二巻発売記念SS 「二人だけの時間」
「なんで入れてくれないのよ!」
「んっ?」
ある日のこと。
育て屋への依頼もなく、のんびりと町で買い物をした帰り道。
通りの脇の小道の方から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
僕は声に誘われて小道の方に様子を見に行く。
するとそこには、予想の通りコスモスがいた。
「だ、だからね、十六歳未満の人は、ここに入っちゃダメな決まりなのよ。あなたの年齢だと、ほらね……」
「私はもう十八だってさっきから言ってるでしょ!」
何やらどこかのお店に入りたがっているようだが、店員さんに子供に見られて入れてもらえないらしい。
やり取りをしている目の前のお店は、『昇らない太陽』という名前の酒場らしき場所だった。
コスモスはあそこに入りたいのかな?
「何してんのコスモス?」
「あっ、ロゼ」
見かねて声を掛けると、コスモスは嬉しそうに駆け寄って来た。
「ちょうどいいところに来たわねロゼ。あんたからも言ってよ。私はもう立派な大人だって」
「……あんまり話が見えてこないんだけど?」
突然そんなこと言われてもすごく困る。
どうやって大人だと証明すればいいのだろうか?
そもそも何がどうなって店員さんと揉めることになったのだろう?
という疑問に、黒ジャケットの女性店員さんが答えてくれる。
「当店は十六歳未満の方の入店をお断りさせていただいている酒場となっております。強めの酒を中心に提供しており、以前から酒に酔った若いお客様による迷惑行為が多発しておりましたので、店主が独自に年齢制限を設けたのです」
「はぁ、なるほど」
酒は基本的に誰でも飲んでいいものだけど、若いお客さんの迷惑行為が目立っていたから店側が年齢制限を設けたのか。
確かに実害があった以上は、そういった対処を取らざるを得ない。
国によっては飲酒そのものに年齢的な制限を設けているところもあるそうだけど。
「ですので、こちらのお嬢様の入店を断らせていただいているのですが……」
「だってさコスモス。仕方ないから諦めなよ」
「なんでそうなるのよ! あんた私が十八だって知ってるでしょ!」
いやまあ、それは一応知っているけど。
現状でそれを証明する手段がないんだから仕方ないじゃないか。
年齢を証明できるものなんて見た目以外にないんだし。
有名な家の出自だと、名前と年齢を知られているから名前だけで身元の証明はできるけど。
「も、申し訳ございません。こちらもなるべくはお通ししたくて、明らかに問題がない限りは入店を許可させていただいているのですが……」
店員さんが気まずそうにコスモスのことを一瞥する。
僕の胸下くらいまでしかない身長。
黒ローブに包まれた華奢な体躯に、小動物のような小さな童顔。
不機嫌そうにしている様子も、駄々をこねている子供にしか見えず、寛容な店員さんがついせき止めてしまうのも無理はない外見をしていた。
店員さんだってなるべくはお客さんを増やしたいだろうし、変に責めることはできないよなぁ。
「気の毒だけど、やっぱり諦めるしかないって。ほら、僕が近くの露店でジュース奢ってやるからさ」
「あんたまで子供扱いしてんじゃないわよ!」
と、鋭いツッコミを頂戴していると、不意に店員さんが店内の方を窺った。
すると僕たちの方に顔を寄せて来て、こっそりと小声であることを教えてくれる。
「ただ、十六歳以上の方が同伴していれば、入店自体は可能となっております」
「えっ?」
「そしてその方が飲むという前提であれば、酒の注文もできるようになっているんですけど……」
「……」
コスモスがゆっくりとこちらを振り向いてくる。
そして目が合うや、彼女は白い歯を見せて笑った。
「私を小馬鹿にした罪は償ってもらうわよ」
「そこは『お願いします』でしょ」
まあ別にこれから用事があるわけでもないからいいけどさ。
というわけでコスモスが入店できるように、僕が付き添いをすることになった。
店内に入ると、中は暗めの雰囲気の酒場だった。
橙色の小さな灯が、まばらに天井から吊るされている。
木製の丸テーブルや椅子も黒い素材を使っているので、全体的に落ち着いた雰囲気だと感じた。
空いている席にどうぞということなので、端っこに見つけた空席へと向かいながら、僕はコスモスに問いかける。
「コスモスがお酒を飲みに来るなんて珍しいね。何か嫌なことでもあった?」
「なんでイライラしてるのが前提なのよ」
いや、コスモスが酒場に来る理由が他に思いつかなかったから。
