第十五話 「限界突破」
ローズは意を決したように表情を引き締めて、訓練場の中に入って行く。
「せいぜい大勢の前で恥をかくことね、泣き虫ローズちゃん」
そんな煽りを背中に受けながらも、彼女はしっかりとした足取りで指定の位置まで歩いて行った。
その後ろ姿を見守っていると、今度は僕に挑発の声が掛かる。
「あんたも相当な馬鹿よね。わざわざあの落ちこぼれの痴態を晒しに来たのかしら? だとしたら筋金入りの変態ね」
「……」
何も言い返さずにいると、フリージアはますます調子づいた。
「顔が好みだったのか体が目当てだったのか知らないけど、あんなポンコツに時間を使って無駄なことしたわね。悪いことは言わないから、あんな能無しさっさと見捨てた方が賢明よ」
そろそろ耳障りに思った僕は、少しだけ言い返してやろうという気になった。
「僕はローズを見捨てたりなんかしないよ。あんなに才能に溢れた子を見捨てるなんて、すごくもったいないと思うけどな」
「……なんですって?」
「君はローズを無能だと決めつけて、早々に切り捨てる判断をしたみたいだけど、それは大きな間違いだったんだ。本当はそんなもったいないことをしないで、ちゃんとパーティーメンバーの一人として彼女を大切にして、一緒に成長していくべきだったんだよ」
「……さっきから何を言ってるのかしら?」
僕の言っていることを理解できずに、フリージアは不機嫌そうに眉を寄せる。
今さら言っても無駄だと思いながらも、僕は話を続けた。
「もしあの子を“中心”として、冒険者活動を続けていたら、間違いなく君たちは三年以内に有力パーティーの一つとして名前をあげていた。断言してもいいよ」
「あの落ちこぼれを“中心”として? ハッ! 面白い冗談ね。あの要領の悪い間抜けをリーダーにして、まともに活動ができると思ってるの? あんな能無し、さっさと切り捨てる方が正しいに決まってるでしょ」
自分の判断が正しかったと確信している様子。
確かに他の駆け出し冒険者たちでも、同じような判断をする人は少なからずいると思う。
他人より成長速度が乏しくて、仲間と足並みを揃えて成長することができないローズは、薄情な人たちからすればお荷物以外の何者にも見えないはずだ。
ただでさえ駆け出し冒険者は早く強くなって、名前をあげなければいけないのだから、その足枷になりそうなものは排除したくなるだろう。
でも、少しだけ……
ほんの少しだけでも、あの子に思いやりを持って、成長の手助けをしてあげていれば……
三年とは言わないまでも、一年や二年ほど面倒を見てあげていれば……
「今にわかるはずだ。お前たちが見捨てたローズの可能性と、自分たちの愚かさがな」
そのタイミングでローズが配置につく。
目の前にいる牛の怪物を見据えながら、腰の剣を抜いて落ち着いて構える。
フリージアは柵の外からその姿を見て、堪え切れないと言わんばかりに笑みをこぼしていた。
これから無様な姿を晒すだろうと確信して、それを楽しみにしている様子。
見ると、周囲の冒険者の何人かも、フリージアに似たり寄ったりの嘲笑を浮かべていた。
「おいおい、大丈夫かよあいつ」
「この前うちに来てたあの見習い戦士だよな?」
おそらくローズを門前払いしたという冒険者たちだろう。
すでに彼女の実力を知っていて、試験参加していることにおかしさを感じているようだった。
そんな不愉快な視線に晒されながらも、ローズは真っ直ぐに牛の魔獣を見据えている。
そしていよいよ、試験監督のアリウムさんが右手を掲げて……
「それでは……」
参加者の準備が整うや、彼女はそれを振り下ろした。
「試験、始め!」
アリウムさんの凛とした声が響き渡る。
同時に牛の召喚獣たちが動き出し、参加者に向かって突撃していった。
刹那――
――ゴトッ。
一体の召喚獣の首が、静かに地面に落ちた。
落ちたのは、ローズの前にいた牛の首だった。
「…………はっ?」
誰もが似たような反応を示す。
他三人の参加者たちが召喚獣と戦っている中、ローズの前にいた透牛だけが、首を落として動きを止めていた。
加えてローズは、誰も気が付かないうちに召喚獣の後ろに回り込んで、剣を振り切っていた。
僕でさえ、彼女の動きは微かにしか捉えることができなかった。
「何が、起き……」
フリージアは、目の前で起きたことに理解が追いついていなかった。
同様に他の冒険者たちも唖然としていて、ただローズを見つめることしかできなかった。
その中でアリウムさんだけが、冷静に進行を続けた。
「ローズ・ベルミヨン、合格だ。素晴らしい剣技だったな」
「ど、どうもです」
その宣言が響くと同時に……
まるで止まっていた時間が動き始めたかのように、周囲の冒険者たちが歓声を上げた。
「す、すげえぞあの子!」
「一瞬で魔獣を斬り倒しやがった!」
「本当に五級冒険者かよ!」
皆がローズの力を再確認して、称賛の声を一斉に浴びせる。
そして瞬く間に彼女に対して、たくさんの勧誘の声が投げかけられていた。
「な、何なのよ、あれ……」
数多の嘲笑を送られていたローズが、一転して時の人となった光景にフリージアは言葉を失くす。
仲間の二人も彼女と同じように激しく動揺していた。
別にわざわざ説明する必要もなかったけれど、自分たちの間違いを教えるために僕は口を開いた。
「『限界突破』って知ってるか?」
「エク……シード?」
