第二十二話 「怪物の離れ業」
ローズはいったい、毎日どのようにして僕の家に遊びに来ているのだろうか?
気になるあまり、テラさんと一緒に前のめりになって耳を傾けると、ローズは少し恥ずかしそうに答えた。
「えっと、その……冒険者活動そのものはパーライトの町でしているんですけど、寝泊まりとかはまだこのヒューマスの町でしていて……」
「えっ?」
「朝早くにこの町を出て、パーライトの町で依頼を終わらせた後に、またヒューマスの町に帰って来ています」
「……」
言葉の意味がまったく理解できなかった。
テラさんも理解が追いついていないように目を点にしている。
それも当然で、先ほども言った通り……
「え、えーと、ここからパーライトの町まで、最速の馬車で丸一日は掛かると思うんだけど……」
「あっ、そこは走っています」
「はしっ……?」
「ヒューマスからパーライトまで走っていけば、だいたい四時間くらいで着けるんですよ。で、パーライトでパパッと依頼を終わらせて、また走って帰って来ています」
つまりこの子は……
ヒューマスからパーライトまで“走って通勤”して、そして“走って帰宅”しているということだ。
馬車で丸一日かかる距離をたった四時間で踏破できる、超人的な脚力とスタミナがあるからこそできる離れ業である。
この前、故郷の村に戻る時、『自分の脚で走った方が早いよ』と教えてしまったからだろうか。
とんでもない力の使い方を覚えてしまったみたいである。
もしかしたら僕は、恐ろしい怪物を目覚めさせてしまったのかもしれない。
とはいえ、さすがに町と町を走って行き来するのを、毎日繰り返すのは戦乙女ローズでも辛いはず。
人智を超越する身体能力を得たからって、無尽蔵のスタミナがあるわけではないのだから。
どうしてローズはそこまでして、毎日ヒューマスからパーライトに通っているのだろうか?
「そ、それさ、向こうを拠点にした方がよくない? 朝早くに起きる必要もなくなるし、四時間も走らなくて済むし、パーライトの町はここより栄えてるから暮らしやすいだろうし」
「い、いえその、それはそうかもしれないんですけど……」
ローズは困ったように言い淀んでしまう。
やがて彼女は、ハッと何かを思いついたような様子で答えた。
「こ、こっちの町の方が、色々と勝手を知っていますし、寝泊まりする宿も安いところが多いんですよ。向こうは栄えている分、宿代が高いですし、こっちに戻ってくる方が節約になると言いますか……」
「はぁ……」
「そ、それに最近は、限界突破したこの体を動かすのが楽しいので、走るのも別に苦じゃないと言いますか……」
色々な理由を、まるで言い訳をするみたいに捲し立てるローズ。
その必死な様子に、ますます疑問を抱いていると、不意にテラさんが横から掴みかかってきた。
と言っても袖を軽く摘んだくらいで、そのまま僕は部屋の隅まで引っ張っていく。
次いで声を落として、ローズに聞こえないように話を始めた。
「君は、あんなに可愛い子があんな顔してるっていうのに、本当に何もわかってないわけ?」
「ど、どういう意味ですか?」
「ヒューマスからパーライトまで毎日走って行き来してるんだよ? それで毎日ちゃんとロゼ君のところにも遊びに来るし、ここまで材料が揃ってるのに何もわからないなんてことないよね?」
「や、宿代が安上がりになるから、ヒューマスを拠点にしてるって話ですよね?」
という僕の回答を受けて、テラさんは固まった。
何をトンチンカンなことを言っているのだと言わんばかりの表情である。
次いで彼女は大きなため息を吐き出し、同情するような表情でローズの方を振り返った。
「ローズちゃん」
「は、はい?」
「これから色々と苦労すると思うけど、めげずに頑張ってね。辛いことがあったらいつでも相談に乗るからさ」
「は、はぁ……」
ローズの反応はやや鈍かったが、テラさんは満足したように頷いていた。
本当に何が言いたかったんだこの人?
