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第百七十話 「自分の価値」

 育て屋をやめてほしい。

 あまりにも唐突な呼びかけに、僕の頭は一瞬真っ白になった。

 まさか命を狙ってやってきた襲撃者から、そんなことを言われるなんて思ってもみなかったから。


「……ど、どうしてあんたに、そんなことを言われなきゃなんないんだ」


 いまだにランさんを地面に押さえつけたまま、僕は困惑する頭をどうにか働かせて問い返す。

 対して彼女も変わらず冷たい眼差しをこちらに向けながら、冗談ではなく真剣な声音で答えた。


「先ほどあなたを殺すのに失敗してしまった。それなら今のわたくしにできることは、もう交渉しかないのです」


「それでどうして『育て屋をやめてほしい』なんて一言が出てくるんだよ。君の目的はもしかして、“育て屋を潰す”ことなのか?」


 だとしたら僕の命を狙ってきたことも頷ける。

 育て屋は現状、僕ひとりで運営しているので、僕の命を奪ってしまえば育て屋はそこでおしまいだから。

 でもそもそもどうして育て屋を潰したいんだろう?

 僕の育て屋が邪魔なのか? もしかしてどこかに、僕と同業者の人でもいるんだろうか?

 僕みたいに他人の成長を手助けして食い扶持を稼いでいる仕事があって、育て屋に客をかっさらわれているから潰しに来たと?

 あり得なくはない話だと思っていると、意外な答えがランさんから返ってきた。


「育て屋を潰す……。目的の方向性としてはその表現で正しいかもしれません」


「えっ、本当にそうなの? じゃああんたは、育て屋の同業者から依頼を受けて、育て屋を潰しに来たってことで合ってるのか?」


「……いいえ、少し違います。他人から依頼を受けたというのは正しいですが、相手は育て屋と類似した同業者などではありません」


 それなら、いったい誰の差し金で……?

 やはり育て屋として恨まれるような覚えがなく、犯人の正体についてまるで思い当たる人物がいなかった。

 過去に会ったことがある誰かだろうか? もしそうなら恨みを買ってしまった理由はなんだろうか? 僕の頭の中でそんな疑問が錯綜する。

 しかし、続くランさんの言葉を耳にして、それらの思考は完全に停止することになった。


「わたくしの依頼主は……竜王軍(・・・)です」


「――ッ⁉」


 ドクッと、外に音が漏れたと錯覚するくらい、心臓が大きく跳ねる。

 あるいはこのタイミングで、一番聞きたくなかったとも思える名前。

 僕の脳裏に強く刻み込まれた、僕から大切なものをたくさん奪っていった“恐怖の象徴”。


『アロゼ君、君のお父さんとお母さんは……!』


『竜王軍との戦いで、竜王ドランに命を奪われたんだ……!』


 最古にして最恐と名高い魔王――竜王ドラン。

 その竜王ドランが率いる最悪の魔王軍――竜王軍。

 そんな竜王軍の名前が突然飛び出してきて、思わず背筋が凍えた。

 手足の先も冷たくなっていき、呼吸も荒くなり、頭と心臓がひどく痛み始める。

 視点も上手く定まらない中、僕は我知らず掠れた声を漏らしていた。


「竜、王軍……? なん、で……そんな奴らが、僕を……」


 竜王軍に命を狙われる覚えなんてない。

 育て屋を潰されるいわれなんてないぞ。

 その問いに対し、ランさんはやはり淡々とした声音で返してきた。


「もし世界中に溢れている魔獣たちが突然強くなり始めたら、あなたはどう思いますか?」


「な、なに言ってるんだよ……?」


 脈絡のない例え話が飛んできて困惑する。

 幸い難しい問いかけではなかったので、僕は思ったままに返すことにした。


「どう思うも何も、そんなの普通に困るだけだけど……」


「えぇ、そうですよね。まさしく竜王軍もそう思ったから、育て屋を潰したいと願っているのですよ」


「……?」


 ど、どういうことだ?

 世界中の魔獣が急に強くなったら困る。

 だから竜王軍は育て屋を潰したがっている?

 話が噛み合わないと思っていたけれど、続くランさんの言葉で例え話の意味を理解することができた。


「最近、強い冒険者たちが各地で散見されるようになってきました。話を聞けば、元は実力の乏しかった低級冒険者たちのようで、突然強くなって目覚ましい躍進を遂げているそうです」