普段は討伐依頼に出かけているか、図書館で本を読んでるかのどっちかだからね。
わざわざ一人で酒場に来るのはやはり珍しい。
「ギルドで噂になってたのよ。ここのお酒が美味しいから、一度は絶対に飲んだ方がいいってね。味付けも甘めみたいだし、ちょっと気になったから試しておきたくて」
「へぇ、ギルドで噂に……」
あまりもう冒険者ギルドへは顔を出さないから全然知らなかった。
そして僕たちが席につくと、店員さんがメニューを持ってやって来てくれる。
店前にいた店員さんの勧め通り、僕がお酒を飲むという体で一つだけ注文して、もう一つはお子様用のジュースを頼むことにした。
すると無事に注文が通ったが、少し気になることを言われる。
「こちら人気メニューとなっておりますので、お一人様にご提供できる数も限られております。あらかじめご了承いただきたく存じます」
「は、はい」
店員さんはそう言って席を離れて行った。
まさか販売制限までしているなんて、本当に大人気のお酒なんだな。
お昼下がりの今でもそれなりにお客さんがいて賑わっているし、僕も次第にお酒のことが気になり始めてきた。
程なくして注文したお酒とジュース、ついでに頼んだつまみも卓に届き、店員さんが下がるのを見てからコスモスと酒を交換する。
お酒は果実酒のようで、グラスに注がれているのは淡色の液体である。
若干のとろみがあり、確かに少し強めの酒の感じと爽やかな甘い香りがした。
それを幼い姿のコスモスが持っているのは、やはりすごく違和感がある。
「いただきます」
コスモスはその違和感を振り払うように、躊躇いなくグラスに口をつけた。
小さな口にとろみのある液体が入った瞬間、コスモスの黒眼がパッと大きくなる。
「美味しい!」
先ほどの不機嫌が吹き飛んだように、コスモスは小さな童顔に眩しい笑みを浮かべた。
いい意味で正直、悪い意味で無遠慮なコスモスに美味いと叫ばせるほどの酒。
それを目の当たりにさせられると、さすがに僕も気になってきてしまう。
「へぇ、どんな味がするんだ?」
「……」
と、何気なく問いかけてしまう。
しかし問いかけた後で、これはまずかったのではないかと遅まきながら後悔した。
これではまるで、どのような味なのか味見させてほしいとお願いしているみたいではないか。
いわゆる間接的なアレになってしまうので、そのことをコスモスに咎められると思って僕は身構える。
だが、コスモスは怒ることなく、無言でグラスを差し出してきた。
「えっ? いいのか?」
「べ、別に、そんなこと気にする歳でもないし、あんただけ飲めないのも不公平でしょ」
すでに若干の酔いが回っているのか、顔を赤く染めながらグラスを渡してくれる。
まさかコスモスが了承してくれるとは。
僕としては味の感想だけ聞かせてもらえればそれでよかったんだけど、せっかくこうして渡してくれたので飲むことにする。
「じゃ、じゃあ、ありがたく……」
ここで下手に拒否する方が、かえって意識していると思われそうだからね。
というわけで僕は、コスモスから受け取ったグラスを傾けて、爽やかな香りの酒を一口だけ飲ませてもらった。
瞬間、味わったことのない果実の甘みと風味が舌の上で広がり、直後に酒の感じがじんわりと口の中に馴染んでいく。
とろみのある感じも口当たりがよくて、なんとも癖になる美味しさの酒だった。
「うまっ! 何これ!?」
「ねっ、美味しいわよね!」
思わずこぼれた感想に、コスモスが激しく同意を示してくれた。
共感による興奮のおかげか、返却したグラスを特に気にする様子もなく、彼女は再び嬉しそうに酒を飲む。
「本当に何度も飲みたくなる味だわ。この町の冒険者たちがハマってるっていうのも確かにわかるわ」
するとコスモスは、一度グラスを卓に置くと、濡れた縁を指でなぞり拭きながら僕に横目を向けてきた。
「だ、だから、その、またあんたをここに誘ってもいいかしら?」
「えっ?」
「だって、私一人じゃ入れないし。気軽に誘えるのあんたくらいしかいないのよ」
「まあそっか。ローズはまだ十五歳だし、僕と一緒じゃなきゃまた門前払いさせるだけだもんね」
ローズがここに入れるようになるまで、あと一年待つという手もあるけれど、そんな気長に待っていられるようなコスモスではないだろうし。
「うん、わかったよ。僕もここの味は気に入ったし、また誘ってくれたら一緒に行くよ」
「……そ、そう」
ありがと、と小さく言ったコスモスは、またグラスに口をつけて酒を飲んだ。
――その時。
「おい! もう酒がねえってのはどういうことだよ!」
「……?」
