第百六十八話 「ただいまは告げられず」
ソラリスおじさんとの話を終えた後。
お土産にお茶の葉や焼き菓子などを持たせてもらって、ソラリスおじさんのお屋敷を後にした。
初めに屋敷を前にした時は、すごく緊張感があったけど、今ではすっかり温かみのあるお屋敷に見える。
また遊びに来てほしいと言われたので、お土産のお礼も兼ねて美味しいお菓子があったら持ってこようと思った。
それから再び西区の工業区を横切って東区に戻ってくると、その時にはすでに空は暗くなっていた。
家屋から漏れてくる家庭の灯りと街灯を頼りに、今度こそ僕は自宅を目指して帰路を歩み始める。
道すがら夜の冒険に向かう駆け出し冒険者と、酒場で飲んだ後の酔っ払った駆け出し冒険者などとすれ違い、その度に賑やかな声が僕の耳を打った。
ソラリスおじさんの話を聞いた後だと、いつも以上に微笑ましく思ってしまう。
どうかこのまま笑顔を絶やすことなく、冒険者を続けてほしいと密かに願いながら、ひとり夜道を進み続けた。
やがて自宅の前に辿り着き、忘れていた疲れがドッと肩に押し寄せてくる。
こんなに長く外出したのは久々だと思いながら、囲いの柵を引き開けて、僕は敷地内に入った。
「……」
今しがた通ってきた柵を尻目に、今度は玄関の鍵を開けて家の中に立ち入る。
壁のランプをつけていって家の中を明るくすると、見慣れた部屋の景色が視界に飛び込んできた。
誰もいない部屋。僕だけが佇む空間。シンと静まり返った夜の時間。
僕は唐突に、その静寂を打ち破った。
「出てくるのでしたら今のうちですよ。それともこのままかくれんぼでも始めますか、ランさん」
傍から見たら、前触れがなさすぎて何を言っているのかと怪訝な顔をされるかもしれない。
けれど僕は確かな声を響かせて、たったひとりでいるはずの空間に呼びかけた。
すると十秒ほど待った後、箒やガラクタの類を仕舞っている小さなクローゼットから、『ゴトッ!』と音がする。
ゆっくりと扉が開けられて中から出てきたのは、肩の辺りまで純白の髪を伸ばした透明感のある女性だった。
見慣れた真っ白なローブの裾を払いながら、微かなため息を艶のある口からこぼし、宝石のように輝く碧眼をおもむろにこちらに向けてくる。
優しげに緩んでいるのが印象的だった眼からは、完全に感情が無くなっており、今は背筋が凍えそうになるほど冷たい眼差しに変わっていた。
「参考までに、どうしてわたくしが隠れているとわかったのか、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
口調は変わっていないが、声音は淡々としていてまるで別人のようである。
けれど僕の『神眼』に映る情報は、間違いなく彼女が今まで接してきたランさんであることを伝えてきて、そのギャップにひどく困惑させられた。
別に質問に答えてやる義理はなかったが、少し彼女の様子を窺いたかったので、時間を稼ぐ意味で僕は種明かしをする。
「まず最初に言っておくと、別にランさんが隠れているという確証があったわけではありません。可能性のひとつとして考えて、鎌をかける意味で僕は呼びかけたんです」
「にしては、随分と自信がありそうな声音でしたが」
「大きい可能性だとは思いましたからね。で、その可能性に思い至った一つ目の理由が……僕の家の柵です」
「家の柵?」
「あれ、少し古びていて、なぜか外側からでは閉まりが甘くなるんですよ」
僕が子供の頃からある柵で、少し歪んでいるせいかピタリと合わせて閉じるのが難しい形になっている。
「それなのにさっき帰ってきた時、柵がきちんと閉まっていた。誰かが内側から閉めた後、敷地外に出ていないっていう証拠になるんです」
もちろん風とか他の何かの拍子に、柵がきちんと閉まるということもたまにある。
だから可能性のひとつとして、誰かが隠れているのではないかと思っただけだ。
