第百三十七話 「奇襲」
まさかここにダリアがいるとは思わなかった。
しかしダリアがここにいること自体に、僕はまったく違和感を覚えなかった。
こいつはこういうことをする奴だと知っているから。
命知らずで恩知らずなそいつを、別に助けてやる義理はなかったけれど、僕は知らず知らずのうちに体を動かしていた。
それはたぶん……
「見覚えのない顔ですね。報告にあった冒険者パーティーの一員ですか」
僕からの不意打ちを食らった骸骨魔獣は、こちらに鋭い視線を向けてくる。
同時に訝しむように、骨の指先でコツコツと自分のこめかみを叩いた。
「霊王軍の大量の魔獣たちが森を捜索中のはずですが、いったいどのようにしてその包囲を掻い潜り、この基地まで辿り着いたのでしょう? それと他のお仲間の姿が見えないようですが?」
「……」
当然、わざわざ種明かしなんてしない。
確かにここに来るまでに大量の魔獣たちとすれ違った。
ただでさえ鼻や目が利く魔獣たちが、徒党を組んで索敵を行っている。
それを掻い潜るのは常人では容易なことではないけれど、“僕には”それができてしまう。
支援魔法の『気配遮断』と『感知強化』を使えば、気配を絶ちつつ先に敵を気取って安全な道を進むことができるのだ。
「まあ、それはいいです。とりあえずは、下賤な人間ごときが許可なくここに立ち入ったことを、心の底から後悔させて差し上げます」
骸骨魔獣が湾曲した杖を構えた瞬間、辺りに緊張感が漂う。
対して僕もナイフを構えて、いつでも応対できる姿勢をとった。
静寂の中、僕と奴は視線をぶつけ合って火花を散らす。
刹那、骸骨魔獣の後ろで、パタンッと静かな音が鳴った。
「次から次へと、羽虫のように鬱陶しいな」
それは、奴の後方にいる黒髪赤目の少年が、手に持っていた本を閉じる音だった。
必然、僕の緊張感がさらに増す。
明らかに他の魔獣とは一線を画する存在。
離れているここからでも、刺すような迫力を感じる。
一目見た時から、薄々思っていたけれど、まさかこいつが……
その少年が読書をやめて立ち上がったのを見て、骸骨魔獣がすぐさま反応を示した。
「ヴァンプ様、ここは私にお任せ……」
「もうよい。貴様は遊びが過ぎる。ここからは我が手ずから侵入者を排除しよう」
少年魔獣がそう言うや、骸骨は焦りを覚えたように息を飲んだ。
病的なまでに青白い肌。背中にはコウモリのような赤い羽。
随所に魔獣的な要素が見え、加えて骸骨が『ヴァンプ様』と言ったことからも、あの少年が間違いなく“霊王ヴァンプ”だろう。
骸骨魔獣も相当の種族のはずだが、萎縮して言葉を失っている。
これが魔王のうちの一人。
なるほど、これは確かに規格外の強敵だ。
「は、ははっ……! あんたが来たとこで、結局何も変わんないじゃない……」
「……」
ヴァンプが交戦の意思を示した途端、ダリアが怯えた様子で声を震わせる。
「あんな魔獣、どうやったって勝てるわけない……! ただの育成師のあんたじゃ、どうせこいつらに殺されるだけよ……」
……そうだな。
こうして劇的に駆けつけたとはいえ、僕がただの育成師であることに変わりはない。
霊王ヴァンプはおろか、部下であるだろう骸骨魔獣にすら勝てるか怪しいくらいだ。
だからダリアが絶望に暮れたままなのも納得できる。
きっと“僕では”、こいつらには勝てない。
そう、僕では。
「ヴァンプ様!」
「――っ!」
突如、ヴァンプの立っている横の空間が、まるで陽炎のように揺らいだ。
その歪みから真っ赤な刃が姿を現す。
あまりにも唐突に飛び出して来た刃は、恐ろしい精度と速度でヴァンプの細い首元に迫った。
刹那、ヴァンプは首を傾けて、紙一重で刃を躱す。
だが……
「はあっ!」
歪みの中から、続け様に拳が出て来て、それはヴァンプの左腕に突き刺さった。
ゴキッグギッ! と鈍い音が鳴ったことから、明らかに奴の腕は砕けたように見える。
直後、陽炎が晴れて、赤髪の少女が姿を晒した。
支援魔法の『気配遮断』で姿を消していた、戦乙女ローズである。
「コスモスさん!」
衝撃で吹き飛んだヴァンプは、すぐに態勢を立て直そうとしたが、それは許されなかった。
また何もない近くの空間が揺らぎ、そこから花のような杖がチラリと垣間見える。
「【流星】!」
