第三十四話 「星屑師」
あの日のことを今でも忘れない。
妹の天職が判明した時のこと。
それまで自分に向けられていた父の関心が、一瞬で妹にすべて奪われた。
幼い頃から期待されて、それに応えようと陰でも努力を惜しまなかったのに。
ただ天職が珍しいというだけで、何の努力もしていない妹が注目されるのは間違っている。
『……ふざけるな』
憎かった。
羨ましかった。
妹のことが大嫌いになった。
どうして何の努力もしていないお前が期待されるんだ。
今まで自分がしてきたことが、すべて無意味だと言われたみたいだった。
そして妹が生まれてからは、地獄のような日々を送ることになった。
『オルキデ、お前はもう好きにしていろ。俺はコスモスの育成に注力する』
自分に無関心になった父親。
同様にコスモスに夢中になる親族たち。
自分は家中において、完全に不要な存在になった。
決して自分の天職が劣っているとは思わなかった。
しかしコスモスの天職の希少性には、注目度で敵うはずもなかった。
何より父は、自分の『夜騎士』の天職にそこまで好感を抱いてはいなかった。
『特定の条件下のみでしか力を発揮できないとはな。エトワール家の血も随分と濁ってしまったものだ』
使い勝手の悪い力に、父は不満を持っていた。
そこに現れた、希少な天職を持った希望の星。
父の関心が向くのは当然のことだったのかもしれない。
そして誰もが妹に夢中になって、陰からそれを見つめることしかできない生活を十年ほど送ると……
思わぬ転機が訪れた。
『ふざけるな! 俺が今までどれだけの時間と労力をお前に掛けてきたと思っているのだ!』
妹のコスモスが、勝手に失墜した。
父はコスモスに多大な期待を寄せて、幼い頃から最上級の教育を施してきた。
そして十四歳になって安全が認められたら、ようやく狩りへと連れ出していった。
それからコスモスは過保護とも言える支援のもと、着実に天職の力を成長させていった。
じっくりと、三年もの月日を掛けてレベル10に到達して、そこでようやく父の目が覚めた。
コスモスは親族の期待に反して、石ころを飛ばすことしかできなかった。
『お前のような汚れた血はこのエトワール家には不要だ! 二度とうちの敷居を跨ぐな!』
コスモスの無能さが露見して、父の怒りを買った彼女はエトワール家を追放された。
絶好の機会だと思った。
妹に奪われていた関心を自分に引き戻すことができる最大最後の機会。
愚妹の代わりに自分が身を粉にして尽力すると言うと、父は再び自分に向き直ってくれた。
やはり次代のエトワール家を背負って立つのは自分なのだと再確認できた。
同時に家を追い出されたコスモスを見て、心の底からざまぁないと思った。
加えて奴に縁談が持ち上がり、その相手の素性を知った時、これまでの恨みが形となって現れたのかと思ってしまったくらいだ。
だからこそあの時、思わぬ邪魔が入ってコスモスを連れ戻せなかったのが、心底悔やまれる。
その二週間後の夜。
オルキデは馬車に乗って草原を駆けていた。
中には彼の父親であるリゼロン・エトワールもおり、同様に複数の人を乗せた馬車が後ろに続いている。
「申し訳ございません父様。愚妹を連れ戻すことができずに……」
オルキデは改めて二週間前の不手際を父親に謝罪する。
コスモスを連れ帰って来いと命じてきたのは父なので、その期待に応えられず申し訳ない限りだった。
だが父のリゼロンは特にオルキデを咎めることはしなかった。
「それはもういい。それよりもコスモスの後ろ盾をしている者の詳細は掴めたのか?」
「それもまだ詳しいことは……。ただ最近、例の町で行われた冒険者の昇級試験にて、規格外の記録を叩き出した者がいるという話を耳にしました。その者の特徴と私が対峙した少女の外見が似通っているので、おそらく同一人物ではないかと」
「冒険者か……」
リゼロンは不機嫌そうに眉を寄せる。
ともあれ横入りしてきた少女については、引き続き調査するということで話は落ち着いた。
次いでオルキデは、今度は逆に父に対して問いかける。
「それよりも、本当によかったのですか? 来ていただいたのはとても心強くはあるのですが、わざわざ父様がこのような辺境の地などに……」
「コスモスの後ろ楯をしている者に挨拶しておこうと思ってな。こちらを邪魔したばかりでなく、次期当主のオルキデにまで危害を加えてきたのだ。これはもはやエトワール家が喧嘩を売られたも同然。現当主としてその者と、聞き分けの悪いバカ娘を直接躾けてやるつもりだ」
