第十六話 「戦乙女」
昇級試験の後。
僕とローズは昇級祝いをするために、僕の自宅に帰ってきた。
市場で色々と買い込んだ食材で、祝いの品を作ることにする。
どうせなら酒場とか食堂などで盛大に祝おうと提案したのだけれど、ローズが僕の家の方がいいと言ったので、食材を買い込んで僕の自宅でやることになったのだ。
ちなみにフリージアたちについては、『さっき謝ってもらった』とローズに嘘を吐いておいた。
こう言っておいた方が色々とこじれないで済むだろうし、何より今は謝ってもらいたいというより、祝福したい気持ちで一杯だったから。
そして一通りの準備を終えると、僕とローズは果実酒の入ったグラスを打ちつけ合った。
「ローズ、四級昇級おめでとう」
「ありがとうございます」
二人して果実酒を煽って、盛大に息を吐き出す。
その後、酒と食事を進めながら、僕たちは上機嫌で話をした。
「それにしてもまさか、ローズの『見習い戦士』が限界突破するなんて思ってもみなかったな。話には聞いたことがあったけど、実際に限界突破を見たのはあれが初めてだし」
「私も自分で驚いています。というか今でも、自分の力がまるで信じられません」
ローズは自分の体を見下ろしながら戸惑った様子を見せる。
まあ、今までずっとレベル3で戦ってきたわけだからね。
いきなり莫大な力を宿した天職に進化して、勇者並みの実力を手に入れたと言われても実感が湧かないだろう。
戦乙女なんて天職、僕も聞いたことがないし。
しかし事実として彼女は天職を進化させて、昇級試験に楽々と合格してみせた。
「これも全部全部、ロゼさんのおかげです。ロゼさんのおかげで、私はここまで強くなることができました。本当にありがとうございます!」
「いいや、僕は特に何もしてないよ。本当に頑張ったのはローズの方だよ」
育成師の力はあくまで、育成の手助けをするだけだ。
成長を強制させる力ではない。
だからもし変わることができたというのなら、それは全部ローズ自身の頑張りの成果だ。
なんてお互いに褒めていても埒が開かなかったので、今回は二人の頑張りのおかげだということで話を終わらせた。
そろそろご飯と酒も片づいてきたところで、僕は話を切り出す。
「さて、これで僕の役目は終了だね」
「えっ?」
「君はもう充分に強くなった。パーティーから勧誘の声もたくさんもらってたし、これでお母さんの呪いの件も直に解決できると思うよ」
「そう……ですね」
ローズはなんだかぎこちない笑みを浮かべる。
その表情を見て、僕も言い知れない複雑な気持ちになりながら、さらに続けた。
「冒険者として名前をあげて、多額の解呪費を集めるのか、呪術師を直接叩きに行くのかはローズの自由だけど、僕は君の活躍をここでのんびり聞かせてもらうとするよ」
「私の、活躍……」
まだ実感がないみたいので、改めて言ってあげる。
「君はもう、あの最強の冒険者って言われてる“勇者”にも匹敵する力を得たんだよ。それでいてまだ大幅な伸び代を残してる。断言してもいい。戦乙女ローズはいつか世界の救世主になって、その名前を全大陸に轟かせるはずだ」
「……」
これは僕の妄想でも虚言でもない。
ローズは確実に名高い冒険者になる。
正直僕もここまでの才能を宿しているとは思わなかったし、今でもすごく驚いているけれど。
あの勇者パーティーを一番近くで見てきた身として、ローズにはそれ以上の可能性が秘められていると感じている。
今一度それを伝えると、ローズはぼんやりとした様子で答えた。
「まだなんだか、自分の身に起きたことが実感できていなくて、ふわふわした気持ちなんですけど……」
懐から四級の冒険者手帳を取り出して、それを握り締めながら言う。
