第三十話 「夜騎士」
「三年前に社交会で顔を合わせたことがあるだろう。当時から君のことをいたく気に入っていてね、実は手紙やら晩餐会の招待状が度々送られて来ていたんだよ」
そのうちの一つだろうか、コスモスの兄のオルキデは一枚の封筒を投げてくる。
鋭く飛んできたその封筒に、コスモスは反応し切れずにビクッと顔を覆った。
代わりに僕がそれを掴み取る。
オルキデはそれを不服そうに見ていたが、特に咎めてくることはなく「開けてごらん」と促してきた。
封筒をコスモスに渡すと、彼女はそれを恐る恐る開く。
特に覗くつもりはなかったのだが、つい視界の端に映って見てしまう。
身の毛がよだつような、尽くせる限りの愛の言葉が羅列された手紙を。
「ひいっ!」
コスモスは思わずといった様子で手紙を投げ捨てる。
それを見たオルキデは愉快そうに微笑み、若干呆れたように続けた。
「噂に聞いた限りだと、ポンセ・ルルド殿はかなりの幼児愛好者でね。発育が好ましいとは言えないコスモスに熱情を燃やしているみたいなんだ。その手紙を見てもらってもわかる通りね」
「……」
手紙の内容を見るに、確かにそのポンセ殿は、コスモスに対して並々ならない熱を入れているみたいだ。
「リッシュ侯爵家を継いだルルド家は、当時はまだ目立った功績もあげていない地方領主の一族だったけど、最近になって力を付けてきてね。今では国境付近に莫大な領地と軍を所有するまでになった。未開拓の魔獣区を高い軍事力で切り拓いて、王国の領土拡大に多大な貢献をしているというのは有名な話だよ」
「だ、だから何よ……」
「簡単な話さ。是非ともそのルルド一族とは繋がりを作っておきたいんだ。もちろんこれは父様だけの意思じゃない。エトワール一族の総意だよ。あとは言わなくてもわかるね」
コスモスは強く歯を食いしばり、吐き捨てるように言った。
「……その変態に尻尾を振れって言いたいんでしょ。結局私は政略のための道具ってことじゃない」
「使い道のないダメ娘に、再び相応しい席を用意してやったんだ。むしろ感謝してもらいたいくらいだな」
要は、コスモスを気に入っているお坊ちゃんのところに嫁に行って、上手く取り込めという話だ。
コスモスに対しての執拗なまでの愛情を見るに、彼女が愛想よくすれば丸め込むことは難しくないだろう。
上手くいけばエトワール家を大いに拡大させることができる。
「聞けばポンセ殿は、まだ精神的に未熟な面があるらしく、頭の出来もお粗末らしい。領民たちからも悪評が流れるほどで、親族たちは後継者としてポンセ殿を不安に思っているそうだ」
「だから私を送り込んでルルド一族を手中に収めようってわけね。道具としての利用価値が見えたら即刻連れ戻そうとするなんて、うちの家は本当に自分勝手な奴らが多いわね」
「ノワール伯爵家に戻って来られる機会を与えてやったんだぞ。ただの根無し草の薄汚い冒険者として生きるよりかは、断然幸せな選択だと私は思うけどね」
その薄汚い冒険者として生きてきた身として、隣で話を聞いているのはすごく気まずい。
ともあれまだ黙っておこうと口を閉ざしていると、いよいよオルキデは率直に言ってきた。
「一族の繁栄のためにも力を貸したまえ、我が妹コスモス」
「絶対に嫌よ。私はあの家には戻らない。天職の優劣だけで実の娘を家から追い出すような親のところに、今さら戻るわけがないでしょ」
ごもっともな意見だと傍で聞いていて思ってしまう。
理不尽な理由で自分を追い出した親元になんか、決して戻りたいとは思わないだろう。
しかも、戻ったらすぐに強引に嫁に出されるとわかっていて、ここで素直に頷けるはずもない。
話に聞いた限りの想像でしかないけど、その主人となるポンセとやらはよほどの曲者らしいし。
「我儘を言うなコスモス。政略的な婚姻など貴族の娘ならば誰もが受け入れていることのはずだ。たとえその相手が君に対して歪んだ愛情を抱いている、肥えた豚ような男だとしても、父様が言ったことなら従わなければならない」
ますます受け入れがたい事実を突きつけられて、コスモスの表情が引き攣っていく。
逆にオルキデは次第に高揚するように、白い頬に笑みを滲ませた。
「あぁ、今からとても楽しみだよ。愛しの妹が嫁いで一族の繁栄に貢献してくれることがね。兄としてとても鼻が高い。何より……」
頬に浮かべていた笑みを不気味に歪めて、オルキデは笑い声を漏らした。
「あの醜い豚の種子で孕んだ君を思うと、今から笑いが堪えられないよ」
「……」
オルキデから感じる確かな悪意。
それは悪戯心からなどではなく、はっきりとした憎悪によって生み出されている。
傍から見ていても直感できる。
オルキデはコスモスに対して、計り知れない憎しみを抱えていると。
こいつの目的は……
「それを聞いて、ますます頷けなくなったわね。兄様はただ“私が苦しむ姿を見たい”ってだけじゃない」
「勘違いしないでもらいたいね。もちろん第一はエトワール家のためだよ。そのついでに君が苦しむというだけで、それが僕にとっての主眼ではない。もしこれ以上拒むというのなら、力尽くでも君を家に連れて帰る」
オルキデの頬から笑みが消えて、明らかに戦闘態勢に入った。
