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第百六十五話 「希望と残酷の地」

 まさかお礼を告げられるなんて思わなかった。

 この町の冒険者たちの笑顔を咲かせてくれてありがとう、か。

 育て屋として冒険者たちの手助けをしてきたことに感謝する意味だろう。

 これを伝えるために、わざわざ僕の育て屋を何度も訪ねてきてくれていたのか。


「ワシからお礼を言うことではないと、そう思われるかもしれんが、どうしてもあなたにお礼が言いたかったんじゃ。この町の町長としてな」


「町長として……?」


 するとソラリスおじさんは、リビングの窓から外を眺めながら、感慨深そうに続けた。


「ここヒューマスは、他の町と比べて比較的に安全で、周囲の魔獣もあまり脅威ではなく冒険者の出発地点として知られている」


 次いで聞き馴染んだ愛称が、ソラリスおじさんの口から飛び出してくる。


「ゆえに『はじまりの町』、英雄の生まれる場所、なんて呼ばれたりもしておるな」


 僕も何度も聞いたことがある。

 なんだったら僕自身もそう呼ぶときがある。

 そしてこの町の町長のソラリスおじさんも、その呼称を知っていたようでなんだか嬉しい気持ちになった。

 いわばこれは、“公認”のようなものだから。

 町長さんが認めてくれた、正式な町の愛称。

 ソラリスおじさんもその『はじまりの町』という呼び方が気に入っているのか、嬉しそうに笑みを深めて続けた。


「いずれ脚光や歓声を浴びる未来を想像し、期待に胸を膨らませてはじまりの町を走る駆け出し冒険者たち。これほどまでに爽やかで、見ていて気持ちのいいものはありはせん」


 はじまりの町はそれが拝める貴重な場所でもあると、ソラリスおじさんの言葉で今一度感じさせられた。

 しかしソラリスおじさんは、唐突に顔に翳りを落とす。


「だが一方で、自らの才能の無さを改めて思い知らされる残酷な地でもある」


「残酷な地……」


「英雄になることを夢に見て、その第一歩をこの町で踏み出して、期待に胸を膨らませていた末に待ち受けていたのが……自分には才能がないという現実。なんとも残酷なことであろう」


 ……ソラリスおじさんの言う通りだ。

 この町は冒険者として出発するのに適した場所。

 だから駆け出したちはこの町で努力をはじめ、色々なことを知っていく。

 魔獣との戦い方や冒険において重要なこと……そして自分の才能について。

 ソラリスおじさんは寂しげに窓の外を眺めながら、重苦しそうに言った。


「ここは最も多くの英雄を輩出した町でもあり、そして最も多くの若者が夢を諦めた場所なんじゃ」


「……」


 きっとソラリスおじさんは、町長さんとしてこの町で長らく過ごしてきて、挫折していく若者たちを数多く見てきたのだ。

 期待が大きい分、才能の無さに悲観する絶望も大きくなり、この町では僕が想像もできないくらい多くの悔し涙が流れたはず。

 改めてそれを知って紅茶のカップに目を落としていると、前の方から優しげな声が聞こえてきた。


「だから、どうしてもロゼさんにお礼が言いたかったんじゃ」


「えっ?」


「ロゼさんのおかげで、この町には笑顔が増えた。流れるはずだった涙が消え、代わりに若者らの賑やかな笑い声が多くなった。ワシではどうしてやることもできんかったから、ロゼさんには本当に感謝してるんじゃよ」


 顔を上げると、ソラリスおじさんの柔らかそうな笑顔が視線の先に映る。

 それで僕の育て屋に何度も来て、お礼を告げようとしてくれていたんだ。

 自分じゃ気が付かなかったけど、知らないところでソラリスおじさんの悩みのひとつを取り払ってあげることができていたらしい。

 でもそれは、決して僕ひとりの成果ではない。


「……駆け出し冒険者たちの笑顔が増えたのは、何も僕だけのおかげではないんですよ。たくさんの友人知人に協力してもらったこともありましたし、何より駆け出し冒険者たち自身の勇気と根性がなければ成し遂げられないことでした」


 今まで育て屋にやってきた人たちの中に、“やる気のない人間”は誰ひとりとしていなかった。

 やる気のない人間からやる気を引き出すような苦労を僕はしていないし、強くなりたいと願う気持ちにただ応えてあげていただけ。

 だから……


「僕はほんの少し、伸び悩む子たちの背中を押してあげていただけなんです。大したことなんて何もしていませんよ」


「そのほんの少しが、ここにいる子たちにとってはとても大きなものなんじゃよ」


 なんだかいつの間にか、ソラリスおじさんから励まされるような形になってしまった。

 ついソラリスおじさんと顔を見合わせて、笑みを交換する。

 すると彼は、朗らかな笑顔をそのままに……心なしか切なそうな声でこぼした。


「もっと早くに、あなたにお会いしたかった」


「そうですね。もっと早くに育て屋をやっていたら、よりたくさんの駆け出し冒険者たちを救えていたでしょうし。それに夢破れてここを去って行った人たちの中に、惜しい才能を抱えていた人がいたかもしれませんからね」


「あっ、いや、それはそうだがの……」


「……?」


 ソラリスおじさんが意味ありげに言い淀み、思わず首を傾げてしまう。

 するとソラリスおじさんは眉を下げて、声音だけでなく表情もどこか悲しげなものにした。

 その顔の意味と、先刻の言葉の重みを、僕は知ることになる。


「町長としてだけではなく、ワシ“個人”としても、育て屋のあなたに早く会いたかったという意味じゃ」


「ソラリスおじさん、個人としても……?」


 彼のセリフを繰り返して、僕は遅れてハッと悟る。

 この悲しげな表情と、個人的にも早く僕に会いたかったという言葉の意味。

 何より、才能を開花させられなかった若者の苦労や挫折を“よく”知っている。

 それは単純に、この町で多くの駆け出し冒険者を見てきたからだと思っていたけれど……


「育て屋さんに行っていれば、何かが変わっていたかもしれない。色々なものを諦めずに済んだかもしれない。そう思うと、なんともやるせない気持ちになってしまうんじゃ」


 この人は、元“冒険者”なんだ。

 そして、夢半ばで諦めてしまった側の人。

 これまでの言葉ひとつひとつに、悲しげな重みが加わったような気がした。


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