第百四十話 「才能の違い」
てっきり激戦を繰り広げているかと思いきや、まさかすでに霊王ヴァンプが倒れているとは考えてもみなかった。
倒れているヴァンプを見て唖然としていると、横から聞き慣れた声が聞こえてくる。
「あっ、ロゼさん!」
「……ローズ」
見慣れた赤髪の少女、戦乙女ローズ。
彼女は何やら慌てた様子でこちらに駆け寄って来た。
「よ、よかったです……! 急にロゼさんたちがどこかに消えてしまったので、何かとあったのかと……」
「骸骨の魔獣のせいで、変な空間に飛ばされててさ。でももう大丈夫だよ。全員怪我もないし」
そう伝えると、ローズはみんなを見渡してから、安堵したように胸を撫で下ろした。
なるほど、それを心配していたから、僕たちの姿を見るや慌てて走って来てくれたのか。
考えていることはお互いに同じだったみたいだ。
……霊王ヴァンプを相手にしながら僕たちを気遣うというのは、とてつもない離れ業だと思うけど。
「い、一応聞くけど、これってローズとコスモスがやったの? 霊王軍の王様、倒れちゃってるけど」
「えっ? ま、まあ、そんな感じですかね……」
「……?」
なんだか煮え切らない返答をされる。
すると複雑そうな表情をするローズの後ろから、もう一人黒髪の少女が不満そうな顔で歩いて来た。
「こっちは大変だったんだからね。そっちの状況がどうだったかはわからないけど、あんたとお姫様が一緒なんだから、もう少し早く出て来てもらいたかったわ」
「む、無茶言うなよ。こっちはお世辞にも戦闘向きのメンバーじゃないんだし」
力を信用してくれているのは嬉しいけどさ。
って、あれっ? 今『大変だった』って言った?
「早く出て来てもらいたかったって、僕たちの協力が必要なほど、霊王ヴァンプは強かったのか……? 見たとこ、二人とも怪我してなさそうだし、危なげなく勝てたんじゃ……」
現状の様子からそう推察してみるが、どうやら僕の解釈が間違っていたみたいだ。
「そっちの意味の“大変”じゃないわよ。あんたたちの姿が消えちゃったせいで、この子がすごく取り乱しちゃって、あのチビッ子魔獣に“ブチギレちゃった”のよ」
「えっ……」
僕は見開いた目を、ゆっくりとローズの方に向ける。
すると彼女は僕と目が合うと、『えへっ』と照れたように赤らめた頬を緩めた。
ブチギレた? ローズが?
「ロ、ロゼさんたちに何かあったと思ったら、つい気持ちが焦ってしまって……。すぐに目の前の魔獣を倒してロゼさんたちを探さなきゃいけないと思い、無駄に力が入ってしまいました」
「そ、そっちの意味の“大変”ね……」
だから無事な姿をローズに見せてやるために、もっと早く出て来てほしかったというわけか。
確かに、この崩れた遺跡と倒れているヴァンプを見れば、ローズの怒り具合が簡単にわかる。
下手したらもっと広範囲が荒野になっていたかもしれない。
ていうかさっき煮え切らない返答をしたのはこれが理由だったのか。
ブチギレたことを自分からは話したくないだろう。
にしても、“激怒したローズ”か。字面にするだけでも恐ろしい迫力が秘められている。
まあ、終わりよければすべてよしとしよう。
「えっ? ちょ、ちょっと待ってよ……? 本当に、この子たち二人だけで、あのヴァンプを倒したっていうの……? 相手はあの何百年も生き続けている魔王の一人なのに……」
「まあはい、勝てちゃいましたね」
「ていうか、私はほとんど見守ってるだけだったけどねぇ」
「……」
ダリアは改めてローズとコスモスを見て、言葉を失っている。
その反応も無理はない。
僕たちがあれだけ苦戦して、ようやく幹部の一人を倒したというのに。
その外では少女二人が、容易に親玉を倒していたというのだから。
