第百三十六話 「後悔」
カンッ! とお互いが武器を弾き返すと、ダリアとスカルはすかさず距離を取る。
怒りのままに睨みを利かせ続けるダリアを見て、スカルはすぐにハタと気が付いた。
「ああ、思い出しましたよ。確か以前、森王軍の侵域に攻め込んで来た、東の勇者さんですね。お久しぶりでございます」
「――っ!」
戯けた調子を見せるスカルに、ダリアはますます憤りを迸らせる。
激情に任せて飛び込んでしまいそうだったが、ダリアはぐっと堪えて剣を構えた。
そんな彼女をおちょくるように、さらにスカルは骸骨の顔に笑みを滲ませる。
「あの時は気まぐれで逃がしましたが、またこの地にやって来るとは大した度胸です。それに誰にも見つからずにこの基地まで辿り着くとは、運にも味方されたようですね。しかしあなたは私の呪いですでに弱っているはず」
「……」
つーっとこめかみから冷や汗が流れる。
弱ったままということを見透かされていて、ダリアの心中に緊張が走った。
それでも彼女は闘志を消さず、剣の切っ先をスカルに向け続ける。
「その状態で再び侵域に、しかもお一人でやって来るとは、勇敢を通り越してただの無謀だと言えますね。人間は生物界で唯一“自殺”を行う稀有な存在だと聞いてはいましたが、よもやあの勇者までもそのような愚行に走るとは」
遠回しに自殺行為だということを強調されてダリアは青筋を立てる。
そんなことは、言われずとも理解していた。
しかしそれでも、このままアロゼたちに尻拭いをされるのが、たまらなく嫌だったのだ。
だから奴らよりも先に、森王ガルゥと霊王ヴァンプを倒してしまおうと考えた。
もちろん、勝ち目があるとは思わなかった。
ただでさえレベルが限界値に到達していたあの時でさえ、幹部連中にもまるで歯が立たなかったのだから。
(それでも、私は……!)
ダリアは、たとえそれで死ぬことになったとしても、一向に構わないと割り切ることにしたのだ。
恥を掻いたまま生きていくくらいなら、戦いに挑んで死んだ方がマシだと。
当然、ユーストマからは反対をされた。
悔しい気持ちもわかるが、このままの状態で挑めば確実に死を見ることになるだろうと。
だがダリアは、ユーストマに何も言わずに今回の作戦を強行することにした。
ただの自殺行為。そんなものは承知の上で、ダリアは薄ら笑みを浮かべる。
「ただで死ぬつもりなんてないわよ。せめてあんただけは……刺し違えても殺すわ」
「あの時弄んで差し上げた記憶がもう抜け落ちているみたいですね。ここまで辿り着いた褒美として、再び私が手ずからお相手いたしましょう」
そのやり取りを見ていた少年魔獣……雰囲気からして霊王ヴァンプと思しき者は、懐から小さな本を取り出して祭壇に腰掛けた。
「スカル、あまり騒がしくするなよ。耳障りになると読書の邪魔だからな」
「最大限、心掛けいたします。ただ、私が楽しくなって声を上げてしまうことはご容赦いただきたい」
スカルのそんな台詞を合図にするように、ダリアが鋭く地を蹴った。
「はあっ!」
飛び出した勢いのままスカルに剣を振り下ろす。
その一撃を、奴は手に持った杖で軽々と受け止めて、続け様に放った蹴りも片腕で防がれてしまった。
「カカカッ! 軽い軽い! その程度ですか東の勇者ダリア!」
「――っ!」
挑発された怒りを乗せて、剣を振り続ける。
しかしレベル1にされた影響で、ダリアの剣戟には以前のような力強さは微塵もなかった。
とても勇者の称号を与えられた一級冒険者の力とは思えない。鋭さも重さもない弱々しい斬撃。
ただでさえ万全の状態で圧倒されていたというのに、こんな状態になって勝てる気なんてまるでしなかった。
…………そんなの、ここに来る前からわかっていたこと。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
それでもダリアは、あのまま町に閉じこもっていることなんてできないと思った。
勇者の矜持がそれを許してくれなかった。
もしあのまま、はじまりの町で腐っているだけだったら……
きっと英雄になったアロゼたちのことを、自分はただ傍らから眺めているだけだっただろう。
そんな負け方だけは、絶対にしたくない。
ここには、勝つために来たのではない。
負け続けているのが嫌だから、再び戦場に舞い戻って来たのだ。
戦っている限り負けにはならないから、戦い続けることを決めたのだ。
自分はまだ、負けていない……!
