第百七十六話 「竜王の側付き」
南部大陸、最南端に広がる黒い大地――エンバー溶岩帯。
エンバー火山の火口から噴出する黒い溶岩が火の川のようにあちこちに流れ、灰や火の粉も絶え間なく降り注いでいる。
そんな溶岩地帯の一角に、仰々しい“漆黒の巨城”がそびえ立っていた。
冷えて固まった黒い溶岩で形作られており、城壁や主城門、衛生塔や側防塔などもすべて黒く異質な景観をしている。
そして城から少し離れたところにも、これまた城と並ぶほどに大きな兵舎があった。
その一室でひとりの竜魔族が、椅子に腰かけながら卓上の書類にペンを走らせている。
「……はぁ、今日も多いな」
灰白色の髪に透明感のある肌。
細身でありながら手足は長く上背もあり、劇団員のような麗しさがある。
ここだけを見ればただの人間の青年であるが、チュニックコートの袖から出ている肘の先は、人の肌に少し鱗が生えたような姿をしている。
おまけに頭頂部からは赤い角が生え、目は爬虫類を思わせる独特の形と瞳孔をしていた。
竜王軍、五大幹部のひとり――竜魔族バイパー。
彼は幹部として軍事官の職務を任されており、毎日多大な量の仕事に頭を悩ませている。
各小隊の編成、兵士の運用と管理、訓練内容の選定などなど……
軍事に関する職務は大抵バイパーが処理を行うことになっている。
特に兵士の管理は複雑になっていて、竜魔族のじゃじゃ馬さと、個体ごとの知能差の乖離に常に四苦八苦している状況だ。
そのため今日もひとりで軍事の職務と向き合っており、バイパーは人知れず残りの書類の山を一瞥して肩を落とした。
その時、不意に執務室の扉が開かれる。
「よおバイパー! 邪魔するぜー」
「……レザール」
唐突にバイパーの執務室に入ってきたのは、青い鱗を纏った竜魔族の男だった。
腕と脚が青い鱗で覆われており、同色の角が側頭部から二本生えている。
そしてバイパーと同じく竜魔族らしい爬虫類を思わせる瞳をしていて、尖った八重歯を見せびらかすように大口を開けて笑っている。
同じく五大幹部のひとり――竜魔族レザール。
軍事官のバイパーと違って小隊の隊長を務めており、主に戦や狩猟などの任務にあたることが多い。
冷静沈着なバイパーと違って好戦的な性格で、まさに生粋の戦闘兵として竜王軍の活動に貢献している。
そんなレザールが前触れもなく執務室に入ってきて、バイパーは思わず呆れながらため息をこぼした。
「はぁ……勝手に執務室に入ってくるなって、何度言ったらわかってくれるんだい」
「別に減るもんじゃねえしいいだろ。同じ幹部のよしみでそれくらい許してくれよ。あっ、それともなんかやましいことでもしてんのかぁ?」
「……」
レザールがニヤついた顔でバイパーをじっくり見つめる。
特にやましいことなどしておらず、変な疑いをかけられたことにバイパーはため息を禁じ得なかった。
「唐突に静寂を破られると、大切な仕事に支障が出る恐れがある。あとは単純に驚くからやめてほしいだけだ。だからせめて、ノックくらいはしてくれ」
「ハハッ、悪い悪い! ノックなんて上品なことこれまでしたことねえからよぉ。つい忘れちまうんだよ」
「それで、私にいったい何の用かな? 見ての通り忙しいんだが」
「俺んとこの小隊の戦果報酬なんだけどよぉ、もうちっといいもん寄こすようにしてくれねえか?」
戦果報酬。
戦や狩猟などの戦果に応じて与えられる報酬のこと。
竜王軍では主に“食料”が戦果報酬になっており、良い戦果をあげるほど質のいい食料を提供されるようになっている。
その戦果報酬の分配も軍事官であるバイパーが管理をしており、レザールは自身が指揮する小隊の戦果報酬について抗議に来たのだ。
しかしバイパーはかぶりを振って申し出を一蹴する。
「レザールの持つ第三小隊には、戦果に応じた報酬を渡しているつもりだよ。他の隊でもそれは変わらない」
「えぇ~! いいじゃねえかよケチ! もう海魔族は食い飽きてんだよぉ。そろそろ山盛りの“人間”食わせろ~」
そう言ってレザールはバイパーの袖を掴んでゆらゆらと揺らす。
その影響で走らせていたペンがあちこちに揺らされ、卓上の書類には歪んだ線が滲んだ。
しかしバイパーは怒ることなくレザールを離れさせ、またひとつため息をこぼした。
「他の魔族の肉でも栄養は充分だろう。人間は獲りに行くだけでもひと苦労で、貯蔵も少ない状況なんだから我儘は言うな」
竜魔族にとって人間は最高級の食材のひとつ。
しかし南部大陸のさらに南方であるここは、自然環境が険しく人が住むにはあまりにも不向き。
そのため竜王軍の侵域の近辺にはほとんど人の姿が見当たらない。
遠方へ狩りへ出て獲ってきた人間を、竜魔族たちは分け合って贅沢をしている状況だ。
加えて昨今、強い冒険者たちが増えてきた影響で、狩猟も思うようにいかず人間不足が加速する事態となっている。
「でも、小隊の連中だってみんな文句垂れてるぜ。飯の質が悪くなると兵士たちのやる気も下がるんだよ。せめて少しはこっちにも人肉回してくれよぉ」
「君のところだけ特別扱いはできない。欲しいのなら相応の戦果をあげてもらわないとね」
五大幹部が抱えている小隊はそれぞれ実力が異なる。