「ごく稀に、レベル限界値に到達した天職が姿を変える現象のことだよ」
初耳と言わんばかりに、フリージアたちは呆けた顔をしている。
まあ知らないのも無理はない。
事例がごく少数であり、一部の上級冒険者にしか伝わっていないことだから。
「これまでに確認されてるだけでも、僅か四つしか例がない希少現象。通常天職はレベル限界値に到達したらそこで成長が止まってしまう。けどごく一部の天職は限界値に到達した瞬間、“新たな天職”へと進化を果たす」
それが限界突破。
天職進化現象とも言われている、選ばれた者にだけ許された超常的な事象のことだ。
そして……
「ローズもその限界突破の素質を備えていた、世界でも有数の才能の持ち主だったんだよ」
「う、嘘よ、ありえない……! あんな落ちこぼれにそんな才能なんて……」
認めたくないのも確かにわかる。
しかしこれは紛れもない事実だ。
何よりその前兆はフリージアたちにも伝わっていたはずだ。
「本来、天職のレベル限界値は“50”って決まってるけど、限界突破の素質を備えている人たちだけは例外的にかなり低くなってるんだ。レベル20やレベル30で打ち止めって感じでね。そしてローズも同じようにレベル限界値がかなり低かった」
「まさか、それで……」
どうやらフリージアも遅まきながら理解したらしい。
限界突破の素質を持った者はレベル限界値が低い。
そしてレベルは“限界値に近づくほど上がりづらくなる”。
あの子が他の人より成長が鈍足だったのは、そもそも限界値が低すぎるのが原因だったのだ。
「ローズの限界値は“レベル10”。だから最初から彼女は、限界値に近いせいで成長が遅かったんだよ。まあ、それもつい二日前に乗り越えることができたけど」
「そ、それじゃあ、ローズの天職は今、『見習い戦士』じゃなくて……」
唖然とするフリージアに、追撃を加えるように僕は言った。
「戦乙女」
「いくさ、おとめ?」
「ローズは『見習い戦士』から『戦乙女』っていう、とんでもない力を宿した天職に限界突破したんだ」
「……」
僕も始めは目を疑った。
帝蟻討伐に成功して、体が輝き出したローズを見た時は、何が起きているのか理解が追いつかなかった。
でもその後、神眼のスキルで天啓を確認すると、その光の正体が限界突破によるものだとすぐにわかった。
天職が進化する現象については承知していたけれど、まさかローズがその素質を持っていたなんて驚きである。
そして彼女のうちに覚醒した新たな天職にも、大層驚かされてしまった。
【天職】戦乙女
【レベル】20
【スキル】戦神 剛力 疾走
【魔法】
【恩恵】筋力:SS900 敏捷:S+850 頑強:S730 魔力:C300 聖力:C300
遠くに見えるローズの天啓を、神眼のスキルで見つめながら僕は言う。
「『戦乙女』としてのレベルはまだ20だけど、その時点であの東の勇者ダリアと同等の力を宿してる。魔力や聖力を抜きにした、単純な戦闘能力だけだとね」
「勇者と、同等……」
「それでいてまだ大きな“伸び代”を残してる。とんでもない才能の持ち主だよ。あの子はいずれ必ず、世界の救世主として名前をあげる」
勇者と同等、というのは少し話を盛ってしまった感があるけど。
そう遠くないうちに追いついて、さらには追い越してしまうに違いない。
だからもっと思いやりを持ってあの子の成長を手助けしていたら、フリージアたちはいずれ勇者をも超える仲間を得られていたかもしれないのだ。
もう遅いことだけれど。
「あ、あんたにはこうなることがわかってたの? あいつには才能があるって言って、一週間で昇級試験に合格させるって言い切った……!」
「いいや、そんなのわからなかったさ。あの子に限界突破の素質があるなんて知らなかったし、そんなの見ただけじゃ絶対にわからない。でも……」
いまだに訓練場の入口でたくさんの冒険者に囲まれているローズを見ながら、僕は感慨深く呟いた。
「あの子が強くなりたいって願う気持ちは、誰よりも大きなものだった。僕があの子に感じていた才能は、その諦めない“ド根性”だよ」
パーティーを追い出されて、どこからも門前払いをされて、一年も活動してレベル3止まりだった駆け出し冒険者。
そこまで絶望的な状況に追い込まれてなお、あの子は諦めることだけはしなかった。
きっと他の人たちなら絶望に打ちひしがれて、挫折してしまうような状況に叩き込まれても、ローズ・ベルミヨンは僅かな希望に手を伸ばし続けた。
僕が感じていた才能は、絶対に諦めないという、執着にも似たその根性だ。
「あっ、それと、あの約束についてだけど……」
「……約束?」
「ローズが昇級できたら、“僕に謝れ”って話。ローズは何が何でも謝らせようと思ってるみたいだけど、僕は別に謝ってほしいとも思ってないからそれはしなくてもいいよ。ただ、その代わり……」
僕は語気を強めて、フリージアたちに言った。
「もう二度と、ローズに変なちょっかいを掛けるな。あの子の邪魔をするな。あの子の栄光の妨げになるな。もし町中で、また同じようにローズにちょっかいを掛けてるところを見つけたら……」
久しく、怒りの感情を思い出して、僕は脅した。
「今度は僕が、お前たちを絶対に許さないからな……!」
「……」
そう言うや、僕はローズの方に駆け寄っていく。
彼女は取り囲んでくる冒険者たちの間を抜けて、笑顔でこちらに走ってきた。
その手に、四級の冒険者手帳を握りしめながら。