第三話 「目指せスローライフ!」
冒険者ギルドへの再登録を終えて、僕は東区にある家に帰ることにした。
ギルドから立ち去る際、再登録の手続きをしてくれたテラさんにこんなことを言われた。
「なんとか時間作ってみるからさ、いつか一緒に食事でもしようよ、ロゼ君」
新しい名前を揶揄うかのように、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
自分としても安直な名前だったと思うけど、元の名前から変えられたらなんでもよかったのだ。
ともあれ僕は勇者パーティーのアロゼから、駆け出し冒険者のロゼとして再出発することにした。
今日から何か依頼を受けてもよかったんだけど、勇者パーティー時代に貯めたお金があるからしばらくは大丈夫だ。
心の傷も完治はしていないし、まだ故郷の町に戻ってきたばかりなので、しばしは休息をとることにしようと思う。
というわけで実家を目指して西区を横切り、やがて僕は中央の大橋まで辿り着いた。
「赤糸橋も綺麗なままだな」
この橋は赤い煉瓦を積み上げて建設されたもので、川の景色と相まって非常に風情が出ている。
ヒューマスの町の観光名所にもなっているほどで、特に恋人たちに重宝されているのだとか。
その理由は、この橋が『赤糸橋』と呼ばれているから。
見た目が鮮やかな赤色をしているから、というだけではなく、西区と東区を繋ぐ橋がこの一本のみなので、両区に住む恋人を繋ぐ唯一の手段として赤糸橋と呼ばれるようになった。
その命名のせいで恋愛成就のご利益があると思われて、想い人と橋を見に来る観光客が後を絶たないらしい。
町の中心ということもあって住人たちも待ち合わせに利用することが多く、今日もたくさんの人たちが橋の上にいた。
「す、すみません通ります……」
人ごみを掻き分けて進み、ようやく東区に辿り着く。
僕の実家は商業施設や公共施設が集まっているこの東区にある。
西区はどちらかと言えば工業施設や冒険者関連の施設が多く、職人や冒険者が多く見られる。
冒険者が依頼を受けたり各種手続きをするためのギルドも西区にあり、駆け出しの頃は早朝の赤糸橋を駆け抜けて東区の実家から西区のギルドに向かっていたものだ。
懐かしい気分に浸りながら東区の住宅地帯を進んでいくと、やがて道の途中に赤煉瓦の屋根が特徴的な戸建てが見えてきた。
周りの住宅に比べたらやや小ぶりな一軒家。
尖った特徴もない安心感のあるデザインのこの家が、僕が生まれ育った実家である。
「……ただいま」
およそ六年ぶりに家の扉を開けると、中から埃っぽい空気が出てきた。
長い間留守にしていたから、中を荒らされているかと思ったけれど、特に何もされてはいないらしい。
さすがの治安だと感心するけれど、埃だけはどうにもできなかったみたいで僕は急いで窓を開け放っていく。
懐かしさに浸る余裕もなく換気を行なっていき、軽く箒や布巾で掃除もしていく。
十分ほどの清掃ではまだ埃臭さが抜けなかったけれど、そこで一旦休憩をとることにした。
愛用していた揺り椅子を見つけたので、倒れ込むようにして腰を下ろすと、旅の疲れが一気にのしかかってくる。
「はあぁぁぁ……」
長々とした息を吐きながら、僕はぐっと背筋を伸ばした。
その後、脱力感に支配されながら、家の中をぼんやりと見回して懐かしさを味わう。
「帰ってきたんだな、僕」
同時に勇者パーティーを追い出されたという事実が、改めて骨身に染み渡ってきた。
追い出された、というより使い捨てられたと言った方が的確か。
僕はあの勇者たちに利用されて、容赦なく捨てられた。
もうこんな思いは絶対にしたくない。利用されたくない。
僕はこの駆け出し冒険者の町で、悠々自適に静かに生きていく。
「……魔王討伐は任せたよ」
誰に言うでもなくそんな台詞をこぼしながら、僕は眠りについたのだった。
ヒューマスの町に戻ってきてから、早くも一ヶ月が経過した。
勇者パーティー時代の激動だった日々とは裏腹に、毎日細々と生きている。
朝は決まった時間に起きて、義務的な思考で冒険者ギルドに赴き、駆け出したちに混じって低級の依頼を受注する。
手っ取り早く依頼を終わらせて町に戻ってくると、ギルドでの報告を済ませたタイミングで日が暮れる。
街灯に照らされた市場で軽く食材の買い出しを終えたら、買い物袋を片手に帰宅する。
四日か五日活動したら、翌日の二日に休息日を設けて疲れを癒していく。
この一ヶ月間、そんな毎日を繰り返してきた。
「……平和だなぁ」
人によっては退屈な人生だと嘲笑うかもしれない。
しかし傷心中の今の僕にとっては、癒しの日々以外の何物でもなかった。
勇者パーティーにいた時は厳しい戦闘の連続で、体はずっとクタクタに疲れていた。
それ以外にも面倒な雑用はすべて引き受けていたので、戦闘以外の時間も休める時はほとんどなかった。
その代わりに身に余る栄誉や実績を積み重ねることができたし、両親の敵である竜王ドランの討伐もあと少しで叶うところまで行けた。
だから尚のこと、勇者パーティーを追い出されたことが悔やまれるし、今までの頑張りを無にされてしまったので、今はとにかく癒しがほしい。
そして今日も簡単な依頼を終わらせて、僕はギルドに戻ってきた。
「はい、こちら討伐報酬になります」
「どもです」
受付窓口にてテラさんを見つけたので、彼女のところで手続きを済ませて依頼の報酬を受け取る。
今回受けた依頼は、西の方にある森で飛猪という魔獣の討伐だ。
