第百四十三話 「東の勇者」
先ほどまで目の前には呪葬樹が立っていた。
しかし僕たちの視界には今、“海”が映っている。
「……」
木々が生い茂っていて、先を見通すこともままならなかったはずなのに。
大陸は砕けた焼き菓子のように削れていて、その先では波が荒れていた。
「ま、これでとりあえず一件落着ね。帰ってお祝いのケーキでも食べましょう」
「待て待て待て!」
ぐっと背中を伸ばしながら帰ろうとするコスモスを、僕は思わず呼び止める。
すると彼女は、自分がしでかしたことを自覚していない様子で、きょとんと首を傾げながら振り返った。
「何よ? ケーキじゃなくてジェラートの方がよかった?」
「デザートの種類に文句があるわけじゃない! いくらなんでもこれはやりすぎだって! 大陸が欠けちゃってんだけど!」
「まあ、確かにちょっとやり過ぎちゃったかしらね。でもよく言うでしょ。雑草は根元からって」
「雑草じゃなくてあれ呪葬樹!」
呪葬樹が無くなったこと自体はいいけど、ここは元々ラティス王国の国土だったんだぞ。
それをこんな大胆に削ってしまって、後で怒られたりしないだろうか。
いや、そもそも大陸ごと削る魔法って何?
「すごいですねコスモスさん! 一撃であの呪葬樹を消滅させてしまうなんて……!」
「その代わりに恥ずかしい思いを味わったけどね。二度とあんな式句は唱えたくないわ」
「でも、コスモス、可愛かったよ」
「可愛いとか言うんじゃないわよ! 私はもっとかっこよく敵を倒したいんだから!」
ローズとネモフィラさんが微笑ましそうに見守る中、コスモスは不満そうに頬を膨らませている。
まあ、終わりよければすべてよし、なのかな。
あの呪葬樹を完全に破壊するなら、大陸を削るほどの魔法を使わなければならなかっただろうし。
むしろこれはコスモスだからできたことだとも言える。
きっとここに彼女がいなければ、呪葬樹の破壊が叶わずに町に被害が出ていたはずだ。
そう考えると、コスモスがいてくれてよかったと思う。
「何はともあれ、これでようやく終わりか……」
森王軍と霊王軍の企みは完全に阻止できた。
一応まだ森王軍の残党が僅かに残っているみたいだけど、それはラティス王国の王国軍がなんとかしてくれるだろう。
僕たちにできることはもう充分に果たした。
ローズとネモフィラさんも霊王軍への仕返しができたし。
僕の目的であった竜王軍の情報は引き出すことができなかったけどね。
とんでもないことを成し遂げたというのに、それを自覚していない様子で女子三人が歓談する中、いまだに時が止まっている人物が一人……
「…………な、なんなのよ、あんたたち。こんな連中が、いたなんて」
欠けた大陸と崩壊した遺跡を見つめながら、ダリアが呆然と呟いている。
この三人の実力を目の当たりにして、理解が追いついていないようだ。
「これがはじまりの町の逸材たちだよ。あの町にはまだまだ才能の原石たちが眠ってる。僕はそういう人たちの手助けをして、才能を開花させてあげる育て屋をやってるんだ」
「……っ!」
ヒューマスの町は駆け出し冒険者の町として知られている。
そんな場所でくすぶっているだけの冒険者たちを、ダリアは才能無しと一括りにした。
だから改めてローズたちの力を見て、その事実を受け入れられずにいるのだろう。
自分こそがこの時代の主人公だと、彼女はいまだに疑っていないから。
今回の件をきっかけに、少しは慢心した自分を見つめ直してくれるだろうか。
それでもし、心を入れ替えてくれるというのなら……
『アロゼの力は、物語の主人公になれるような力じゃないかもしれない。でも、主人公よりももっとすごいものになれる可能性があるんだから』
父と母の二人とした会話を、懐かしい気持ちで思い出しながら、僕はダリアに言った。
「僕じゃ主人公にはなれないかもしれない。でも、『主人公にしてあげる』ことはできる」
「……何が言いたいのよ?」
「ダリアだって力を自覚して、着実に地力を付けていけば、きっと彼女たちに追いつくことだってできるはずだ。今からでも……」
「……」
僕の言いたいことが伝わったのか、ダリアは驚いた表情でこちらを見る。
まあ、一度引き受けるって言ったわけだし、乗りかかった船だからね。
中途半端に“育て屋”としての仕事を投げ出すのももどかしいので、レベルを元に戻すくらいは手助けをするつもりだ。