「世界で名前をあげることができたら、私は必ずロゼさんのおかげだって言います。私をここまで強く育ててくれたのは、ヒューマスの町にいる育成師のロゼさんだって」
「そ、それはちょっと、遠慮しておきたいというか……」
変に目立つのは勘弁だ。
ローズ自身の名前が知られることは大変いいことだと思うけど、僕の名前は別に広めなくていい。
「まあとにかく、これでお母さんを助けるための開始地点に立ったわけだから、これからも頑張ってね」
「はい!」
ローズは元気一杯な様子で、大きく頷いたのだった。
さてそろそろ祝いの会も終了させて、諸々の片づけを始めようか……というところに――
ドンドンドンッ! と激しく扉が叩かれた。
「ロゼ君! ロゼ君!」
「……?」
耳に馴染んだ声がして、僕はすぐに扉を開けた。
するとそこには予想の通り、ギルド受付嬢のテラさんがいた。
慌ててここにやって来たのだろうか、艶やかな茶色の髪が珍しく乱れている。
「テ、テラさん? どうしたんですか突然?」
「こ、ここに、ローズちゃんいるかなって思って……!」
と、名前を呼ばれたローズが何事かという感じで出てくる。
テラさんはそれを見るや、さらに慌てた様子で捲し立てた。
「よ、よかった、ここにいてくれて。ベイス村からギルドに手紙が届いて、村長さんからローズちゃんにって……!」
「手紙?」
「飛脚の人が、一刻も早くローズちゃんに渡してほしいって」
そう言ってテラさんは、一通の手紙をローズに渡した。
どうやら急ぎの用事はそれだったみたいで、ローズの居場所を探して僕の家を訪ねてきたらしい。
無事にその手紙がローズの手元に渡ると、彼女はそれを不思議そうな顔で読み始めた。
途端、ローズの瞳が大きく見開き、彼女は何かに駆り立てられるように家を飛び出そうとした。
「ローズ!」
その手をぎりぎりのところで掴んで引き止める。
どこに行こうとしたのか、彼女が何をしようとしているのかは定かではないけれど、ひどく青ざめた顔を見て止めた方がいいと思った。
何よりまともに靴も履かず、いったいどこに行こうというのだろうか。
「手紙には、なんて書いてあったの?」
「……お、お母さんの容体が、急変して倒れたって。全身に青い痣ができ始めて、立っていることもできなくなったって」
「……」
青い痣。
僕はそれに、悪い心当たりがあった。
「それは、“呪死”の前兆だ」
「――っ!?」
「僕も何度か、衰弱効果の呪いを受けた人を見たことがある。その人たちは次第に体が弱っていって、緩やかに死に向かっていく。そして死ぬ間際に必ず、全身に青痣を作っていたんだ」
特に痛みがあるわけではないらしい。
しかし青痣は呪われたその人の死を暗示するかのように、死に近づくにつれてその数を増していく。
かつて霊王軍の一部隊と交戦したパーティーを見たことがあるけど、そのうちの一人が強力な呪いを受けて、青痣だらけになって衰弱死していた。
その前兆が出始めたということは、ローズのお母さんにはもう時間がない。
「テラさん、その手紙が書かれた日とかってわかりますか?」
「えっと、ベイス村からの便だと、だいたい三日くらいだから……」
最速でここに届けられているとして、およそ三日前のこと。
僕が知っている限り、青痣ができてからはだいたい二週間ほどで呪死してしまう。
つまり残りおよそ十日。それまでに呪いを解かなければ、ローズのお母さんは呪いに殺されてしまう。
だから早急な解呪が望ましいけれど、いったいどうやって解呪すればいい?
解呪師に依頼する?
いや、四級に昇級したばかりのローズでは、今から法外な依頼料を稼ぐのは難しい。
なら呪いを掛けてきた呪術師を探し出して倒す?