通常の猪と違って耳が翼のように大きく広がっており、そこから強風を生み出して飛行や攻撃を可能にしている。
重量のある肉体が空から突進してくるだけでも厄介であり、並の人間なら全身の骨が砕けて内臓が潰れてしまうことだろう。
と聞くと非常に危険な魔獣のように思えるが、飛猪は基本的に真っ直ぐにしか進めない習性がある。
一度突進の事前動作に入ると、走り切るまで方向転換をすることができず、自ら大木にぶつかって失神することもしばしばだ。
何より神様から授かった天職の恩恵があれば、突進を受け止めることだってできてしまう。
繁殖力が強くて生体数が多く、かつ対処が簡単で美味な食材にも化ける。
駆け出し冒険者が引き受けるのにぴったりの依頼だと言わざるを得ない。
こういった依頼が他にも多数あるのが、このヒューマスの町のギルドのいいところなのだ。
「ねえロゼ君」
「……はい?」
依頼報告の手続きを終わらせたので、そろそろ帰ろうかという時。
不意にテラさんがこちらを呼び止めてきた。
何事かと思って首を傾げると、彼女は淀みない笑みを浮かべて尋ねてくる。
「そろそろ昇級試験とか受けないの?」
「昇級試験ですか?」
「今のままだと最下位の依頼しか受けられないし、色々と不便なんじゃない? 君なら簡単に昇級できると思うし、また一級に戻れば個人で依頼の指名とかしてもらえると思うよ。もうそろそろ試験日だし」
昇級試験か。
冒険者が受ける討伐依頼には階級制限というものが設けられている。
簡単に言うと、この依頼を受けるためには何級以上の冒険者資格が必要ですよ、という制限のことだ。
依頼の難易度に応じて適正な階級が定められており、もちろん階級が高ければ色々な依頼を受けられるようになる。
だから昇級試験を受けないのか、というテラさんの疑問はわからなくはない。
同時に彼女の言いたいことがなんとなくだけど理解できた。
ようは、いつまでその位置で満足しているつもりなのか、と言いたいのだろう。
「元々上級冒険者だった人が、再登録して五級に戻る例は何回か見たことあるけど、みんなすぐに元の階級まで上げなおしてたからさ。ロゼ君なんて最上級の一級冒険者だったし、尚更不便とか感じてるんじゃないかなって」
「いえ、別に今のままでも不自由はないですよ。前にも言った通り、難しい依頼とかも受ける気ありませんし。この町で暮らすだけなら五級のままでも充分です」
「でも、そろそろ収入的に厳しくなってくるんじゃないの? 五級冒険者の実入りって、お世辞にも多いとは言えないし、別の仕事を掛け持ってる子とかも結構いるからさ」
そういえば僕も駆け出しの頃は、と懐かしい記憶が蘇ってくる。
確かに五級冒険者の収入源は下級の討伐依頼だけなので、年がら年中財布が寂しい状況だったと覚えている。
だから僕も町の飲食店やら土木作業などの仕事を掛け持ちでしていて、それでどうにか食い繋いでいた。
淡い回想を終わらせたタイミングで、テラさんが小声になって聞いてきた。
「それに、勇者パーティーを追い出された時も、謝礼とか何ももらってないんでしょ? 生活とか平気なの?」
「ダリアたちと一緒にいた時は、討伐依頼の報酬を均等に受け取っていましたし、そのほとんどを蓄えに回していたのでそこは大丈夫ですよ」
その蓄えがある分、しばらくは五級依頼の報酬だけで生活ができると思う。
追い出される時、装備や道具を置いて行けとは言われたけど、金まで置いて行けとは言われなかったし。
それに駆け出しの当時は、一つの依頼を何日も掛けなければ達成できていなかったので、その日のうちに終わらせられる今の効率なら充分に暮らしていけるはず。
贅沢をせず、今の貯蓄を切り崩しながら、五級の討伐依頼を適度に受けて生活していくとすると……
まあ、急な出費がない限りは、天命までこの生活を続けられると思う。
「また階級を上げて、仲間探しをしたり、もう一回魔王討伐を目指すっていうのも面白そうではあるんですけどね。でも今は、とにかくのんびり生きていきたいんです」
「……」
自分で口にしてみると、なんとも向上心のない枯れた意見だと思う。
僕も以前までは、父さんと母さんの仇討ちをするために精力的に魔王討伐を目指していた。
でも勇者パーティーを追い出されて、それまでの頑張りをすべて無駄にされてしまったので、意欲的に動くことに抵抗を覚えるようになってしまったのだ。
テラさんもそれは理解してくれていて、その上で色々と提案をしてくれたようだ。
「まあ、理不尽にパーティーを追い出されて傷心中なのはわかるけど、君の力は色んな人の助けになるって私は思ってるよ。それこそ眠らせておくのがもったいないって感じるくらいに」
「もったいない、ですか」
そう言ってもらえるだけで僕は嬉しいけど。
でも確かに僕の力を必要としている人は、少なからずどこかにいるだろう。
この駆け出し冒険者の町なら尚のこと。
そしてテラさんは受付嬢という立場上、そういう人物たちを一番多く見ているだろうし、もったいないという感情が芽生えても不思議ではない。
「もちろんそれはロゼ君の力だから、生かそうが眠らそうが君の自由だけどね。私としては、前みたいに何かに打ち込んでるロゼ君を見れたらいいなって思うけど」
「何かに打ち込む、って言われても、特に何も思いつきませんね。魔王討伐はもう諦めて、他の人がやってくれたらいいかなって思っちゃってますし」
「あっ、ならいっそのこと何か商売とか始めたらどうかな?」
「しょ、商売?」
テラさんが突然、突拍子もない提案をしてきた。