コスモスは怯えるように肩を震わせる。
この場の空気が一段と重たくなったのを感じ取り、僕はようやくそこで口を開いた。
「あの、兄妹喧嘩なら他所でやりませんか?」
「んっ?」
薄暗い路地に僕の声が響く。
するとオルキデは不快そうな視線をこちらに向けてきた。
「一般市民ごときが、我々の話に口を挟まないでもらいたいね。というより先ほどから気になっていたが、貴様はいったい誰だ? コスモスとはどういう関係だ?」
「どういう関係? 僕はコスモスの……えっと……」
上手い答えが出てこなくて、つい言い淀んでしまう。
なんか似たような問いかけを、以前にもされたような気がする。
その時も同じようにこうして答えあぐねていたような……
とりあえず僕はパッと思いついたことを口走った。
「僕はコスモスの師匠です」
「師匠? ふっ、とても師匠という歳には見えないね。そこまで強そうだとも思えないし」
……何をぉ。
人を見た目だけで判断するんじゃない。
そう言おうと思ったけど、それだと自ら『見た目は弱い』と認めているみたいなのでやめておいた。
外見だけの話をするなら、目の前の青年の方がかなり強そうで整っているし。
「まあ、なんでもいいか。とにかく一庶民の君が下手に首を突っ込まない方がいい。コスモスと親しい間柄なのか知らないが、邪魔をするというのなら貴様にも容赦はしないぞ」
「いや、別に邪魔をするとは一言も言ってないんですけど」
こいつ人の話を聞かないタイプの人間だ。
別に僕は二人のやり取りを邪魔したいわけではない。
ちゃんと切りのいいところで話しかけたつもりだし、ずっと傍で大人しく見守っていたじゃないか。
「あ、あのですね、僕はただこんな住宅区で争いを始めるのは、色んな人の迷惑になるからやめた方がいいって言ってるだけで……」
幸いにも今は遅い時間なので誰もいないけど、もし誰かが来て巻き込んでしまったら洒落にならない。
町にあるものを壊したら問題になるし。
そう思って提案してみたのだけれど、オルキデはまるで話を聞いてくれなかった。
「【黒装】」
オルキデがそう唱えると、彼の全身が黒いモヤに包まれる。
直後、モヤが晴れると、いつの間にかオルキデは黒い甲冑に身を包んでいた。
腰には長剣まで携えられており、それを抜きながらオルキデは笑う。
「ハハッ、驚いただろう。これが高貴な血族が授かる天職の力だ。平民程度の貴様では滅多に見ることのできない……」
「魔力によって生成した武器防具を瞬時に身に纏うことができる『装備魔法』――【黒装】。“夜の間だけ使える力”で、天職の名前は『夜騎士』。他にも夜にだけ使える力を複数持ってる、夜間戦闘に特化した天職ってところか」
「なっ――!?」
得意げに魔法を披露してきたオルキデを見て、僕は先手を打つようにネタバラシをした。
途端、オルキデの頬に滲んでいた余裕の笑みが消え失せる。
「す、すでにコスモスから私の能力について聞いていたようだな。まあ、だからどうしたという話だ。能力について知っていたとしても、貴様では私を止めることなどできないのだからな」
別にコスモスから聞いていたわけじゃないけど。
僕の視界には、オルキデの天啓がバッチリと映っている。
育成師の持つ『神眼』のスキルの効果によって。
だから奴の手の内が、すでにすべて明らかになっているのだ。
この後、奴がどういう手を打つのかさえも、手に取るようにわかってしまう。
「【召喚】――【黒馬】」
オルキデは僕の予想の通り、召喚魔法を使った。
瞬間、オルキデの隣に兜を付けた“黒馬”が出現して、彼はその背中に飛び乗る。
自らの魔力で魔獣を象り、命令を聞かせて戦わせる召喚魔法。
装備魔法と同じように、こちらも夜間にしか使えない力のようだ。
天職の『夜騎士』という名前の通り、夜間に本領を発揮する能力で間違いない。
別に戦うつもりはないんだけどなぁ、なんて思って困り果てていると、不意に誰かに背中を引っ張られた。
振り返ると、コスモスが僕の服の裾を掴みながら、怖がるように震えている。
「ど、どうしよう、ロゼ……」
「……」
なんか、初めて名前を呼ばれた気がした。
このまま放っておけば、コスモスはオルキデに連れられて実家に戻されてしまう。
下手に抵抗すれば、連れ戻すことを大義名分にして、この場でコスモスを必要以上に痛めつけるかもしれない。
奴の抱えている憎悪を見るに、そうなる方が自然だろうな。
なんとかしてコスモスを逃がせればいいんだけど、僕が連れて行くと誘拐罪とかになったりするんだろうか。
「話し合うつもりは、ないんですね」
「話し合い? 私はただ我儘な妹を家に連れて帰ろうとしているだけだよ」
どうやら聞く耳を持ってはいないようだ。
改めてそれがわかり、僕は思わずため息を吐いた。
……仕方がないか。
「ねえ、コスモス」
「……な、なに?」
不意に僕はコスモスの方を振り返り、身を屈めて視線の高さを合わせる。
そのままゆっくりと顔を近づけて、オルキデに聞こえないように耳打ちをした。
……その直後。
「なにっ――!?」
僕は後方に走り出し、その背中にコスモスがガバッと飛びついて来た。