第百四十四話 「勇者の産声」
森王軍と霊王軍の計画を阻止して、僕たちは無事に旅を終わらせた。
ラティス王国軍への諸々の報告も完了し、はじまりの町へと帰ることにする。
この旅の目的は、大好きな町と育て屋を守るために森王軍と霊王軍の謀略を阻むというものだった。
結果的にそれが叶ってよかったと思う。
少しヒヤッとする場面はあったものの、仲間たちが強すぎたため緊張感はさほどなかったかな。
終わってみれば呆気なかった、という感想が正直なところである。
ともあれ僕たちは見事に目的を達成して、また平穏な日々を取り戻すことができたのだった。
と、思いきや……
「三級冒険者ローズ・ベルミヨン殿。此度の戦いの功績を称えて、あなたに『東の勇者』の称号を授けます」
「へっ……?」
いつものように育て屋で、ローズとコスモスの二人と一緒にお茶を飲んでいると、突然黒ジャケットの男がうちを訪ねて来た。
ラティス王国にあるギルド東本部の職員さんだと名乗ったその人は、ヒューマスのギルドでローズの行方を聞いてここに来たらしい。
彼がやって来た理由は言わずもがな、今のことをローズに伝えるためである。
当然ローズはすぐに状況を飲み込めずに放心し、対して僕とコスモスは心からの称賛を送った。
「おめでとうローズ」
「まあ、正直私たちの中で一番『勇者』って感じがするのはローズだったものね。ありがたく頂戴しておきなさいよ」
「まま、待ってくださいよ!」
ローズは音を立ててカップを卓上に戻しながら、額に冷や汗を滲ませる。
戦乙女として覚醒して以降、滅多に見ることがなくなったローズの焦り顔が視界に映った。
さすがの鬼神も、急なこの展開には戸惑っているようだ。
「ど、どうして、私なんですか? 森王軍と霊王軍の計画は、私たち四人で阻止したはずなのに……」
「その報告は王国軍の方からも受けております。莫大な被害を生んでいたであろう呪葬樹を四人で切り倒し、東のラティス王国だけでなく中央大陸全土を守った英雄たちだと」
「で、でしたら……!」
自分に勇者の称号が授けられるのはおかしい。
ローズはそう言おうとしたのだろう。
しかしその言葉を遮るように、東本部の職員さんが手持ちの黒いボードに目を通しながら返した。
「しかし中でも突出した成果を挙げたのはローズ・ベルミヨン殿だと判断されました。【暴虐将】エリンジュとその一向からの報告で、森王ガルゥに決定的な一撃を浴びせたのはローズ殿だったと聞いております」
「んんっ?」
ローズだけでなく僕も首を傾げてしまう。
森王ガルゥに決定的な一撃を浴びせた? ローズが?
「ローズ、いつの間に森王ガルゥと戦ってたの?」
「いやいや! 私の方が知りたいですよ! 確かにあの方たちを助けたのは覚えていますけど、森王ガルゥに一撃を浴びせた覚えは……? あっ、でも、あの時狼人の魔獣がいて、もしかしてあの魔獣が森王ガルゥ……? わ、訳がわからなくなってきました……」
ローズは「うぅ……!」と唸り声を漏らしながら頭を抱え始める。
僕たちも詳しい事情は知らないから少し混乱してきたな。
すると傍らで話を聞いていたコスモスが、もぐもぐと焼き菓子を頬張りながら緊張感なく尋ねてきた。
「確か遺跡の途中で見かけた魔獣の死骸の中に、ガルゥもひっそり交じってたって話よね?」
「ひどいやられようだったから姿形までは保ってなかったけど、僕の神眼がそう見抜いたから間違いないよ。たぶん霊王軍の裏切りでやられたんだと思う。あれを見た時はびっくりしたけど……」
「そ、そういうお話しでしたよね? それなら私は、やっぱり関係ないんじゃ……」
「まあその前にローズが一撃入れてたって言うなら、ガルゥが討伐されたことにまったくの無関係だとは言いにくいよね。もしかしたらその一撃が起点になって、霊王軍がガルゥに仕掛けたのかもしれないし」
「うぅ……」
死人に口なしなので、はっきりとしたことはもう知る由もない。
ただ、ローズが人類の脅威である森王ガルゥに深傷を負わせたというのは事実のようだ。
呪葬樹の破壊は四人で協力をして成し遂げたことではあるが、そちらはローズ単身でやったことに間違いはない。
となると今回の戦いで最も称賛されるべきなのはローズということになる。
勇者の称号を授かるのに充分な戦績を残していると言えるし、何よりエリンジュたちという証人もいる。
ローズもそこまで理解に至ったようで、やがて諦めたように職員さんに問いかけた。
「こ、断ることはできないのでしょうか……?」
「冒険者登録の際に称号付与の規定も確認してもらっているはずです。原則辞退は認められておりません。すでに前回の東の勇者であったダリア・ルージュにも移行の知らせをしておりますゆえ」
あぁ、確かそんな決まりがあったような……
僕もいまいち覚えていないけど。
冒険者はギルドから授けられた称号を手ずから手放すことはできない。
基本的には名誉ある称号ばかりなので、断ろうとする冒険者がそもそもいないんだけど。
「せっかくなんだからもらっておきなさいよ。今後何かの役に立つかもしれないでしょ」
「で、でも私、まだ三級冒険者ですし、そもそも冒険者になってからまだ日も浅いのに……」
ローズは身に余る称号を送られて困っている様子。
そう、基本的には断ろうとする冒険者はいないけど、ローズの性格ならば狼狽えてしまうのも無理もない。