「低級冒険者たちが、急に強く……」


 先ほどの『魔獣たちが突然強くなり始めたら』という例えとは真逆の話。

 実力の乏しかった冒険者たちが急激に強くなり始めているという。

 しかしこれは例えではなく、紛れもない事実だ。

 少なくとも僕の周りにいた、停滞していた低級冒険者たちは今、その羽を広げて著しい活躍を見せている。


「そして強くなった冒険者たちによって、各地の魔王軍には甚大な被害が出ています。竜王軍もその影響を少なからず受け、この事態を緊急性のあるものとして認識しました」


「……『世界中に溢れている魔獣たちが突然強くなり始めたらどう思うか』って聞いてきたのはそういうことか」


 魔獣たちが突然強くなったら、当然人間たちは困る。

 その逆も然りで、人間たちが突然強くなったら魔獣たちだって困るのだ。

 今さらながら当たり前のことに気が付いて、その直後僕はハッと息を飲む。

 魔獣たちが突然強くなり始めたら、人間側は当然その原因を突き止めて対処に出るだろう。

 それならば魔獣側も、同じくそうするはずだ。


「著しい成長を遂げた低級冒険者たち。ひとりひとりの成長の原因を探った先には、決まってある人物の名前が浮上しました」


「ある、人物……」


「それがあなた……『はじまりの町の育て屋さん』です」


 心当たりがすごくあって、自ずと額に冷や汗が滲んでしまう。

 嬉しいことに育て屋の名前がそれなりに知れ渡るようになり、今日までに手助けをしてきた冒険者たちも大勢いる。

 そしてその中の何人かはすでに冒険者としての階級をいくつも上げて、各地で大きな功績も挙げているようだ。


 特に戦乙女ローズに関しては、直近で『東の勇者』の称号まで授けられた。

 彼女は今、 勇者として多方面から頼りにされており、界隈にその名前を轟かせている。

 冒険者活動の一環で、魔王軍に何かしらの大打撃を加えたこともあるはずだ。

 だから竜王軍は原因を探って対処しようとしたんだ。これ以上強い冒険者が増えないように。

 そして発端となったのがこの育て屋さんだと、魔獣側に突き止められてしまった。

 ……そういえば、コスモスとこんな話をした。


『あんたも近いうちに相当名前が知られるようになるんじゃない? だってあの“東の勇者ローズ”を育て上げた育て屋ロゼなんだもの』


 ローズが勇者のひとりとして活躍する中、同じくらいの実力のコスモスも近いうちに名前が広まるだろうなと僕は言った。

 それに対してコスモスは、それを言うなら勇者の発端である育て屋も有名になるだろうと返してきたのだ。

 その時は、胸の内に微かな引っかかりを覚えたくらいで、そこまで危惧していなかったが、あの時の引っかかりは杞憂でもなんでもなかったんだ。


「このまま冒険者を強くされ続けたら、人間側と魔獣側の戦力差に著しい隔たりが生まれ、遠くないうちに魔獣の時代に終止符が打たれる可能性がある。それを危惧した竜王軍は結果として、その渦中にいるあなたを“危険人物”と見做しました」


「……」


 育成師のアロゼ・フルールは……

 いや、はじまりの町の育て屋さんは……

 竜王軍に、睨まれてしまった。

 その事実を突きつけられて、心臓がぎゅっと締めつけられる。

 僕を取り巻いていた平穏な日々が、確かな音を立てて徐々に崩れていくのを感じ、自ずと血の気が引いていった。

 ランさんが言葉を続けても、どこか遠い出来事のようにぼんやりと聞こえてくる。


「そして竜王軍は早急にこの事態に対処するべく、息のかかった人間をはじまりの町に送り込み、育て屋の抹消を目論んだのです」


「……それが、あんたってことか」


 ランさん……いや、竜王軍の手先であるラン・ラヴィが、僕の命を取りに来た理由が明らかになった。

 すべては竜王軍の指示で、育て屋を無くすため。

 まさかこんな形で、育て屋の存続が危ぶまれることになるとは思わなかった。

 なんでよりによって、相手が竜王軍なんだよ……。

 胸中を満たす絶望を誤魔化すように、僕は乾いた笑い声をこぼした。


「……は、ははっ。こんな才能も何もない、冒険者としての活躍を諦めて、田舎町で細々と駆け出し冒険者たちに先輩面してるだけの男を、危険人物と見做した、ね……。竜王軍も、随分と暇なんだな」


「……」


 ランの目線は依然として冷たい。

 無理に乾いた笑い声を絞り出す僕を、何も言わずに見つめている。

 その視線から何か言いたげな雰囲気を感じ取ったが、その意味はわからなかったので僕は続けた。


「衛兵の詰所に連れていく前に、少し時間をやる。あんたの口から竜王様に伝えるんだな。こんな志も何もないくたびれた男を狙ったところで、時間の無駄だって」


 僕なんか、竜王軍が目をつけるほどの存在ではない。

 この町から飛び立って躍進を続けている冒険者たちは、彼ら彼女ら自身に向上心と才能があったから実を結んだだけだ。

 すべてが僕の功績だと思われて、平穏な日々を崩されるなんてたまったものではない。

 そう思って少し口調荒くランに告げると、彼女は微かなため息を交えて返してきた。


「正しくは竜王ドランではなく幹部からの命令ですが、そこはまあどうでもいいです。どちらにしろわたくしが一声かけたくらいでは、あなたに対する“危険意識”は変わるはずがありませんので」


「――っ!」


 その返答に、つい僕は焦ってしまう。


「なんでだよ! なんで“僕なんか”が竜王軍に目をつけられてるんだよ! 育て屋を潰されなきゃいけないんだよ! 僕の平穏に水を差すな! 最恐の魔王軍が、“僕なんか”に構わないでくれよ……!」


 今の平穏な日々が大好きで、それをどうしても崩されたくなくて、柄にもなく声を荒げてしまう。

 乾いた口で息を切らし、うるさく鳴る心臓に苛立ちを覚えながら、押さえつけているラン・ラヴィに鋭い視線を向け続けた。

 すると彼女は、熱くなる僕とは対照的に、実に冷静で淡々とした声を返してくる。


 その一言はまるで、僕の頬を思い切り引っぱたいてくるような……


 これまでの価値観を否定して現実に引き戻してくるような……


 そんな一声となって、僕の頭に響き渡った。




「あなたは、自分の価値を、もっと正しく理解するべきだ」




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