「う……らあっ!」
そう自分に言い聞かせるように、ダリアは剣を振り続ける。
しかし……
「カカッ!」
ダリアのその意地は、嘲笑われるかのようにあしらわれてしまった。
骸骨姿の魔獣が杖を振り、剣が弾き飛ばされてしまう。
直後、鋭い蹴りが腹部に突き刺さり、激痛が走った。
「うっ――!」
その衝撃で吹き飛ばされて、冷たい地面で人形のように手足を投げ出す。
恩恵がほとんど宿っていない体には、魔獣の一撃は耐えがたい重みを感じた。
「がっ……あっ……!」
苦しみ喘ぐダリアを見下ろしながら、スカルは手元で杖をくるくると弄ぶ。
「そもそもの戦闘技術が足りていなかったというのに、その上弱体化までさせられて、本気で勝てると思っていたのですか?」
「……っ!」
涙に濡れた瞳でスカルを見上げる。
すると奴の顔は、骸骨姿で表情がないというのに、激しい憤りが迸っているように見えた。
「あなたはただ、死に場所を求めてここにやって来ただけ。私にはそのようにしか見えません。その相手として私やヴァンプ様が選ばれたというのが……ひどく不愉快だ」
ドス黒い感情が滲んだように、スカルの声音が低くなる。
それを耳にしたダリアは、顔を引き攣らせて、手足を小刻みに震わせた。
霊王軍幹部の放つ威圧感に、多大なる恐怖を覚える。
「あなたは死すら値しない。死ぬことで楽になろうと考えているなど、なんと愚かで滑稽で矮小な存在なのでしょう。私はあなたに死を与えない。それ以上の苦しみを持って、激しい後悔を感じさせて差し上げます」
スカルは、不気味な笑みを浮かべると、左手を構えて唱えた。
「【呪手】」
瞬間、奴の左手に真っ黒なモヤが掛かる。
それを見て、ダリアはハッと息を飲んだ。
「カカッ。あなたも見覚えがあるでしょう。これが私の呪力です」
以前にレベル低下の呪いを受けた時と同じ。
自分はあの手に触れられたことで、憎きあの呪いをこの身に宿すことになったのだ。
その手をこちらに近づけながら、骸骨は静かに囁く。
「今からあなたに、再び呪いを掛けて差し上げます。効果は『生屍』。生ける屍となって人の肉を食らう存在。死ぬことも許されない呪いを背負いながら、この世を永遠に彷徨うことですね」
「……」
人の肉を食い求めるだけの、生ける屍となる呪い。
その呪いが込められた手がゆっくりと顔に近づいて来て、ダリアは密かに歯を食いしばった。
自分はいったい、どこで間違えたのだろう?
最年少で一級冒険者まで成り上がり、勇者の称号を欲しいままに手にした。
周囲からは多大な期待を寄せられて、栄光を浴びる将来だって約束されていた。
しかし自分たちは失敗した。森王軍にまるで歯が立たず、挙句の果てに振り出しに戻されてしまった。
どこで間違えた? 何がいけなかった? こうなってしまった原因はなんなんだ?
『アロゼ。あんたもういらないから、さっさと出て行きなさいよ』
……いいや、わかっている。
たぶん、あの時だ。
自分の利益ばかりを気にして、名声の邪魔になる一人の男を追い払った。
あの時に自分の敗北が決定づけられたと言っても過言ではない。
あいつがいたからといって、森王軍との戦いの勝敗がひっくり返っていたとは思えない。
ただ、あいつがパーティーにいたままだったら、何かが変わっていただろうと薄々感じる。
彼をパーティーから追い出していなければ……
彼の言葉に少しでも耳を傾けていたとしたら……
彼と共に成長を続ける道を選んでいたとしたら……
自分の未来は、少しは変わっていたのだろうか。
「自らの愚かさを思い知り、絶望と後悔を存分に味わってください!」
今さらながらの後悔に、懺悔の涙を滲ませていると……
スカルの邪悪なる呪いの手が、ダリアに真っ直ぐ伸ばされた。
「【敏捷強化】!」
刹那――
“銀色の閃光”が、瞬くような速さで視界の端から飛び込んで来た。
「えっ……」
その光は、小さなナイフを手にした人の影だった。
呪いの手を構えていたスカルを素早く斬りつけて、息つく間もなく右脚で蹴りを出す。
事前に危険を察知していたスカルは、紙一重のところで刃を回避した。
しかし続け様に繰り出された蹴りにより、腹部を打たれたスカルは後方へと吹き飛ばされる。
スカルが髑髏の顔に僅かな怒りを滲ませる中、割り込んで来た人物はこちらに冷ややかな目を向けてきた。
「何やってんだよ、このバカ」
「……」
それは、飾り気のない黒いコートと白いシャツを着た、銀色の髪の青年……
自分がパーティーから追い出した、育成師のアロゼ・フルールだった。