴びせた。
「私が一番嫌いなのは、どこまでも性根が腐ってるあんたの方よ! このクソ親父がッ!!!」
「ぐっ……うっ……!」
冷え切った視線で父親を見下ろしながら、コスモスは脅しを掛けるように宣言した。
「二度と私の前に、その汚い髭面見せんじゃないわよ。もし視界に入ったらその瞬間に……岩の下敷きにして肉片に変えてやるから」
それが、リゼロンの心を完璧にへし折る一言になった。
直後、今度はこちらに視線を振ってくる。
「それと兄様……」
「な、なに……かな……?」
「兄様にも色々と迷惑を掛けられたから、父様と同じように一度は痛い目に遭ってもらいたいんだけど。そうね、大人しくしててくれたら、腕の一本くらいで勘弁してあげようかしら」
「う、腕……?」
ぞくりと背筋が凍えてしまう。
果たして、腕の一本で済むかどうか。
あの父が地面で悶えたまま起き上がれずにいる。
先ほどの魔法でも、当たりどころが悪ければ、最悪死ぬかもしれ……
「キラキラの笑顔……」
「や、やめてくれ……」
ゆっくりと杖の先をこちらに向けてくるコスモス。
言い間違いがないように、彼女は噛み締めるように式句を唱えていく。
「ドキドキしたこの気持ち……」
「本当に、やめてくれ……」
恐怖という接合剤によって、生涯、その幼稚な式句が頭から離れなくなってしまう。
だから、どうか、お願いだから……
「輝けわたしの……一番星」
「やめてくれえええぇぇぇ!!!」
叫び声を響かせたオルキデは、圧倒的な絶望感で脳内を満たした。
その後の記憶はない。