「次期、当主……」
父のリゼロンの話は、半分ほどしか耳に入ってこなかった。
今一度父親の口から『次期当主』の言葉を聞き、オルキデは歓喜の叫びを押し殺す。
そしてその喜びを意気込みに変えるように、オルキデは自信満々に言い切った。
「必ずやエトワール家繁栄のため、愚妹のコスモスを家に連れ戻してみせます」
「俺も手を貸すわけだからな、せいぜい嫁入り前のあの出来損ないが傷者にならないよう加減を心得ておけよ」
「はい」
やがて彼らを乗せた馬車は見晴らしのいい草原へと辿り着いた。
以前に立ち寄ったヒューマスという町から、少しだけ離れた場所。
そこらに僅かに木々が生えていたり、小高い丘があるくらいで、目立ったものは何もない。
馬車から降りて辺りを確認したオルキデたちは、怪訝そうに首を捻った。
「この辺りにコスモスがいるんだな」
「はい。臨時で雇った『観測師』はそう言っています」
コスモスを連れ戻すために雇った観測師。
その者の能力でコスモスのあらかたの居場所は常に掴めている。
その観測師によればこの何もない草原に気配を感じたとのことだが。
肝心のコスモスの姿が見当たらなかった。
と、思った束の間……
「んっ?」
僅かに迫り上がった丘の上に、小さな人影が見えた。
今夜は月が明るくて視界が良好なので、その者がコスモスだということが離れていてもわかる。
見下ろされているのは大変気分が悪かったが、極力笑顔を心がけて声を掛けた。
「やあコスモス。約束通り迎えに来てあげたよ。でもまさか、こんな辺鄙な場所にいるとは思わなかったな」
「……父様も来たのね」
コスモスはこちらを見下ろしながら、戦力を確認するように視線を泳がせる。
馬車で連れて来た兵士、総勢三十名。
正直あの赤髪の少女に対抗するにはもっと数が欲しいところだったが、大人数での長距離移動は負担が大きくなるためやめておいた。
それに一人一人が強力な天職を持つ使い手たちで、加えてノワール伯爵家現当主のリゼロン・エトワールまでついて来てくれることになったので、これだけの兵力で事足りると思ったのだ。
という心構えで来たのだけれど、その予想に反して、いるはずの人物がここにはいなかった。
「あれっ? 今日はお仲間は一緒じゃないのかな? もしかして見捨てられてしまったのかい?」
「いいえ。うちのことに巻き込むのはもう嫌だから、他の人はここに呼んでないだけよ」
「……」
オルキデは周囲を窺う。
いないと思わせて奇襲を仕掛けるつもりかと思ったが、確かに辺りに気配は感じない。
どうやら本当にコスモス一人だけのようだ。
「たった一人で待っているなんて随分と潔いね。もしかして大人しくうちに戻ってくる気になったのかな? だとしたら殊勝な心がけだけど……」
「まさか。誰があんな家に戻りたいって思うのよ。娘をただの政略道具としてしか見てない家になんて、頼まれたって戻ってやるわけないわ」
まあそう言うだろうと思った。
するとその台詞に反応したのは、父のリゼロンだった。
「黙って聞いていれば好き勝手言ってくれるな。俺の期待に添えなかっただけでなく生家のエトワール家も侮辱するとは。あれだけ手を尽くして育ててやったのに、その恩も忘れたのか……!」
「育ててくれたことには感謝してるわよ。でもそれも結局は政略のためでしかなかったし、何よりその後私のことを追い出したじゃない。恩より恨みの方が強いに決まってるでしょ」
コスモスはその恨みをさらけ出すように、歯を食いしばって続ける。
「行く当てもなくなった人間の気持ちが、あんたたちにわかる? 誰にも必要とされてないってわかった時の絶望感が、あんたたちに理解できる? 自分が明日どうなってるかもわからない。まともにご飯を食べられる保証もない。不安と恐怖で押し潰されそうになったわ」
「だからこうしてリッシュ侯爵家の子息と縁談を決めて、居場所を用意してやったではないか。もう食い扶持に困ることもない。将来に不安を抱くこともない。エトワール家に恩を返すこともできる。お前にとっては良いこと尽くめではないか」
「冗談はその髭面だけにしておきなさい。私が家に戻って得するのはあんたたちだけでしょ。そんなことで私が騙されるとでも思ってるのかしら」
その会話を傍らで聞いて、オルキデは思わずため息を漏らした。