いいや、それも不可能に近いだろう。
強敵と言われている霊王軍の中から呪術師を見つけ出して倒す。それを十日以内に達成するのは勇者パーティーでも無理だ。
「ど、どうすれば……せっかく私、強くなれたのに……」
時間がないことをローズも理解したのだろう、激しく取り乱し始めてしまった。
せっかくここまで強くなって、四級にも昇級することができたのに、すべてが無駄だったと言うように容赦なく絶望が牙を剥いた。
ようやく掴めた希望が手からこぼれ落ちて、ローズは深く項垂れてしまう。
そんな彼女を見て、僕は強く歯を食いしばり、意を決して提案した。
「僕が出すよ」
「……えっ?」
「解呪師ロータスに支払う解呪費は、僕が肩代わりする。それで解呪師を呼んで、お母さんの呪いを解いてもらうんだ」
「……」
ローズが涙に濡れた顔を上げる。
自分の耳を疑うような顔をしていて、その驚きも当然だろうと僕は思った。
「ぼ、『僕が出す』って、解呪費はおよそ500万フローラなんですよ。一級冒険者が丸々三年間、汗水流して魔獣討伐をして、その報酬を贅沢に回さずに蓄えることで、ようやく達成できる金額だって……」
しかもそれを一括で支払わなければならない。
確かにこれは難しい条件だ。
一級冒険者や財産家に知り合いが多くて、至るところから借り受けることができるならそれも可能だろうけど、僕たちにはその当てもないのだから。
でも……
「あるよ、500万フローラ」
「えっ?」
僕は一度家に入り、部屋にあるタンスを開いた。
その奥に隠されている金庫に手を触れて開錠する。
これは父と母が遺してくれた魔道具の一つで、人の魔力に反応して開錠と施錠ができるようになっている。
この金庫には僕の魔力も登録してあるので、これまで貯めてきた金もすべてこの中に収めておいた。
勇者パーティー時代に貯め込んでいた金を。
「ロゼさん?」
気になったのだろうか、ローズが部屋を覗きにやって来た。
そんな彼女に僕は、金庫内の半分近くの金を、五つの巾着袋に分けて渡す。
「これでたぶん500万フローラある。解呪師に依頼してからどれくらいで解呪してくれるのかわからないけど、今から頼めばぎりぎりで間に合うんじゃないかな」
「……」
呆けているローズに、半ば無理矢理500万フローラを握らせる。
すると彼女は遅れて手元の重みを自覚して、絞り出すように震えた声を漏らした。
「な、なんで……」
なんで。
その疑問には複数の意味が込められているように感じた。
なんで僕が500万フローラもの大金を抱えていたのか?
なんでそんな貴重な大金を自分に渡してくれたのか?
そしてこれは僕の憶測だけど、なんで今になってその大金を出してくれたのか、という疑問も感じているんじゃないかな。
「別に出し惜しんでたわけじゃないよ。……あっ、いや、惜しむ気持ちがまったくないわけじゃないけど」
最後まで格好がつかない僕は、言い訳がましく続ける。
「初めからこうしておけばよかったかもしれないけど、もしいきなり大金を貸したりしたら、君が変な責任を感じちゃうかもって思ったんだ。何より君は受け取ってくれそうになかったから。でも、そんなことも言ってられなくなったし……」
本当なら、解呪師に支払うための費用は、僕が貸してあげることもできた。
でもそれをしてしまうと、ローズは変な責任を感じていただろうし、そもそも受け取ってくれなかっただろう。
あの時はまだ時間もあったから、自分で稼ぐという選択肢もとれたし。
何より僕は、この子が本気で強くなりたいと願う気持ちを、邪魔したくなかったのだ。
僕が金を貸していた時点で、この子の成長は止まっていたに違いない。
「とにかく話は後にしよう。今は解呪師に依頼する方が先だ」
「は、はい!」
惜しむ気持ちより、この子に涙を流させたくないという思いの方が強くなり、僕は500万フローラをローズに託した。