その後テラさんは、ぐっと背中を伸ばして玄関の方に歩いていった。
「それじゃあ、邪魔者の私はそろそろ退散しよっかな。ロゼ君の様子も見られたことだし」
「特に面白いものとか見せられなくて申し訳ないです」
本当だったらテラさんも、育て屋が繁盛している景色を見たかったはずだろうから。
「ううん、いいよ別に。育て屋が忙しかったら、それはそれでロゼ君とお喋りできる時間が取れなかっただろうし、何より“面白いもの”なら充分に見せてもらったから」
「……?」
なぜかテラさんはローズの方を一瞥して微笑む。
その後彼女は玄関の扉を開けて、僕とローズに向けて右手を振ってきた。
「もし伸び悩んでる駆け出し冒険者をギルドで見かけたら、ロゼ君のこと宣伝するようにしておくよ。ローズちゃんの時みたいにね。それでお客ゼロ人の不名誉を取り払ってあげるから」
テラさんはそう言い残して去っていった。
そしてローズと二人きりになり、改めて彼女にお茶を淹れてあげる。
いつもこのお茶を一杯飲むまでに、一日の出来事やら他愛のない話をして、飲み終わったら解散という流れができている。
今日もそうなるだろうと思って何か話題を投げかけようとすると、先にローズが表情を曇らせながら切り出した。
「今日もお客さん、来なかったんですか?」
「あっ、うん。残念なことにね」
浮かない顔の理由は、先ほどのテラさんの一言を聞いたかららしい。
そう、今日もお客さんはゼロ人。
まだこの町の冒険者たちから信用を得られていないので仕方がない気もするけど。
するとローズは、育て屋店主である僕以上に残念そうな顔をしていた。
「ローズがそんな顔することないよ。ただの僕の宣伝不足なだけなんだからさ」
「い、いえ、育て屋さんが繁盛していないのも残念ではあるんですけど、私はそれ以上にロゼさんのお力を認められていないのが、なんだか悔しくて……」
「僕の力? って、育成師の力のこと?」
首を傾げると、ローズは違うと言うようにかぶりを振る。
「育成師の力も強力ではありますけど、それに加えて育成の知識や戦闘能力がすごいなって私は思っています」
「育成の知識はまあ、天職の関係で自然と詳しくはなったけど、戦闘能力は別に大したことないんじゃないかなぁ。今じゃローズの方が圧倒的に強いだろうし……」
たぶん手合いとかやったら、手も足も出せずに僕は負けてしまうだろう。
ていうか怖くてやりたくもない。
「とにかくロゼさんは、絶対に色んな人の助けになるはずなんです。ですのでこの状況が納得いかないと言いますか、育て屋さんもロゼさんも、もっと注目されてもいいような気がします。そもそも勇者パーティーを追い出されてしまったことだって、いまだにおかしいと……」
「ま、またその話か……」
ヒートアップしてきたローズが、いつもの話題に舵を取りそうになる。
彼女は事あるごとに、僕が勇者パーティーを追放されたことに憤りを見せているのだ。
僕が追い出されたのは理不尽だとか、せめて退団金くらいは支払うべきだとか。
またぞろその話が広がったら面倒だと思って、僕はローズを落ち着かせようとした。
「まあ、育て屋はまだ始めたばっかりだから、認知されてなくても仕方がないよ。掲示板の張り紙にも『育て屋開業』くらいしか書かなかったし、みんな怪しいと思って来てないだけだから」
「怪しい、ですか……」
そう、だから今は大人しく待つのが賢明だ。
テラさんが言った通り、時間が解決してくれるに違いないから。
それをローズもわかってくれたようで、徐々に気持ちを落ち着かせていった。
「わ、わかりました。でも私も一応、育て屋さんが大繁盛するように、困っている冒険者がいたら声を掛けて宣伝したいと思います!」
「だ、大繁盛は勘弁してもらいたいんだけど……」
一日に一人くらいでいいから。
成長の手助けをしてあげられるのは、一度に一人が限界だし。
四人とか一気に来られても、面倒見切れないと思うからさ。
しかし一度にたくさん来ることも充分に考えられるので、今のうちからたくさんのお客さんを捌く術を練っておくことにしようと思った。
翌日。
気が付けばすでに夕方。
今日もまたお客さんが来ることはなく、のんびりとした時間を過ごしてしまった。
そのことに言い知れぬ罪悪感が込み上げてくる。
さすがにこのままだとマズイよなぁ、と窓から入り込む夕日を見ながら、危機感を募らせていると……
コンコンコンッ。
不意に玄関の扉が叩かれた。
叩き方からしてローズではないということだけはわかる。
じゃあどちら様? と首を傾げていると……
「ロゼくーん、依頼人を連れて来たよー」
と、扉の向こうからテラさんの間延びした声が聞こえてきた。
依頼人?
疑問に思いながら扉を開けてみると、そこには見慣れたテラさんの姿と……
「……い、いらっしゃいませ?」
もう一人、黒いローブと大きな杖を身に付けた、小さな黒髪少女が立っていた。