「ランさんは少しでも不審な点を残さないよう、柵もきちんと閉めたみたいですけど、それが逆に僕にとっては違和感になっていたってわけです」
「なるほど、少し納得しました。しかし、敷地内に誰かが隠れている可能性に思い至ったのはわかりましたが、なぜその人物が“わたくし”だと思ったのでしょうか?」
依然としてランさんの碧眼は冷たいまま。
感情がない人形というより、僕に毛ほども興味が無さそうな冷淡さを感じる。
誰かに操られているのではという可能性も考慮したが、その線は無さそうだと諦めて僕は返答を続けた。
「確かに家の中に潜んでいる人物がランさんだと、決めつけられる根拠はどこにもなかった。でも、直近でこの家に入ったのはあなただけで、侵入のための細工が容易にできたのはあなたしかいないんです」
普段はあまり使っていない窓の鍵を、僕がお茶を淹れている間に開けておいたのか。
あるいは棚を物色して、家の合鍵でもくすねていたのか。
いずれにせよ、直近でこの家に入ったのはランさんだけで、可能性としては一番高い人物だと思った。
「あと、その根拠をさらに強めるものがもうひとつ。魔獣討伐を終えて町に戻ってきた時、あなたから“違和感”を覚えたんです」
「違和感?」
「最初は僕自身、その違和感が何かは気付けなかった。気のせいか疲れているせいだと思ってその時は流したんです。でもついさっき、家の中に誰かがいるかもしれないと思った時に、ランさんの顔がよぎって同時に違和感の正体にも気が付けた」
僕は町の門の近くでランさんと別れた時のことを思い出しながら、見落としていた事実を告げた。
「あなた、いくらなんでも“疲れてなさすぎ”だ」
「……」
「初めてで慣れていない魔獣討伐。そうでなくとも朝から夕方まで森の中を奔走し続けた。それなのに冒険が終わった後、息のひとつも切れていなくて、疲れの色が欠片も滲んでいなかった。一介の見習い治癒師では考えられない持久力だ」
だからあの時、僕は立ち去りかけたランさんを見て違和感を覚えたのだ。
思わず僕でも『疲れた』と呟いてしまうくらいの冒険の後なのに、ケロッとした様子を貫いていたから。
「治療院の手伝いで重労働をこなしてきて、人一倍の体力が身についている可能性も考慮しましたけど、治療院と魔獣討伐ではまったく別の筋肉と体力を使う。人と大差ない大きさの生き物を殺生する気疲れだってあるはずなのに」
いくら僕の支援魔法で身体能力を強化していると言っても、あの運動量で疲れを感じない見習い治癒師なんているはずがない。
何より殺生に対するあの抵抗の無さ。
お淑やかな性格の見習い治癒師にあるまじき強靭さと豪胆さである。
「だから僕は思ったんだ。きっとランさんは何かしら嘘を吐いているって。あなた、本当は治療院で手伝いをしてる見習い治癒師なんかではないんですよね」
「……」
返答はない。
その沈黙が逆に肯定を示している。
何も言わずに佇むランさんを前に、徐々に緊張感が増す中、僕は冷や汗を握りしめながら続けた。
「そんなわけで、僕の周りで怪しい人物はあなたしかいなかったから、隠れているのがランさんだと思ったんです。納得していただけましたか?」
「当てずっぽうで看破されたようで少し癪ですが、一応は納得できました」
「……では、今度はこちらから質問いいですか?」
心臓の鼓動が早くなる。
緊張感が脂汗として額にあらわれる。
けれど僕は意を決し、この状況を進めるために踏み込んだ。
「どうして僕の家に勝手に上がり込んでいたんですか? 忘れ物でも取りに来たんですか?」
「えぇ、まあ、そうですね……」
どうか本当に、忘れ物を取りに来ただけであってほしかった。
まだ少なからず残されている、そんな平和な展開に賭けて、僕はそう問いかけたが……
不意にランさんは、白ローブの裾に手を入れて、銀色の何かを引き抜いた。
「あなたの命を取りに来ました」
刹那、右手にメイスを持ったランさんが、感情のない顔で飛びかかってきた。




