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第百七十七話 「つまみ食い」

 バイパーが確かな声音で育て屋への評価を明かすと、さしものレザールも僅かに表情を強張らせた。


「……バイパーがそこまで言うのかよ」


 今の人類と魔獣の均衡は、その育て屋の気分で成り立っているものだとバイパーは思っている。

 彼が冗談を言うような性格ではないことを知っているレザールは、その発言からようやく少しの危機感を覚えることができた。


「育て屋っつーのが本気になったら、“全人類”が魔獣を殺す狩人になっちまうってことだろ。そいつは確かにやべえな」


「そしてその全人類が総出で魔獣の掃討にかかれば、おそらくひと月もしないうちにあっさりと、魔獣の歴史に終止符が打たれることになる」


 あくまでもその全人類が戦う意思を持っていることが前提の話ではあるが、絶対にないとは言い切れない未来となっている。

 バイパーは自分の考えを明かした後、それをレザールがどう咀嚼したか気になって首を傾げた。


「杞憂だと笑うかい?」


「いんや。そうなる可能性は低いんだろうが、追い詰められた人間は何するかわかったもんじゃねえからな。バイパーが気にかけんのもよ~くわかったよ」


 育て屋の危険性についてレザールにもわかってもらえて、バイパーは少し安堵する。

 しかしだからこその疑問がレザールの脳内で浮上した。


「ただよ。じゃあなんでそんなやべえことをドラン様には知らせてねえんだ? その“育て屋”が育てた冒険者に、軍の兵士も何人かもうやられてんだろ?」


 育て屋は魔獣を滅ぼす危険性を孕んでいる。

 現に育て屋出身の冒険者に、すでに竜王軍の兵士が何人か手にかけられている。

 そのことを、竜王軍の長である竜王ドランには、実はまだ話していない。

 育て屋についての話を知っているのはごく少数の兵士だけだ。


「育て屋が危険だって言うなら、ドラン様に知らせんのは当然のことなんじゃねえのか?」


「あの方がこの事態を……と言うより、育て屋出身の冒険者に竜魔族がやられたと知ったら、憤りを感じてその冒険者と育て屋を殺しに向かわれるだろう」


「いいことじゃねえか」


「よくないことなんだよレザール。少し考えてみろ」


 育て屋のことを伏せている事情を、バイパーはまたレザールにわかりやすいように伝える。


「ドラン様は最強だ。それは疑う余地がない。だが人間の数と知恵は我々の想像をゆうに超えてくる」


「まあそうだな」


「だからいくらドラン様とはいえ、育て屋襲撃のために中央大陸へ乗り込めば、さすがに無視できない傷をいくつか負われることだろう」


 次いでバイパーは執務室の窓に目を向けて、外で訓練している兵士たちを頭に浮かべながら続けた。


「同じくドラン様について行った竜王軍だってタダでは済まない。多くの兵士がその同行で失われることになる」


「まあ、それもそうかもな」


「そこを海王軍の連中にでも目をつけられてみろ。戦力を欠いた竜王軍ではおそらく今の海王軍には勝つことができない。行き着く未来は“竜王軍の壊滅”だ」


 竜王軍と睨み合いを続けているもうひとつの魔王軍――海王軍。

 他にも同様に大きな魔獣勢力があり、もし育て屋を潰すのに手間取って戦力を大きく欠いてしまえば別勢力に攻め入られる可能性が高い。

 そうなれば“竜王軍の壊滅”は免れないと、バイパーは最悪の事態を想定して育て屋のことを伏せているのだ。


「ドラン様に知らせたらそうなる可能性が高いってことね。りょーかいりょーかい」


「後はまあ、私が人間を使って小細工しているのもドラン様はお認めにならないだろうからな。育て屋のことを伝えた時点で、悪い方向にしか転がらないことは容易に想像できる」