店内のカウンター席の方から、男の怒鳴り声が聞こえてきた。
釣られてそちらに視線をやると、そこでは一人の巨漢がカウンターに拳を置いて店員さんに食ってかかっている。
「本日お出しできる酒にも限りがありますので、お客様全員に平等に行き渡るようにお一人様に制限を設けさせていただいているのです。と、ご注文の際に予め了承していただいたはずですが……」
「はっ? んな話きいてねえっつーの」
巨漢はヒックと喉を鳴らしながら店員さんを睨みつけている。
相当酔っているみたいだ。
僕たちから注文を取る時も、きちんと販売制限の話はしていたし、おそらくあの男が酔って忘れているだけだと思う。
しかし店員さんは萎縮して、その巨漢に強く言い返すことができていないようだった。
無理もない。華奢で柔和な顔の男性店員さんとは違って、絡んでいる男は強面で、丸太のように太い四肢をしているのだから。
駆け出し冒険者、でもないだろう。
周りの冒険者やコスモスも見覚えがないように怪訝な顔をしているし、どこか別の町からやって来た冒険者だと思う。
という予想に頷きでも返すかのように、男は周りを見渡しながら続けた。
「つーか駆け出し冒険者なんかに配ってっからすぐに酒が無くなるんだろうが。んな連中ほっといて全部俺のとこに持って来いよ」
「そ、そういうわけには……」
「チッ、弱いくせして酒なんか飲んでんじゃねえっつーの。雑魚に飲ませる酒なんかねえんだからよ。全員さっさと俺のとこに酒を持って来いよな。弱い奴が強い奴に従うのが冒険者の決まりだろうが」
男は空になったグラスをつまらなそうに捨てると、周りの冒険者たちを挑発するように視線を向ける。
じろじろと執拗に駆け出し冒険者たちを見て、その視線を受けて皆も萎縮し始めてしまった。
極力目を合わせないようにしている。
その判断は概ね正しい。今の彼らではあの男に敵うはずもないから。
「ハッ、腰抜けどもが、ただ黙って座ってることしかできねえのかよ。やっぱてめえらみてえな雑魚どもに酒を飲ませるのは勿体ねえな! さっさと店から出てってドブ水でも啜ってろよ駆け出しども」
という罵りに反論できる者もおらず、店内は沈むような空気に包まれてしまった。
……せっかくいい気分で美味しいお酒を楽しんでいたのに。
店の中で騒ぐだけならまだしも、僕が期待する駆け出し冒険者たちの悪口を言うのはさすがに見過ごせないな。
ここは一言ガツンと言ってやろう、と思っておもむろに立ち上がろうとしたが……
「……うっざ」
「えっ?」
僕よりも先にコスモスが席を立っていた。
彼女は卓の横に立てかけていた杖を取ると、萎縮している駆け出したちの間を横切ってカウンター席へと向かう。
そしていまだに店員さんに絡んで、いよいよ胸ぐらまで掴み始めた巨漢に対して、後ろから声を掛けた。
「雑魚に飲ませる酒はないって言った?」
「あっ?」
「だったらあんたにくれてやる酒は一滴もありはしないわよ」
これ以上ないほど的確な挑発。
周りの駆け出し冒険者たちも危険な空気を感じ取ったのか、驚愕した様子で固まっていた。
当然挑発を受けた巨漢は、額に青筋を立てながらおもむろに振り向く。
だが、そこにいたコスモスを見て、怒りではなく笑いが漏れ出していた。
「ハハッ! んだよてめえ! どんな身の程知らずが来たのかと思ったが、まさかこんなガキだとは思わなかったな!」
男は盛大な笑い声を響かせる。
コスモスはそれに対して怒りを覚えはしなかったようで、ただ冷ややかな目を巨漢に向け続けていた。
「で、俺にくれてやる酒は一滴もねえだって? そのナリでそれを言うだけの度胸があるのは認めるが、勇気だけじゃ実力は絶対にひっくり返らねえんだよ」
巨漢はそう言うと、次いでコスモスを指で示してさらに笑みを深めた。
「そもそもてめえは実力うんぬんの前に、年齢の方が足りてねえだろ! てめえこそここの酒を飲む資格があるとは思えねえな」
ゲラゲラと酒場に笑い声を轟かせる。
それでもなお何も言い返さず、立ち退こうとしないコスモスに、巨漢は脅しでもかけるように鋭い視線を向けた。
「小便臭えガキはお呼びじゃねえんだよ。さっさと家に帰って母親の乳でも吸ってな」
「……」
ブチッ、とコスモスの中で何かが切れるのを感じる。
その直感の通り、コスモスは聞き慣れた言葉を唱え始めた。
「【キラキラの笑顔――ドキドキしたこの気持ち――輝けわたしの一番星】」
「ハハッ! んだよそりゃ! ガキの間で流行ってるまじないか何かか」
当然それを知らない巨漢は、呑気に笑いながらコスモスの方に近づいて行く。