しかもほとんどローズ一人の力で。
むしろ戦乙女ローズの本気の怒りを向けられたヴァンプに同情してしまうほどだ。
「ふ、ふざけ、おって……!」
その時――
崩れた瓦礫の中央で、血の気の薄い少年がおもむろに立ち上がった。
傷付いた体を懸命に起こしながら、怒りに満ちた目で僕たちを睨んでくる。
「しくじったかスカル……! どいつもこいつも使えん無能どもガ……!」
僕たちが無事に元の場所に戻って来たことで、スカルの敗北を悟ったらしい。
一方で僕は、奴の息がまだあってよかったと密かに安堵する。
奴には聞きたいことが山ほどあったから。
竜王軍の組織構成、目的、竜王の弱点、その他の魔王軍の情勢など。
おそらく情報を引き出すためにローズとコスモスもトドメを刺さなかったのではないだろうか。
「大人しくしてください。この戦いはもう私たちの勝ちです。これ以上暴れるようでしたら、今度こそ確実に息の根を止めますよ」
ローズが牽制するように剣を向けると、ヴァンプは険しい表情で怒りを示した。
「図に乗るなよ人間の小娘がァ……! この程度の傷を付けただけで勝った気になるでない……!」
ヴァンプは、突然貴族風の衣装を派手に千切って脱ぎ去り、青白い肌を僕らに晒す。
直後、禍々しい気配を全身から立ち上らせて、カッと赤目を見開いた。
「【本能暴走】!」
ドクンッ! とヴァンプの少年の肉体が鼓動する。
まるで体の内側から強烈な衝撃を与えられているかのように、間隔的に体が揺れて、それに伴って変化が現れた。
奴の少年のような体が、見る間にすくすくと成長していく。
そして奴の体は“青年の姿”へと変貌を遂げて、同時に凄まじい威圧感がこの場を支配した。
聞いたことがある。
上位種の魔獣は本能解放という肉体活性の術を備えていると。
そしてそれを超える超覚醒現象――【本能暴走】という秘術もあるらしい。
理性を犠牲にする分、本能解放を超越する身体強化が可能。
つまりあれが、ヴァンプの本気になった姿ということか。
確かにただならぬ迫力を感じる。
隣を見ると、ダリアは恐怖によって身が強張り、その場で完全に硬直していた。
そんな息も詰まるような緊張感に包まれているが……
「うわぁ、なんか元気になったわよあいつ」
「やっぱりトドメを刺しておいた方がよかったですかね?」
「一応、二人にも、障壁魔法張るね」
僕とダリアを除いた三人の少女は、変わらず怖いくらいに冷静だった。
化け物を前にしても平然としていられるのは、同じ化け物だけしかいないということである。
女の子を化け物呼ばわりは失礼だけど。
そんな益体もないことを考えていると、本能を暴走させたヴァンプが襲いかかって来た。
対抗して僕も身構えようとしたが……
先に少女たちの体が動く。
気が付けば目の前では、ネモフィラさんが皆を守るようにして前線に立っていた。
瞬間、ヴァンプの貫手による一撃がネモフィラさんに襲いかかる。
ガンッ! と障壁魔法に阻まれた音が響くと、ネモフィラさんは静かに目を細めた。
「【判定】――【不敬罪】」
瞬間、ヴァンプの肉体に呪いが付与される。
奴はネモフィラさんの能力をまだ知らなかったため、不用意に障壁魔法を攻撃して来たらしい。
「な、んだ、これは……!? 貴様、いったい我に何を……!」
その隙を、ローズが横から突いていく。
「せやあっ!」
彼女に斬りかかられたヴァンプは、咄嗟に両腕を掲げて剣を防いだ。
だが、あまりのその威力にヴァンプの青年の体が吹き飛んでいく。
瓦礫を蹴散らしながら石柱に激突したヴァンプは、顔をしかめながら僕たちに睨みを利かせてきた。
そこを……
「【流星】!」
すでに詠唱を終えているコスモスが、ダメ押しと言わんばかりに追撃を食らわせた。