「ふぅ~ん……軍事官様も大変なことで」


 本当に気の毒に思っているのか怪しいくらい、気持ちのこもっていない声でレザールは呟いた。

 次いで彼は右手を雑にぶらぶらと揺らしながら執務室を後にしようとする。


「そんな大変な時に邪魔して悪かったな~。諸々頑張ってくれよぉ」


 レザールがそう言って執務室の扉に手をかけた、その時――

 不意にバイパーは、爬虫類を思わせる瞳を大きく見開いた。

 そして微かに頬を緩める。


「どうやら、もう頑張る必要はなくなったみたいだけどね」


「はっ?」


 そんな呟きを聞いて、レザールは首を傾げながら再びバイパーの方を見た。

 バイパーの表情が先ほどよりも明るくなっている。

 その理由を、バイパーは笑みを浮かべながら明かした。


「たった今連絡があった。私の使いが育て屋を捕らえたらしい。そして竜王軍の侵域まで連行してくるそうだ」


 レザールも思わず目を見張って口笛を鳴らす。


「じゃあ今からその育て屋ってのがここに連れて来られるのか? 殺されに?」


「あぁ。私の使いが滞りなく侵域まで連れてくればの話だがな」


「はぁぁ、人間の使いのくせにやるじゃねえか。でもなんでその場で殺さずにわざわざ連れてくんだ? 命令したのは育て屋の暗殺って話じゃなかったか?」


「生きた状態の育て屋を私たちに殺させた方が、信憑性が高いと踏んだのだろう。それだけ褒美とやらが確実に欲しいらしい」


 育て屋を殺したという報告だけでは、疑いがかかる可能性がある。

 より確実に任務を達成したと認めさせるには、実際に育て屋をここに連れて来るのが一番と判断したのだろう。

 バイパーはランの考えをそう汲み取ったのだった。


「へぇ、今からここに育て屋がねぇ……」


 レザールは不意に不敵な笑みを浮かべる。

 次いで右拳で胸を叩いてから、高揚した声でバイパーに言った。


「よしバイパー! だったら俺が使いの人間と育て屋を途中まで迎えに行ってやるよ」


「えっ? レザールが?」


「使いの人間はそれなりに道とか知ってるだろうけど、この侵域まで無事に来られるかはわかんねえだろ」


 竜王軍の侵域であるエンバー溶岩帯まで、人にとっては険しい障害がいくつもある。

 使いの人間にはバイパーの配下であることを示す物を持たせているので、別の竜魔族に襲われる心配はないが、侵域の周囲には他の魔獣も生息している。

 特に道中の『ミッシング大砂漠』は危険な魔獣も多く、頻発する砂嵐や大規模な流砂によって命を落とす可能性も高い。

 使いの人間と育て屋が揃って消息を絶つ、というもどかしい展開になることも考えられるため、レザールの提案は筋の通っているものだった。


「だから俺が途中まで迎えに行った方が確実だろ? 俺ってば優しい~!」


「……」


 だが、バイパーはふたつ返事でレザールの提案を受け入れようとはしなかった。

 バイパーは目を細めてレザールの顔を見据える。


「つまみ食い、するつもりじゃないだろうな」


「……そ、そんなことは……しねえよ?」


「はぁ、まったく君って奴は……」


 レザールは最近、あまり人を食べることができていない。

 ゆえに人に飢えている状態である。

 となれば、今からここに連れて来られる人間に興味を示さないはずがなかった。

 途中まで迎えに行くと言って、本当は育て屋をつまみ食いしようとしていることなんて、バイパーには簡単に見通すことができる。


「で、でもよ、どうせここに育て屋が来たら殺すんだろ。じゃあ別に俺がちょっとだけ食っちまっても問題ねえじゃねえか」


「本当にちょっとで済むと、自分で思っているのかい? 君のことだ、一口食べたら歯止めが利かなくなって髪の毛一本も残さず食べ尽くしてしまうだろ」


 気持ちを見抜かれたレザールは、思わず「うっ」と声を漏らす。

 わかりやすすぎる彼にバイパーはまたも呆れさせられてしまうが、途中まで迎えに行く方が確実というのは同意だった。

 なので、少しだけ譲歩をする。


「つまみ食いするとしても、相手をちゃんと選んでくれるんだったら別に構わないよ」


「えっ? 選べば食っていいのか?」


「確認したいのは育て屋の死体だけだからね。育て屋は食べずに持ち帰って来てくれ。それで女の方――私の使いに関しては……」


 唐突に、この場の空気が凍てつくくらい冷たい声音になって、バイパーは告げた。


「食べてしまっていいよ。そいつはもう用済みだからね」


「ハッ! ひっでえな、バイパー軍事官様は」


 同時にレザールは久々に人肉にありつけることになって、腹を鳴らしながら不気味な笑みを浮かべた。




――――




 吹き荒れる強風。

 それによって舞う黒い砂塵。

 そして靴に絡みつくように乗ってくる重たい黒砂。

 視界は不明瞭で足取りはおぼつかず、いつ魔獣に襲われてもおかしくない恐怖も精神に負荷を与えてくる。

 そんなここは、南部大陸の中央に位置する――『ミッシング大砂漠』。


 黒い砂が一面に広がる奇妙な砂漠地帯で、常に肌を焼くような熱気に包まれている。

 砂嵐や流砂が頻発する場所でもあり、まるで人を拒むような劣悪な環境だ。

 僕たちはそんなミッシング大砂漠に立ち入って、不安定な砂の地を懸命に踏みしめていた。


「本当に道は間違ってないんだろうな。なんにも目印とかないけど」


「わたくしの案内が信じられないのでしたら、どうぞお先へ」


 黒い砂塵を嫌がるように、顔の前に腕を構えたランがそう皮肉を返してくる。

 僕も似たような格好をしながら、彼女の皮肉に顔をしかめて、黙って背中を追いかけ続けた。

 なぜこんな険しい地を歩いているのかというと、ここを越えたら竜王軍の侵域であるエンバー溶岩帯に辿り着けるからだ。

 しかしこのミッシング大砂漠こそ、竜王軍の侵域までの道のりで最難関と言われている場所である。

 たとえ道案内がいても無事に踏破できるかわからない過酷な道のり。


 そんな黒い砂の地に立ちながら、着実に竜王軍の元に近づいてきたことに僕は緊張感を募らせていた。

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