勇者の称号なんて冒険者の誰しもが一度は夢に見る誉れあるもので、それをいざ受け取る側になるのは相当な気苦労だろう。
なんだったら僕だっていらないし。
ローズがあたふたと困っている最中だが、用事を終えた職員さんは頭を下げて言った。
「では、私はこれで。東の勇者ローズの今後の活躍を大いに期待しております」
「ひ、ひぇ……」
“はい”と言いたかったのか“いいえ”と言いたかったのか。
どっちつかずな情けない返事が、ローズの震える唇からこぼれ落ちた。
職員さんがいなくなったことで、育て屋に再び静けさが戻ってくる。
ローズが複雑そうな顔でカップの中身に目を落としている中、そんな彼女を見つめながら僕はしみじみとした思いで呟いた。
「これでローズも、晴れて『勇者』の仲間入りかぁ」
その呟きを聞き、コスモスが意外そうな表情でこちらを見る。
「なんだか特に驚いてはなさそうな様子ね。まるでローズが勇者になることがわかってたみたいな反応じゃない」
「そりゃまあ、いつかはそれくらいの冒険者になるとは思ってたからね。戦乙女として覚醒してからの成長速度が、恐ろしいくらいに目覚ましかったし」
遅くても五、六年以内には、東西南北のいずれかの勇者から称号を奪取するだろうと予想はしていた。
彼女の才能が規格外だから、というのもあるが、何より人一倍強い正義感がそうさせるだろうと。
まあ、覚醒から一年以内でそれが実現するとは思っても見なかったけど。
あと、コスモスもそれと並ぶ逸材だと思っている。
次の勇者候補はコスモスかなぁ、なんて人知れず考えていると、何やら不安げな顔でローズがこちらを見てきた。
「ゆ、勇者って、具体的に何をすればいいのでしょうか?」
「まあ、普通そうなるよね」
ローズがそのことで悩んでいるのは言われる前からわかっていた。
勇者の称号って具体的にどういうものか、一般的にはまったく知られていないし。
あの職員さんだって特に何も説明することなく帰っちゃったからね。
しかしそれも当然で……
「勇者は別に“何かしなきゃいけない”とか決まりがあるわけじゃないよ。普段通りに冒険者活動を続けてればいいだけだから」
「えっ、そうなんですか……?」
ローズが意外そうに目を丸くする。
コスモスもローズと同じように驚いた様子でこちらに問いかけてきた。
「魔王軍と戦いに行かなくちゃいけないとか、そういう決まりもないの?」
「別に何も。ただギルドとか他の冒険者から協力要請を受けることはしょっちゅうあるけど、それも別に強制じゃないし」
「な、何よそれ……」
そんな反応をしてしまうのも当然である。
まあ、勇者の称号なんて結局は『最強の冒険者』だという証でしかないし、何かしないといけないなんて決まりがあるはずもない。
「強いてやらなきゃいけないことを挙げるとするなら、勇者の称号を他の冒険者たちに盗られないように、『引き続き冒険者活動を頑張る』ってことくらいかな」
「は、はぁ……」
「もちろんまったく意味のない称号ってわけでもないから、守る価値は充分にあると思うよ。階級にかかわらず依頼をたくさん回してもらえたり、過去に勇者に救われた町とか村に行けば好待遇も受けられるし……」
だからダリアも必死になって勇者の称号を守ろうとしていた。
森王軍の侵域に挑もうとしていたのもそれが一番の理由だし。
彼女の場合はプライド的に盗られたくなかっただけかもしれないけど。
「まあ、あんまり難しく捉えずに、『少し有名になった』くらいに考えれてればいいんじゃないかな?」
「そ、そんな軽い感じでいいんですか……」
ローズはそう聞いて、心なしか安堵したように肩の力を抜いていた。
実際、勇者の称号を与えられたからと言って、みんな何か特別なことをしていたわけではない。
ローズも普段通りでいればいいだけだ。
するとコスモスが悪戯っぽい笑みを浮かべてローズに言った。
「そう考えると確かに気楽だけど、称号を取られちゃった元勇者様は、今頃さぞご立腹なんじゃないかしら。もしかしたらローズが新しい勇者になったって知って、夜道で後ろから『ブスリッ!』ってやってくるかも……」
「ひ、ひえっ!」
「……」
いや「ひえっ!」って、ローズなら簡単に返り討ちにできるでしょ。
何を今さら怯えることがあるというのか。
突然勇者の称号を与えられたせいで情緒がおかしくなっているのかもしれない。
あと、コスモスはあんまりローズを刺激しないであげてほしい。
と、僕たちのその会話を、まるで盗み聞いていたかのように……
コンコンコンッ。
「――っ!?」
絶妙なタイミングで、育て屋の扉が叩かれた。
ビクッと肩を揺らしたローズは、いつになく緊張した様子で息を飲む。
「ま、まさか、本当に元勇者さんが……」
「いや、普通にお客さんだと思うけど……」
コスモスが変なことを言ったあまり、僕もそんな気がしてきて冷や汗を滲ませてしまう。
あんなことがあった後だから、ダリアとはなるべく顔を合わせたくないんだけどなぁ。
そう思いながら椅子から立ち上がり、扉の方に向かおうとすると……
それよりも早く、扉の向こうから声がした。
「アロゼ、俺だ…………ユーストマだ」
「えっ? ユーストマ……?」
僕たちの予想は外れて、ダリアではなく彼女が率いる冒険者パーティー――平和のお告げで盾役を務めているユーストマが尋ねて来た。