それからどう変わっていくかは、ダリア次第である。
そう思って提案してみたのだが……
「……はっ、誰があんたの力なんか借りるってのよ」
ダリアは鼻で笑って、僕の提案を一蹴した。
なんとなくそう言う気はしたけど。
「私は自分の力だけで強くなって、力を完全に取り戻してみせる。そして自分の力だけで……あんたたちから『東の勇者』の称号を取り返してみせるわ」
悔しさと怒りが滲んだ顔ながら、真剣な声音でダリアはそう言った。
「……んっ? ちょっと待った。取り返すってどういうこと? 東の勇者の称号はダリアが持ってるはずだろ?」
「どうせ今回の功績を称えられて、最大の功労者に東の勇者の称号が渡るはずだもの。そいつから必ず、自分の手で勇者の称号を取り返すって言ったのよ」
「……」
そうか。
“勇者”は最強の冒険者に与えられる称号。
東西南北それぞれの区域で、歴史的な偉業や何かしらの功績を残した冒険者が代々それを引き継いでいる。
ダリアも最年少で一級冒険者に駆け上がった逸材で、当時は東の勇者の称号が空席だったこともあってそれを与えられたのだ。
でも今回の戦いで、東の勇者の称号はダリアの手元から離れるはず。
東の大国であるラティス王国を含め、大陸東部の町や人間たちを森王軍と霊王軍の脅威から救ったのだから。
どころか呪葬樹の呪いが蔓延するはずだった中央大陸全土を守った英雄と言ってしまってもいい。
だから今回の功績を称えられて、この場にいる誰かに東の勇者の称号が……
「だから、覚えておきなさい。私は必ずあんたたちから東の勇者の称号を取り返してみせる。そして今度は別の魔王軍を、うちのパーティーだけで壊滅させてやるから」
ダリアは相変わらずの強気な態度でそう言って、くるりと踵を返した。
そのまま一人で帰ろうとする。
しかし突然ピタッと足を止めて、なぜかこちらを振り返って“剣”に手を掛けた。
それを鞘ごと腰から外して、僕の方に放り投げてくる。
いきなりのことだったけど、なんとかそれを受け取ると、訝しむ僕を見てダリアは言った。
「育て屋の仕事料」
「へっ?」
「あんた成長の手助けして金とってんでしょ。これ以上変な借りとか作りたくないから、それ売って金にでも換えなさい。余裕で足りるはずだから」
そしてダリアは煌びやかな剣とそんな台詞を残して、今度こそこの場を立ち去って行った。
僕はダリアから渡された剣を見つめながら、パチパチと目を瞬かせる。
まさかダリアの方から報酬金を手渡してくれるとは思わなかった。
忘れてそのまま帰ってしまいそうな奴なんだけど。
やはり今回の件を機に、何かしらの心境の変化があったのかもしれない。
そんなダリアの背中を見送った後、僕はふと彼女が言っていたことについて考える。
「……一番の功労者、か」
この場合、いったい誰になるのだろう?
その人が東の国の英雄として称えられて、勇者の称号を与えられるのはほぼ確実だ。
しかしそれぞれ皆、違った活躍をして森王軍と霊王軍を壊滅させることができたのだから、誰に称号が渡るのか曖昧だな。
まあ、たった今歓談している女子三人の誰かになるとは思うけど。
「んっ?」
そう思いながら彼女たちの方を見ると、なぜか三人は僕の方を見て意味深な笑みを浮かべていた。
「な、なんで、みんな僕を見てんの?」
「いやまあ、それはですね……」
「一番の功労者って言ったら、当然一人しかいないし……」
「私も、それがいいと思う」
……う、嘘でしょ?
何か嫌な予感がした僕は、慌てて手と首を横に振って拒絶を示した。
「霊王ヴァンプに決定打を与えたのはローズだし、一番大きな呪葬樹を破壊したのはコスモスだし、そもそも安全に旅ができたのはネモフィラさんのおかげで……」
「でも、そんな私たちを育てたのは誰かしら?」
「みんな、ロゼのおかげで、強くなれたんだよ」
「ですから、今回の一番の功労者は……」
「い、いやいやおかしいでしょ! 僕に“勇者”の称号なんて重荷すぎるよ!」
そもそも僕は、今は冒険者の活動よりも育て屋の方に注力してるんだから。
勇者の称号なんてもらっても腐らせてしまうだけだ。
そうなると次期女王のネモフィラさんも適任だとは言えないし、ローズかコスモスのどっちかがもらってくれよぉ。
ともあれ、誰が勇者の称号をもらうかは一旦置いておくとして、僕たちは無事に森王軍と霊王軍の目論見を阻止したことを、ラティス王国軍に報告しに行くことにした。