瞬間、幼なげな少女の声が遺跡内に響き、歪みから超特大の岩石が射出された。
避ける余裕がなかったヴァンプは、岩石に押し潰されるようにして遺跡の壁にめり込んでいく。
そのまま遺跡の壁と天井に大穴が開き、薄暗かった遺跡内に陽光が射してきた。
「ヴァンプ様!」
霊王ヴァンプの姿は、すでにそこにはなかった。
崩れた壁の破片に埋もれており、生死がわからず骸骨魔獣は声を張り上げる。
僕では確かに、こいつらに勝ち目はなかっただろう。
でも、僕が育てた仲間たちなら、あの霊王にだって勝つことができる。
それをわからせるために、ダリアには死なれたくなかったのだ。
僕がわざわざこいつを助けたのはそれが理由。
彼女には、しっかりと見ていてもらいたい。
勇者の代わりに魔王たちを倒す、僕の仲間たちのかっこいい姿を。
「姿を消す力、か。姑息な連中だ……」
散乱した瓦礫の方からそんな声が聞こえたかと思うと、中からヴァンプが立ち上がってきた。
大岩に押し潰されたことで、全身には土埃が付着していたが、目立った外傷は見当たらない。
今の【流星】を食らって無傷、ということらしい。
となると、結果的に与えられたのはローズの初撃だけということか。
ローズとコスモスの不意打ちで、腕一本しか砕けない魔獣。
霊王ヴァンプにそこまでの傷を与えた二人がすごいのか、彼女たちの猛攻を耐え切ったヴァンプがすごいのか。
ここまで来ると、僕程度の人間では理解することもできない。
まさに、化け物たちの狂宴である。
「奇襲、失敗しちゃったね」
後ろから静かに姿をあらわしたのはネモフィラさんだった。
彼女の言葉を受けて、僕は眉を寄せて小さく頷く。
本当だったら今の一幕だけで少年魔獣を倒し切りたいところだったが、予想よりもだいぶ強い魔獣だった。
目的通り霊王ヴァンプを見つけ出すことができたのはよかったけど。
ヴァンプの無事が確認できたからか、骸骨魔獣は慌てた様子で彼の元に駆け寄ろうとする。
しかしヴァンプは冷静な様子でそれを制した。
「スカル、貴様はその三人を始末しろ。赤髪と黒髪は我が殺る」
「わ、わかりました……!」
スカルと呼ばれた魔獣はこちらを振り向き、鋭い視線を送ってくる。
ヴァンプの方が危険性があると思ったため、骸骨魔獣の方は後回しにしたが、こちらもこちらで手強そうだ。
「ヴァンプ様の邪魔はさせません。あなた方には私と一緒に来ていただきます」
「はっ……?」
来ていただく? どこに?
ネモフィラさんとダリアも同じ疑問を覚えたようで、二人とも首を傾げている。
直後、スカルは杖をトンッと地面に突き立てて、強烈な怒気を迸らせた。
「【墓界】!」
スカルの足元から『ゾワッ!』と黒いモヤが広がる。
それは瞬く間に僕たちの周囲を包み込み、視界を真っ黒に染め上げた。
何らかの攻撃かと思って振り払おうとしたが、実体がなく触れることができない。
されるがままになっていると、やがて黒いモヤは晴れていき、目に前には……
「な、なんだ、ここ……?」
崩れかけた遺跡の景色はなく、なぜか見覚えのない“墓地”があった。
文字が書かれた石板と十字架が乱立している、夜の墓地。
いつの間にか僕たちはそんな場所にいた。
「さ、さっきまで、遺跡にいた、わよね……? なんで私たち、こんな場所に……」
ダリアが激しく困惑する中、墓地の真ん中にスカルが立っており、『カカカッ』と特徴的な笑い声をこぼしている。
十中八九、奴の仕業だろう。
スカルが作り出した空間なのか、それとも世界のどこかに実在している場所なのか。
いずれにしろ、どうやら僕とダリアとネモフィラさんは、そこに強制的に転移させられてしまったようだ。
任意の人物を特定の場所に連行する能力。
霊王ヴァンプほどではないが、この魔獣もなかなかに侮れない。
「私の主の命令です。あなた方にはここで命を落としてもらいます」
あの二人なら心配はいらないと思うが、相手はあの霊王ヴァンプである。
だから早いところここから抜け出して、ローズとコスモスを僕の『支援魔法』とネモフィラさんの『障壁魔法』で援護したいところだが……
「行きなさい! 私の可愛い僕たちよ!」
突如、墓場の土がゴゴゴッと迫り上がっていく。
瞬間、地面から骸骨姿の魔獣が、湧き水のように大量に這い出て来た。