特に戦力が大きいのが、最古参の幹部であるウィルムが指揮する第一小隊だ。
常に大きな戦果をあげつづけ、人肉を優先的に回されている。
だからレザールの持つ第三小隊には、大量に余っている海魔族の肉が回ってきている状況だ。
「近々、海王軍の侵域への侵攻という大規模な作戦があるだろう。大きな戦果をあげる絶好の機会だから、そこで頑張ることだね」
「ちぇ。人間食いてえな~」
直談判が失敗したレザールは、不貞腐れて両手を頭の後ろに回しながら舌打ちをこぼす。
そのまま執務室を後にしてくれるかと思ってバイパーは安堵しかけたが、不意にレザールは何かを思いついたみたいに「あっ」と声を上げた。
「そうだ! なんかバイパーの仕事手伝うからよぉ、ちっとだけ人間つまみ食いさせてくれよ」
「私の仕事の中で、レザールに任せられるものは残念ながらないかな」
これはレザールを馬鹿にしたわけではなくタダの事実だった。
バイパーは竜魔族の中では比較的に高い知能を持ち、加えて実力も兼ね備えているため軍事官に任命された。
レザールも力はあるが、複雑な仕事をこなせるほど要領がいいとは言えず、残念ながら軍事官の仕事を手伝えるほどの器ではない。
ということを自身も理解しているため、すぐに諦めて肩を落とす。
しかし再び、何かを思い出したように声を出した。
「あっ、そういえば……冒険者どもをめちゃくちゃ強くしてる人間ってのを、お前すげえ気にしてなかったか?」
「……」
ピタッと、走らせていたペンを止める。
軍事官としての仕事以上に、バイパーの頭を悩ませている要注意人物。
そのことが話題に上がって、バイパーは思わず顔をしかめてしまった。
「……もしかして『育て屋』のことを言っているのかい?」
「あぁ、それそれ。確か人間の使いを向かわせたって話だろ? 俺ら第三小隊が殺しに行った方が確実だしよ、それが上手くいったら俺らんとこの戦果報酬をこれからちっとだけ良くしてくれよ」
「『殺しに行く』って、育て屋がいるのは人間の生物圏の主郭とも言える“中央大陸”だよ。第三小隊だけでそこまで行って、人里を襲撃してこようって言うのかい?」
南部大陸とは比べ物にならないほど人類が多く、人間の生物圏が格段に広い中央大陸。
直近では森王軍と霊王軍すら手にかけられて、ますます人間の領地が拡大していっている今、レザールたちだけで攻め込むのはあまりにも無謀だった。
「それはさすがにやめておいたほうがいい。くだんの育て屋の周りには、その人間の手で目覚ましい成長を遂げた強者たちまでいるからね。私がわざわざ人間の使いを向かわせたのはそれが理由なんだよ」
「ちぇ、バイパーの機嫌とって、人間を大量に食えると思ったのによぉ」
「というか中央大陸まで行くなら、自分たちで人間を狩って食べてくればいいじゃないか」
「あっ、そりゃ確かにそうだ」
遅れてそのことに気が付いたらしく、バイパーはまた彼に呆れさせられる。
そろそろ静かに仕事をしたいと思ったバイパーだったが、レザールはいまだに執務室から出て行く様子を見せず、さらに無視できない発言をした。
「てか、そんなに大層なものなんかね、育て屋っつーのは。バイパーがそこまで気にかけてんのがいまいち理解できねえ」
「大層なもの、なんて生やさしいものではないよ。育て屋の危険性はあまりにも計り知れないものだ」
簡単に説明できるものではない。
特に物事を短絡的に考えるレザールに理解してもらうのは難しい話だった。
それでもバイパーは彼にもわかりやすいように、育て屋の危険性について説く。
「聞けば育て屋は汎用的な支援魔法を持ち、人間の天職を五倍の速度で成長させることもできるらしい。しかも人数の制限はなく、周囲にいるだけでその恩寵を得ることができるそうだ」
「五倍かぁ……。いまいちピンと来ねえ数字なんだよなぁ。それに成長が早いっつっても所詮は人間だろ? 全員が優秀な天職持ってるわけでもねえのに、そんなにビビる必要あるか?」
「確かにひとりひとりの力は竜魔族の魔獣には劣っている。けど人間の恐ろしさはその圧倒的なまでの“数”だ。冒険者ですらあの人数だというのに、軍の兵士や一般人、女子供も合わせたら人類側と魔獣側で絶望的なまでの人数差になる」
そして育て屋はその気になれば、女子供でさえある程度は戦える兵士に変えることができる。
成長速度を五倍にする力と支援魔法があれば、それは決して夢物語なんかではないのだ。
「軍の下で効率的な運用が叶えば、驚異的な早さで軍事力が増大するだろう。下手をしたら一国の軍に匹敵する勢力を一年足らずで作り上げることができうる。まさに世界の均衡を破る存在」
バイパーはレザールにわかりやすく伝えるという前提を忘れて、説明に熱が入ってしまう。
それもすべては、育て屋への危機感を共有したいという一心からで、バイパーは我知らず語気まで強めていた。
それでもレザールから緊迫感が伝わってこなかったため……
「少し、大袈裟かもしれないけどね……」
バイパーは誇張するように、育て屋に対する評価を明かした。
「この者の気まぐれで、人間と魔獣の均衡が保たれているのではないかと、そう錯覚させられるほどに……育て屋の能力は人智を超越していると私は思っている」