この愚妹には何を言っても無駄だと悟る。
「やはり力尽くで連れ戻すしかないみたいですね、父様」
オルキデは装備魔法を使い、甲冑と剣を取り出す。
同様に父も従者から槍を受け取り、その矛先をコスモスに向けた。
「夫となるポンセ殿に申し訳ないから、あまり手荒な真似はしたくないんだけど……」
「無駄に抵抗するようなら腕の一本くらいは構わん。痛めつけて黙らせろ」
「わかりました、父様」
父から改めて戦闘許可をもらい、オルキデは内心でほくそ笑む。
これに乗じて憎き愚妹を、思う存分痛めつけることができる。
このために自分はコスモスの連れ戻しに強く賛成したと言っても過言ではない。
心の底から歓喜しながら、ゆっくりとコスモスに近づいて行くと、彼女は右手の杖を構えた。
「動かないで」
「……?」
「それ以上こっちに近づいて来たら撃つわ。たとえ兄様たちでも容赦はしない」
オルキデは思わず自分の耳を疑ってしまう。
直後、笑い声が吹き出てしまった。
「“撃つ”って、もしかしてあの石ころの魔法をかい? まさかそれで脅しになっているとでも思っているのかな?」
「……」
コスモスの力を知っているからこそ笑えてくる。
あんな魔法しか使えないくせに、それを脅しに使ってくるなんて冗談にしか聞こえない。
しかしコスモスの表情は真剣そのものだった。
「これを撃てば、下手したら怪我だけじゃ済まないかもしれない。だから大人しく背中を向けて、あの腐り切った家に帰ることね」
「……本気で言っているのかいコスモス?」
今度こそハッタリだと思った。
あの石ころを飛ばす魔法だけでそこまで大事になるとは思えない。
怪我はおろか土クズ一つ付けることだって難しいはずだ。
おそらくコスモスはハッタリのみでこの場を凌ぎ切ろうと考えている。
やはりあの仲間たちには見捨てられてしまい、苦し紛れにハッタリでどうにかしようと思っているのだ。
「あんな石ころ程度で私たちを止められるはずもない。撃ちたかったら自由に撃てばいいさ」
オルキデは鋭い目つきで、コスモスを睨みつける。
「ただ、覚悟して撃つことだね。それが実質開戦の狼煙になって、君は手痛い思いを味わうことになるんだから」
そう言って逆に脅し返した。
脅しとはこうやってするものだと教えるように。
そしてオルキデは、コスモスの脅しなど意に介さず、力強く剣を握った。
「じゃあ、行くよコスモス」
地面を蹴飛ばし、草原を駆け抜ける。
右手に握った剣を振り上げて、コスモスに斬りかかろうとすると、彼女は宣言通りに魔法を放った。
「【流星】!」
杖の先に魔法陣があらわれる。
何度も見た光景。何度も聞いた魔法。
昔から変わらないそれを鼻で笑いながら、オルキデはコスモスに接近していった。
飛んでくる石ころなど無視して、一気にコスモスを押さえつける!
――そう思って走り出したのだが……
「……はっ?」
オルキデの周りに、真っ黒な影が落ちた。
月明かりが完全に遮断されて、ほとんど何も見えなくなってしまう。
迫り上がった丘の上に見えたコスモスも、今はまったく見えなくなっており、代わりに彼の目の前には……
「…………家?」
家。戸建ての家。
家が、飛んで来たのかと思った。
「――っ!?」
オルキデは咄嗟に横に跳ぶ。
背中に強烈な風を感じながら、己の危機感に従って全力で逃亡した。
直後、凄まじい衝撃と音が後方から襲いかかってくる。
冷や汗を滲ませながら振り返ると、先ほどまで自分が立っていた場所に……
背筋が凍えるほど“巨大な岩”が、草原に突き刺さるように落ちていた。
「な……にが……起き…………?」
オルキデの脳内は疑問符で埋め尽くされる。
しかしすぐに理解に至った。
自分は確かに見た。
コスモスの構えた杖の先から、あの特大の岩石が飛び出してくるのを。
ただの石ころが出てくるはずだった魔法陣から、家と見間違えるほど大きな岩が…………いや、“星”のように大きな岩が放たれるのを。
「ど、どういうことだ……? コスモスの魔法は、ただ石ころを飛ばすだけじゃ……」
オルキデは激しく錯乱する。
父のリゼロンも言葉を失う。
連れて来た兵士たちも竦み上がる。
その景色を丘の上で見下ろしながら、コスモスは冷え切った言葉を掛けてきた。
「次は…………本気で当てるわよ」
「……」
赤髪の少女と対峙した時のような、あの凄まじい寒気と緊張感が、全身を駆け巡った。