さらに彼女に脅しでもかけようというのか、バカ笑いをしながら丸太のような腕を振り上げていた。
それにも臆さず、コスモスは静かに微笑む。
「大口開けて笑うのはいいけど、私から一ついいことを教えておいてあげるわ」
彼女は杖を構えて、逆に脅しを返すように巨漢を見上げた。
「歯、食いしばってた方がいいわよ」
「……はっ?」
刹那、コスモスの怒りが形となる。
「【高速流星】!」
杖の先に魔法陣が展開されて、そこから拳大の岩石が高速で撃ち出された。
強烈な一撃が、巨漢の腹に炸裂する。
「がっ!」
鈍い音が響くと同時に、その凄まじい衝撃によって男の体が吹き飛んだ。
それらを事前に予測していた僕は、男が吹き飛ぶであろう場所に移動しておき、あらかじめ卓やお客さんを退けていた。
おかげで男は何にもぶつかることなく、無様に酒場の床を転がることになる。
さすがに威張っているだけあって頑丈で、一撃で意識を失うということはなかったが、コスモスの一撃がかなり効いているようで地面で悶え続けていた。
「うっ……がっ……ああっ……!」
「あーあ、言わんこっちゃない」
一瞬にして見上げる者と見下す者が入れ替わる。
コスモスはこの場にいる冒険者たちの怒りを言葉に変えて、男にぶつけた。
「お酒を飲むのに強さなんて関係ないのよ。駆け出し冒険者だって好きに飲んでいいに決まってるじゃない。そうして冒険の疲れを癒して、また冒険に出て少しずつ強くなっていく。それがこの町の仕組みよ。よーく覚えておきなさい」
巨漢を見下ろしながらそう告げたコスモスは、次いで身を屈めて男の耳元に顔を寄せる。
「それとも……」
今度はコスモスが男を脅し返すように、威圧感のある低い声を響かせた。
「物覚えの悪そうなあんたには、もう一発食らわせてわからせてやった方がいいかしら?」
「や、やめて、くれ……!」
これ以上はまずいと言うように、巨漢は地面に転がりながら弱々しくかぶりを振った。
その後、なんとか立ち上がった巨漢は、散々馬鹿にした駆け出し冒険者たちに見届けられる形で、よろよろと店を後にする。
コスモスはその情けない姿を見送ると、つまらなそうに鼻で笑って独り言を呟いた。
「あんまりこの町の冒険者を、みくびるんじゃないわよ」
瞬間、辺りから歓声が迸った。
見ると、席に座っていた駆け出し冒険者たちが、思わず立ち上がって彼女に拍手を送っている。
「さ、さすがコスモスさん……!」
「あいつを追い払ってくれてありがとう……!」
みんなからめちゃくちゃ感謝されている。
まあ、この場であの男を打ち負かすことができたのはコスモスくらいだったし。
みんな悔しい思いを噛み締めていただろうから、この感謝の嵐も当然のものと言える。
コスモスはそれを受けて、やや照れ臭そうに赤い顔を僅かに俯けていた。
ついでに彼女は、店の方からも多大な感謝をされていた。
店主さんからもお礼の言葉をもらっていて、それで存在を認知してもらえたのか、なんとこれからは一人でもこの酒場に入ることを許されていた。
「またのご来店をお待ちしております、コスモス様」
最後にはそんなことまで言われてしまう。
というわけで、今後は僕の付き添いも必要なく、コスモスは好きな時にこの店に来ることができるようになったのだった。
危険を冒して野蛮人に立ち向かっていった甲斐は、どうやら存分にあったらしい。
「よかったねコスモス。これでいつでも一人であのお酒を飲みに行けるぞ」
「え、えぇ、そうね。これでいつでも一人で…………はぁ」
コスモスはなんだか釈然としないような、そんな顔をしていた。
――――
お知らせです。
2023年2月28日(火)、『はじまりの町の育て屋さん』の第2巻が発売となりました!
それに合わせてイラストを担当してくださっている大空若菜様から、第2巻の発売記念イラストを頂戴いたしました!
対象店舗でお買い上げいただくと、各種店舗別特典が付いてきます。
特典には数に限りがあり、なくなり次第終了となります。
【駿河屋様】
SSリーフレット(B6)/「はじまりの町の案内人さん」
【協力店様】
サイン入りイラストペーパー
【BOOK☆WALKER様】
書き下ろしSS /「嘘吐きのお姉ちゃん」
【アンケート特典】
書き下ろしSS /「お花の育て屋さん」
GCノベルズ様の公式サイトにも情報が掲載されておりますので、ご確認いただけたらと思います。
書店で見かけた際は、是非お手にとってみてください!
今後とも、『はじまりの町の育て屋さん』をよろしくお願いいたします!
……本編の方も、そろそろ更新できたらなぁと思います。