彼女が構えた杖の先に魔法陣が展開されて、そこから巨大な岩石が射出される。
躱す余裕がなかったヴァンプは、高速の大岩に押しつぶされて、凄まじい衝撃と音を辺りに四散させた。
まさに、一瞬の出来事である。
「…………強すぎでしょ」
霊王ヴァンプのささやかな抵抗も、逸材の三少女によって虚しく一蹴されてしまった。
僕とダリアが戦ったスカルとは比べ物にならないほどの怪物であることに間違いはないはずだが、こちらの才能の原石たちがあまりにも規格外すぎる。
よもやあの霊王すらも足下に寄せつけないなんて、心配する必要なんて微塵もなかったじゃないか。
「な、なんなのよ、こいつら……! こんなのもう、ズルじゃない……!」
たかが幹部相手にとんでもない苦戦を強いられていたダリアは、霊王を圧倒する少女たちを見て愕然とする。
似たような気持ちになっている僕は、まるで自分に言い聞かせるようにしてダリアに伝えた。
「これが“才能”ってやつなんだろうな」
「さい、のう……」
「僕から見たら、ダリアも相当な才能の持ち主だよ。『こういう人間が天才って呼ばれる存在なんだな』って、一緒にいた時はずっとそう思わされてた。でも、あの子たちと出会って、これが本物の才能なんだって改めて思い知った」
「……」
ダリアはその事実を受け入れたくないのか、静かに歯を食いしばっている。
最年少で一級冒険者まで駆け上がった秀才で、誉れある勇者の称号まで得たダリア。
その肩書きに違わずプライドも高く、そんな自分が名の知れない少女たちに才能で劣っていると信じたくないのだろう。
しかし、事実は残酷だ。
「この子たちの前では、僕もダリアも等しく才能なしの人間だ。だからダリアも自分の弱さを受け入れて、天職に甘んじないで基礎から訓練をし直した方がいい。僕よりはまだ、確かな才能を与えられてるんだから」
「…………うるさい」
かつて勇者パーティーを追い出された時に伝えられなかったことを、改めてこの場で言ってみせる。
別に、挑発したくて言ったわけではない。
僕の胸中にわだかまっていた罪悪感を今一度振り払うために、あの時に言えなかったことを言っただけだ。
ダリアを含めた勇者パーティーの面々は、僕の育成師の力で急速に成長することができた。
しかしその分、実戦経験が乏しくなってしまい、力と経験が乖離する事態になってしまった。
おそらく魔王軍に負けてしまったのは、そこから生まれた過剰な自尊心のせいでもあると思う。
だから僕は心のどこかで罪悪感を抱いていて、機会があれば今の言葉を伝えたいと思っていたのだ。
過度な自信を付けさせてしまったのは、僕の責任でもあると思うから。
ダリアの悔しげな表情を見るに、それが充分に伝わったかは微妙なところだけど、僕は僅かに罪悪感を拭えて気分が晴れた。
その時――
崩れた瓦礫を押し退けながら、傷だらけのヴァンプが唐突に起き上がってきた。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
先ほどの猛攻で、今度こそ力尽きたと思ったが、存外しぶとい。
しかしひどく疲弊した様子であることから、彼女たちの攻撃は相当効いているようだ。
これはむしろ好都合だ。ここまで弱った状態ならば、完全に拘束することもできるかもしれない。
そして手に入れたかった情報を今度こそ聞き出せるかも。
と、思ったのだが……
「……よもや、これを使う羽目になるとはな」
改めて武器を構える少女たちの前で、奴は唐突に右手を掲げた。
そして、誰に言うでもなく叫ぶ。
「死してなお地上を彷徨う僕たち! 霊王の元に集え!」
刹那、周囲からおぞましい黒風が吹き荒れて、吸い込まれるようにしてヴァンプの手元に集まっていった。